2021年4月14日 (水)

飲み物の思い出~~♪ 13. 中央アジアでコニャック



 やや忙しい仕事で、休みの日に、学校を少し見せてもらって、本当に見たいところは残念ながら、見る事が出来ず終わって、校長先生らしき責任者の方の部屋に招じ入れられた。

一頻りご挨拶やら何やら・・そうすると、その先生が、机の横の戸棚からブランディーを出して、人数分のグラスを出して、一杯飲んで行け・・全く以て感じの良いお誘いで

「サー・ウィンストン・チャーチルが愛したコニャックだ」後で調べたら、彼が好きだったのは、フランスのコニャック・テセロンらしかったが、味の良い高級なブランディーと言う程の意味だったのかも知れないが、自分は無知で、チャーチルが飲んで居た物と同じだと思いこんでいた。まだ少し仕事が残っていたので、謝辞したが、今日は休みな訳だし、せっかく遠くから来てくれたわけだから、という事で皆で頂いた。全く以て感じの良いお誘いで有った。

美味しかった。顔が真っ赤になった。暫く雑談をした。ソ連邦が崩壊したばっかりだったし、全体的には、経済も不調だったようだし、共産主義から一応自由主義経済に変化したばかりだし、色々問題山積の様ではあったが、それまでは地味でも或る意味豊かだったのだろうけれど、これからも、自由度は上がるだろうけれど、色んな意味で試練だろうと思えた。

以前は、ある学校を出ると、職種の資格番号のようなものが付与されて、それが有れば、連邦内のどの共和国でも、それを必要とするところに働けることが、概ね約束されていた様だから、良い面も多かった、と言う感じだった。

ついでに書けば、見させてもらったところは全て、電圧が同じでプラグも同じで、色んな物が同じで、或る意味安心感があった。







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ショットグラス、Webから拝借



 

 

 

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2021年3月15日 (月)

飲み物の思い出~~♪ 12. パキスタンでラッシー

 

 

 

ラッシーは、知っていたが・・

実は塩ラッシーと砂糖ラッシーが有るのは、現地で気づいた。パキスタンで知り合った人々は、その時の状況で違ったが、塩の方が多かった印象。

外国人は殆ど居ないホテルで、ラッシーを頼むと、大抵は大きなポットで出て来て、飲み放題。確かに、砂漠っぽい乾燥地域や熱処で一日働いていると夕食の時には沢山飲めて良かった。手動でも作れるみたいだが、単に水とヨーグルトと砂糖()を混ぜるだけだから、でも、レストランでラッシーを頼んだら、「只今、停電で、出来ません」と言われて、少し残念だったことも有った。

パキスタンでも、他の近隣国でも食事の時間は、日本とやや違うけれど、中食が比較的遅い所では、それ以降に暫し休んで(昼寝して)、又夕方暫く働くという地域が有り・・

 

 

 

 

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ラッシー、Webから拝借

こんな感じではなく、もっと地味だったが

 

 

パキスタン人から聞いた冗談:-

留置場の容疑者が昼食を済ませた後に、ラッシーを好きなだけ飲ませると、どっと眠くなる。そこで、色んな尋問をして、全部白状したら昼寝を許可する、と言うと洗いざらい白状するそうだ、日本の刑事ドラマの、「かつ丼」と似ている~~♪

 

皆で機会あるごとに、何人か集まって、お茶を飲んで、伝統的な冗談を言い合って、楽しんでいた風だったが、今考えると、それが日常的という事も有るが、自分を呼んでくれたのは自分に気を使ってくれて、もてなししてくれたのだろうと、優しい心遣いが、今になって沁みる。

 

 

 

 

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2021年2月11日 (木)

飲み物の思い出~~♪ 11. パキスタンでウィスキー

 



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 駐在の人から聞いた話で、闇でウィスキーが有るという事で買いに行って、12本入っている箱から自分で1本取り出して味見をしたら、本物だったので、全部買って来て家で吟味したら、それ以外全部、リキュールだった、らしい。1/12の確率で本物を引くって~~?

