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2007年3月 3日 (土)

猫が道を渡る

飼うのなら、犬と猫を比べたら自分は猫派である。犬は獣の匂いがするけれど、猫は成熟した女の匂いがする、勿論冗談だけれど。今は動物を飼える状況にないので、飼っていない。将来2DKの茅葺きの家に住んだら、好き勝手にさせて置いて飼うかも知れない。縁側で日向ぼっこをしながら自分が昼寝をしている横で、猫も昼寝をしている、と言う景色も良い。

昔、子供の頃住んでいた家にはいつも猫が数匹住んでいた。色々かまって慰みものにした。夜自分の布団に入ってくる猫が居て、一緒に寝た。猫を撫でると目を閉じてゴロゴロ喉を鳴らす。こちらも気が落ち着いた。一種の信頼関係。

当時は古い家屋に住んでいて、天井裏をネズミが駆けずり回り、流しの辺りには大きなドブネズミが徘徊していることもあった。家の猫は時々ネズミを捕っていた。食べているのを見たのも再三である。見慣れて居たので嫌な気分は全くしなかった。時々、生きたネズミを猫が慰みものにしていることもあった。最後には食べた気がするが、子供の猫に与えたことも多分あった。

家で飼って居る猫をしつこくかまって、軽く引っ搔かれた事は何度もある。本気で引っ搔かれた事は一度も無い。咬まれたことは勿論一度もない。何かの本で読んだ事だと思うが、猫は生みの親に育てられて、自然に親離れすれば、人間を本気で咬んだり、引っ搔いたりしないものだそうだ。ある種のトレーニングを受けているらしい。勿論酷い肉体的苦痛を与えればその限りではない。これは生物共通の事だと思う。

最近は繁殖家に早い内に、猫格が充分育って独り立ちできる様になる前に、親から離されて、猫の常識を知らない精神的に未発達な猫が売られて居るらしい。小さい猫が円らな瞳でこちらを見ていれば、買いたく(飼いたく)なる人が多いから、又店に展示をしていられる期間が長くなるから、と言う理由らしい。こういう猫は感情が不安定で、平穏な家庭生活を営めない、と言う事だ。双方にとって気の毒である。最悪の場合、家出をしちゃったりする。

猫が車に轢かれるのは、こんな連中が覚悟の自殺、と言うことではない。

家猫は数千年前に人間と一緒に生活するようになった。その間人間も進化してきたけれども、猫も進化してきた。人間の大人は或る程度車のスピードに適応したので、車の直前を横切って轢かれる事はないが、幼児は無知から、車の直前を横断して轢かれることが有る。人間としては適応しているので大人になれば別の理由で轢かれる。

猫は未だ車のスピードについて適応し切れていない。もう何百年か掛かるかも知れない。適応できないかも知れない。もしかしたら、数千年掛かって人間と暮らすことは得策でないことが解り、野生に帰るかも知れない。そうすれば猫を飼うには鎖で繋ぐか、籠に入れて飼わねば成らない。そんなことに成らないように、せめて猫を可愛がって信頼し尊敬して愛想を尽かされないようにしたい。美人だけれどわがままな彼女の様でもあるし、良い男だけれども直ぐ別の女に流し目を呉れるような魅力的な猫を人間の傍に置いておきたい。

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