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2006年10月31日 (火)

社長 兼 CEO

社長だけで十分だと思います。その他にCEOなんて名刺に書く必要なんて有るんでしょうかねえ。それとも会長はお飾りです、と言う嫌みでしょうか。会長が全権をふるっている会社の社長なら、社長但し最高経営責任者では有りません、と名刺に書いておけば面白いかも知れない。

51%以上の株を持っている人が、他人を社長にして、経営と所有を綯い交ぜにしていれば、社長でも最高経営責任者では無いという事も有るかも知れない。そう言う場合は「雇われ名前だけ社長」と名刺に書いておけばよい。

またもし創業会長が居て、その子供が社長で遊び回っていたら、括弧して最低経営責任者と書いておけばよい。

歴史的経緯があって、まあそれなりに名前が出来たのだろうけれど、現状ではCOOと言うのは、CEOより分かりにくい。何でもやりますが、責任は取りません、見たいな。勿論違うでしょうけれど。

その内一人で会長、社長、代表取締役、CEO、COOと名刺に印刷している人が現れるだろう。大企業だったら、一人で三面六臂の大活躍、小企業だったら、ブラックユーモア。

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2006年10月29日 (日)

小学校焼失

自分が高校生の時、卒業した小学校が焼失した。

小学校は木造で教室部分は2階建てだった。学校の正面は西に面していた。今となっては図書館や理科室、家庭科室などの配置は良く思い出せない。道路と学校の間は広い校庭だった。周りにプラタナスが植えられていた。学校の裏である東は緩い下り斜面に成っており、桜が植わっていた。その先に田圃が広がっていた。当時としては典型的な学校の造りになっていたと思う。シンメトリーで真ん中に玄関、左右に教室が広がっていて、南端と北端に児童用の玄関が有った。上から見れば、建物の構造は漢字の日の字の格好だったと思う。教室には児童達が溢れていた。放課後には夏は校庭に、冬は体育館に子供達が満ち溢れていた。

6年間過ごしたところだ。同じ敷地内に幼稚園も有ったから、通せば7年間通ったところだ。卒業後中学生の時は寄りつかなかった。高校生になって小学生が夏休みにラジオ体操に通うときに、一年にたった1週間ぐらいだったけれど自分も通って一緒にラジオ体操をした。近所の人達も沢山来ていた。誰だったかは覚えていないが毎日展示のために壇上でラジオ体操をする人がいた。交代でやって居たかも知れない。体操が終わると小学生は首から提げた出席表に判子を押して貰う。何人も居たが、自分はよく押す掛かりをした。遅く来た子供にも、何かで休んだ子供にも、後で判子を押した。

春先に小学校が焼けた。春休み中だった気もするし、新学期直後だった気もする。夕食後家にいた時、道路を走って「小学校が火事だあ」と触れ回る人が居て火事を知った。家人によると近い火事はサイレンより早く人伝で知ると言われて、成る程と思った記憶がある。小走りで見に行った。

もう南側一帯が燃え盛っていた。消防の人達の邪魔にならないように、道路の脇を流れている側溝の上の土手側にいた。未だ正面の一階には、家財や書類を持ち出す人の姿が見えたが、間もなくその人達も、建物から離れた。

火の勢いは益々強まり正面全体に燃え広がった。放水でその場所が一時的に火の勢いが弱まったかにも見えたが、直ぐにまた勢いづき燃え上がっていた。自分は最も遠い位置から見ていたのだけれど、熱くて時々背中を向けて熱さを堪えた。消防の人達は、それよりずっと接近して消火に当たっているのだから、さぞかし熱いことだったろうと思う。続々近隣の消防隊が応援に到着した。辺りには木が燃え盛る音、消防隊員や警察官の指示や連絡の声、車やポンプの音、見ている人達の嘆きの声などが満ち溢れていたが、妙な静寂感が有った。