未だに不思議で意味が分からない、という事で、そのウィスキーとリキュールを飲ませてもらって、大いに盛り上がった。

 

或る時出張で泊まっていたホテルから、招待状が来て、カクテルパーティーが有るから、という事で、同僚と一緒に出掛けた。テレビで見る西洋風のパーティーで、正装した男性と美人の女性からおもてなしを受けて、大いに酔ったが、自分はそれほどでもないので、頭が痛かった、同僚は、この時が初めてで、こんなことも有るんですか、と喜んでいたが、自分でも初めて。良い経験だった。地元のホテルはそれなりに、外資系のホテルは又それなりに、面白い事が多い。

 

特にジアウル・ハック将軍が大統領の時や、ブット女史が首相の時、その他の時も、割と自由でウィスキーは数本お目こぼしで持ち込めたが、自分で飲んだり、回数は少ないが友達とウィスキーパーティーをしたことも有り、割と窮屈は感じなかった。

 

そんな或る時、一緒に働いていたパキスタン人が、ポテトチップスとかナッツ類を準備して、入国直後にお土産として渡したウィスキーで、パーティーをしてくれた時、謹厳実直そうな方が居て、コーラかなんか飲んで居て、その人は飲まなかったが、後で聞いたら、警察の偉い方だったそうだ。彼が居れば、万が一何かあっても、官憲は手が出せない、という事らしかった、誰かの親しい友達と言う事。彼らが、自分を慰めてくれるために計画してくれた。顔が赤くなって、覚めるまで外出したくなかったが、誰も自分の顔が赤いのは、何故か分からないから気にするな、という事で、謹厳実直な方は、帰ったがそれ以外で、数百年経った地元の店でマトンカライとナンの美味しい店で、夕食を食べた。その時は比較的長い出張だったが、彼らにしてみれば、家族から離れて一人で異国で仕事って、とても辛い状況に見えたのだ、という事は後で知った。なんて、優しい人たちなのだろう。

 

その他、幾つも大小様々な、忘れ得ない思い出が有るが、テレビでパキスタンとかの話は少ないが、なんか言っていることは、1回もパキスタンへ行ったことが無いか、行っても公式記者会見だけ取材しただけとか、バスの缶詰旅行で、それ以外の事は経験が無いのか、と言う感じで、しっかりしたことは伝わってこない。中には、テロリストの巣窟位に思っている人も多い気がする。

 

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パキスタンのお茶屋の写真





 

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2020年12月21日 (月)

飲み物の思い出~~♪  10. 高三で焼酎



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お誘いも有って、成り行きで先生のお宅に数人で遊びに行くことになり、食事は覚えていないから夕食後だったのだろうけれど。先生の学生時代は大東亜戦争中で、少し年が若かったので、出征する事は無かったが、そんな当時のお話をたくさん聞かせていただいて、自分たちも年は、そんな当時の先生と同じであったから、自分も他もやや落ちこぼれ気味であったが、進路や人生を語っている内に、先生が、変な形の急須のようなものに、どちらかと言えば、当時は日陰者の、もしかしたらその道では有名だったかも知れないが、焼酎を入れて持ってきた。七輪か火鉢で暖を取っていた。如何いう訳か小さなお猪口が人数分。ヒマワリとかそんな種を食べながら、先生は飲み方が早かったが、こちらは遠慮も有るし、露見したら褒められた事でもないし、と言いながらご馳走になった。1~2杯頂いただけだが、普段飲まないわけだから、それなりで酔った。花札もして遊んだ、書斎と言うものは入ったことが無かったが、先生の書斎で最後は雑魚寝して、翌朝一番の電車で帰った。

その時先生が20年後にまた遊びに来い、と言ってくれたが、自分は忘れていたわけではないが、正確な日時は覚えていなかったという事も有るが、遠く故郷を離れていたし、卒業後は、今考えれば、あんなにお世話になったのに、一回も顔を出していなかったし、殆ど同級生とも音信不通だったし、今考えれば慚愧の至り、今もそうだが、全くのロクデナシだった。

