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2006年10月29日 (日)

小学校焼失

自分が高校生の時、卒業した小学校が焼失した。

小学校は木造で教室部分は2階建てだった。学校の正面は西に面していた。今となっては図書館や理科室、家庭科室などの配置は良く思い出せない。道路と学校の間は広い校庭だった。周りにプラタナスが植えられていた。学校の裏である東は緩い下り斜面に成っており、桜が植わっていた。その先に田圃が広がっていた。当時としては典型的な学校の造りになっていたと思う。シンメトリーで真ん中に玄関、左右に教室が広がっていて、南端と北端に児童用の玄関が有った。上から見れば、建物の構造は漢字の日の字の格好だったと思う。教室には児童達が溢れていた。放課後には夏は校庭に、冬は体育館に子供達が満ち溢れていた。

6年間過ごしたところだ。同じ敷地内に幼稚園も有ったから、通せば7年間通ったところだ。卒業後中学生の時は寄りつかなかった。高校生になって小学生が夏休みにラジオ体操に通うときに、一年にたった1週間ぐらいだったけれど自分も通って一緒にラジオ体操をした。近所の人達も沢山来ていた。誰だったかは覚えていないが毎日展示のために壇上でラジオ体操をする人がいた。交代でやって居たかも知れない。体操が終わると小学生は首から提げた出席表に判子を押して貰う。何人も居たが、自分はよく押す掛かりをした。遅く来た子供にも、何かで休んだ子供にも、後で判子を押した。

春先に小学校が焼けた。春休み中だった気もするし、新学期直後だった気もする。夕食後家にいた時、道路を走って「小学校が火事だあ」と触れ回る人が居て火事を知った。家人によると近い火事はサイレンより早く人伝で知ると言われて、成る程と思った記憶がある。小走りで見に行った。

もう南側一帯が燃え盛っていた。消防の人達の邪魔にならないように、道路の脇を流れている側溝の上の土手側にいた。未だ正面の一階には、家財や書類を持ち出す人の姿が見えたが、間もなくその人達も、建物から離れた。

火の勢いは益々強まり正面全体に燃え広がった。放水でその場所が一時的に火の勢いが弱まったかにも見えたが、直ぐにまた勢いづき燃え上がっていた。自分は最も遠い位置から見ていたのだけれど、熱くて時々背中を向けて熱さを堪えた。消防の人達は、それよりずっと接近して消火に当たっているのだから、さぞかし熱いことだったろうと思う。続々近隣の消防隊が応援に到着した。辺りには木が燃え盛る音、消防隊員や警察官の指示や連絡の声、車やポンプの音、見ている人達の嘆きの声などが満ち溢れていたが、妙な静寂感が有った。

自分は立ってずっと見ていた。火に向かった方は熱く、反対側は寒く。近くに誰かが居たのだけれど、覚えていない。その内正面の100m以上有る建物がドミノ倒しの様に南から北にスローモーションを見るように倒れた。小学校時代の思い出が幾つか頭の中を過ぎったのだけれど、一瞬思い出まで無くなったような全くの虚しさを感じた。

もう暫く見ていた。近隣に燃え広がることは無かった。燃え残った建物は無かった。家に帰って相当時間が経ってから鎮火のサイレンが聞こえた。消防団員の父はその夜半警戒から帰ったらしい。自分はその当時の父より少し年齢が行ってしまったけれど、地域から見たら全くあんな価値は無いなあ、残念ながら。

火災後の最初の日曜日に勤労奉仕があり、一家から一人、自分が出た。正面玄関前の小さな庭に建っていた二宮尊徳の銅像も真っ黒に焼けていた。

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