« 命がけ | トップページ | 裸足の女 »

2007年4月23日 (月)

ドミノ理論(1)

ドミノ倒しが一頃流行っていた様に思うが、今はどうなっているのだろうか。体育館一杯に広げて、何日も掛かって、途中に何回か失敗して、挫折しそうになる仲間を励まして期日ギリギリに完成する。

そして最初の1個が倒されて、幾つかのルートを経て上手く行けば最後の1個が倒れて歓声が上がって終わり。どうゆう感じかは余り体感出来ないが、完成したときがもっとも充実感が有って、倒れた後は、達成感より虚脱感が有るのでは無いかと思ってしまう。自分には向かない気がしている。何か人生の様で虚しいから?自分はどちらかと言うと、食べ物でも質より量の方だからか?余り関係ないか。

今はもう飽きられて、ドミノは全て倉庫にしまわれたのだろうか。それともドミノを持っている人達はそれでドミノ倒しをして今でも楽しんでいるのだろうか。

ベトナムが共産化すれば、近隣諸国も共産化する、と言うのがドミノ理論の1つだった気がするけれど、30年程前にベトナムは共産化した。でもカンボジアは今でも王国だしラオスは共産主義国が好んで使う“人民民主共和国”になったから、1個だけドミノが倒れたか。最近は人民民主共和国は貧困な国家の代名詞のような気もするけれど。それでもラオスの食糧事情は悪そうではない、感じだけだけれど。

ドミノ理論を唱えてベトナムに介入した人々は、だからそれだけで済んだと言う論理かも知れない。富士山の噴火予知をした人々が、散々人を不安にした後で、自分の祈祷や念力で噴火しないようにしたのだと言うのに似ている。検証の方法は無いので、如何ともし難い。

10数年前に、何か良く理由は飲み込めなかったけれど、ソ連邦が崩壊した。スターリンの銅像がドミノ倒しの様に次々に倒れた。出身地のグルジアでは余り倒れなかったと聞いている。倒れた所も倒れなかった所も、国民若しくは人民の生活が向上したのか低下したのか良く伝わって来なくて解らない。

数年前にイラクではサダム・フセインの銅像がこれ又ドミノ倒しの様に倒れた。盛んにテレビでその後のニュースが有るけれど、どうも前より良くなった感じはしない。クルド人地区の事は、以前も今も解らない。

10年以内にもしかしたら、金日成の銅像がドミノ倒しになるのだろうか。人民の生活は向上するのだろうか。銅像は構わんけれど、人民がドミノ倒しにならないように。

|

« 命がけ | トップページ | 裸足の女 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/119338/6190486

この記事へのトラックバック一覧です: ドミノ理論(1):

« 命がけ | トップページ | 裸足の女 »