勿論取り返しは付かない、人生は取り返しのつかないことだらけだが、年だけは行く。先生には何も返せなかったが、その何分の一かを、誰かに返したか…全く心許無い。

数年前に、高等学校の同窓会名簿を貰ったが、物故した方も多かった。

 

 

 

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2020年11月 9日 (月)

飲み物の思い出~~♪  9. 高三で缶ビール



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  我が母校は甲子園野球大会に2回出た。自分が在学中は残念ながら出られなかったが、県のベスト4だか8に残って、みんなで県庁の有る町まで応援に出かけた。今は県立で出場するのは稀だが、当時は田舎の県では多分、私立は殆どないから、県立が当たり前だったと思う。

その日は暑い日で、自動販売機から、当時出始めだった気がするが350mlのコーラやそんな飲み物を買って球場に入ったのだ、当時は水は売っていなかった。鉄道駅、その他水飲み場は沢山あった。

我々は自販機から缶ビールを買って、ハンカチで包んで、飲みながら応援した。試合は負けたが、我々は大いに盛り上がった。終わったころには酔いも醒めていた。勿論、家でもビールは滅多に飲んだことが無かったけれど高校時代に家以外でビールを飲んだのは後にも先にもこれ1回だけ、念の為。

今だったら露見したら、こんな如何でも良い事に、大騒ぎするだろう。如何でも良い事は、如何でも良くない事と紙一重だが、一緒くたにすることが多くなって、最近は如何でもいい事が如何でも良くないことを凌駕して、如何でも良い事と如何でも良くないことが、声の大きさで決まるらしい、それで大抵は、如何でも良い事で雁字搦めになっている。

 

 

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2020年10月 8日 (木)

飲み物の思い出~~♪  8. 高二でコップ酒




 高校は電車で通って居た、それも直線で20キロぐらいしかなかったが、乗り換えがあった。ものすごい混雑だったが、朝夕それぞれ最適1本+1本の汽車と言う感じ。土曜日は遠くから来る列車で、蒸気機関車に引かれていたが、冬は遅れがちで、年に数回は何時間も遅れた。そんな或る時、その時は、ちょっとお金があったから、駅の直ぐそばにあったうどん屋のカウンターでうどんを一杯食べて、多分¥4050位、その時、学生服の上に防寒着を着てはいたが、普通にお酒一杯、多分¥100位を頼んで、普通に飲んだ。勿論顔が赤くなったが、お店の人も何も言わないし、駅の待合室で、うとうとしている時も誰も何も言わなかった。褒められた事でもないが、当時そんな大したことでもなかったのだろう。念のために申し上げれば、コップ酒を通学中に飲んだのはこれ1回だけ。

 当時は未だ電話がそれほど普及していなかったし、勿論携帯電話と言うものも無かったし、車で迎えに来ると言う事も無かったから、汽車が遅れたら、ひたすら待つだけ、誰も駅員に文句を言う者も居なかった。遅延の案内も、今から考えれば、いい加減で、分かったらお知らせするという感じだった。

 

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2020年9月14日 (月)

飲み物の思い出~~♪  7. 高二のコカ・コーラ



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 当時通っていた高校は、今も珍しく当時のままの校名で残っているのだが、場所は、卒業して10年位で建て替えと同時期に、移転したが・・

 通っていた頃は、最寄り駅から10分足らずで、○○山、と言う通称されていた台地の南寄りに有り、北寄りには別の高校が有った。学校の周りは住宅街で、食堂や商店も点在していた。

校庭は、生垣や塀、自然の斜面などでそれなりに構外と仕切られていた。どういう経緯かは記憶が無いが、弁当を食べた後、校舎から目立たない通路から抜けだして近所の酒屋に行って、友達と二人で、たった5~6回だった気がするが、当時有った瓶入りの500ccのコーラをコップ二つ出してもらって、半分ずつ飲んだ。酒屋に当時「もっきり」が有るのが普通だったが、そんな立飲み席の片隅で飲んだ。多分他愛もない雑談をしたのだろうけれど、何を話したか全く記憶にない。

