« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月29日 (日)

体内時計

人間の体内時計は一日25.3時間だそうである。日常の一日は24時間である。人間の体内時計が25.3時間というのは種々の実験で判明したが、何故そうなったかは、不分明である。まあそれなりの理由が有るのだろうけれど、哲学的命題になるかも知れない。

通常の一日より1時間以上長いわけだから、人間は毎日時間のストレスを受けている。毎日1時間体内時計を進めなければならない。朝起きたら日光に当たり、睡眠を促進するメラトニンの分泌を停止させると、良いそうだ。そして午後少し眠ると尚良いそうだ。

人によって睡眠時間は2時間以上違う様だけれども、経験則から言っても、長く寝れば日中スッキリ眠くないと言う訳で無い。眠りが浅くなったときに自然に起きて強い朝の日光を浴びれば、体はスッキリするような気がする。

ステレオタイプの中に有る田舎の百姓の生活 ; 鶏のコケコッコーで目が覚めて、顔を洗って朝日を浴びながら野良に出て、畑を耕して昼に弁当を食って、木陰で昼寝して、夕方まで野良稼ぎをして、夕日と共に帰宅して、晩飯を食って、土間で手仕事をしている内に眠くなってくるから、手足を洗って寝る。理想的な地球時間に体内時計を合わせる生活。

体内時計の中枢は脳内の視交叉上核と言うところに有るらしい。その他に各臓器にはそれぞれ、時計の子機と言うべき物が有って、中枢から指令を受けてそれなりに時間を調整しているとのことだ。

自分は比較的睡眠時間が短いけれど、睡眠時間は4~5週間で変動している様だ。6時間より短くても平気な週が暫く続いて、その後6時間半ぐらいは無いと夜眠気が来て通常の活動が出来ない、と言う週が来る。自分なりに25.3時間と24時間のマッチングの問題ではないかと思っている。体内時計の親機は朝起きて子機に約1時間早める指令は出すけれど、親機自身は実は一日に約1時間ずつ24時間の一日からおくれて、20日ぐらい経つと又概ね24時間の1日に同期する。これが二つくっついて、睡眠時間の長短サイクルを形成しているのじゃないかと疑っている。

事務系の仕事をして、日中日にも当たることがなく、夜遅くまで働いて居るのは体内時計に良くなさそうだ。現業系の仕事で朝早くから日に当たって働いて現場で弁当を食って木陰で昼寝して、夕方になったらサッサと仕事を止めて、ビールを飲みながらナイター見て、スポーツ新聞で昨日の野球の結果を再度確認して、夜は早く寝る。体内時計には良さそうだけれど、子供の教育には悪そうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月27日 (金)

エキクロドドキシン

自分は釣りが好きだ。暇そうな友達に電話をして、グダグダ話をしてから、「そう言えば、最近~~が釣れているらしい」とか「~~の堤防で釣ったときは、面白かったね」みたいな搦め手から話題をして、先方が乗り気になったら、暇つぶしの釣りに誘う。

こっちは、友達に電話して何気なく話題が釣りに向かってしまった、と言う格好だが、先方は先刻承知、自分からの電話を確認してから、頭の中は今度の休みは特に約束は無かったっけ。お互い何も言わないけれど。

車で拾って貰い、いざ出発。車の中では話題で盛り上がるときも有るけれど、大抵は殆ど黙り。友達は道路を見ている、自分は景色を見ている事が多い。予定地の近くに行ったら適当に人がいるところで釣り開始。岸壁や岩場で、波を見ながらの釣りは仙人遊び。

冬の岸壁は特に良い。風が無くて日当たりが良ければ、転た寝にもってこいだ。体全体に日の温もりを感じながら少し暖かいコンクリートに寄りかかって釣り。適度に釣れて忙しいのも良いけれど、軽い食事の後に、全く反応がなく、糸を垂れながら、ボンヤリしている内に転た寝するのは気持ちよい。何であんなに気持ちが良いのだろう。太古の記憶が蘇るのだろうか。家でガラス越しに差す日を浴びての転た寝とは格段の差だ。首筋辺りがちょっぴり寒いのが良いのかも知れない。全くこのまま、ここに居たい、このまま泊まってしまいたい、と言う願望に駆られる。

