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2007年1月31日 (水)

パパイヤの食べ方

自分はパパイヤが好きだ。

実も好きだし木の格好もいかにも熱帯の木という感じがして良い。葉はイチジクの葉を大きくして葉柄を長くした感じ。幹には大きな葉柄痕がボツボツと付いている。熟した実は果物として食べる。実が黄色っぽいものとマグロの赤身の様なものが有る。自分は赤い方が好きだ。未熟果は野菜として食べる。未熟果の濃い緑の皮を剥くとダイコンの様なリンゴのような色をしている。このサラダ、炒め物も好きだ。もっとも好む食べ方はソムタム。

パパイヤは沖縄辺りを歩いていても時々見つけるが、熱帯の田舎を歩いていると至る所に生えている。種から簡単に発芽して、ニョキニョキとイタリア料理の様に成長する。聞いたらあの黒い種を蒔いておけば、直ぐ発芽して数ヶ月から10ヶ月ぐらいで花が咲くと。それから2ヶ月もすれば実も食べられる。木はその間3メートル位になる。実は生まれた順に幹の上部、葉の下に小さい順に並ぶ。実にも木にもタンパク質分解酵素パパインを含む。種は有毒との事だが、苦いし普通の人は食べないから、事故は無いようだ。精製して何かの薬にしているらしい。

生まれて成長するのも早いが、死んでから大地に帰るのも早い。木が倒れると忽ち腐って溶けて無くなる。昔の「インベーダー」程は早くはないが、1ヶ月ぐらいで跡形も無くなる。その間たくさんの果実を供給する。全く以て有意義迅速サッパリ。

このパパイヤは中米が原産地、今のメキシコ南部らしい。スペイン人が探検の時見つけた。その後急速に世界の熱帯、亜熱帯に広がった。各地に定着し昔から居たような顔をしている。こういう植物って結構多いに違いない。そこの住民の生活に深く寄与している。彼らには直ぐ出来て安くて利用範囲が広いパパイヤが有って羨ましい。

こんな果物、野菜を日本が輸入していないのは、何か問題が有るのだろうか。熱帯アジアでは安価だ。現地の生活から考えても安いと思う。ブロッコリーはアメリカからも中国からも輸入している。スーパーで良く売っている。値段は国産も輸入品も大体一個100円、これもちょっと不思議だけれど。日本でも作っているのに輸入できるのだから、日本では殆ど作っていないパパイヤは輸入しても良いような気がするけれど、知見のある方はご教示願えれば嬉しい。パパイヤがたくさん輸入されてスーパーに売っていれば、作る人も食べる人も喜ぶ気がする。

熱帯アジアでは余剰品を売って、お年寄りに小遣いを、子供には教育を。オジサンとオバサンには生活の糧を、ついでに2人でたまには街に映画でも見に行けうるように。

パパイヤには男の木、女の木、男女の木がある。通常は女の木と男女の木に実が生るが、気温の加減か何かで男の木にも実が生ることが有るそうだ。偉い。まあきっと自分が思うほど自然は截然としていなくて、あやふやな所が有るのだろう。と言うより自分の方が単純で自然を理解していない、とい事の方が正しいのかも知れない。

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2007年1月29日 (月)

尋ねられて

昨日高幡不動で行われたダルマ市を見物に出掛けてきた。

立川駅の南口に出て歩道橋の上を歩いていると、年配の男性から呼び止められた。モノレールの駅を尋ねられた。余りに直ぐ近くだったので一瞬、意味が分からなかった。駅舎を指してそこですよ、と言ったが、未だ合点がいっている風ではない。どちらへが周りの声でどちらからに聞こえたらしく福生の方から、と言ったらしいのだが、こちらは福生の方へ、と言われた気がして、又ちょっと唸って、モノレールでは福生には行けないと思います、と付け加えた。まるで蒟蒻問答もどき。2人で少し困っていると、男性が、行き先を聞かれたのだろうと思い返したらしく、高幡不動へと言い直した。ああそうですか。じゃ自分達もそちらに行きますから、ご一緒にどうぞ。ああ済みません、有難うございます、御利益が有った、とニコニコ顔。高幡不動へ行く前から御利益が有った、と言う意味の様だ。

自分は少し前を家内が年配の夫婦となにやら話ながら、人が多いですねえ、立川も大分感じが変わりました、最近はみたいな。4人でモノレールの立川南駅に入って自分達が先ず切符を買った。少し離れて案内版を見ているので、顔と手と声で呼んだら側に来た。1250円ですよ。投入口に硬貨を入れて貰って、こちらが2人分のボタンを押して、彼に250円の所を押して貰った。買い方も解らんで助かりました。普段は車で移動する人なのかも知れない。ゼウスとか水戸黄門と言うことは無いだろうと思う。

