« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »

2007年2月27日 (火)

ククロビンのマスク

今の季節、ククロビンのマスクをしている人達が街に大勢いる。自分は目が悪いので、その悲惨な花粉の飛散は見えないけれど、彼らの目には花粉が見えているのだろう。黄色の粉が空中をシンシンと粉雪が降るように降っているのだろう。人が動けばそれに従って渦を巻いて流れが変わるのだろう。流れの中に棒を突き立てたように。

高い杉の木の上の方に黄色の花が溢れる様に咲いている。風が吹いて木の梢が揺れる。花粉が燃え上がるように空中に飛び出す。山全体が燃えるように黄色の花粉をまき散らしている。その数や、それこそ天文学的数字。

山は杉と檜に蔽われたけれど、今は買ってくれる人がいない。自然に世話をする人も居なくなった。間伐材で割り箸を作っていた頃は、充分手間賃が出た。子供の時代には山の木が飛ぶように売れた。又植林をする。孫達はその杉や檜の世話をした。切り残した場所には百年を超える、二百年を越える杉が林立していた。今や山は荒れ、水が涸れ、倒れたり折れたりした木が行く手を阻む。人生の行く手も阻む。

ここ数年、ククロビンのマスクをしている人達が開けた所ですれ違うときは、ククロビンの踊りをして挨拶としている。大きく2回拍手をして、その手を左右に大きく広げて、その時片足は後ろに跳ね上げる。その後何事も無かったかのように、自分の道を行く。又暫くしたら、ククロビン同士が会って、同じ挨拶。せめて共感でもしなければ、この季節を乗り切って行けないでは無いか。

この挨拶は1~2秒しか掛からないから、拍手が耳に入って振り向いたときはもう終わっている。言葉は掛けないから気付かないで通り過ぎる人も多い。皆さんもよく注意して歩けば目に留まるかも知れません。

もし自分が酷い花粉症に成ってククロビンのマスク無しでは街を歩けなくなったら、御同病の人に会ったら、ククロビンの踊り挨拶をして、お互い励まし合いましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月25日 (日)

スノーダンプ

田舎の実家に住んでいた頃は、冬によく雪掻きをした。

自分は雪掻きが好きだった。作業療法みたいな物で、青春の憂鬱もその時は忘れた気がした。始めるときは寒い、少しずつ体が温かくなる。息が少し早くなる頃には雪が降って居なければアノラックを脱ぐ。その後はトリップしている様な快感。頭の中は空っぽで、夢中で雪掻きをするだけ。無念無想では無いけれど、何か心が軽く成った気がした。

田舎を離れた。冬に帰郷すれば雪掻きをした。近隣に嫁いだ姉が良く家に来ていた。姪も一緒に来ていた。当時45歳。自分が雪掻きを始めると見に来た。2回目からは催促する様な雰囲気が有った。

毛糸の帽子、ピンク色の上下揃いの防寒着。長靴、二本指の手袋、その紐が首に掛かっていた。色白の小さな女の子。暫くは黙って玄関先で見ていた。少し危ない所が終わると、自分は彼女を手招きした。彼女はこれを待っていた。喜び勇んで駆け寄ってくる。

自分はスノーダンプに雪を積み終えるとバンバン叩いて、上を平らにする。その上にスポンジを敷く。そこに彼女は乗る。ゆっくり押して小川の畔まで行く。彼女はスノーダンプから飛び降りる。自分は雪を小川に捨てる。スノーダンプは空だ。彼女はスノーダンプに乗る。ゆっくり向きを変える。「良いか」「ハーイ」小走りに押して元の位置に戻る。彼女は楽しくて仕方が無い。「アアアアー」彼女は大きな声を出して喜ぶ。それを延々と繰り返す。こちらも最後は顔に汗が滲む。体は益々熱くなってくる。彼女も段々熱くなってくる。小さなアノラックを脱ぐ。暫く雪掻きと遊びを続く。雪掻きが終わって、彼女も満足して2人は家に戻る。