暫くして時合いが来て、まあまあ釣れる。これはこれで楽しい。釣った魚は余程小さく放流以外は全て、食べるのが原則。クサフグも大きいのは、釣り人必携、持参のエキクロドドキシンで、フグ毒のテトラドドキシンを測る。命に別状無し、と出れば喜んで持ち帰る。要注意となれば、友達が持ち帰る。危険と出れば、放流。今まで自分も死んだことが無いけれど、友達も死んだことが無い。エキクロドドキシンの判定は概ね正しいようだ。ひっそりとしか買えないけれど、良い試験紙だ、安心してクサフグが食べられる。

サイコロドドキシンと言う人の心の試験紙は無いが、何かちょっとした事で分かることが多い。しのぶれど色に出でにけり、これは別の話か。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月25日 (水)

裸足の女

10日ほど前、立川駅の中央通路で、裸足の(素足のではない)女を見た。年は20代中盤、ちょっと可愛いらしさが有った。同年代の女性と歩いていた。普通に会話をしている風だった。その人は、化粧なのかどうかは不分明だが、かなり色が黒かった。一瞬すれ違っただけなので特段の記憶は無いが、服装はそんなに強烈では無かった。つまりマサイ族風とかでは無かった。平均値内の今風の20代女性の服装。

その時も今も、何故彼女が裸足だったかは解らない。寡聞にてそんな宗教が有るのを聞いていないし、新しいファッションとも自分には思えないし。なんだったたんだろうか。健康上の理由か?裸足健康法?

家に帰った時どうしているのだろうか。そのまま文字通り土足で上がって暮らしているのか。それとも昔の旅籠の様に洗い桶が用意されていて、そこで足を洗って、拭いてから上がるのだろうか。

顔は落ち着いて居て普通の感じであったけれども、もしかしたら心の中は、たぎって何かが燃え盛っていて、それに取り憑かれて居て靴下をはいて靴を履いてと言う習慣の中に止まっていられないのか、もしそうだとすれば、何が彼女をそうさせた?

道端の犬の糞を踏んだら、その他色々なババッチイ物を踏んだら考えると自分はとても裸足で街中をある気にはなれないが。

昔ある国を旅行していた。デルタの中の海に近い小さな村。小学生がパラパラと下校する風景に出会った事がある。子供達は大部分が裸足であった。小さな鞄を肩から提げていたり手に持っていたりした。たくさんの子が石盤を肩から提げていた。石盤には石筆が紐で繋がれていた。それらがぶつかって時々カラカラと音がした。

ニッパ椰子で屋根を葺いた小さな食堂、壁は無く細い柱だけで見通しの利く店内。自分は食事のためにそこに入っていた。待っている間、がたつく椅子に座ってボンヤリ風景を見ていた。その風景の中に子供達が入ってきた。子供達は屈託の無い感じであった。バチッバチッと音がしてフラッシュバックした気がした。少年達の1人は自分だ。自分は少年だった頃の自分を見ている。こちらを見ている少年は自分だ。何かを大事なことをちょっと思い出した気がした。何か勇気づけられて元気が出た。

立川駅の中央通路で裸足の女とすれ違いざまに、そんなことを思い出した。その女には何か哀れみを感じた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月23日 (月)

ドミノ理論(1)

ドミノ倒しが一頃流行っていた様に思うが、今はどうなっているのだろうか。体育館一杯に広げて、何日も掛かって、途中に何回か失敗して、挫折しそうになる仲間を励まして期日ギリギリに完成する。

そして最初の1個が倒されて、幾つかのルートを経て上手く行けば最後の1個が倒れて歓声が上がって終わり。どうゆう感じかは余り体感出来ないが、完成したときがもっとも充実感が有って、倒れた後は、達成感より虚脱感が有るのでは無いかと思ってしまう。自分には向かない気がしている。何か人生の様で虚しいから?自分はどちらかと言うと、食べ物でも質より量の方だからか?余り関係ないか。

今はもう飽きられて、ドミノは全て倉庫にしまわれたのだろうか。それともドミノを持っている人達はそれでドミノ倒しをして今でも楽しんでいるのだろうか。

ベトナムが共産化すれば、近隣諸国も共産化する、と言うのがドミノ理論の1つだった気がするけれど、30年程前にベトナムは共産化した。でもカンボジアは今でも王国だしラオスは共産主義国が好んで使う“人民民主共和国”になったから、1個だけドミノが倒れたか。最近は人民民主共和国は貧困な国家の代名詞のような気もするけれど。それでもラオスの食糧事情は悪そうではない、感じだけだけれど。