4人でホームに上がっていって電車が来るのを待った。比較的混んでいたけれど、各車両前後部の優先席に彼らは座ることが出来た。自分達はドアの側に立って外を見ていた。奥多摩の山がボンヤリ見える程度で、富士山は見えなかった。多摩川を過ぎて、少し行くと又川が有る。小さい声で何かなあ、と言ったら、隣に立っていた年配の男性が浅川ですよ。ああそうですか。少し下ると多摩川に合流します。言葉はこれだけだったが、3人でニコニコしてしまった。

高幡不動に着いて、声を掛け4人で電車を降りた。一応改札を出てこっちですよ、と言ってから別れようと思っていたら、駅の案内に従って、戻りの切符を買っていた。良い人達だ。コンコースまで出て来てから、こちらですよ、じゃ我々は先に行きますからここで。ああ待たせてしまいましたか、済みませんでした、有難うございましたと、2人でお辞儀をしていた。

参道は混んでいた。本堂の手前で振り返ると、先ほどの男性の帽子がちょこっと見えた。さっき別れたばっかりだのに、ちょっと安心した。本堂で賽銭を上げて自分の願いをした。ついでに老夫婦が健康でこれからも永らく2人一緒に出掛けられますようにお願いをした。ついでに飢えで亡くなる子供が減りますようにお願いした。100円でお願いのしすぎの様な気もするけれど。

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2007年1月27日 (土)

バナナの食べ方

自分はバナナが好物だ。

バナナは毎日一本食べている(ちょっとだけ嘘)。手間いらずで食べられる。食べるまで面倒なパイナップルも好きだ。パイナップルを食べられるように加工するのも好きだ。暇な土曜日の午後何ぞには一個300円程度のパイナップルを買ってきて、丸のママ皮を削って行く、南国風。ちょっと見には、鼻毛の生えた鼻の穴を下から見たようなブツブツを(これでパイナップルが嫌いに成った人が居たら済みません)楽しんで螺旋状に削り取る。食べやすい大きさに切る。一度に4分の1も食べないから、一週間程度食べられる。最後は熟成が進む。

沖縄に行けば、パイナップルの食べ放題が有る。自分は食べ放題に弱いかも知れない。直ぐ寄って行ってたくさん食べる。喜んで食べる。パイナップルにはブロメリンと言うタンパク質分解酵素が含まれている。ハンバーグを食べたら食後にパイナップル。ついでにこのブロメリン、腸内のガスの発生を抑制してお腹をスッキリさせる。

あーあ話が逸れた。バナナは空揚げにしても美味しい。薄い肉で巻いてから揚げて、その後に豆板醤とトマトケチャップを絡めて炒めると得も言えぬ美味しさ。味が今一のバナナには蜂蜜をかけて食べている。縁日のチョコバナナを見て思い付いた。

バナナには整腸作用がある。お腹の弱い自分には益々良い。安いから自分の財布にも良い。良いことずくめだ。この何十年と言うもの価格が上がっていない。バナナプランテーションで働いている労働者には、特段の生活の向上は無いだろう。ちょっと気の毒。であるからしていつも感謝してバナナを食べている。

バナナは畑に植え付けてから6ヶ月ぐらいで花が咲き、それから3ヶ月ぐらいで収穫が出来る、勿論雨の多い熱帯で。1株に100本位成る。ある時、壁が無く屋根だけニッパ椰子で葺いた食堂に行ったら、大きなバナナの房が吊り下げてあった。好きなものだから、2~3本食べた。勿論何本食べても只。帰りに2~3本貰った。

バナナは1回植えると一年もしないうちに実が収穫できる。収穫するとき株も倒してしまう。次々に株の周りから芽が出る。暑くて雨が多ければ、放って於いても次々に実が生る。病気に強い。大きな葉は、各種食べ物を包む。チマキのような食べ物は、大抵バナナの葉で包まれている。こんな植物に囲まれた生活は、自分の生活とはものに対する考え方が違ってくるのだろうと思う。焦燥で血がたぎるとい事は少ないのだろう。

田舎に行けば至る所にバナナの小さな茂みを見ることが出来る。通り過ぎるとき思わず、花は?実は?と観察してしまう。そんな地に住んでいる人は、日本の里に晩秋、柿がたくさん生っているのを見るとどんな感慨を持つのだろうか。実が生るまで何年も掛かったのに収穫しないで、朽ちて落果するのがたくさんある。

