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2006年9月13日 (水)

メガネ

友達に目がとても悪い人がいる。彼は冗談交じりにメガネを取ったら、自分の父親とゴリラの区別も付かない、と言っていた。

今彼は体格も良く背も高いが、子供の時は小さかった。小学校低学年の時は一番前に座っていた。段々背が高くなって中ぐらいに成っても一番前に座ることを希望した。それは黒板に書かれている字が見えなかったからだ。高学年に成って視力検査があって、自分は目が悪いことを発見した。それまでは他の人が後ろに座って騒いだりするのは黒板の字がよく見えないから仕方がないなあ、位の事は考えたが、一番前で黒板の字が見えないのは、自分の目が良くないから、だとは考えなかったらしい。

昭和30年代、40年代の小学生はメガネを掛けている人は少ない。それは目が良かったからではなく、いろいろな意味で気付かれていなかったからだと思われる。当時の子は、時に田舎の子はあまり勉強もしなかったし。

通報を受けた家族は彼にメガネを買い与えた。今までより黒板の字がよく見えるようになった。努力しなくても、まあまあ黒板の字が見えるようになった。別世界が広がった。それから彼はメガネ無しで過ごすことは無い。メガネを外していても、夢が見えないと言うことは無いから、寝るときは外すけれど、と言っていた。

そんな話をずっと昔に聞いて、「ばっかだなあ、目が悪いか良いかは直ぐに分かるだろうに」と一瞬思ったが、「ばっかだなあ」自分の方かも知れない。

自分は長い間、寝る前に横になりながら本を読んでいた。明るいところだとそれ程でもなかったが、少し暗くなると左側に本が有るとよく見えなかった。視力はどちらも殆ど同じである。灯りの方向かなあと思って、そのまま長い間放置していたが、視力が少し落ちて、より明るくしないと、本が読めなくなった。それでメガネを作った。何と右目は近視で、左目は遠視、視力はどちらも殆ど同じ。右目は遠くがよく見える、左目は近くの物しか見えない。先生の話だと、有る一定の距離で主眼として見る目が左から右に変わるのだと、すなわち遠くは左目で見て、近くは右目で見ているのだと。それでかどうか、矯正用のメガネを使うずっと以前から、眩しくてサングラスの愛好者だった。友達に話したら、「片方ずつ使うから、あまり疲れなくて良いね」だと。

新しいメガネでよく見えるかと言うと必ずしもそうではなかった。両目が矯正されて両目とも本を読む位置で焦点が会うけれど、少しずれているので、未だによく慣れない気分。

目が悪いのなら、二人で同じ物を見たときなどに気付くだろうけれど、自分は頭が悪いとか、思いやりが無いとか、無神経とか、結構気付かないのだろうなあ。ちょっとゾッとする。

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