彼女はアイスクリームを食べる。自分は冷たい飲物を飲む。彼女は母親に雪掻きの手伝いをした事を報告する。母親はニッコリ笑って「良かったね」。彼女は雪掻きの様子を色々報告する。軒下から雪を集めて、道路を渡り、小川に雪を捨てた事、何回も何回もやった事。とても疲れた事。体が熱くなった事。母親はいちいち返事をしながら聞いている。

最近は特段の用件が無ければ帰郷する事も無くなった。今は当時より雪の量が減った。田舎の人達も雪掻きの回数が減った。

今でも雪掻きした頃の事が鮮明に思い出される。小さかった姪も今は二児の母で下の子も、雪掻きの頃の彼女より大きい。遠い昔の事に成った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月23日 (金)

センブリ採り

リンドウ科、センブリ属、センブリ。秋に花が咲く、5弁の可憐な白い花。背丈は20センチ内外。自分の記憶に因れば草の日陰に有れば背は高いが分けつが進まず、貧相な感じ。直射日光の下にあると分けつが進んで充実した感じであるが背は低い。芒が生える荒れ地に沢山あった。子供の頃遊んだ野山には単なる荒れ地や草原があちらこちらに有った。山林でもないし畑でもないし。多分ずっと昔入会地で有った草刈り場の後だろう。そこで茅刈りも行ったのであろう。自分が子供の頃でさえ、冬囲いに使う簾も自分で作る人は少なくなっていた。芒もチカラシバも色々な草も生え放題。そんな荒れ地に56人の子供が散開してバラバラ歩く。誰かがセンブリを見つけて、知っていそうな子の所に持って行く。センブリであることを教えてくれる。センブリが薬草で有ること、誰かが買ってくれること、とても苦い事などはみんなが知っていた。

自分は小学校の高学年に成ってから、売りたいと思って良く採りに行った。採った後は、藁で編んで軒下に吊しておいた。兄か誰かが持っていて売り、小遣いを貰った気もするが、記憶がハッキリしない。

23回飲まされて、酷い苦い物だと思った。青年に成ってからは、自分で煎じて何回か飲んだ。慣れれば飲めない物では無い。1週間から10日程度飲み続けると、殆ど苦みを感じなくなり、飲みやすいものとなる、と聞いたことが有るが、未だ実験はしていない。今年の秋は是非実験してみたい。

そんな怪しい実験を漢方薬局で買ったセンブリでする気は無い。採りに行かねば。ここ数年それらしい季節にそれらしい野山を歩いているときは、その気になって探したが今まで見つけたことは無い。何処かで見つけたい物だ。見つけたら本物か偽物かは簡単に分かる。葉を一枚千切って咬んでみれば良い、酷く苦い。嫌らしい味ではないが、苦みは長く続く。これ以上の苦みは今まで経験したことが無い。並ぶのは熊の胆だけれども、あれはお湯と同時に口に入れて飲み下せば、ドウって事は無い。これも子供の時、お腹が痛いと、薄く延ばされていた物を、爪で割った小さい固まりを飲まされた。そう言えば野生のアロエも苦いなあ。

自分の記憶ではセンブリは南斜面で日当たりが良く、やや湿った地面が生育適正地だ。良い株が1株有れば実験が出来る。あの苦さは調べたところに因ると虫に対しての防御機能らしい。つまり虫に食べられないように進化した。虫が胃の調子が悪くて、齧ると言うことは無いだろうから、虫に対しては有効だったが、ずっと後から出現した人間に対しては今の所、有効でないばかりではなく、単純に見れば自分を絶滅に向かわせている進化に成ってしまった。但しこれは人間に益をもたらすのだからセンブリは気付かないだろうけれども、共生への道を多分辿っているのだろう。

共生の道を探るためにも、今秋はきっと見つけて、実験してみるぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月21日 (水)