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2007年1月23日 (火)

多摩川の小さな畑

時々是政橋辺りに行って釣りをする。

チャリで走れば3~40分の距離だ。天気の良い日は鼻歌を歌いながら。釣り竿と折りたたみ式のスコップを持って出掛ける。田舎では不審がられることも有るだろうけれども、ここら辺りでは誰も関心を示さない。良い事とも思えないが、気楽なものだ。

いつものお気に入りの橋脚の側、今の季節は日の当たる場所に居る。風さえなければ土手に座って暢気に釣り。夏は亀が良く釣れる。今の季節は散歩の人が1人か2人釣れる。

「釣れますか」  ・・・   『見たとおり全く釣れません』

「何が釣れますか」   ・・・   『釣れてみないと分かりません』

暫く釣りをして、やっぱり一匹も釣れなくて竿をそこに置いたまま、近くの畑へ。畑は開墾したものだ。今の季節はほうれん草、菜の花、ダイコン、ネギなどを栽培している。食べられる分だけ収穫して、釣り場に戻る。やっぱり今日も釣れなかった。諦めて帰る。

春先のある日、そこに住んでいる人が畑を耕していた。近くで釣りをしていたものだから話しかけた。自分より相当年上の様な感じだったが、話をしたら同年ぐらいだった。言葉の感じから出身は同県か近隣の県の人だ。何となく親しみが湧いた。

その時、置きっぱなしの竿がユサユサ揺れて引き上げたら亀が釣れた。甲羅の長さが30cmほどの大物だった。逃がしてやろうと思って、やっとの思いで針を外した。視線を感じて振り返ると彼が見ていた。手の動作でくれないか。彼に上げた。彼からは手作りの野菜を返礼として貰った。美味しく食べた。彼は亀を美味しく食べたと知らされた。

後日、土地は幾らでも有ると言うことで、彼の畑の隣を少し開墾した。種を植えたらドンドン伸びて収穫して食べられるようになった。一年を通して何かしら収穫できる。時々彼がついでと言っていたが、世話をしてくれる。肥料をやったり水を遣ったり、自然農法。こちらからは釣った魚や亀を上げている。

暇なときは釣り竿と折りたたみのスコップを持って、是政橋の袂に出かける。釣りと畑の世話。それに居れば彼と雑談。

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2007年1月21日 (日)

開かずの人道踏切

自分は毎日踏切が開く時間を狙って家を出る。ちょっと電車が遅れると踏切が明く時間がずれる。どれぐらいずれるかは分からない。

自分が渡るのは人道的ではないが車は通れないので人道踏切と言われている。通れるのは人と自転車。通ってはいけないはずだがオートバイも良く通る。踏切の幅は3メートル程あるが鉄の杭が狭い間隔で差し込んであるのでリアカーも通れない。車椅子も通るのは大変だ。

近くには跨線橋も車道踏切も無い。そもそも道が余りない。畑が多い。植木屋の畑も多い。丁度駅と駅の中間ぐらいに位置している。

毎朝、この踏切では狂騒が繰り広げられる。踏切が開けば、10人ぐらいの歩行者、5~6台の自転車、1~2台の小型のオートバイが通る。踏切は直ぐに閉まる。次に開くのは何分後か誰も知らない。閉まって少しの間は遮断棒を上げて渡る人がいる。遮断棒に自転車の後ろの籠が引っ掛かってそれを上げてから通る人が居れば時間が掛かる。電車は毎日の事だけれど、遠くから警笛を鳴らしている。

電車の運転士から見れば、もっとも嫌な踏切の1つだろう。踏切が開いていないのは確実なのに、人が通る、自転車が通る。オートバイが通る。電車が通った後は、次の電車の通過まで、バラバラと通る人が絶えない。大部分の人は南側から北側に渡る。そんなことを繰り返している内、電車がブレーキを掛ける事態が連続して発生した。それでも遮断機が降りている時に渡る人達は全く減らない。かくいう自分もその一人だけれど。

踏切に警備員が派遣されて来た。南側1人、北側1人。日中は知らないけれど、自分が渡る朝と夕方は居るように成った。

数日間は遮断機が下りると渡る人は居なくなったが、直ぐに効果がなくなり、居て居無きが如しで、警備員の制止にも拘わらず、渡る人が続出した。全く以前と変わらなくなった。毎日警備員と無理矢理渡る人との攻防が続いた。その内、1つの噂が聞こえてきた。誰も居ないときに1人で無理矢理渡ろうとすると、警備員が南北から走り出てきて、その人を捕まえる。轢かれる少し前、北側の警備員が手を放して南側の警備員が引き戻すとの噂が流れた。そのために、怖じ気を震って目茶苦茶な遠回りをする人が増えたとのこと。