自分は立ってずっと見ていた。火に向かった方は熱く、反対側は寒く。近くに誰かが居たのだけれど、覚えていない。その内正面の100m以上有る建物がドミノ倒しの様に南から北にスローモーションを見るように倒れた。小学校時代の思い出が幾つか頭の中を過ぎったのだけれど、一瞬思い出まで無くなったような全くの虚しさを感じた。

もう暫く見ていた。近隣に燃え広がることは無かった。燃え残った建物は無かった。家に帰って相当時間が経ってから鎮火のサイレンが聞こえた。消防団員の父はその夜半警戒から帰ったらしい。自分はその当時の父より少し年齢が行ってしまったけれど、地域から見たら全くあんな価値は無いなあ、残念ながら。

火災後の最初の日曜日に勤労奉仕があり、一家から一人、自分が出た。正面玄関前の小さな庭に建っていた二宮尊徳の銅像も真っ黒に焼けていた。

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2006年10月25日 (水)

BBQ広場

自分が住んでいる近くにBBQ広場が3箇所有る。広い公園の一角である。どれも散歩道の1つとなっている。1箇所は安価とは言え有料の様だが、他は無料の様である。もっとも混んでいるのは、自分が住んでいる所から一番近い所である。

雑木の疎林の中に有る。夏は木陰であり風通しの良い所だから人気が有るのだろうと思う。弱い雨だと大木の近くなら予定通りBBQが出来る。冬は落葉しているので明るく、日光が出ていればそれなりに情緒が有り良いところだ。こんなに寒い日に、と言う日にも大抵は何組か居る。

散歩で近くを通れば、BBQの匂いが辺りに漂っている。浅い森林の匂いの中にある食べ物の、則ち生活の匂い。自分としては散歩で得たちょっと夢想っぽい世界から現実に引き戻される事になるが、それはそれで良い物だと思っている。それが嫌なら近づかなければ良いだけの事だ。

つい先日も散歩で傍を通りかかったら、20組以上と思われる人達がBBQをしていた。場所によっては隣同士が接近していて、その様子がお互いよく見える。ふと思ったのだけれど、その人達は近隣の組の人達と何かしらの交流が有るのだろうか。言葉を交わしたりしているのだろうか。食べ物なんかの交換は通常無いように思うけれども。少しお酒を飲んだりして、気分が軽く明るくなれば隣と少しは話したりするのだろうか。それとも全くのたこつぼ状態で、近隣は樹木や岩石の様に考えられているのか。そこまで行かなくとも、迷惑な人達でさえなければ良い、と言う事でお互い無関心なのか。

自分はもう長い間、BBQをしていないので、自分がしたときの感覚が全くあやふやであるけれども、近隣はお互い迷惑に成らない程度に譲り合いながら無関心で特に何かしらの交流は無かった、と思う。でもこれからは近隣とサラッと雑談が出来るような事が有れば良いように思っている。

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2006年10月23日 (月)

思草の種

思草(おもいぐさ=ナンバンギセル)が一年草で種が出来ることを知った。調べもしないで宿根型の多年草だと思い込んでいた。もしかしたら、この花のことを教えてくれた友人が当時全てを話してくれていたのかも知れない。聞いている途中から何かに突っかかって、心ここに有らずで話を聞いてしまって自分が失念したのか、もしそうなら申し訳ないことをしたと思う。ともかく、種が出来ることを知って何か気分が少し明るくなった。種が有れば何処かに植えて花を楽しむ事が出来る。それよりも先ず、植えて発芽するまで、咲くまで、楽しめる。

もう咲いて1ヶ月以上経つから、もしかしたら既に種が出来ているかも知れない。休みの午後に、これを教えてくれた共通の友人と見に行った場所をめざした。家内と家を出てブラブラとゆっくり歩き出した。天候も良く少し暑い程であった。近づくにつれて歩調が少し早く成った。散歩するたくさんの人達とすれ違った。初秋の薄曇りの空の下。