ハタハタの季節

去年暮れに田舎からハタハタが送られてきた。50匹位入っていた。その日は、ハタハタのミソカヤキ(ハタハタが主材のみそ味の鍋物)を食べた。汁全体がちょっとヌルッとしてことのほか味が良かった。一人宛56匹食べた。次々に田舎の事が思い出されて、色々ものを思った。みんながみんな幸せに生きているわけでは無いけれど、それはそれでいかんともしがたいことも有るし。長寿に恵まれることもあるし、自分が死ぬことも予想だにしなかったのに、亡くなってしまう事も有るし。いつも明るく元気に振る舞っていても、その内心を察すれば、自分ではとても堪えきれない様な境遇の人もいるし。自分がもう少し傍に居てやれたら、もしかしたら、悔やむことは多いけれど。時はドンドン過ぎ去ってゆく。

昔は今より少し寒かった気がする。雪は今より多く降っていた。12月に入ると、冷たい北風に乗って霰が舞い散る日が多くなり、その内粉雪が降り辺り一面うっすらと雪に覆われる。そんな日に雷が鳴って一層寒くなるとハタハタの季節は巡ってくる。日本海の深海を北上してきたハタハタが産卵のために秋田沿岸に押し寄せる。海が盛り上がるようだという。漁師は舟が沈むほどに水揚げをして、港に揚げる。休む暇もなく漁師は獲る。その新鮮なハタハタはトロ箱に入れられて、トラックで運ばれてくる。港から遠い我が村にもそのトラックは毎日のようにハタハタを売りに来る。村の人達はその拡声器の声が聞こえればいつもトラックが留まる場所に集まってくる。初物の内は大きなボールに一杯買って食べる。

夕食には塩焼きのハタハタを子供でも56匹は普通に食べる。ご飯も進む。焼くのが間に合わないくらいドンドン食べる。七輪にハタハタの脂がしたたり落ちて、濛々と煙が出る。時々ボオッと焼き網に火が回る。団扇であおいで消す。何処の家でもハタハタを食べている。たくさん食べている。そんな日が何回か過ぎる内に価格も安くなり今度はトロ箱何個という形で買う。飯鮨を作る、一夜干しを作る、塩漬けを作る。季節の物を季節に食べる。たくさん獲れる物を加工して長い間食べる。最初に飯鮨を食べるのは大晦日だ。ご馳走だ。その年も暮れる。

子供達は自分の家が買わないときもその売り場に集まって有様を見る。空は灰色の雲が低く垂れ込めている。北風に飛ばされて粉雪が舞い散る。男達は手ぬぐいで頬かぶりをしている。女達は姉さん被りをしている。着ている物は皆粗末だ。子供達は学生帽を被り学生服を着ている。袖口はテカテカしている。中には洟を垂らした子供もいる。足下はみんな長靴だ。何処かの家のトタンが風に煽られてバタバタする。ハタハタ売りが大声で口上を言う。村の人達は買ったハタハタを一輪車に積んでゾロゾロ帰る。

こんなセピアの景色ももう映画の1シーンの様になった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月19日 (月)

マグロの頭の食べ方

友人がマグロの頭を焼いて食べた。数年前のことだ。そのために七輪を新調した。庭で焼いた。煙が濛々と無茶苦茶に出てとても台所で焼けるものでは無いらしい。サンマだったら裏表1回引っ繰り返すだけでよいが、金網に下駄を履かせて、カンカンと炭を熾し火を通しながら何回も引っ繰り返さないと食べられる様に焼けない。想像より時間が掛かった。準備の段階から楽しんだ。焼いて食べて愉快だったとの事。マグロの頭は自分で調理をすると、大きさと言い重さと言い、日常性を越える、と言っていた。目玉の後ろ側にはコラーゲンがたっぷり、その後ろに肉も沢山ある。食べた後は大きな骨がこれも又ドッサリ。