ドミノ理論を唱えてベトナムに介入した人々は、だからそれだけで済んだと言う論理かも知れない。富士山の噴火予知をした人々が、散々人を不安にした後で、自分の祈祷や念力で噴火しないようにしたのだと言うのに似ている。検証の方法は無いので、如何ともし難い。

10数年前に、何か良く理由は飲み込めなかったけれど、ソ連邦が崩壊した。スターリンの銅像がドミノ倒しの様に次々に倒れた。出身地のグルジアでは余り倒れなかったと聞いている。倒れた所も倒れなかった所も、国民若しくは人民の生活が向上したのか低下したのか良く伝わって来なくて解らない。

数年前にイラクではサダム・フセインの銅像がこれ又ドミノ倒しの様に倒れた。盛んにテレビでその後のニュースが有るけれど、どうも前より良くなった感じはしない。クルド人地区の事は、以前も今も解らない。

10年以内にもしかしたら、金日成の銅像がドミノ倒しになるのだろうか。人民の生活は向上するのだろうか。銅像は構わんけれど、人民がドミノ倒しにならないように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月21日 (土)

命がけ

去年の暮れ、床屋からの帰り道、サッパリして少し暮れの風が首筋に冷たい。最後の交差点を渡ると住処は直ぐだ。何気なく交差点を渡った。何かちょっと違和感の有る停車の仕方をしている車が有る。バケットの付いた工事車両。渡ってから見ると信号機の電球を替えていた。

3人一組。

電球を替える信号機のしたに車を移動して、車を運転していた人がバケットに乗る、ムーブが出て車が安定する。操作してバケットが最適位置に動く。信号機の裏蓋を外して、タイミングを見る、電球を替える位置が消灯すると、神業の様に電球を替えて次を待つ、消灯する、これまた神業の様に電球を替える。その間警備担当は、交差点の中に出て車や人の流れをスムーズに行く様に、複雑な動きをして、全員の安全が最大限になるようにしている。彼は青い服を着ていた。もう1人の人は車用の信号機の電球を替えて居る人と同じく赤い服を着ている。彼は車用信号の下に有る歩行者用の信号の電球を替えている。脚立を使って居た。こちらも動きも全く無駄が無い。この3人が交差点の四隅を次々に巡って電球を替えていた。うっとりとして見てしまった。

命がけ。神業、芸術としか思えなかった。230分自分は立って見ていた。その交差点が終わると疾風の様に次の仕事場に移動していった。何か良い物を見た気分で少し気持ちが高揚して住処の有る方へ坂を下って行った。LED信号が増えれば、あんな職人も減ってゆくのだろう。芸術的仕事を見る機会が減って残念だが、危険な仕事が減って良いことだと思う。緊張度も危険度も高いから、少し天候が悪いととても出来る仕事では無いなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月19日 (木)

小学生の蝉の脱け殻

小学生の頃、近くの公園の外れで木を粉砕している人たちが居た。普段は怖くて近づけなかったが、ある時意を決して近づき、指を指して丸太がほしいと言ったら、意外や意外、髭を生やした小父さんがニッコリしてどれがほしい、と聴いてくれた。自分は幹の白っぽい直径30センチぐらいで長さ50センチぐらいの丸太を指した。小父さんは軽く持ち上げて、自分の自転車に積んでくれた。重いから気を付けてゆっくり帰るんだよ、とも言ってくれた。

やっとの思いで家にたどり着き、その丸太を自分の部屋に持ち込んだ。勉強机の左側に板を敷いてその上に置いた。その前には窓が有りその下にはむき出しの壁板が有った。その板には二つの節穴が有った。左右は50センチぐらい離れていた。低い方は床から10センチぐらい、高い方は床から40センチぐらい。高い方の節穴に取っておいた木の枝を橋のように差し渡した。これで舞台は整った。

春先の外は未だ寒い日で有ったけれど、汗をかいた。額がテカテカ光った。満足感で一杯だった。

その夜は嬉しくて中々寝付かれなかった。布団の中でいろいろ想像した。想像はどんどん膨らんでゆく。思わず顔がほころんだ。

夏が来た。もうすぐ夏休みだ。自分には親しい友達はいないけれど、寂しいことなどは全くない。毎日一人で自由に過ごせる。遠くに行くわけでもないし、何かの行事に参加するわけでも無いけれど、毎日わくわくして過ごした。学校から帰ると、近くの公園から入って裏山に行った。毎日うろついて蝉の脱け殻を探す。夏休みが近づいて、1個、2個と取れるようになった。舞台にセットした。夏休みに入ってからは、10個、20個と取れるようになった。毎日舞台にセットした。

