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2007年4月25日 (水)

裸足の女

10日ほど前、立川駅の中央通路で、裸足の(素足のではない)女を見た。年は20代中盤、ちょっと可愛いらしさが有った。同年代の女性と歩いていた。普通に会話をしている風だった。その人は、化粧なのかどうかは不分明だが、かなり色が黒かった。一瞬すれ違っただけなので特段の記憶は無いが、服装はそんなに強烈では無かった。つまりマサイ族風とかでは無かった。平均値内の今風の20代女性の服装。

その時も今も、何故彼女が裸足だったかは解らない。寡聞にてそんな宗教が有るのを聞いていないし、新しいファッションとも自分には思えないし。なんだったたんだろうか。健康上の理由か?裸足健康法?

家に帰った時どうしているのだろうか。そのまま文字通り土足で上がって暮らしているのか。それとも昔の旅籠の様に洗い桶が用意されていて、そこで足を洗って、拭いてから上がるのだろうか。

顔は落ち着いて居て普通の感じであったけれども、もしかしたら心の中は、たぎって何かが燃え盛っていて、それに取り憑かれて居て靴下をはいて靴を履いてと言う習慣の中に止まっていられないのか、もしそうだとすれば、何が彼女をそうさせた?

道端の犬の糞を踏んだら、その他色々なババッチイ物を踏んだら考えると自分はとても裸足で街中をある気にはなれないが。

昔ある国を旅行していた。デルタの中の海に近い小さな村。小学生がパラパラと下校する風景に出会った事がある。子供達は大部分が裸足であった。小さな鞄を肩から提げていたり手に持っていたりした。たくさんの子が石盤を肩から提げていた。石盤には石筆が紐で繋がれていた。それらがぶつかって時々カラカラと音がした。

ニッパ椰子で屋根を葺いた小さな食堂、壁は無く細い柱だけで見通しの利く店内。自分は食事のためにそこに入っていた。待っている間、がたつく椅子に座ってボンヤリ風景を見ていた。その風景の中に子供達が入ってきた。子供達は屈託の無い感じであった。バチッバチッと音がしてフラッシュバックした気がした。少年達の1人は自分だ。自分は少年だった頃の自分を見ている。こちらを見ている少年は自分だ。何かを大事なことをちょっと思い出した気がした。何か勇気づけられて元気が出た。

立川駅の中央通路で裸足の女とすれ違いざまに、そんなことを思い出した。その女には何か哀れみを感じた。

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