自分もそれ以来いつかはマグロの頭を焼いて食べたいものだと思っている。肉の付いているところが焼いて売っていることが有るが、未だ買ったことは無い。外房に行って、新鮮で安い頭を見つけたら、やってみたいと思っている。1つだと大きすぎるから半分売っていたら良いのだが。

大きな魚屋の店内を歩いていると、マグロの頭の他に何種類かの頭が売っている。タイ、ブリ、サケ、自分はよく買って食べる。美味しい。安い。塩焼き、甘辛く煮付け、汁のだし。タコの頭も売っている。実際は頭では無いか。

マグロブームで刺身ばかりではなく、無駄なく他の部位も食べるようになって、頭にも及んだと言う事なのだろう。自分としては本来の姿に近づいて来ている気がする。

自分で獲って食べると無駄にしたく無いのは自然の流れだ。自分で野菜を採ると大きさの不揃い、曲がりとかは全く気にならない。食べられる所は全て食べる。最初に密植する蔬菜は間引きながら食べる。果実型の野菜が大量に出来たときは、加工して保存するのも自然の流れだ。

テレビを見ていると、~~牛とか~~豚とか言う話しが多い。牛なら最高の肉をすき焼きや網焼きで食べれば勿論美味しい。自分には余り機会は無いけれど。まあ美味しさの想像は付く。その内マグロブームと同じように~~牛の頭も食べるようになるのだろう。首には適当に脂の入った肉が多いだろうし、目玉やその周りにはコラーゲンが多いだろう。脳みそはプリオンが入っていないのを確認した方がよいけれど、魚の白子のようにまろやかな味がするだろう。只焼くには、相当大仕掛けが必要だ。大きさもさることながら角だって生えているのだ。

昔何回もブレンマサラを食べた。自分は美味しいと思って食べた。これは牛では無く羊だけれど、同じ偶蹄類で食べ物も似ているから牛のそれだって美味しい気がする。本来肉を食べない牛や豚や羊にそれらの雑部位を原料に使った飼料を与えることには反対だ。ムスリムをだまし討ちして豚肉を食べさせるようなものだ。

牛や豚、羊を殺して食べるなら、なるべく無駄のない様にして食べたいものだ。実際今牛の頭はどう処理されているのだろうか。誰か知っていたら教えて下さい。

大饗宴に参加したことも無いし、その立場でも無いから、羊の丸焼きが出て、主賓であるから目玉をどうぞと言われた事は幸いにも(不幸にも?)無いけれど、その場になったら、向こうの礼儀に則って断らないで、勧められるままに遠慮無く飛びかかって、1個ムシャムシャ食って、1個は現役を引退した風の長老に差し上げて見たかった。

その内牛や豚のもしかしたら羊の頭の丸焼きを食べるテレビの番組が氾濫するだろう。そんなことは無いか。「良識有る」視聴者の声は大切ですものね。霜降り肉をすき焼きで食べるのは上品でもその牛の頭を丸焼きにして食べるのは残酷なんですよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月17日 (土)

キャベツの食べ方

自分は最近毎日キャベツを食べている、朝食と夕食に2回食べることも多い。1回に大体1/81/6個位食べる。子供の時からキャベツは好きだった。1人で即席ラーメンを食べるときにはキャベツを一緒に煮込んで食べた。長じてトンカツを外で食べるようになってから、付け合わせのキャベツを残したことは無い。他の人が沢山残しているのを見ると、ああ勿体ないと思う。他の人はどうかは知らないが、トンカツの飾りと思ったことは無い。だからキャベツがホンのひとつまみトンカツの横に置いてあるところへは二度と行かない。厨房が見えるお店で、美味しそうなキャベツが大きなボールに山と積まれて客に供されるのを待っている風の景色が見えるのは頼もしい。