その同級生は、お気の毒だったが30代で夭折した。間遠だったが、手紙のやり取りが有って、遺品を整理していた妹さんから、亡くなって、半年ぐらいしてから、当時勤めていた会社に電話が有った。最後の手紙は、亡くなってからだったかも知れない。

その倍も生きたが、その人と最後に会ったのは20代前半だったはずだから、思い出すのは、当たり前だけれど、当時の若い顔だ。

 

 

 


 

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2020年8月 4日 (火)

飲み物の思い出~~♪  6. 高一でファンタ



 

 当時何と言ったか忘れたが共益作業~奉仕作業位の意味で、年に何回か、草刈り、溝への一斉殺虫剤撒き、側溝の浚渫などが有った。欠席者は¥2,000位だったと思うが、もしかしたら¥500位だったかも知れない。高一は一応、一人前で扱われ、参加とみなされた。その時は、当時小学校が火災に遭って、その片付けで、それぞれの集落が手伝いをして、自分が行ったように思う。もうかなり片付いていた。多分午後上がって集落に戻って来て、78人が筵を敷いて、お菓子を食べて、ジュース類を飲んで慰労会。

 

 その場にファンタも有ったが、サイダーにサッカリン入りの色付き瓶入り飲み物を当時はジュースと言っていたが、それを混ぜると美味しいという事で、お爺さんが(多分60歳前、自分の父よりは上)が、ニコニコして作ってくれた。美味しかったが、ファンタもそばにあったが、その人は、最後まで気づかなかったかもしれない。自分は気付いて居て、勿論飲んだ。自分はその人の名前も知らなかったが、偶に集落で見たり、田んぼの方で見たりして知ってはいたが、先方は自分の事を○○の家の△△としっかり認識していたわけだ。だから当時は、少し危険な淵や天候の悪い時、夕暮れになって、子供たちが居たら、大人は積極的に声を掛けていた。何かちょっとしたいたずらが露見したときは、怒られたが、逃げればそれでおしまい。

 

本文とは関係ないが、果実飲料じゃない色付きの甘い清涼飲料の普通名は何というのだろうか、ペットネームは色々あるが、一般的な名前は特にないような気もする。

 

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2020年7月15日 (水)

飲み物の思い出~~♪  5. 中三で日本酒





 当時は、何かの行事は、家の座敷でやっていた。何かの慶事だったのだろうけれど、多分全部で20人ぐらい集まって、田舎の料理で有る鍋物とその他お膳に何かあって、大人が酒を飲んでご飯を食べる、という事であったのだろうが、中三の自分も末席に連なって、正式にはジュースだったが、少し場が、和んできて、従兄が、日本酒を勧めてくれて誰も特段何も言わず、少し飲んで、酔った。顔がいやに火照ったが、赤い顔の人もたまには見たし、普段は今から考えるとかなり質素だったが、年に何回かは、そういう場が有り、或る意味半分大人の仲間入り。中学を出て就職する人も可なりいたし、年季に入る人は、全くの大人扱いという事ではなかったが、今よりはよっぽど大人に近かった。

 当時、男女とも高等教育を受ける人は別だったが、2023歳ぐらいで、結婚する、偶には子供もいるというのが普通だった。

 
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2020年6月10日 (水)

飲み物の思い出~~♪  4. 中一でコカ・コーラ

 

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 その地域では有名な明治天皇が行幸した公園に遠足で行った、バスだったろうと思うが、全然記憶にない。そこで友達が、売店でコカ・コーラを発見して、飲むことになった。当時は県庁都市も東京もとても遠くて大した差異は無かったが、その友達は、そんなところへ行って、流布し始めたコカ・コーラを飲んだことが有るらしかった。
 多分、当時は瓶入りだけで、350mlで¥35だったように記憶する、持ち帰りは+瓶代¥10?ちゃんと冷蔵庫から取り出して、お店の人が布巾で拭いて栓を抜いて出してくれた。ちょっと薬臭いと思ったが、全体的には香りも良く、とても甘みが強くて、忌避反応は無かった。
 夕方帰ってから、家人に飲んだことを報告して、珍しがられた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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