遊水池の土手に着いた。花が付いている丈の短い柄も未だあったが、大部分は枯れていた。枯れ細り辛うじて、黒っぽく残っている柄もあった。元気な柄の花だった部分に触ってみると、種のような感触でやや硬い物が花びらか萼の残骸に包まれて有った。幾つか摘んで帰った。大抵の種や球根は一旦干すから、これも窓際に置いた。数日経って小さめの種の格好を見ようと思って丁寧にそれを開けようとしたら、手応えが無く崩れた。何と種は芥子粒の様に小さかった。花は紫、種は鶯色。益々驚いた。又ちょっと明るい気分に成った。数が多ければ何となくたくさん発芽するような気になるではないか、現実は数が少なくて大きい種が発芽する確率は高いのだろうけれど。

9月に訪ねた友人のお宅の庭にはススキが有る。わざわざ示したから、ハッキリ覚えている。彼は自分の庭でススキを楽しんでいる。野草園も楽しんでいる。畑の様子は余り見て来なかったけれど、田舎の事だからミョウガぐらいは有りそうだ。嬉しいことに、思草はススキにもミョウガにも寄生する。暑いところだとサトウキビにも寄生するとの事だ。

種は小粒だが沢山ある。その内幾つかはきっと発芽するだろう。ススキの根元から、ミョウガの根元から、芽が段々伸びて、成長してゆく様子が、花の咲く様子が頭に浮かぶ。もう少し乾かしてから種を取ろう。

友人に種を送ろう。

万葉集の時代の人は、その姿から思草と名付けたのだろうけれど、巡り巡って自分は友人やその他様々な事を思い出す思草。

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2006年10月21日 (土)

ヤマボウシ

数年前に仲間達と公園の中をゾロゾロ歩いた。未だ時季は早かったが、もう赤く熟したヤマボウシの実が有った。当時未だ自分はヤマボウシを知らなかった。自分は食べられそうだとは思ったが、黙って様子を見ていると、誰かが食べられると言った。直ぐに1人が熟してフワフワした実を1つ食べた。少し甘みが有って美味しいと言っていた。

ヤマボウシは6月頃に枝の上面一杯に白い花を付ける。見下ろす位置から見るととても綺麗だ。上品で華やかで有る。自分の好きな花の1つだ。

近くの公園にヤマボウシが2箇所にある。粉砕場のヤマボウシは一個も実が残っていなかった。初夏に大豆ほどの実が天を向いて生っていた。三本とも丁寧に見たが全くなかった。ここは日当たりが悪くて駄目のようだ。数年前に木が三本あるのを見つけた時は喜んだ。初夏にはそれぞれの枝に白い花がビッシリ咲いてビッシリ実が生るのに、夏にはみんな無くなってしまう。見落としがあって熟していないかと期待していたが、駄目だった。でもまた来年、花から始まって何回も見に行くと思う。

少し離れた広場のヤマボウシは一本だけだが、赤く熟して沢山生っていた。広場の端にあり日当たりが良い。数年前に両手の平に一杯採れたこともあった。もう枝には手が届かなくて見るだけの木に生ってしまった。木の回りには落果して踏まれた実が、幾つもあった。無駄にされているようで、勿体ない気がした。少し離れた所で前に採った時の事を思い出して暫く見ていた。そこを通過した人は何人も居たが、木を見上げた人は一人も居なかった。緑の葉の下に、赤く熟した実が沢山成り下がっていて美しいのに。

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2006年10月19日 (木)

銀杏

昔友達と飲みに行くと、誰かが焼き鳥を頼んだ時についでに、銀杏焼きを頼んで食べた。その他大勢の注文の様にしていたが、その内、焼き鳥を頼むと必ず銀杏も来て、自分がいつも食べているのが発覚してしまった。鍋物に串刺しの銀杏が有れば、何かを取りながら必ず取って食べたのもついでに発覚した。別に悪事では無いから発覚しても、どうと言うことも無いのだけれど。段々誰かが焼き鳥を頼むときは、こちらを見て「銀杏」という目を向けられた。こちらも目で合図した。