宿題は最初の一週間で終わりにした。課題は昆虫採集。トンボ、バッタ、甲虫、チョウ、などを底にコルクを張った菓子箱に入れた。図鑑で調べた名前と採集場所、年月日を昆虫採集注射セットのおまけに付いていた標本票を真似て作った。これで宿題はすべて終わり。

夏休みの中頃に自分だけの舞台が完成した。蝉の脱け殻は500個ぐらい使った。舞台にすべて計画通り配置した。壁板の下の穴からはい出してきた脱け殻は段々その数を増やして、敷いた板に下がり板を伝うに従って幅が広がりワサワサと“音”をたてながら巨大な塔に向かって行進する。すべて塔に群がり壁面を上り塔の上に殺到する。戦ったもの達は疲れて重い足を引きずりながら、一本の橋を渡って、上の節穴へと消えてゆく。ワサワサと蝉の脱け殻が行進する音が今でも聞こえてきそうだ。楽しかった小学校の夏休み。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月17日 (火)

眉毛

自分は床屋という所はあまり好きではない。あの独特な匂いも好きになれない。それでも身嗜みと言う事も有るので、今は二ヶ月に一回ぐらいは近所の床屋へ行く。値段は高くはない。極端に安い事もない。何年も同じ所に行っている。白髪は増えたが面積は半減。料金は従前の通り。

長髪が流行っていた頃は、元々床屋が嫌いなものだから、半年から一年の間に一回位行っていた。当時は長い連中が多かったから、特に不自然でもなかった。今も貧乏だけれど、当時はもっと貧乏だったから、一石二鳥テナグアイ。その後今の床屋に行くように成るまで、暫く自分でやっていた。

面積が減りましたから、10%安くしておきます。とか言われたら、どんな気分だろう。先日は、隣に来たお爺様が、ここら辺をあまり短くしないで~~勿論自由だけれど、かろうじて生えている面積が本来の30%位でそれも産毛のような感じであったから、あまり意味をなさない語のようにしか思えなかったけれど、人はそれぞれだから、良いのでしょう。自分より遅く来たけれど、自分より早く終わった。最後に何か付けますか、と問われて、ムース!と言っていた。こっちは面積は狭いが生えているところにはタップリ有る。あんたは付ける髪の毛はナカンベエヨ。一瞬耳を疑った。惚けているか、この言葉が差別用語で使用禁止なら、認知症をご発症あそばされたか、ブラックユーモアかと思って、鏡越しに見たが、本人も職人の方も泰然自若としていた。自分と同じ料金を払ってそのお爺様は店を出て行った。床屋は技術料で切った髪の量で値段が決まる訳ではないことを実感した。そのお爺様の隣に居たお爺様の髪はまあ人並みだが、眉毛が長く濃かった。いつも通りで、といつも通りの様だったが、眉毛にはお構いなしだった。自分とほとんど同時に店を出たが、眉毛はゲジゲジのままだった。

昔、トンちゃんと呼ばれた好々爺は長い眉毛がトレードマークの様な役割を果たしていた。第一線から引退してもう長い。彼の場合は、あれで良かったと思うけれど、市井の人は、年齢以上に老けて見えるので、それなりに手入れをした方が良いと思う。首から上に生えている毛はみんな手入れしているのに、眉毛だけ自由勝手というのは腑に落ちない。長すぎたら切れば良いし、濃すぎたら梳けばよい。髪の毛とあまり色が違ったらそれはそれで逆染めでもやって貰えば良い。

髪の毛は床屋で小綺麗にしてくれるのだから、眉毛も小綺麗にして貰えばよい。年が行けば長くなるのだから、そのままで良いと言う観念に囚われているのなら、そんな詰まらん考えは止めにすることだ。眉毛もすっきりすれば、もう少し気分が良かろう。湯上がりに糊のきいた浴衣を着たように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月15日 (日)

