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2007年3月30日 (金)

エビ掬い

自分が小学生の高学年の頃に父と一緒に行ったエビ掬いのことが、今でも時々思い出される。

多分、土曜日の午後、お父から声を掛けられて、出かける事になった。軽トラックに掬い網と放し網など道具を積んで家を出た。しばらくは町の幹線道路を走った。その後林の中に入って細い道を進んだ。道端には緑になりかけの草が少し生え始めていた。土は黒っぽく湿り気を含んでいた。道を急に曲がって少し行くと開けて目の前に沼が広がった。大体の見当は付いたが初めての場所であった。辺りには蕗の薹がいくつも出ていた。沼のほとりの林の際には雪が残っていた。お父は後で使えるな、と言って支度した。

沼の中に放し網を仕付けた。水かさが増えているので、普段は陸地の所だ。草の生え方で分かる。

お父は胴長を履いた。タオルで頬被りをした。長いゴム手袋をした。大きな叉手網のような掬い網を担いで沼にソロリソロリと入った。眼の前に構えて長い取手を押して段々遠ざかった。深さは臍のあたりぐらいのところが多い。時々ゴミ取り網に掛かった葦の枝などのゴミを振り投げている。暫くしたら岬を回って見えなくなった。

沼の上を渡る春風は冷たい。沼のほとりはジュクジュクしていた。土手を歩いて大きくて綺麗な蕗の薹を10個ほど取った。袋に入れて荷台に放り込んだ。助手席に戻って座った。弱い日差しが窓から一杯に入っている。車の中は暖かい。眠くなった。うつらうつらした。

程なく浅い夢を見た。せせらぎの側で何かしているような、その音が少し大きく成って眼が覚めた。お父が沼の流し網に掬った植物のクズ混じりのエビを放していた。少しずつ放しては選り分ける。車から降りて見える位置に立った。

放した瞬間に表面に居たエビは外側に向かって泳ぎ出す。手で流し網の中に流れを作ってやる。エビは上流に向かって泳ぐクズは沈み流される。繰り返し行う。掬ったエビをもっとクズを少なくなくするために、もう一つ仕付けた別の流し網に入れる。繰り返す。最後はエビだけに成る。エビを掬って網を張った木枠に薄くエビを撒く。薄茶色の半透明のエビが飛び跳ねる。その網木枠を何段も重ねて木箱に入れる。一番上の網木枠には雪をタップリ入れる。エビは丈夫だ。これで冷たく酸欠にも成らず元気である。

流し網の中に川エビが混じっていた。これは沼エビに比べると格段に大きい。長靴で近づき捕まえる。お父も見つけ次第こちらに寄越す。20匹以上あった。雪を入れた袋に入れた。袋の中で時々ビューンと跳ねる。夜ストーブで焼いて食べる。

道具を片付けて家路に就く。もうカグラカグラしている(夕暮れになる)。風は先ほどに増して冷たくなる。たくさん獲れて良かった。楽しかった。今日は自分の好きなエビのかき揚げかも知れない。お父はお酒を飲むとき、喜んで蕗の薹の天ぷらも食べるかも知れない。自分にとって当時はそれだけであった。お父は何も言わなかったけれど、楽しみばかりではなくお金も欲しかったのだ、自分たちの為に。

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2007年3月28日 (水)

1本5、000円の水

15年かそれより少し前に、大きなペットボトルを数本持って居る人を街で見たときは少し驚いた。買い物袋は近所のスーパーのものだった。近所の人だろうから、自分と同じ水道が引かれているだろうに。身なりもその他普通の感じの、つまり自分とそれほど違わない生活の人が、高い水を買って飲んでいる、「ふーん」。

当時は今よりペットボトルの水はかなり高かった。自分はそんな高価なものを飲むより、コーラかジュースか牛乳を、まあ有り体に言えばカロリーの有るものを飲んだ。お茶の類も買って飲む気はしなかった。

自分は今でも水は水道水を冷やして飲んでいる。お茶の類は淹れてから冷やして飲んでいる。十分美味しい気がする。外出するときは、ペットボトルに詰めて持ってゆく。不足したときは買って飲み、有り難い気はするけれど、特段に美味しい気はしない。水道水にしても作ったお茶も値段の差ほど健康に悪かったり、味が悪かったりするとは思えない。

今自分が住んでいるところの水の値段は、1トン当たり約\135500ml当たりでは\007である。自販機の水は500ml\120程度だろうから、価格差はなんと約1700倍だ。

某選良は1500ml\5000の何とか水を飲むらしい。水道水に比べると約70000倍。全くびっくり。そういう水を1日に4本も飲んじまって、ああなっちゃったのかなあ。説明責任とかで糾弾している方もされている方も、必要がないと言っている方もそうじゃないと言っている方も、飽きないでしっかりやって貰いたいものだと思う。次の選挙までやっていれば、それぞれその本音も少しは分かるだろうし、声高の発言をしない人の考え方も浮き上がってくるだろう。

自分は普段水道水を飲んでいるから、ペットボトルの水は贅沢な気がする。勿論飲みたい方はどんどん飲んで良いけれど、自分としては昔の物品税を少し復活させて奢侈税とか贅沢税とかお金持ち税とかセレブ税とか上品税とか、何かしら支払う人が喜びそうな名前を付けてたっぷり課税をすれば良いと思う。水道水より1700倍とか70000倍も高い水を飲んでいるのだから、担税能力に不足は無いと思う。

現在の地球上の人口は約65億人。ニュースによればその人口のうち7億人は飲み水不足に晒されている。ちょっと生まれた場所が悪いと言うだけで、その地の通常の生活下で飲み水不足というのは気の毒だ。少し助けてあげたいと思う。

「セレブで贅沢好みの恵まれない人たちに優しく寛大で上品な人たちが納めた税金」でそういう人たちがせめて飲み水ぐらいは今より容易に入手出来るように使えば良いと思う。それはそれで別の選良に甘い汁を吸われそうだけれど、それでも自分は喜んで1週間に1本ぐらいは500mlで税込み¥200ぐらいの水を飲もうと思う。本当です。さすがに1\5000の水は飲めないけれど。目の前に有ったら手を合わせて拝みそう。

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2007年3月26日 (月)

パチンコ

もう何年もパチンコに行ったことが無い。もっとも頻繁に行っていたのは145年前だ。朝開店と同時に入って閉店まで居たことも何回も有る。今考えてみると、立派だと思う、何処が?

その前は空腹になればその時点で止めた。食事札を出すなんて、どういう人だろう、と思っていたのに、一日に二回も出して、そのどういう人に成っていた。

パチンコは孤独を楽しんだり癒したり。少なくともパチンコをしているときは、様々なことを暫くの間忘れられる。忘れたからと言って、事態が改善するわけでは無い。ホンの少しの間忘れるだけだ。でもまあ、暫く忘れているとなんかどうでも良くなる事も有る。どうでも良くなっても、通常事態は悪化することは有っても改善はしていないけれど。

パチンコで蔵を建てた人は知らないけれど、パチンコでお店を手放した人は知っている。きっと孤独を愛する人だったのだろうなあ。

その頃スロットを一回だけやってみたことがある。自分でもぎこちないのが分かった。隣に座った青年が、ちょっと良い?と言って、自分のスロットを見ながら押して止めた。3回やって、2回当てた。「こんな感じで」「どんな感じか全く分からなかった」どうも回転の絵柄が見えているらしい。世の中には凄い人も居るものだ。出して貰ったコインを遊んで店を出た。

毎週行っていると、毎週来ている人が多いのに気づく。もっとやることは無いのかねえ、外は天気が良いぜい、と思うが、先方も同じ事を思って居るのだろう。知り合いに成ったりしないで、黙っているのが一番。

パチンコ店では、人の顔は横顔だけ。街中ですれ違っても、正面からなので、どこかで見た顔だなあ、と思ってもパチンコ店で見たのを思い出すまでに時間が掛かる。別に挨拶をするわけでは無いので、困ることも無いけれど。もしお互いに認識しても、黙っているのが一番。

そういえば遙か昔、高校生の頃、パチンコ店で先生に会った事がある。お互いに知らん顔をしていた。勿論学校でも知らん顔をしていた。黙っているのが一番。

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2007年3月22日 (木)

杏の食べ方

近くの野川緑道を散歩した。杏の花が咲いていた。パラパラと咲いて寂しい。幽玄の感。やっと春めいた景色、枝垂れ柳も日ごとに薄い緑が増えてゆく。今の風情がもっとも自分の好みだ。

杏の花のすぐそばには、南向きのベンチが4基。座っている人が居る。横になって休んでいる人が居る。自分たちはその脇をゆっくり歩いて通り過ぎた。

数年前にそこを通り過ぎた初老の一団が有った。20人ほどであった。男女混合で散策のグループのようであった。近くにある早咲きの桜を見つけて、その近辺で昼食をとったようだった。杏の前を通り過ぎたとき、誰かが「サクラ?」確かによく似ている。その年は派手に咲いていた。サクラになりかけたが、誰かが目ざとく名札を見つけて、杏に落ち着いた。ベンチに座っていて聞こえてきて、少しハラハラした。

ここ数年は採る機会に恵まれていない。もう機会は巡って来ない気がする。数年前までは何回か実を採る機会が有った。手が届く範囲にかなり生っていた。採る人は居なかった。上の方に有る杏は熟した。風の吹いた翌朝早く行くことが出来れば、いくつも拾うことが出来た。草の上に転がっているのを拾った。サツキの下に転がり込んだのを拾った。思わぬ遠くに転がったものを拾った。熟した杏を楽しんだ。

自分が育った田舎には杏の木があった。良く食べたものだ。待ちきれなく少し色づいただけで食べた。少し塩を付けて食べるとそれはそれで美味しい。子供の味。そのうち少し力を入れると綺麗に二つに割れる。上の方が薄く赤く日焼けして、全体が黄色く少し弾力が出れば食べ頃。子供にとっては大きく感じた杏。田舎の景色とともに有る味。

当時季節になると杏が店先に出回っていた。こちらで見たのは23度だけである。その度に求めて食べたが、昔の味ではなく、酸っぱいものだった。品種が違っていたのだろうか。がっかりしたけれど、見つければまた買うと思う。

今は熱帯の果物や乾燥地帯の果物も、比較的安価で手に入る。季節が逆な地域から季節違いの果物も沢山来ている。特段意識もしないで買うことも多い。自分が子供の時には、全く考えもしなかった事だ。有り難いことではあるけれど、身近だった果物が無くなった。杏なんか、昔たくさん有ったのにどこへ行ってしまったのだろう。寂しい気がする。

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2007年3月20日 (火)

パンの食べ方

裏通りにある近くのパン屋でパンを買うと、パンの耳を一袋貰う事ができる。時々貰う。良さそうなのは自分が食べる。量が多いので結構食べ応えがある。残りは散歩に行ったときに、小川の鯉に餌として与える。橋の上や岸辺から投げ入れながら、自分もつい少し食べる。

食パンは柔らかいことを強調して売っているものが多いが、自分は好きになれない。あまり食べた気がしない。堅くて充実感のあるパンが好みだ。例えて言えば、ナンを何枚も重ねて上から少し圧縮したようで、ただし表面はテカテカとして何日してもカビが生えずにガンガンと堅くなるようなパン。それを頑丈なナイフで切って食べる。塩分はちょっと強い方が好みだ。

朝食にはパンを食べる事が多い。パンなら寝ぼけていても食べられる。せっかく与えられたのだから、もっと感謝の念を持って食べなさい、誰か説教してくれそうだ。

近くのスーパーで時折くるみパンを買う。比較的堅くてクルミの混ざり具合が適当で気に入っている。オーブントースターで焼いてからナイフで半分に割って中にマーガリン塗りたくってペラペラのハムを挟んで食べることが多い。アンパンも時々食べる。餡が好きなだけなのだけれど。アンパンは大発明と思う。ブラックコーヒーにも良く合う。

良いオッサンが少し鼻水を滲ませて、アトムみたいな寝癖の付いた髪で、アンパンを食べながら、まじめな顔をして、ブラックコーヒーを飲む、まったく漫画だねえ。

子供の頃によく食べた食パンは、今より充実して堅かった。毎朝それを自分で切って自分で焼いて、何かを付けて食べた。バター、アズキ、ジャム、マヨネーズその他。後は牛乳とみそ汁だった。今でもそんな人がいると思う。変な組み合わせと思うけれど、今風に言えばコラボとでも言うのか。

自分は普段から粗食だけれど、週一の粗食の日は夜、堅いパンにマーガリンを塗って、何も挟まないで食べる。マーガリンを塗らない時は一切れのチーズ、飲み物は水。これがすごいご馳走でこれさえも滅多に食べられない人が、きっと世界には相当居るのだろう。

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2007年3月17日 (土)

ススキの野原

ずっと昔、中学生の頃の話。

学校からの帰り道に少し違う道を通ると、広い、とても広い荒れ地が有った。冬は一面の真っ白な雪原になったけれど、秋はススキの野原。

近辺に家は無く誰も通らない。その真ん中辺りに有る小高い所の直径5メートル位のお皿の様な緩い窪地がいつもの場所。

いつも寝ころんで空を見ていた。青空の中、雲がゆっくり流れていれば最高。黙って空を見て過ごす。トンボが群がり飛ぶ。低い風の音が聞こえる。微かに草の音、その辺りをジッと見ているとヤチネズミ、こちらが黙っていれば恐れることなく自由に動き回っている。

未だ夏の息吹が残っていれば、桔梗が咲いている。センブリが花盛り。丈の高い草も茫々と茂っている。

秋が遅くなると、ススキは枯れて敷いて寝ころんでいると暖かみさえ感じる。そんな日は雁がカギで空を行く。先頭から左に2羽、右に10羽、もう冬は近い。

ある日、いつものようにいつもの場所に寝ころんで空を見ていると。白いものがチラチラとフワフワと空を飛んでゆく。良く見ればススキの穂。少しずつ数が増えて、しまいには数限りなく空を覆い尽くして微かな風に流されて飛んでゆく。風が緩むと地面に舞い降りる。黒い学生服の上にたくさんのつくばねの様な枯れた穂が降り落ちる。緩い風は穂をドンドン東の空に運ぶ。

2人で空を見られたらなあ、と思ったけれど、結局何も言わず中学校を卒業してそれ以来会うことも無かった。もうそんなことを思って寝ころんでいたススキの野原ももう無いだろう。前から無かったようにそこにはもう無いだろう。

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2007年3月11日 (日)

オタスケマン

休みの日にボンヤリテレビを見ていたら、ローカルTVが都内の名所を案内していた。最近はご無沙汰しているが、以前に行ったことが有るところが何カ所か有った。その中に六義園が有った。何かフッと頭に浮かんだが、直ぐ忘れて、モヤモヤっとしていたが、映し出された園内を見ている内に何十年ぶりかでその事が思い出された。

六義園は駒込の駅から徒歩数分の所にある。江戸時代に柳沢吉保の下屋敷だった。吉保が設計、造園の指揮もしたことになっている。何年か後に庭園は完成した。造園当時から評判が高かったらしい。今は都立公園である。入って直ぐに大きな枝垂れ桜が有る。もう直ぐ時季を迎える。回遊式築山泉水庭園である。細密に考えが及んで良く作られているが、サッパリさり気なくて自分は気に入っている。もし住んでいても全く見飽きない良い庭園だとおもう。明治以降変遷が有ったが、現代に残った、良い事だ。

吉保は、出世もしたが引き際も立派だった。末節も見事だった。庭も残したし、名も残した。

二十数年前、家内と六義園を散策した。中秋である。未だ紅葉には少し早かった。園内は閑散としていた。ゆっくり散策して、何カ所かでは座って休んだ。茶屋の辺りで池の縁に上がっている亀を見ているとき、遠くで「あっ」という声が聞こえた気がした。藤波橋の方を見ると、リヤカーを引いた小母さんが、脱輪して難儀をしている様子。「オタスケマン只今参上」と叫んでその場に走って駆けつけた。クランクになった石橋の縁からリヤカーの片側の車輪がはみ出していた。直ぐ助け上げて橋を渡った。その時自分は一瞬姿勢を崩して、池に落ちそうに成った。落ちていれば結構面白い事に成っていたと思う、小母さんもかなり困惑しただろうけれど、事無きを得た。

小母さんはリヤカーを引いていてそれには気付かなかった。リヤカーにはお菓子と飲物が積んであった。小母さんは何回もお礼を言った。何時も渡って居るけれどこんな事は初めてだと。自分は来た道を帰り掛けた。家内が後ろから追いついていた。小母さんはリヤカーの中から、ポテトチップスを出して、自分に呉れた。辞退したが、とうとう渡されてしまった。何となく恥ずかしい気がした。子供の時、行商の小母さんに何か手伝ってお菓子を貰ったことが脳裏を過ぎった。

久しぶりでこの事を思い出した。リヤカーの小母さんもこの事を思い出した事が有るに違いない。お互い会ったのは一度きりだけれど。

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2007年3月 9日 (金)

服一枚

デパートに買い物に行くことは殆ど無いけれど、ちょっと立ち寄って催し物を見た。メガネが曇る、少し居ると暑い、コートは脱いで、手に持っているが、それでも暑い。店員は半袖。早々に退散。

先日メガネ屋さんに行った。度を合わせてメガネを注文、思ったほど安くはなかった。店員はワイシャツ、当方は冬の格好、暫くしたら汗が出て来た。ボーとしてきて、早々に退散。

ちょっと野暮用で市役所に行った。1階は良かったけれど、自分が用事のある4階は薄着の人が多かった。暑くてムッとした。みんな親切で解りやすく、比較的簡単に済んだ。用件終了早々に退散。

散歩ついでに洋品店に入った。ろくに見ないで早々に退散、店員は半袖、こっちは防寒着。暑くて居られなかった。その上、雑音の様な音楽がガンガン掛かっていた。

せめて客より服一枚少ないぐらいの気温だと良いのだけれど、シャツ一枚で居るのはあんまりじゃ無いか、今は冬だぜ。

休みの日は近くのスーパーに買い物、食料品、雑貨をゆっくり見ながら買う、少し混んでいるけれど、商品をゆっくり見て、ゆっくり買い物。手袋は脱ぐけれど、毛糸の帽子も被ったまま、防寒着も着たまま。品出しの人は薄着。レジの人は客より服一枚少ないだけ。

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2007年3月 7日 (水)

毎日の電車

毎日見る他の人は何を考えているのか、ちょっと考えることが有る。自分は考えが考えを呼んで、次々とシーンが変わって行くことが度々だ。そう言うときはたまに電車を乗り過ごす。大抵は一駅で我に返って戻って来る。特快の時は、ちょっと距離が長い。自分では少し失敗感があるが、他の人がそんなことに気付く分けも無いので、謹厳実直(?)な感じで電車を降りて戻りの電車に乗る。たまたま同じ所に居た人で同じ事をして同じ電車で戻ったら、「ああどうも」と挨拶をする予定だが、未だ気付いたことは無い。

キョロキョロしていると、やや急ぎ足で降りた人が反対側の電車に乗り換えることが有るが、あれは何でしょうかねえ。自分の様に詰まらない、多分詰まらない考えで頭が一杯になり、忘我となり電車を乗り過ごしたのか。

いつもの電車でいつもの顔ぶれが幾つか有るが、話し掛けた事は無い。ちょっとした声のかけ方でもう少し電車の中も過ごしやすい空間に成りそうな気がする。○のもん○氏がテレビで紹介すれば、きっかけぐらいには成りそうだけれど。

ちょっと詰めて貰い時は、無言でゴリゴリと押す。降りたいときは、ズズっと押して降りる。席をちょっと詰めて貰いたいときもグニュグニュと体を左右に振る。軽い感じで話して、意が伝わればもっと住みやすいが。

まあみんなカボチャとジャガイモで、転がっているだけだと思えば、別にドウって事も無いけれど。でも全員自分以外はカボチャ、ジャガイモというのも、ちょっと寂しい物が有るなあ。かといって、挨拶をするのも今一馴染めるような気がしないし。

まあ止めて貰いたいのは、人の背中を鞄で押して、恐い顔で自分の顔を睨みながら無理矢理、乗る人降りる人。後ろに気配りしたくても、あちらこちら押さえられて、身動きがとれんのですよ、全く。あそれから、小学生が乗っているのに、無神経に押す人とか、降りようとしているのに、声を掛けてあげないとか。年寄りに対しても同じだけれど。

電車の中って色々考えますよね。だから面倒になって黙っているのか知らん。でもまあ臭い息ばっかり掛けないで。もうちょっと声を掛けて、もう少し楽に電車に乗りたい。

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2007年3月 5日 (月)

断り

断りって幾つか意味が有ると思いますが、中々自分でもくどいと思いながら、違う方から、言います。詫びを入れる、見たいな意味では有りません。例:「あいつ遅れて来たのに、何の断りも無いぜ」。又辞退します。謝絶します、でもありません。例:「飲み会誘われたんだけれど、手元不如意で断っちゃった」。

今回は、誤解を招かないため若しくは了承を得るために事前に連絡をすること、と言うことで使っております。解りにくい例:「断りを入れておいた方が良いぜ」。解りやすい例:「何の断りも無く、借用するのは良くないよ」。

電車に乗っていて、たまたま運転席の付いている車輌に乗った。列車の中ごろに有るので運転手は乗っていない。客席側から小窓を通して、運転席が見える。暫くボンヤリ運転席を見ていた。特に面白いことは無い。段々お客が居なくなり空いてきた。自分は小窓の傍で、前の人は居なくなった。小窓に:

「緊急時の連絡や運行状況の確認のために、乗務員が業務用携帯電話を使用する場合があります」との注意書き、則ち断りが有った。

きっと、緊急時(電車運行にとって、普通の人には何でも無いこと)に電話していても、その関係部署や自分が知っている駅にネットで調べた電話番号で、携帯からお節介な○○電が一杯入るんだろうきっと。曰く「運転手が業務中に私用の携帯をしています」。

・・・・影の声:こんな奴に限って年寄りに席を譲ったり、障害者に声を掛けたりしないんだ、まあ八つ当たり。自分のお婆ちゃんだったら、空席を探してやるだろうし、弟だったら、手を引いてエレベーターに一緒に乗るのは、当然の事だろう・・・・

業務連絡も出来ないほど○○電に振り回される事って有るんだろうなあ。ただそんな事をしないで下さい、大々的に言っておけば、益々別な○○が便乗して混乱に輪を掛けるだろうから黙って居るんだろう。断りを小窓に入れておけば、○○電に断りを入れるのもしやすいし、万が一そうであっても後で断りを入れやすい。

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2007年3月 3日 (土)

猫が道を渡る

飼うのなら、犬と猫を比べたら自分は猫派である。犬は獣の匂いがするけれど、猫は成熟した女の匂いがする、勿論冗談だけれど。今は動物を飼える状況にないので、飼っていない。将来2DKの茅葺きの家に住んだら、好き勝手にさせて置いて飼うかも知れない。縁側で日向ぼっこをしながら自分が昼寝をしている横で、猫も昼寝をしている、と言う景色も良い。

昔、子供の頃住んでいた家にはいつも猫が数匹住んでいた。色々かまって慰みものにした。夜自分の布団に入ってくる猫が居て、一緒に寝た。猫を撫でると目を閉じてゴロゴロ喉を鳴らす。こちらも気が落ち着いた。一種の信頼関係。

当時は古い家屋に住んでいて、天井裏をネズミが駆けずり回り、流しの辺りには大きなドブネズミが徘徊していることもあった。家の猫は時々ネズミを捕っていた。食べているのを見たのも再三である。見慣れて居たので嫌な気分は全くしなかった。時々、生きたネズミを猫が慰みものにしていることもあった。最後には食べた気がするが、子供の猫に与えたことも多分あった。

家で飼って居る猫をしつこくかまって、軽く引っ搔かれた事は何度もある。本気で引っ搔かれた事は一度も無い。咬まれたことは勿論一度もない。何かの本で読んだ事だと思うが、猫は生みの親に育てられて、自然に親離れすれば、人間を本気で咬んだり、引っ搔いたりしないものだそうだ。ある種のトレーニングを受けているらしい。勿論酷い肉体的苦痛を与えればその限りではない。これは生物共通の事だと思う。

最近は繁殖家に早い内に、猫格が充分育って独り立ちできる様になる前に、親から離されて、猫の常識を知らない精神的に未発達な猫が売られて居るらしい。小さい猫が円らな瞳でこちらを見ていれば、買いたく(飼いたく)なる人が多いから、又店に展示をしていられる期間が長くなるから、と言う理由らしい。こういう猫は感情が不安定で、平穏な家庭生活を営めない、と言う事だ。双方にとって気の毒である。最悪の場合、家出をしちゃったりする。

猫が車に轢かれるのは、こんな連中が覚悟の自殺、と言うことではない。

家猫は数千年前に人間と一緒に生活するようになった。その間人間も進化してきたけれども、猫も進化してきた。人間の大人は或る程度車のスピードに適応したので、車の直前を横切って轢かれる事はないが、幼児は無知から、車の直前を横断して轢かれることが有る。人間としては適応しているので大人になれば別の理由で轢かれる。

猫は未だ車のスピードについて適応し切れていない。もう何百年か掛かるかも知れない。適応できないかも知れない。もしかしたら、数千年掛かって人間と暮らすことは得策でないことが解り、野生に帰るかも知れない。そうすれば猫を飼うには鎖で繋ぐか、籠に入れて飼わねば成らない。そんなことに成らないように、せめて猫を可愛がって信頼し尊敬して愛想を尽かされないようにしたい。美人だけれどわがままな彼女の様でもあるし、良い男だけれども直ぐ別の女に流し目を呉れるような魅力的な猫を人間の傍に置いておきたい。

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2007年3月 1日 (木)

ふるさと創生

十何年か前の竹下内閣時代にふるさと創生事業と言うことで各市町村に1億円が交付された。違ったっけ?当方には何も交付は無かった、念のため。

当時は色々揶揄されたり、批判されたりしたけれど、こんな買っても居ない宝くじに当たって、頭に血が上って突拍子も無いことにお金を使った自治体もあるだろうけれど、殆どの町はその発展や活性化のために使った。もしかしたら、お医者さんが不足しているところで、町の優秀な子供に奨学金を与えて医者を養成した所も有るかも知れない。もしかしたら、老人の予防医療のための啓蒙活動にお金を使ったところも有るかも知れない。それは多分、リーダーと住民の熟慮が有ったのだろう。

今はもうみんなが冷静なのだから、当時の事業のその後を追跡して発表して貰いたいと思う。地方自治や色々な現象を研究している大学の先生や研究所、暇人などが、又勿論関係の省、多分総務省辺りがこのテーマに取り組んでいるだろうから、ネットで発表して貰いたい、と思っています。もし何か包括的な報告が既に有るのなら、ご存知の方ご教示下さい。

ハードがしっかりしていないとどうにもならないけれどソフトの方が工夫や運用で大きな差が出るのだから、似たような境遇の町を類型化して、あの事業のその後を教えて欲しいと思っています。町の大小関係なく1億円だったのだから、研究テーマとしても、充分堪えるものだと思う。

運不運も有るけれど、よく計画されて身の丈に合った事をした自治体は成果が有っただろうし、そうでないところはきっとそうでない。思わぬ副作用が出たり、事業が失敗したり、前より苦境に陥った所も有るかも知れない。

自分が生まれた町は温泉を掘った。元から温泉町が有ったので、更なる湯量確保のために掘ったと言う意味です。お湯は出ました。お湯の供給量は増えた。そのお陰でお客が増えたかどうかは寡聞にて存じませんけれど。

今だったら道の駅が流行っているから、道の駅や物産館を造るところが多いだろうなあ。今の内閣でも1回ふるさと創生Ph-2として、前回を検証した結果を総括してからやってみればよい気もする。

柄にもなくこんな事を思ったのはたまたま、昔からの友人の竹下さんと数年前に知り合った安部さんと3人で飲みに行って雑談をしている内に「そう言えば昔ふるさと何とか1億円って言うのが有ったよねえ」でした。

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