数年前に北風が吹き始めた頃近くの公園のベンチでボンヤリ座っていたことが有る。広い芝地の向こうの林で、数人の人がなにやら怪しい動き。ジッと見ていたら何かを拾っている風。彼らの近くに大きな公孫樹の木、銀杏拾いだった。そのころ自分は23年続けてちょっとした知り合いの老夫婦から、両手の平一杯の銀杏を貰っていた。彼らは農家のご隠居さんと言うことだったから、多分自宅のお庭で拾ったのだろうけれど。綺麗だったからとても手間が掛かっていた。自分のような者にもくれたぐらいだから、相当多量に拾っていたのだろう。

自分はいつも10個ぐらいずつ大事に食べていた。勿論一度に大量に食べたり毎日食べたりすれば、体に悪いと言われているのは知っている。そんな理由からではない。好きな物を時々食べて楽しむ、と言うことと又、好きとはいえ、ああ言う物は一度に何十個も食べられるものではない。

最初はフライパンで煎って、口が開いたら少し冷まして食べていた。その内知恵が付いて茶封筒に入れて電子レンジで加熱、バンバン跳ね始めたら食べられる。簡単だけれど、フライパンで煎るのと違って、果肉の臭みが少し出る。

ずっと昔、田舎に住んでいた子供の頃、近くに何回か拾いに行った。当時は未だレジ袋という物が無かったから何に拾ったかは覚えていない。紙袋か何かの布の袋に拾ったと思う。火バサミを持って行った記憶はないから、その場で木の枝を使って箸を作って拾ったと思う。当時それは余りにも日常的なことで、遠い過去に成ってしまえば、詳しいことは殆ど覚えていない。印象的な23の情景を覚えているだけである。家に持ち帰り裏の畑に埋めておく。23週間して思い出したら掘り出す。洗って乾燥させれば出来上がり。思い出さなくて掘り出す前に雪が降って、それっきりに成ったのも少しはありそうだ。

冬の間時々出してはストーブの上に乗せて焼いて割りながら食べた。家の人達が食べたのか、食べなかったのか全然覚えていない。自分だけが好きで自分だけが食べていたのかも知れない。季節だしその内何十年ぶりに銀杏を拾いに行くか。何十年前の自分がもしかしたらそこに現れるかも知れない。

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2006年10月17日 (火)

月下美人

月下美人が咲いた。月下美人が5~6年ぶりで咲いた。その間粟粒の様な花芽は何回も出たけれど、いつも途中で萎びてしまう。東向きで必ずしも良い環境ではないが、越してきて直ぐは咲いたのだから、いつも自分なりに手入れをしていたのに、残念ながら咲かなかった。

今回は違っていた。小さな花芽は暫くの間は大きな変化は無かった。少し経って何か少し大きくなっているように見えた。そして力が付いて、ぐんぐん大きくなり、気付いたら3センチほどに成っていた。もう大丈夫。ドンドン成長して10センチになり、20センチになり、花びらの部分が忽ち膨らんでそして咲いた。たった一輪だけれど喜びの一輪。咲いたのは7時頃。夜中中あの目眩のするような良い香を発散した。朝には萎んでいた。咲くまで毎日心がときめいた。咲いて嬉しかった。咲いて1つだけ困ったことが有った。それは主に世話をしていた家人があの香で花粉症と同じ症状を呈したことだ。自分は花粉症ではないけれど。月下美人の鼻の香にアレルギー。別の部屋に移した。症状が少し軽くなった。翌日花は萎れた。鼻は直った。

この月下美人は昔住んでいたところの隣人から貰った数枚の葉が大きくなった物である。見ると隣人を思い出す。

隣人は南向きの大きな庭の有るお宅に住んでいた。花の手入れが上手かった。隣人は沢山花の咲く月下美人を持っていた。花が咲く前にその一鉢を何度か貸してくれた。大きな鉢を持って訪ねてきて貸してくれた。夜に大輪の花が幾つも咲いた。今考えるととても不思議に思うが、どうして何輪も同じ晩に咲くのだろうか。