自分のキャベツの食べ方は単純なものが多い。生か浅漬けが特に好きだ。太っているわけではないが、ウエスト周りに脂肪が付いている。少し減らしたいところだ。テレビを見ていたらキャベツは体脂肪を減らすのに効果が有るらしい。結構な事だ。と言っても余り信じてはいないけれども。高カロリーのものをたくさん食べていた人が、キャベツを食べるようになって、他のものを食べなくなった分少しカロリーが減って体重が減っただけの様な気がする。普段からキャベツを好んで食べて居る自分は、最近キャベツの量が少し増えただけその分ウエスト周りが増えたりしてね。

最近キャベツを産地で廃棄する光景をテレビで見た。市況低下で出荷したら原価割れをするのだろう。本当に有ったかどうかは不明だが遙か昔の子供の間引きを連想した。気の毒。自分はキャベツの消費量を増やす余地はそれ程無いように感じているが、調理法をもう少し工夫して、好きなキャベツをもう少し食べようと思う。

そのテレビのニュースで、一般市民?実際は誰の事かよく分からないけれど、何人かのコメントか映像付きで流されていた。映像付きだから一般社会?では受けて居るのだろう。

曰く:○外国に輸出すべきだ ○農家の利益を守るのだから当然のことだ ○廃棄するのは勝手だが、税金を投入するな ○廃棄するなんて許されない(安値で売るべきだ) ○世の中には食糧不足で飢え死にする人がいるからあげたほうがいい ○保存出来る食材に加工しておく ○食料自給率の低い我が国で、廃棄処分は許されざる事だ ○捨てるなら只で配れ・・・・・・

色々突っ込みたいけれども、自分も街頭で一言をと言われたら、上記のような事を言ってしまいそうだ。循環参照しています?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月15日 (木)

カラオケアルバイト

友人と何年かぶりとなるカラオケに行った。

彼は日中近所の植木屋の手伝いをしている。夜はカラオケで掃除やらお運びやら雑役をしている。自分より少し年上である。余りに地味なので別れて暫くすると顔まで忘れてしまいそうな人だ。只少し話をするとちょっと変わった感じを受ける。知り合って数年が経った。来歴や家族の事は殆ど知らない。

自分は今までにカラオケは10回ぐらいしか行った事がない。歌は駄目なので、主に聞くだけの事が多い。親しい友達によれば、自分の歌はどの歌もとても似ていて殆ど区別が付かないらしい。音程が合った試しが無いとか、かなり酷いことを言っている。一緒に行く人にしてみれば自分の歌が余りに下手なので、違和感を覚えながらもそれはそれで楽しいらしい。気の毒を通り越してコメントを述べたり、同情したりする余地も無いらしい。

昔は恥だと思って行きたくなかったが、今は功徳だと思って、又心の布施だと思う様にしている。自分は歌手じゃないのだから、下手でも致し方無いのだ、と言い聞かせる事は無くなった。でも好んで行くことは無い。ましていわんや1人で行ったりはしない。

何年ぶりかで行ったとき、その時は何も感じなかったが、後で言われて見ればふむふむと確かに合点が行った。カラオケの前に3~4人屯していた。待合室に出入りしていた人も居た。年齢はまちまち。男女は半々。何処のカラオケの前にも確かに居た。

友達は彼らの事をカラオケアルバイトと言っていた。彼はカラオケでアルバイト、大きな違い。カラオケでアルバイトとは全くご理解の通りで、カラオケに雇われて、厨房やらホールで働く人、友人の様に掃除を主に雑役を万事こなす人も居る。

カラオケアルバイトは全く違う。カラオケに行く人に雇われて、カラオケに一緒に行く。時給はまちまち。1000円位から5000円位までが多い。大抵は1人でカラオケに来た人に声を掛けられて同伴する。友達のように振る舞う。恋人の様に振る舞う。母のように振る舞う。父のように振る舞う。他人のように振る舞う、勿論初めから他人だけれど。夕食の時間で雇い主が食事を頼むときは、ご相伴に与る。歌は上手い人も居れば下手な人も居るらしい。需要に因る。下手な人は上手くは歌えなくても、上手い人は下手には歌えるらしい。上手い歌を聴きたい人には下手は駄目だけれども、じゃ上手い人の需要が多いかというとそうでも無いらしい。生粋の下手さと言うのを愛する人も多いらしい。

色々な職業が有るものだ。自分も夜にカラオケの前で屯してみようかしら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月13日 (火)

表札

ずっと昔の話。

東京に出て来て、4畳半に落ち着いた。木造2階建ての1階、自分の部屋は北西の角、北側に窓有り。ドアを開けると小さな土間、そのまま一段上がってドアを背にした小さな台所、その左側に畳4枚半の部屋、それに押し入れ。全部含めて6畳分。勉強して食事をして寝るには十分な広さ。お手洗い共同、4部屋で二つ、北側の角に洗濯が出来る流し。場所は私鉄沿線の各停だけが止まる駅、駅から歩いて10分、周りは小さなアパートだらけ。

誰も来るわけではないが、表札を掲げると、自分はここで暮らしているのだ、と言う主張がある気がした。大学ノートの裏表紙の真ん中を適当に切り抜いた。それに苗字を書いてドアの横に画鋲で留めた。暫くはこれで満足していた。その間に尋ねてきた人は一人も居なかったけれど。

本屋で栞を貰った。2枚貰った。本を読んでいる内に、突然この紙を表札にしたら、と言う考えが浮かんだ。早速苗字を書いた。2枚とも同じに書いて、綺麗な方をドアの横に貼った。紙が薄かったので糊で貼った。少し期待と違ったが、そのままにした。1枚は少し傾げてドアの内側に貼った。

ドアの内側に貼った千社札の様な裏表札を見て出掛けた。帰ったときは時々、表表札を見ていた。長い廊下が有るわけでもなく、1階にたった4部屋しかないから、位置関係で迷うことは全くないから、確認することも無いのだけれど。それでも気力が萎えて疲れが溜まっているときは、駅から部屋に着くまで自分の部屋に違う名前が掲げられていると言うちょっとした妄想があり、少し速く歩いてアパートに帰って表札を確認したことも有った。

その千社札のような表札も見慣れると、余りにも安っぽくて、自分が吹いて飛ぶような気がして来た。何か良いものは無いか。自分の代弁をするものだという気は有るものの表札にお金を支払う余裕は勿論無い。厚みが有るものが良い。適当な板が有れば良いのだが。何処かに板が無いか。暫く考えた。只の板、有った、蒲鉾の板。蒲鉾なんて東京に出て来てから食べたことは無かった。スーパーに向かった。一番安い蒲鉾で良さそうな板が付いているのを探した。掴んでは引っ繰り返して板を見た。良さそうなを見つけて買った。

蒲鉾は大事に食べた。板は綺麗に洗って乾かした。彫刻刀で苗字を浮き彫りした。黒い油絵の具でなぞった。掲げた。暫くはハエが集ったけれど、その内来なくなった。そのアパートから引越をするとき、名残惜しかったけれども、反って居たので捨てた。その後も表札は手作りである。立派な表札を掲げる日は来そうにないけれど、今は蒲鉾の板ではない。DIYで買った端材で作ったものだ。最初に表札を彫る時に使った彫刻刀セットは今でも勉強机の引き出しに有る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 8日 (木)

服装に合った季節

昔、自分が高校1年の時、『学生服組』を作った。

メンバーは自分を入れて4~5人。まあ一種の排他行動で、自分達としては自分達の独自性とか、超越性を表現したかったのだろうけれど。いやもしかしたら、サラリーマンになって、真夏の炎天下スーツを着て町を歩くための早期訓練か。勿論当時そんな分析は無かった。他の人から見れば、単純で無害でお馬鹿な一団。

我々は、高校3年間を学生服で通そうという誓いを立てた。

真夏が来た。幾ら秋田と言っても夏は暑い。避暑地の様に涼しいと思っている方がいらっしゃればそれは誤解です。夏は暑いです。蒸し暑さは今の東京のヒートアイランドの様なことは有りませんけれど。ああ、暑い暑いと言うのもまあ1ヶ月ぐらい。それでも暑いのは暑い。

学生服の下には長袖のワイシャツを着ている。そんな格好の全く賢く無さそうな高校生が4~5人屯していれば、きっと普通の人はとっても鬱陶しかったに違いない。後年自分が真夏の砂漠の町で敬虔なユダヤ教徒の一団が、炎天下で黒い帽子を被って髭を伸ばして黒服を着ているのを見た時感じたことを、その当時の周りの人達は感じていたに違いない。

真夏のとても暑い日、夏休みの少し前だったと思うが、例の如く我々は学生服を着て、教室に屯していた。年配の数学の先生が入ってきて、授業開始。開口一番「そこの学生服の諸君、何か主義が有るのだろうけれど、例外として自分の時間だけで良いから、学生服を脱いでは貰えまいか、諸君は良いかもしれないが、こちらが暑くて適わない」とにこやかに言われた。我々はお互いに困ったものだ、と思って顔を見合わせた。又先生が、にこやかに大人の風格で言葉を換え同様の趣旨のことを言った。我々は黙って学生服を脱いだ。先生に勧められるままに、ワイシャツの袖を巻くって半袖にした。「じゃ今日もしっかり楽しく勉強しましょう」と先生は言われた。我々はそれで久しぶりに爽やかに勉強をした。長じてから思い出した時は「ああ、あの時は総合力で一本取られたんだ」と思った。ついでに言っておけば、勿論当時学校にクーラーというものは無かった。クーラーの風に当たった事も無かったかも知れない。

冬は冬で、オーバーコートも着ないで、吹雪の中を歩いて登校したのだから偉いものだった。襟巻きと手袋はしていたけれど。まあ良く吹き曝しで遭難しなかったものだ。

季節は巡るが、服装に合った季節は短く春の2ヶ月と秋の2ヶ月、後の8ヶ月は服装に合わない季節。

早朝、冷たい風が強く吹いている。工事で更地になっている所は、厚い霜柱がビッシリと立っている。厚着をした大人が急ぎ足で駅に向かっている。小学生が短い半ズボンをはいて登校している。脚は殆ど剥き出しだ。つばの有る帽子は被っているけれど、オーバーコートは着ていない。多分裕福な家庭の子で私立の学校なのだろう。

彼らは「半ズボン組」に入っているのか知らん。それとも厚着している大人が作った「子供は元気に冬でも半ズボン組」に入れられているのか知らん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 4日 (日)

熱帯の鳥

小金井公園の中に蒸気機関車が展示している一角が有る。その横に大きな桜の木が数本有る。花が満開の天気の良い日に行くと、インコを見ることが出来る。数羽から十羽位が群で木の上部を渡り歩く。動作を見ていると、花を食べているようだ。

黄緑色で全長40センチ位、多分いつか新聞で紹介されたワカケホンセイインコだろう。集団で作っているねぐらから来ているに違いない。朝ねぐらを出て、自由に餌を採り、夕方ねぐらに帰る。インドやスリランカから輸入されたものが野生化したとの事だ。熱帯から温帯に来て野生で繁殖している。冬は苛酷な季節なのだろうけれど、その他の季節は、きっと食物が豊富で暮らしやすいのだろう。その内日本の景色に定着する日がある気がする。

蒸気機関車の横の桜を見に行って、このインコ見つけると側にいる他の人に教える人が多い。何人もの人がカメラを取り出して写真を撮る。

赤っぽい花の中に黄緑色の大型の鳥、良く目立つ。羽の色の感じはメジロに似ている。メジロは接近して見られることが多いが、このインコは警戒心が強いのか、接近して見られる事は無いようだ。

同じ公園の中に有る百合の木にも花が咲く初夏に集まっているようだ。もう葉が生い茂り、ハッキリ姿は見えないが、木の上部を活発に動き回っているようだ。小枝を落とす。花を落とす。誰も気にも留めない。熱帯からの人間には冷たいのに、鳥には寛大。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 2日 (金)

シジミ採り

有力情報が入って、八郎潟にシジミ採りに行く事が決まった。小学校の5年生ぐらいだったと思う。決行は次の日曜日。

当時自分が住んでいた所にはシジミ売りが来た。勿論八郎潟のシジミ。五合幾らで売っていたと思う。大きな家族は一升とか買っていた。残念ながら価格は覚えていないが、とても安いものだったと思う。

日曜日、朝全員自転車でいつもの集合場所に集まった。自分の自転車を持っている子は一人も居ない。みんな家にある自転車。当時はそれが普通だった、と思う。お金持ちの子供はそうでは無かったかも知れないが、自分にはそんな友達はいなかったし。

自分達には野を越え山を越えいくつもの集落を越えての遠征だった。八郎潟にかなり近づいてから或る集落が有る。その入り口に沼が有る。沼の横でこの話をもたらしてくれた友達と合流した。彼の家は知らなかったけれど、その沼には何回か釣りに行ったことが有るので知って居たのだ。

合流してからその集落を通り抜け、彼の案内で我々は走った。デコボコガタガタ道、当時集落同士を結ぶ町道は舗装がされていない所が多かった。そこから2~30分で八郎潟の畔に着いた。田圃の横に有る少し広い畦道を湖畔に沿って進んだ。湖畔はビッシリ葦が生えていた。暫く行くと幅2メートル位で、葦原が切れているところが有った。今思えば船道だったのだろう。5人はそこに自転車を置いて支度した。

それぞれ、笊や籠、バケツを左手に持った。右手には「熊手」を持った。自分は太い針金で自作した熊手のような物。他の子も何かしら持っていたが、今潮干狩りに使うような熊手を持っている子は居なかった。今想像するとかなり珍妙な光景である。

船道に入って一列で進んだ。暫く進むと葦原が切れて開けた。そこら辺りは水深が2~30センチで、深いところでも膝の上ぐらい。水は澄んでいた。日の光が差して底がよく見えた。そこには敷き詰めたように貝が埋まっていた。手で一掻きすると2~3個、5-6個とシジミが採れた。大きいものが多かった。みんなは夢中になって採った。

誰かが「ワー、ワー」大声を上げた。顔が引きつっている。みんなで水を掻いて走り寄った。彼の脛にヒルが、何十匹も付いていた。結構気持ち悪い。我慢してみんなで取ってやった。自分の脛を見るとやはり何匹かずつヒルが付いて居た。むしり取るとそこから血が出た。カサビルと言っていた奴だ。それからは少し取っては脛を見て付きそうになると払いながらシジミを捕った。

たくさん採って持ってきた袋に入れた。各自何袋も有った。顔は喜びに輝いていた。

昼飯にした。弁当だったり、お握りだったり、パンだったりした。自分は自分の弁当箱に自分で詰めた弁当。ご飯の上に小さな小魚の煮干しを掛けて少し醤油とマヨネーズを掛けたもの。タクアンも5~6切れ。持ってきた水を飲みながら食べた。美味しかった。他の人の食べ物は興味もなかったし記憶に無いが、地味なものだったと思う。食べ終えて少し休んでから、再びシジミ採りに水に入った。採ろうと思えば幾らでも採れた。もう持って帰れないほど採ったので、帰ることにした。

水から上がって自転車の所に戻ると、何か様子が変だった。各自一袋ぐらいずつ足りなかった。誰かに盗られたと気付くまで暫く時間が掛かった。みんなどっと疲れた。みんな暫くそこに座り込んで凹んでいた。

暫くしてたくさんのシジミを見たら又嬉しくなり、元気を出して家路に就いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »