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2006年12月 8日 (金)

ゴンズイオヤジ

釣りは良い。岸壁の縁に座って釣りをする。岸壁は陸の外れである。自分はそこに座って釣り糸を海の外れに入れている。浮子は陸と海の狭間に有る。自分は景色の一部である。広々としたところなら、遠くから見れば自分は陸と空の中間に座っている。

釣りは釣れたら楽しい。釣れなくても楽しい。釣れているときは釣りに夢中になっている。釣れない、引かないときは何かを考えているような、無心になっているような。心は自由になっている。

初冬の日射しを浴びながら釣りをしていると景色に溶けて行くような気分だ。段々夕暮れに成って行くのが惜しい。ずっとその場に座っていたい。心は軽く自由だ。体はそこに生えたような昔からそこに居た気分だ。

その釣り場に何回か通っている人がたまに見ることが出来る人が黄昏時になると現れる。逆光になってその人の風体は良く確認できない。右手にバケツを持って左手に火バサミを持っている。少し不器用な感じだ。もしかしたら、右利きなのに、左利きの振りをしているのかも知れない。誰も住んでいる所を知らない。釣り人が居る辺りには近づかない。薄暗くなってきた岸壁を彷徨く。釣り人が居なくなればその辺りを彷徨う。岸壁に捨てられている魚を拾い集めている。未だ生きている魚は火バサミで海に放り込んでいる。

自分はゴンズイオヤジと呼ばれているらしい。夕闇が迫ると現れるからとも言う。釣れたてのゴンズイを釣り人が居なければ海に戻すからとも言う。自分としては食べるからと思っているが。

ゴンズイは毒のあるトゲを三本抜いて、ヌメリをしっかり取れば美味しい魚だ。煮付け、塩焼き、刺身、干物にして食べている。気が向けば、焼いた身を崩してそぼろを作るときも有る。

釣った魚を岸壁に放置するのは残酷だ。折角釣ったのだから食べれば良い。食べないなら海に戻せばよい。食べなくて海に戻さないのは吝嗇だ。側の釣り人がカサゴを釣って自分がゴンズイを釣れば踏みつけて針を外すのは嫉妬。駄目な根源、吝嗇と嫉妬。

自分は海に戻せる魚を海に戻している。戻せない魚は供養している。食べられる魚は食べている。良く岸壁に放置されている魚は、クサフグ、時々食べる、干物とチリ鍋、毒が有るので多くは食べない。ヒイラギ、干物、刺身の時も有る。メゴチ、煮魚、干物。ベラ、刺身、煮物。コメジナ、供養。コトヒキ、シマイサキ、干物。イワシ、塩焼き。キタマクラ、供養。クロダイ、干物。ハオコゼ、供養。

大型の魚は手に入らないが、毎晩のおかずには事欠かない。天候の悪いときは保存してある干物を炙って酒を楽しむ。

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