その隣人のご主人は数年前に無くなった。奥さんは一人暮らしである。月下美人が咲いて眺めているかも知れない。

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2006年10月14日 (土)

サンシュユの実

近くの公園でそこを囲む様にサンシュユの木が生えている。全部で20本位はあるだろうか。日当たりの良くない場所は、春の花が地味で、実もポツリポツリと生り、落葉して初めて実に気付く程度である。風情があるが寂しい。

お手洗いの近くのサンシュユは、日当たりが良い明るいところに生えている。45本路沿いに並んで生えている。少し前に様子を見に行った。今年は駄目だ。良く目を凝らして、色付き始めた実が、こちらに23個あちらに23個と全く寂しいものだ。

去年はそれまでになく大量の実が生った。4月に咲いた黄色の花全てに実が生った、そんな感じであった。2回も3回も採ってそれでも全く減った気がしなかった。そのうち1回は年配の友達を誘って採りに行った。

サンシュユは漢方薬として種々の薬効がうたわれている。それを果実酒にすれば、楽しみながら薬効を得られるというわけだ。二人は初冬の木漏れ日の中手を伸ばして実を摘んだ。手がだるくなるので時々彼は近くのベンチに座ってタバコを吸った。自分は黙ったまま実を摘んだ。二人はダラダラと小一時間実を採った。小さなレジ袋がズッシリとしてきた。

二人とも一回分の果実酒にはもう十分なほど採ったので止めた。彼は車で来ていた。近くのファミレスでお茶を飲んだ。二人とも不器用な感じで余り話をしなかった。今度釣りに行こうと言うことで別れた。

年末にも散歩で傍を通り見た。赤い実が少し皺になって乾燥し始めていた。採ったときと同じように未だ沢山生っていた。年が明け暫くして初雪が降った。赤い実に白い雪が被って綺麗だった。雪が解けてから見に行ったら、全て落果していた。散歩していても寂しい景色になった。

もう少しで採集の時季が来るが、今年は多分採らないだろう。

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2006年10月11日 (水)

胸がときめく

最近あなたは胸がときめく事が何か有りますか。パチンコをしていて、777が揃いそうで・・・と言うのでも無いよりマシだが。

若い人は自ずと胸がときめくことが多いだろうけれど。自分の様な「おっさん」に成ると、少し焼きが回ったせいで、段々少なく成るようだ。もう探さないと見つからないかも知れない。そんな日常的な生活に、今少し胸がときめく事が起きた。ずっと咲かなかった月下美人に花芽が出来て大きくなってきた、他人には詰まらないことだろうけれど。

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2006年10月10日 (火)

生きた証

公園の木の傍を歩いていると、蝉が這い出してきた穴が沢山有った。最近段々埋まってきて、目立たなくなってきている。もう歩道の横にある並木の根元に転がる蝉の亡骸も少なくなって来た。その代わり?道路脇にカマキリの潰された亡骸が増えてきた。生け垣の根本に蝶の羽を見つけることもある。夏に生きた証?死んだ証?

蝉の鳴き声は生きている証?来年もその又次の年も鳴く蝉が居れば、3年前や4年前の蝉が生きた証?

秋が深まり草が枯れ、落葉して来ると、カマキリの卵の固まりを見つける事が多くなる。それはカマキリが生きた証?

冬越しの蛹を見つける事は余りないけれど、春になって、又蝶が飛んでいれば、前の年に蝶が生きた証?

摂理だけれども、ちょっと寂しい季節に成ってきました。お酒が飲めて友達がいたら、たまには誘って一緒に軽くやるには良い季節に成ってきました。ねえ、そうでしょう?

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2006年10月 9日 (月)

縁台で昼寝

今日陽気に誘われて散歩に出た。近くの緑道には人が多く出ていた。今日はゆっくり歩いた。自分としてはダラダラ歩いた。自分で6連のベンチと名付けているところで、座って休んだ。そこは遊水地が目の前に広がっていて、広々としている。好きな場所だ。風が無くて日が照っていれば、真冬でも暖かいベンチだ。

暫くの間座ってボンヤリ景色を見ていた。眠くなってきたのでベンチに横になった。被っていた帽子を顔に載せて小さなカバンを枕にした。少し経つと暑くて寝ていられなかった。むっくり起きて、ダラダラ歩いて直ぐ傍にある桜の縁台と名付けているところに移動した。そこには大きな桜が数本並んでいて、その脇に縁台が4個並んでいる。幸い誰も居なかったので、その1つに横になった。桜からの木漏れ日が丁度加減良く、昼寝にはもってこいだった。

色々なことが頭の中に浮かんでは消えた。間もなく眠った。近くで遊ぶ子供や、家族連れの声で目が覚めた。何か夢を見た気がした。思い出せなかった。ダラダラ歩いて帰るとき、ずっと前に近所の友達とすれ違った場所を通る時に友達の事を思い出した。その少し先で、23度見かけた母親に手を引かれて歩いていた男の子の事を思い出した。

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2006年10月 8日 (日)

ヤマナシ拾い

近くの公園にヤマナシの木が3本並んで生えている。結構な大木である。56年前に初めて見つけた。未だ一度も花が咲いているところを見たことが無い。梨だから新緑が出て少しして4月か5月には5弁の白い花が咲くはずだから、来年は気をつけて何とかして見ようと思っている。田舎にある果樹の梨とは作りが違うから花が咲いた感じも違うと思う。来年の春の小さな楽しみが増えた。

この木の1本に3年前には沢山実が生り、良さそうな実を拾って果実酒にした。23回拾った。何百何千という実が落ちていて、少し甘い香りがした。2年前は全く一個も生らなかった。木に何かの手入れをした後が有り、水鉢を作った後もあった。そのためだろう。残念だった。

今日散歩の時に、ヤマナシの傍を通った。夏に通った時には一個も生っていない感じで有ったが、幾つかは生ったのだろう。折からの強風で地面にバラバラと落ちていた。予想外だったので喜んで拾った。数十個拾った。拾っている時傍を自転車で小父さんが通った。自分より半回りほど年上の様な感じだ。さっぱりとした身なりをしていた。

食べるためでは無く、果実酒にする事。中々良い果実酒が出来る事。良い年だと沢山生る事などを知らせた。新しそうなのは余り落ちていなかったので遠慮したのか、果実酒は造らない人なのかは分からなかった。明るい顔だった。誘ったが拾わないで行ってしまった。来年は沢山生ったら一緒に拾う仲間になるかも知れないけれど。

もう良いかと思いながら地面を見ていると、風に揺れて一個ボトンと落ちる。それを探して拾う。もういいやと思って居ながらも佇んでいると、またボトンと一個落ちる。それを探して拾う。そうして3個ほど拾ってからその場を離れた。自分がその場を離れてからも、ボトンと実は落ちただろう。

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2006年10月 6日 (金)

序列

11         婦長

22         病院長

33         事務長

44         医師

55         看護婦

66         モルモット

77         インターン

88         患者

上記は病院内での権力の序列です。昔何かの本で読んだ気がする。婦長は影の権力者と言う事でしょう。公式には病院長ですから。後は順当です。インターンは苛酷な労働条件で、実験動物のモルモットより悲惨な生活を強いられている。でもまあ多分将来は、もう少し出世が出来るのだから、ここを何とか生き延びれば、中流以上の生活が待っている。だから挫けないでガンバレなのかも知れない。

患者は一番下だけれど、ぞんざいに扱われているわけではありません。親身に対応され、大事に扱われ、十分な治療がなされる。勿論金儲けの種という側面も有りますけれど。でもそれは、どんな崇高な職業にもちょっぴりは、ついて回ることだ。気にしなさんな。

一番下にある理由は別にあります。寿命で今当に死なんとしているのに、愛する者達から囲まれることもなく、手を握られて安らかな気持ちを得る機会も与えられず、心臓マッサージとかカンフル注射とかされて、ひたすら延命の治療を施されるから。おちおちゆっくりも死ねない時代になっちまったものだ。本当は9以下も有るのだけれど、益々悲惨なので省略。

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2006年10月 5日 (木)

カレー交換

夏休みに白馬に行った。循環するバスで街を巡った。土産物屋でレトルトカレーを見つけた。何となく美味しい気がしたので、お標として一個買った。白馬の印刷の有る紙に包んで貰った。

その後暫くして、農園に行った。隣人にそのカレーを上げた。ひとしきり話をした。話が弾んだ。彼が白馬に行ったときの話、オリンピックの話、スケートの話、金メダルの話。二人で又感動してしまった。お茶を飲みながら、二人は話をして、大きな声で笑った。涙こそ出なかったけれど、二人で声を上げて笑った。

帰り際、準備していた白いレジ袋を渡された。某有名デパートのレトルトカレーだった。二袋入っていた。

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2006年10月 4日 (水)

二匹の雨蛙

この前に農園に行ったときに撒水栓から水遣りをした。蓋を開けたとき二匹の雨蛙が出て来た。二匹とも箱と蓋の蝶番の所に挟まれたようだった。少し足を引きずるようにして遠ざかった。骨折していないと良いけれど。自分の不用意な動作で傷つけちゃ可哀相だ。カエルは好きではないけれど。時々撒水栓の箱の中には、雨蛙が入っていて、何気なくして触って驚いたことが有った。何であんな所に入るのか。少しは暖かいのか。それとも日中の隠れ家としているのか。

雨蛙が遠ざかってゆく姿を見て子供の頃、カエルと遊んだり虐めたりした事を思い出した。

カエル釣り。力芝の穂を毟って先端の二三本だけ残して、釣り竿のようにする。カエルの目の前をチラチラ動かす。カエルがハエか何かの虫と誤解して食いつく。これで一匹釣り上がり。後年何かの本で読んだと所によると、動かさないと釣れないらしい。これにも勿論上手い下手があり、上手い子は何匹も釣った。下手な子は暫くやって一匹も釣れないこともあった。釣ったら、「釣れたあ」と言って見せびらかす。それだけ。間もなくカエルも気付いてくわえていた穂を放してドボン。たまには中々放さないで手に捕まえられるカエルもいた。家の近くにある小さな木の枠が設えてある洗い場のような池で遊ぶことが多かった。

風船ガエル。当時はなんと言っていたか思えていない。名前は無かったかも知れない。捕まえた比較的大きなトノサマガエルがもっぱらの犠牲者。カエルの尻に藁を刺して、そこから息を吹き入れるのだ。間違って吸った子もいた、これは嘘。哀れなカエルはお腹がパンパンにふくらんでから、小さな池に放される。ドンドン捕まえて、ドンドン空気を入れて、小さな池に放す。引っ繰り返ったカエルが水の上でもがく。その場でグラグラ揺れているのもいるし、そこら辺をふらつくものも居る。みんな喜んで笑う。全くの大喜び。暫くすると飽きる。カエルを放置して子供達はその場を立ち去る。何か別の事で遊ぶ。暫くして池を見てみると、浮いたカエルは一匹もいない。みんな空気が抜けて、何処かに逃げていた。

2B弾。最初の内の虐めは大人しいものだった。

2B弾は点火して暫くすると、白い煙から黄色の煙になる。こうなればもう水に落ちても消えないので、それをカエルの居るところに投げる。暫くすると、破裂して爆風を浴びる。大抵は投げた時点で逃げられるか、狙いが外れるかしてカエルに実害は殆ど無い。そのうち捕まえたカエルを、2リッターぐらいの小さな菓子のガラスビンに入れてそこに2B弾を入れる。死にはしないけれども、瀕死の重傷、何回かやれば死んでしまう。益々エスカレートして、点火してからカエルの口に差し込む子もいた。カエルは破裂して死んだ。そこまで行ってしまうとさすがにみんなしゅんとなった。それ以降はそんなことはしなくなった。その少し後だった様に記憶しているが、隣の集落の普段は一緒に遊ばない子が通りかかり、自分達が気づかないうちに、カエルの腹を割き、殆ど全身の皮を剥いた。それを近くの板の上に乗せた。カエルはゆっくり歩いた。「凄いだろう」みたいなことを言ったが、確かに「凄く」みんな逃げた。それ以降はカエル釣りもしなかった様に記憶している。

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2006年10月 3日 (火)

虫の音

虫の音が盛りだ。夕方緑道のベンチに座って、虫の音を聞くのは良い。散歩の人が傍を過ぎる。少し鳴く虫の数が減る。暫し時間が経つ。又先ほどのように周り一杯に虫が鳴く。日が落ちる。少しずつ暗くなる。ちょっとした昔のことを思い出す。

帰り道、大きなドングリの木を見つけて、もいでポケットに詰め込んでいる内に辺りが暗くなり始め、里山を抜ける頃にはもう真っ暗に成っていた。辺り一面から虫の音が響く。そんな子供の頃の事が、虫の音と共に思い出される。

まあちょっと不審な人かも知れないが、少しは和らぐだろうと思ってなるべく明るいところを、ゆっくり歩いて帰る。

街灯から少し離れたところに有るベンチに座っている人がいる。ジッとしている。目を凝らして見ると、幾人かベンチに座っている人がいた。その人達も間もなく帰るであろう。

虫の音は聞く人が無くても辺り一面に響き渡る。

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2006年10月 2日 (月)

階段に座っていた人

数日前に駅の階段の最上段より少し下がったところで手すりに手を置いて階段に座っている人がいた。

普段自分は階段を利用している。エスカレーターがあっても、人に押されて止む得ない場合を除いては、エスカレーターを利用することは無い。その人が座っていた階段は幅が広い。駅前のバス停に通じている。端に登りのエスカレーターが有る。

自分はバスから降りて階段の下に着いた。いつものように空いていたら二段ずつ昇ろうと思って、見上げたらその人は俯き加減にそこに座っていた。ゆっくり一段ずつ昇って行き、その人に近づいて行った。

「どうかしましたか」

「・・・」

「大丈夫ですか」

「ええ、大丈夫です」

「お大事に」

その人は70代の初めだろう。出掛けた帰りと言う感じだった。特段不調と言うこともなさそうだったので、自分は何もしないでそのまま帰ったが、もう少し別の声のかけ方が有ったかも知れない。

「下まで一緒に行きましょうか」

「荷物を持ちましょうか」

駅のエスカレーターの良い設置方法と運用は専門家にお願いするとして、自分としては、ちょっと困っている人に、もう少し優しく声をかけてやることが出来るように成りたいと思っている。柄にも無いけれど。

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2006年10月 1日 (日)

ゴミを拾う人

自分が住んで居る近くに緑道が有る。路沿いの所々にベンチが有る。桜並木、ハナミズキ並木、雑木の疎林、広い草原。

自分の知り合いで、1年中朝5時に家を出て往復で1時間ほど歩く人がいる。たくさんの人とすれ違うと言うから、その時間帯も、それなりに歩いている人は多いのだろう。夏はもう日が出ているが、冬は真っ暗だ。

自分は午後に散歩することが多い。散歩の途中でベンチに座り、暫く景色を見ていることも多い。真夏に蝉の声を聞きながら、風の通る木陰の縁台で寝ころんでいるのは、気分が良い。真冬に午後の日を浴びて、ベンチでうつらうつらしていることもある。そんな時自分はたまたま座ったベンチや縁台周りにゴミが落ちていれば、近くに人がいないのを見計らって急いで拾って近くのゴミ箱に捨てることも有る。

散歩している人の中には、レジ袋を持って、火バサミを持ってゴミを拾って歩いている人がいる。数人いるようだ。全て初老の男性だ。すれ違っても未だ声をかけたことはない。目立たないようにして歩いている感じがするから。

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