代理母

いつものように午後の散歩途中で、いつものベンチで一休み。

二十年ほど前に、ある女優が、名前はもう覚えていないが、出産が出来なくて、代理母に生んで貰って、実子認定の裁判か何かで結局だめだったような記憶が有るけれど、それについては、今はもう隔世の感がある。当時は未だ自分が生めないと言うのが前提に有ったようだけれど、今は、体型が崩れるとか、面倒だからとか、実際の理由は何でも良く、自由に代理母を使っている。ボランティアと称する人達が、コーディネーターの仲介で多額の現金を貰って、公然と代理母に成っている。肉親で代理母に成っている人たちもたくさんいる。妊娠してから逃げて自分の子としている人も後を絶たない。今の親子関係は複雑に成った。今の状態は自分のような老人には地獄の沙汰か畜生のなせる技にしか見えない。もう何年もしないで、自分は死ぬけれども、何世代か経過すれば学習してより良い事が、発見されて落ち着くところに落ち着く事を期待したいものだ。

近くの小学校の児童たちがやってきた。近頃の子供たちは自分が現役だった頃よりよっぽど開放的に成っている。何でも開けっぴろげに話をする、ある意味傍若無人である。我々が居ようと居まいと自由に発言して自由に遊んでいる。老人である自分たちは彼らにとって、木や岩などの自然物のように感じられていることも承知してしるが。我々の前に輪になって立ちながら、話を始めた。

「お父さんやお母さんの時代は、単純だったけれど、今は結構大変だよねえ」

「私の生みの親は叔母さんなんだ、最近はお母さんから言われたみたいであまり来なくなったけれど、前はよく家に遊びに来ていた。自分が部屋に居るとき、台所でそんな眼で娘を見ないで、あんたの子供じゃないんだから、と言うのが聞こえて、なんか複雑な気分だった」

「私の友達には生みの親がお祖母ちゃんと言う人がいる。本当のお祖母ちゃん子、聞いた話だと、妊娠しているときお祖父ちゃんはむやみに明るかったり、むやみに暗かったりしたらしい。もう死んじゃったって言っていたけれど」

「僕の生みのお母さんは誰か分からないんだ、自分はインドで生まれたと言っていたから、きっと生みの親はインド人だ」

「私は、姉妹がみんな生みの親が違うのよ。それも誰だか分からない。この間の夜なんか、お母さんが、どうもいまいち愛情が湧かない、とか勝手なことを言っているのが聞こえて来て、がっくり」

何も言わなかった子がここで発言した。「みんなは良いよ、人間だもんな、俺なんか豚から生まれたんだぜ、まるで猪八戒だぜ」

「おおっ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月13日 (金)

アダムの肋骨

子供の時に聞いた話で、妙に説得力があり、本当の事だと思っていたことが有った。それは聖書に、イブはアダムの肋骨から作られたと記述されている、と言うこと。きっと誰かが与太話で作ったものだと思うけれど、長い間信じていた。

その話には、“だから”が付いていた。

だから女子か男子か不分明なのは大部分が女子。だから老女か老男か不分明なのは大部分が老女。何故って女はアダムの肋骨から作られているので、先祖返りをすると、男のように成ってしまう。

妙に説得力が有るでしょう。少なくとも自分には有りました。

時々バスで見る若い人に未だに女子か男子か分からない人がいる。服装でも持ち物でも、どちらとも付かず、見える位置に来ると、ちらっと見てしまうが、未だ不明だ。勿論ドッチでも良いのだけれど、なんかモヤモヤが解消されません。

小母さんで高校球児のような髪型をしている人を見かける事がある。髪型はご本人の自由だけれど、自分は違和感を覚えてしまう。特殊な趣味(?)の人は兎も角、小父さんで女性らしい髪型の人は見たことが無いかも知れない。と言うことはもしかしたら、高校球児頭の小母さんは、何かの魁で何かと戦っているのかも知れない。健闘を祈る、けれどもそうならもう少し肩の力を抜いて、もう少し自然にもしくは外形では無く、内容で戦った方が良いかも知れない、とも思う。自分はそう言う人は苦手だ。

昨日そう言う人が携帯電話で話をしながら、黒い鞄を持って大股で自分を追い抜いて歩いて行った。ついクワバラクワバラ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月11日 (水)

夜の話し合い

夜中にここの所、連続で眼が覚めている。若干寝不足である。オシッコに立つ時も有るが、原因は違う。夜中にヒソヒソ話が聞こえるのだ。押し殺している声では無い。遠慮して小声で話している感じ。自分は比較的眠りが浅いので眼が覚めてしまう。

どうも電化製品が“夜中の話し合い”をしているようだ。泥棒の会合にしろ、徹夜国会にしろ、家族会議にしろ、夜中に話し合うことに良いことは無いようだ。

衆議一致したかどうかは不明。しかし何かしらの結論は出たようだ。先ず湯沸かしが重体に成った。今は小康を得ている風に見えているが、症状が日和見的で危ない。そのうちゴウとか暫く唸ってから、脳みそたる電子制御部がプッツンするだろう。

次にPCが死んだ。突然のご臨終であった。声を掛ける暇も、応急処置をする暇も無かった。HDの記憶はブラックホールに吸い込まれた。

小さい方の冷蔵庫が最近とみにうるさいと思ったら、失禁(?)床に冷凍庫から溶け出した水をタップリ撒いて、ウンともスンとも言わなくなった。勿論全く冷えない。

トースターが、最近あまり熱くならないなあ、思っていたら、ある朝冷たくなっていた。

携帯ラジオも調子が悪いし。

ああ、いろいろ物入りで困る。彼らは夜話し合って順次壊れる事にしたのだろうけれど、何処まで行くのか怖い。お払いでもして貰いたい気分だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 9日 (月)

乗り物

先週の話。

修理されたPCを引き取りに夜家を出た。近道をしてバス通りに出た。後ろを振り返ると、交差点にバスが見えた。走った。自分が一番遠い。バス停の近くに居た数人も走った。バス停には23人待っていた。全員乗り終わって、未だ10メートル。バスはドアを開けて待っていた。

バスの終点である駅前で降りた。歩いてコジ○へ。タワーがでっかい箱で渡された。バスで帰るからと言って、紐掛けして貰った。重いし持ちにくい。店員がカートを貸してくれた。1階にカート置き場が有るから、そこに放置して良いと。

カートを押して、エレベーターに乗り込んだ。開いていて変だなあと思ったら、先客が一人居た。若いいい男系の25歳位の人。服装からすれば土工風。未だどの階も押されていなかった。ちょっと振り返り気味に自分で1階を押した。彼は「アッ済みません」。こちらは笑みを返した。彼は自分の荷物に呆気にとられたのかも知れない。何か考え事をしていたのかも知れない。1階に着いた。彼が開のボタンを押してくれた。「ありがとう」。彼は笑みを返して駐車場の方に歩いていった。

バス停まで時々休みながらでっかい箱を持って歩いた。その日は少し寒い日であった。バス停に着く頃には汗ばんでいた。途中で毛糸の帽子を脱いだ。さっき買ったプリンターのインクが入っているレジ袋に入れた。滲んだ汗を何回か拭いた。

バス停に着くとバスが停車していた。未だ乗り込んでいる人がいた。自分は最後に乗った。でっかい荷物でも乗れる程度の混み具合。途中から座れた。なるべく荷物が邪魔にならないようにした。降りる頃には空いていた。誰にもぶつけることが無かった。

雨が降りそうだった。結局降らなかった。帰りのバスの中で、自分はエレベーター内での出来事を反復していた。一瞬だったけれど、心が通じた気がした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 4日 (水)

オームに応答

何か用事があって電話を掛けるとプッシュ信号で選んで自分が必要な部署にたどり着くと言う方式の応答が有る。中々たどり着けない。たどり着いても電話が混んでいるから、暫く待てとか後でかけ直せとか注文が多い。後でやっても同じで諦めて、別の方法を考える。

その点では、広く店舗を展開している店は人が出るから未だ良い。それでも結局は応答マシンとそれほど違う結果が出るわけでは無い。只サラサラとしていてそれはそれで良い。

どこかに電話して休みとか時間外でテープレコーダーが応答するときがある。ずっと昔は、いかにもテープレコーダーという感じで、すぐに判別が付いたから対処もしやすかった。相手は機械だから、どうせ用件は足らないのだから、愛想もなくすぐに電話を切れば良かった。今は丁寧に話しているようなテープレコーダーがあったり、テープレコーダーのような人間がいたり、対処に戸惑う。結局は自分の用件は達せられないから、人間でもテープレコーダーでもどちらでも一緒だけれど。でも慇懃無礼である人間よりはテープレコーダーの方が未だましだ。生身の人間だと腹が立つ。元は人間だとはいえ、テープレコーダーだと、通常は無機的で腹は立たない。その奥にいる人間にたまに腹が立つけれど。