まあ新しい都市伝説だろうけれど、そう言う気持ちで見ると、警備員は二人とも、確かに恐そうだ。体つきががっちりしていて、力も強そうだ。拡声器で与える警告も丁寧ではあるが、断固としている。最近心なしか、踏切を渡る人が少なくなった気がする。警備員の効果が出て来たのかなあ。

そんなある日、いつものように踏切が開く時間に家を出た。いつも曲った所で一瞬見える電車が今日は見えなかった。踏切に辿り着いた。いつもは直ぐに開くのだが、今日は開かない。直前に開いたのか誰も居ない。もうこうなったら、いつ開くか誰も知らない。仕方がない。電車が通った後に警備員が油断した隙に渡ろうと思って、待った。上りが通った、下りの音は聞こえない。遮断機をくぐって渡り始めた。北側から警備員が飛び出してきた。ちょっと振り返ると南側の警備員も飛び出してきた。アッと言う間もなく捕まった。二人はグイグイとそれぞれの方に引く、自分は線路の上から動けない。電車はゴーゴーと接近する、警笛は狂ったように鳴る。電車は益々接近する。電車はもう目前に迫っている。冷や汗が噴き出して体が強ばる。恐怖で目が釣り上がる。息が荒くなって喉がカラカラに成る。電車の運転士の恐い顔が見えた。踏切の警報器は狂ったようにガンガン鳴っている。「ああもう駄目だ」「ワー」と声を上げて、手足をありったけ動かした所で目が覚めた。目覚ましが鳴っていた。

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2007年1月19日 (金)

働く夢

自分は長い間、不眠症に悩まされた。

日中何かをしていれば、眠くなると言うこともないので、特段困ったことは発生しない。夜が長いので、時間を持て余す。仕方なく本を読んで過ごす。眠るのは2日に一遍。そんな生活が長くて、たくさん本を読むことが出来た。歴史の本等長大なものを読むのには好都合であった。元々歴史や地理、民族などの本を読むのは好きだったので、図書館から借りて手当たり次第に読んだ。

その内学校を卒業して、会社員と成った。比較的安定した勤務時間の会社であった。規則正しい、但し詰まらない生活が長く続いた。不眠症も段々改善されて、普通の人よりは少しは短いかも知れないが、毎日午前1時頃には寝て5時頃には目が覚める、そんな生活になっていた。

長い間サラリーマンをしていた。初めから余り乗り気はしなかったが、長い間サラリーマンをしている内に益々、馬鹿らしくなってきた。とても真面目に生きている人のやることの様に思えなくなってきた。その上自分の事の様に思えなくなってきた。他人が他人の事を追体験しているような、浮いた感じ。それで辞めてしまった。

暫くフラフラして生きていたけれど、段々経済的問題が差し迫ってきた。紆余曲折あり、今の仕事にありついた。又元の安定した勤務時間の生活に戻った。前と違って、体を使う仕事。不眠症からは解消された。11時頃寝て、5時頃起きる。寝ると直ぐ眠りに落ちる。布団の中でボンヤリしていることは無い。もっとも酷い不眠症の頃は、眠れない時は布団の中に入ることも無かったけれど。

昔から良く夢を見た。益々長い夢を見るようになった。その夢は起きて働く夢。いつまで続くかは分からない。きっとこれも不眠症の様に長丁場だろう。適当に付き合うしかない。

11時頃眠くなって布団に入る。間もなく息が少し大きくなって、回数が減る。5~6分で眠りに落ちる。

枕元の目覚ましが鳴って起きる。居間に置いている第二の目覚まし時計を止める。家内がコーヒーメーカーでコーヒーを淹れる。自分は冷たいお茶と電子レンジで温めた牛乳を準備する。朝食にはパンを食べる。新聞を見ながらゆっくりと朝食。朝食後はあわただしく朝の準備を済ませて7時には家を出る。バスと電車を乗り継いで職場に到着。

午前の仕事が終わって、社員食堂で昼食。コーヒーを飲みながら同僚とたわいもない雑談。午後の仕事、夕方疲れて終了。

電車とバスを乗り継いで帰宅、爽やかな日は駅から歩いて自宅まで帰ることも多い。時々駅前で買い物をして帰る。

自宅でちょっとお酒を飲んで地味な夕食。食後は本を読んだり、気に入ったテレビを見たりして過ごす。11時頃になると布団に入る、うつらうつらとする、ここで枕元の目覚まし時計が鳴って目が覚める。

起きているときの会社は毎日同じだ。これはかなり確かだ。家族や友達、家や街も同じ、多分。

夢の中の会社は毎日微妙に違う。仕事の内容も微妙に違う。電車やバスのルートも微妙に違う。抑も景色が違って夢の様だ、実際夢なのだけれど。今のところ夢と現実は区別が付いている、気がする。区別が付かなくなっても大して変わらない気もするけれど。

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2007年1月17日 (水)

バスの乗り方(3)

火曜日の朝、いつものバスでいつも小学生が乗るバス停をバスは通過した。誰も乗客は居なかった。次のバス停にいつもの小学生が居た。1つバス停を終点側に移動した。家から同じ様な距離に有るのだろう。バスが止まった。そのバス停からはいつも一人の男性が乗る。バスはもう空いている。その男性はいつもの席に座る。

その日はそのバス停から二人が乗り込んだ。丁度自分の席からは乗車口近辺の様子がよく見えた。二人ともバスに乗るには少しバス停のポールから離れていた。お互いに譲ったのだろう。二人はお互いに手をさしのべて“お先にどうぞ”。

いつも乗る男性は少し早く来てバスを待っていたのだろう。少年はそれより少し遅れて来てバスを待っていたのだろう。混まないバス停では大抵バス停のポールから離れて待っている。それでもバスが接近してくれば、早く到着した順に緩く乗り口に向かう。一本線と言う事が多いけれど、二方向からの事も有るが勿論混乱は全くない。

少し笑みを持って男性が勧めた。男性はその少年の父親と同年代か、少しだけ上そうな感じ。少年が先に乗った。いつものお気に入りの席に座った。1回後ろを振り返った。後は黙っていつものように座っていた。男性は少年の後から乗り込んだ。いつもの普通顔になっていた。いつもの席に座った。

次の次のバス停で自分は降りた。いつもは4人降りる。その日は2人だけ。色々な事を考えているけれど、顔はいつも通り。他の人も色々なこと考えているのだろうけれど、顔はいつも通り。

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2007年1月16日 (火)

バスの乗り方(2)

月曜日にいつものバスのいつものバス停で小学生が乗ってきた。当たり前のことだけれど、少し安心した。自分だけの事だけれど。そのバス停に近づく時、何となく目がバス停の方に行った。その少年が好んで座る席は今日はふさがっていた。席はたくさん空いていたけれど、彼はその席の近くに立っていた。暫く走って自分は降りた。少年の行き先は知らない。

自分はいつも同じ席に座るわけでは無いけれど、いつも同じ席に座っているかなあ、と言う人を見かける。その人がバス停で自分より後ろに並んでいると、その席を避ける事が多い。いつも同じ席に座ろうとする人は、そこに座らないと何かちょっぴり失った気がするかも知れないと思って。同じ席に座っていると、景色が同じだから瞑想と言うほどではないが、ちょっと考え事をするのには向いているかも知れない。目をつむっているから、景色は関係無いかも知れないなあ。

そう言えば最近、バスの中で朝食を採っている風の女性を見ない。いつもお握りを食べていた。小柄だから後ろの方で、静かに食べていると目立ちはしないけれど、近辺の人は皆気が付いている。後ろの方でちょっと崩れて熟睡している風の若い女性も見なくなった。その人は降りるバス停の100メートル位前になると、座り直して、ボタンを押して、何事もなかったかのように降りていた。

自分がいつも乗っているバスには、大きな声で話す人は居ないけれど、たまたまいつも乗る人の同僚みたいな人が乗って、他の人に聞こえる程度の声で話している事がある。何となく朝の静かな時間が“奪われた”気がしてしまう。勿論黙っているけれど。

時々友達にとてもよく似た人が乗る。全体から受ける印象が似ている。最初の時は友達かと思ったぐらいだ。従兄弟じゃないだろうかとも思ったが、多分そんなことは無い。「~~さんの従兄弟じゃ有りませんか」話しかける訳にも行かないし。馬鹿なことを考えていると乗り過ごしそう。

最近では1回だけ乗り越した。眠っていたわけでは無い。ちょっと考え事もしていたけれど、自分が降りるバス停で止まるランプが点いていた気がして何もしなかったが、点いていなかったのか、通過してしまった。黙って次のバス停で降りた。いつもと違う景色を見ながらいつもと同じ所に向かって歩いた。

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2007年1月14日 (日)

バスの乗り方(1)

金曜日の朝、いつものバス停にいつも乗る小学生が居なかった。

その小学生は、最近引っ越してきた風。最初の何日間かは父親がバス停に一緒に立っていた。小学生が乗って、手を振って別れた。父親は子供を見送ってからバスと同じ方に少し歩いて行くのがバスの窓越しに見えた。近くの交差点を渡るのだろう。道路の左側は歩道際にネットフェンスが延々と続いている。何か公共の施設の敷地である。

その日はそのバス停でいつもの一人を降ろして、少し広くなっているバス停を出た。少し走って信号待ちでバスは一瞬止まった。そこにいつもの小学生が、横断歩道を渡りきってバス停の方に向かって走ってきた。バスと見合う形になったが、バスはドアを開けなかった。次の瞬間、小学生は次のバス停を考えたのか、バスの進行方向に走り始めた。信号が変わりバスは出発した。バスは小学生を追い抜いた。全ては一瞬の出来事だった。声を掛ける暇もなかった。残像の中で事態を組み合わせて理解した感じで有った。

小学生はバスに乗り慣れていないのだろう。バスに手を振ったり、呼びかけたりはしなかった。だから最初の時父親がバス停まで送ってきていたのだろう。そう言えばバスカードを装置に差し込む手つきも最初の内ぎこちなかった気がする。

彼がバスに乗り遅れたのは、気の毒であった。運転者は横断歩道を走って渡っていた小学生が見えていただろうに。小学生は一瞬怯んだけれど考えて次のバス停に走り始めたのを見たときは、益々気の毒であった。自分はボンヤリしてバスに乗っていたのだろう。気付いたときには全ては終わっていた。

土曜日に遠出をして、海浜公園に行った。

久しぶりでその駅に降り立った。当時の事は余り覚えていない。駅はとても新しかった。駅前に立ってバス停を探した。少し離れたところに、バスが止まっていた。近づくと海浜公園行きだった。小走りにバスの入り口まで行って乗り込んだ。何人かが、バタバタと乗り込んだ。家内が「幾らかしら」「何分ぐらい走るかなあ」と小声で独り言の様に呟いた。

運転者さんが言った。「このバスは、11時5分発です。後10分ぐらいで発車します。海浜公園は終点です。15分ぐらい掛かります。料金は390円です。両替が有ったら、今の内にお願いします」家内は両替した。

窓越しの日を浴びて目を瞑っていると、ポカポカと気持ちが良い。バスは出発するまで又何人かが乗り込んできた。

バスは出発した。目を開けて前を見ると鞄を二つ持ったスーツの男性が手を振って走ってきた。バスは止まって、ドアを開けた。

「このバス、市役所を通りますか」「通りますよ」その人はバスに乗り込んだ。バスは走り出した。スーツの男性は運転手の側に座って、幾つか訪ねていた。市役所の次のバス停でその男性は降りた。「有難うございました」「どうも有難うございました」

海浜公園が近づいてきた。「次は海浜公園西口です。終点は海浜公園正面入り口と成ります」乗客は数人だったけれど親切なアナウンスが流れた。

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2007年1月11日 (木)

駅伝競走

小学校の6年の時に駅伝競走をした。

何故駅伝競走をする事に成ったかは、残念ながら覚えていない。当時仲の良い仲間達が話し合って、集落対抗でやることに成った。参加チームは多分4つ。季節は秋口。土曜日の午後だった気もするが、日曜日の午前だった気もする。

当時校庭には子供達がたくさん居た。勝手に遊んでいた。夕方になると、三々五々帰宅した。たまたま残っていると、家へ帰れ、と言うことで校庭から追い出された。勿論そんな遅くまで遊んでいるのは近所の子供たちばかりだったけれど。

校庭と外を分ける柵は無かった。門扉もなかった。校庭の道路側は低い土塁に成っていた。校庭側にはプラタナスの木が並んで植えられていた。良く剪定されていた。

駅伝競走は小学校でいつも駆け足の出発点に成るところから出発した。到着は北側の校門とした。45区間が有った。全長で78キロ位。学校を出て2300メートルは往復とも同じで、周回コースだった。

みんなが揃った。スタートの前に第二走者以降は中継点へ自転車で向かった。二人乗りも平気。最終の人は逆回りで中継点に歩いて行った。第一走者は、第二走者にタスキを渡したら、自転車に分乗して、校庭に帰る事にした。細かいことは決めなかったけれど、全然問題は発生しなかった。

最初学校からバトンを借りようという決めにしたが、駅伝だからタスキでやりたいというものが有りタスキにした。と言っても実際は無かったので、各自持っているハチマキをつなぎ合わせてタスキにした。

自分は最終中継地点に向かった。最終走者は全員中継地点で待った。うろついたり準備運動をしたりしながら待っていた。待っても、待っても前の走者が来ない気がした。漸く来た。「おーい」「早く」「ガンバレ」「こっちだあ」とか勝手に大声を上げて励ました。

走者の横には自転車で順番が終わったものが伴走していた。「ガンバレ」「腕を振って」「腹式呼吸」「もっと早く」などと良いながら到着まで励ました。自分も伴走者に励まされて、必死で走った。

順番は全く覚えていない。全員疲労困憊していた。土手の日陰に延びて相当長い間横になっていた。自分は走り終わってから目の前が暗くなりふらついて土手にへたり込んで、水を飲んでから、土手の日陰に暫く延びていた。早く走り終えて自転車の後ろに乗って帰った連中は比較的元気だった。

暫く休んでから別れの言葉を言って各自帰宅した。

自分は長い間この駅伝競走の事を忘れていた。参加者の二人は覚えているが、後は誰が参加したかも覚えていない。長い年月が経った。もうこの事を語り合うことは無い予感。でも誰かが、自分の様に一人で長い間忘れていたことを、何かの契機で思い出しているかも知れない。

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2007年1月 9日 (火)

沢蟹捕り

小学生の時の夏休みに沢蟹捕りに行った。

いつもの遊び仲間と『二本杉』を目指した。普段遊び回る今で言う里山とは、反対の方向である。行った事のない集落を通る。小学校の同学年の子がそちらの方から来ていたのは知っていた。誘わなかった。案内も頼まなかった。自分達としては探検のつもりなので、他の人には助けを借りる気は無かった。

遠くからでもハッキリ見える巨大な杉、二本並んで立っていた。集落を過ぎて砂利道を進んでゆく。小さな田圃が折り重なるようにある集落の外れを過ぎた。森が始まった。緩い坂道を登ってゆくと沢に出た。沢沿いに登る。そこからは杉は見えない。もう一本道になっている。暫く進むと少し開けたところに出た。その先に自分達には意外だったが小さな社が有った。

その横に巨大な二本杉が有った。現物を見て初めて分かった。二本杉は根元が一本の巨大な杉だった。杉は見慣れていたが、桁外れの大きさで、探検気分が高まった。少し離れたところに胸の高さぐらいで切られた大きな切株が有った。それも杉だった。切られてから相当年数が経っていた。山側は地面からは低く直ぐ登れた。我々は年輪を数えた。全員切株に乗って、二方向から中心に向かって数えた。大体300年だった。二本杉は切株より太かったので、樹齢は300年以上と決めた。当時10歳か11歳位で300年は全く実感が無かったけれど、相当古く思えた、誰かが紀元前から有るんだ、みたいなことを言ったが、誰も反対しなかった。

誰かがお社の鈴を鳴らして拝んだ。様式は多分メチャメチャだったと思う。そこから少し登ってゆくと、モミジイチゴが黄色に熟していた。自分は知らなかった。知っている子が、食べ始めた。みんな食べ始めた。自分は最後に食べ始めた。美味しかった。心は少し落ち着かなかった。

誰かがこんな所にはマムシが居るんだ、と言ったので、みんな少し怖じ気づいた。それでみんな最初は控えめに沢に降りた。その内忘れて、沢蟹を探し始めた。流れの中に有る石を引き起こして下を見る。何回か試している内に、数ミリの稚蟹が泳いで流れた。自分達は相手にしなかった。その内、23センチの蟹を見つけた。12匹の内は左手に掴んでいた。ズボンのポケットに入れている子も居た。勿論バケツを持っている子も、魚籠の様な物を持っている子も居なかった。

沢から上がって大きなフキの葉を取って巻いて入れ物にした。中には杉の葉を少し入れた。これで蟹に挟まれることもない。石を起こして沢蟹取り続行。各自10匹位捕って探検終了家路に就いた。

あれから何十年も経って奥多摩方面に行って山菜採りをしたついでに、ある時沢に降りて沢蟹を探したら、10匹以上捕れたことが有った。その時に田舎の二本杉の沢の探検の事を思い出した。

その後何回か試したけれど、水が涸れていたり、沢が埋まっていたり、沢蟹は捕れなかった。

田舎の二本杉は今、どうなっているのだろうか。あの沢はどうなっているのだろうか。社近辺や沢の事は鮮明に覚えているが、そこへの道順は今思い出せない。

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2007年1月 6日 (土)

外房の餅の食べ方

正月は外房にいた。

正月は餅だ。何か貰えるような気が有った。隣人の顔がちょっと頭に浮かんだ。伸し餅を垣根越しに受け取る情景が一瞬脳裏をかすめた。当てにしちゃその気が伝わりそうで心配だ。気が伝わって『あら、餅を上げなくちゃ』『餅を欲しがっている』要らぬ心配を掛けちゃ悪いし、買って用意してから貰うと重複して、食べられる量を超えてしまう。迷うところだ。

菓子を買うことにした。自分でも食べられるし、お返しにも使える。ちょっと珍しい菓子。午後にお茶を飲みながら、話のきっかけになる菓子。餅は元旦にスーパーで買えばよい、ちょっと出遅れ感が有るけれど。

年末に隣人から電話が有った。餅が貰える。良かった。少しスッキリした気分で出掛けた。

正月はたくさん餅を食べた。餅は良い。加熱すれば直ぐ食べられる。醤油を付けて砂糖を塗して。醤油を付けて海苔で巻いて。醤油を付けてバターを塗って。イチゴジャムを付けて、これも中々乙。ダイコンおろしを塗して。辛子マヨネーズで。納豆を掛けて、自分は嫌いだけれど。小豆を絡めて。即席みそ汁に漬けて。即席お茶漬けに浸して。雑煮で。

黄粉餅は駄目だった。黄粉は冷蔵庫に有ったものを使った。黄粉餅は1回しか食べなかった。それも小さい一切れ。味が悪かった。見た目は美味しそうだったけれど、受忍限度をちょっと超えていた。4~5年前に買った黄粉だ。買った年に食べたきり冷蔵庫に鎮座していた。食べ終わった後、残りは捨てた。忘れて来年も食べる危険回避。捨てたのは本の少しだったけれど、心が痛んだ。イソフラボンはどうなっていたのだろうか。スーパーでうろついている時一袋100円位で売っていた。それは横目で見ていた。今度黄粉を食べるのはまた来年。

美味しい黄粉と、5年ものの黄粉と成分分析計で測ってどんな成分がどんな風に変化しているか測る物好きはいなか知らん。

去年の餅が未だ冷凍庫に少し残っていた。古々餅になる前に、何とかして食べよう。今年の餅も早く食べよう。そしたら次に餅を食べるのはまた来年。

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2007年1月 5日 (金)

初詣

正月は近くに初詣に行った。近くと言ってもブラブラ歩いて1時間。例年買う100円のお神籤を例年通り買った。高いのもあるけれど、自分は例年通り100円のおみくじ。お寺で買ったからお仏籤と言うのか知らん。金運、健康その他それなりに書いて有った。良いのか悪いのか、よく分からないが、吉。読んでいる内におみくじを結ぶ針金が何本も渡してある柵に着いたため、立ち止まって読んでそこに結んだ。

何年か前に、大凶と出たことが有る。自分は迷信を信じないタイプと普段言っているが、何か「ムカッとした」。家内に窘められたが、もう一度買ったら、凶と出た。さっきよりは「良い?」が迷信を信じない自分というものが少しぐらついた。二枚とも破り捨てた、と言うことは無い。うーん、もう一枚買おうかと思ったが、止まった。向きになっている自分が可笑しかった。少しお金も勿体ないし。大吉が出るまで買ったら、もっと面白かったかも知れない。漫画のネタのようだけれど。友達に自慢が出来そうだ。聞かされた友達は、反応に困るかも知れないが。

そんなことを考えながら柵に結んで山門を出た。未だ少し損をした気分。「正月ぐらい、もっと気前よく、確率変動ぐらいにはしておけ」みたいな気持ちで歩いた。

おみくじを買う、とは言わないのだろうなあ。喜捨して授けて貰う、なのだろうか。初穂料とか書いているところもあるけれど、しっくりしない。とにかく手に入れて開いている人を見ているのは、良い趣味では無いかも知れない。時々見てしまうけれど。にこやかな人を見るのは、嬉しい。ちょっと気分が安まる。葛藤している風の人や急に顔が暗くなる人を見かけることが有る。自分は大凶を引いた(?)時、どんな顔をしていたのだろうか。詐欺に遭ったような顔だったのだろうか。暗い顔を取り繕って無理に笑顔になって不気味だったか、まあ良い人相じゃ無かっただろうなあ。

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