何年か前に大きな雑貨屋が開店したので見に行った。誰かが「オハヨウ、オハヨウ」。近くに人はいないので黙っていた。ちょっと離れた所がペット売り場だった。綺麗なオームがいた。そいつが喋っている。側まで行って見た。「オハヨウ、ドウシタノ」なんか一瞬心を見透かされたような感じでドキッとした。「いや、別に」と答えそうに成ったけれど、相手は鳥だ。話し相手には成らない。黙ってジッと見ていると、「ドウシタノ、クチガキケナイノ」。一瞬呆気に取られたが、相手は鳥だ。こちらの事が分かって話している訳では無い。

人間でも綺麗でにこやかでお話も豊富だけれど、何か中身が感じられない人がいる。趣味が違うと言うわけでは無い。ある定型的な応答しかしない。暫くすると飽きて話を聞き気にもなれない。勿論まともな話をする気にはなれない。向こうもそうかも知れないけれど。それは兎も角、自分はそう言う人をオームと言っている。自分も時々オームに成っているので、念のため、天狗じゃない、聞こえていても聞いていない、反応しない。ちょっと気をつけようと思っている。綺麗な格好で良いことは言うけれど、白い杖の小父さんに電車の空席を案内しないのは、眼に映っていて見えていない。心のオーム。オームはオームだからそれで良いけれど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 2日 (月)

お見合い

地域によって多少の習慣が違う、と言う事は多いと思う。隣接していれば気づくこともあるだろうけれど、離れていれば、却って気づかないことも多いように思う。儀礼的なことは大抵自分が生まれ育った所の事以外は知る機会もないし、自分の所の習慣が普遍的だと思いがちで特段聴いたりもしないだろうから。

自分が生まれ育った東北の一寒村の見合いも多分他の地方とあまり習慣的には違わないと思う。見合いは第三の場所で行われることもあるし、どちらかの実家で行われることもある。婿入りの場合は女性宅で、嫁入りの場合は男性宅で、行われることが多い。まあついでにその家を見ようと言う事なのだろう。確かに理に適っている。本人たちは未だ若いので他の集落の事やその家の履歴の事についてそれほどの知識は無いけれども、間に立ってくれる人も親たちも近辺の集落の人だったら事前にある程度の知識はあるし、何気なく集めてもそれなりに集まるものだ。

今はもう違うらしいけれど、昔はそれでお話が進んで婚儀と相成ることが多かった。それで互いに幸せで子供が成長しお見合いが有って、運が良ければ、50前後で孫が誕生した。

自分には近所に住んでいる年長の従兄弟が有った。多分10歳ぐらい年長だと思う。自分が中学生の頃はもう立派な大人に見えた。体も大きかったし、社会経験も豊富で、話も面白かった。時々自分の家に遊びに来ていた。夜夕食後自分の父親と雑談お楽しみに来るのである。自分も高校生ぐらいに成ると、側に居る事も有った。ある時、父親が風呂に入って居なくなったときが有った。そのとき彼は、ちょっと面白い説明をした。

「何で、お見合いの時に男には父親がついて行って、女には母親がついて行くか知って居るか」彼がこんな話し方をするときは何か面白い話をするための導入部だと言う事は知っているから、ちょっと期待して「知らない、何で」

もっとも重要なことは将来の離婚率を下げるためだ。いくら愛情と信頼と尊敬が有っても、覚悟が無ければ乗り切れないことだって多くある。見合いの席に相手のオッカアが同席するのは、今は若くて輝くように美人だけれど、まあ頭に血が上った、もっと分かり易く言えば、盛りの付いた若い男だから、女なら誰でも言いと飛びかかる前に、2030年後はこうなるんだ、それに折り合いを付けて行けるか、未来の姿を見せて、覚悟が有るかどうかを試しているのさ。それで覚悟が出来れば、将来も何とかやって行ける。

それで男の方にオットウがついて行くのは女にやっぱり覚悟を付けるためだ、今はビートルズ張りのロングヘアーでも将来、ツルッパゲのムッツリスケベ親父に変身する。今は痩せているしお世辞も上手いが、将来、顔はテカテカしてお腹はブックリ膨れて、仕事はするが一日中全く口も利かないで、夜は酒を飲んで寝るだけ。それで覚悟が出来れば、将来も何とかやって行ける。

父親が風呂から帰って従兄弟は何気ない顔で話題を変えた。妙に覚えている。それっきり質問をしたことも無いけれど、自分を見ていると彼の説明は、ほとんどは事実で有ることが分かる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »