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2007年5月30日 (水)

代行サービス

代行サービスが花盛りである。昔「代行」と言えば運転代行業のことしか知らなかった。それも暫く意味が分からなかった。高校生の頃、近所のオジサン、と言っても20代後半ぐらい、当時オジサンに見えた、そのオジサンの話を傍で聞いていて始めて知った。百姓のオジサンは、十分貫禄も有ったし、子供が二人ぐらい居てオジサンぽかった。

「やあ、この前はダイコウだんす」

「最近は便利でええす、歩かなくてええす」

「わしも使うなあ、寒くねえす、次の日車使えるす」

「オッカアは来てくれねえす」

それを聞いていた田舎の高校生の自分は考えた。・・・ダイコウというものが有るらしい。便利なものらしい。歩かなくて良いらしい。使えるものらしい。寒くないらしい。次の日車を使えるらしい。そう言うとき奥さんは来ないらしい・・・全然意味が分からない。ませた友達で時々お兄さんとスナックに(話は逸れるがついでに、当時スナックという意味も分かっていなかった。英語の辞書で調べて、軽食、間食、一口などと出ていて、うーん何だろうと思っただけだ。)行っていると言う友達に、無知なのがばれないように、さり気なく聞いたら、スナックとは簡単なつまみが出てお酒が飲めるところ、ダイコウって、運転代行業のこと。知ってしまえばどうって事も無し。昼は何かの仕事をして夜に運転代行のアルバイトをしていると言う人が結構いたらしい。百姓のオジサンにも居たらしい。

今は色々な代行業がある。実際の境界の線引きは難しい、保育園は子育ての代行か?

自分はガキの頃、お小遣いを貯めて、プラモデルを買って、ゆっくり引き延ばしながら作って楽しんだ。しまいにはあり得ない改造を施した。戦車に羽が生えて砲塔にゴジラの首が付いて後ろには長たらしい尻尾が付いていた。そして赤いペンキを塗って死体に見せかけた各種フィギュアを何人と言うか何匹も引き摺って、庭に作った戦場の様な場所にカブトムシ這わせてそれを轢いて走らせた。自分の戦車は有線誘導だった。

今は材質はプラスティックとは限らないが慣れ親しんだ名前なのでプラモデルと言います。その組み立て代行というものが有るらしい。自分で作るより、ビシバシッと綺麗に出来るから、眺めて楽しむとより楽しめるらしいが、自分とはちょっと趣味が違う気がする。

ネットオークションを代行して貰う。予め欲しいものと値段の上限を言っておいて買えたらお金を払って入手する。物だけが必要だったらそれはそれで良いのだろうけれど、オークションに参加するワクワク感が無くて何か詰まらない気がする。安いものでもそれなりに楽しめるのだがなあ。

まだまだ沢山あるだろうけれど、究極の代行は代理母だろう。自分も嘗て体調不良の父の名代である人の葬式に参列させて貰った事が有る。えらく先方から感謝された。代理父じゃないよね。

子供は欲しいが生むのが嫌だと言う理由で代理母を雇う人が出るだろう。子供をゲットしたら、着せ替え人形にし、子守を付けて家庭教師を付けて、学齢に達したら全寮制の学校に入れて大学を卒業するまで、長期の休みだけ家に帰ってくる。ブランド子供。生むのはどれ位大変か男は結局分からないだろうけれど。育てるって、生きるってそう言うことと違います、多分。

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2007年5月28日 (月)

ダイレクトメール

昔からダイレクトメールは殆ど来ない。忘れ去られているか、それとも普通の人は殆ど来ないものなのかも知れないと思ったりもする。来れば嬉しくはないけれど、ああ誰かの意志が働いたんだと思う。開封して内容を一瞥して、勿論不要だから、折られているのをA4に広げて資源ゴミとして出している。

クレジットカードが大流行したときは、何処で知ったのか、自分の所にも勧誘のダイレクトメールがバラバラと来たことが有ったけれど、それも1~2年の事だった。確かそのころは制度と物価の関係だと思うが香港発と言うのが多いと聞いたことが有る。勿論発送地が香港と言うだけで、中身は日本。

最近来るダイレクトメールは契約している損保会社から。余程儲かるらしく、23ヶ月に1回たっぷり資料を送ってくる。彼らが日本語を十分理解していないはずは無く巧妙に書かれているから、文言をサラッと見ると、ちょっと分かったような錯覚に陥るが、良く見るとイライラっと腹が立ってくる人も居るに違いない。自分はそうだ。

        ~~から大切なお知らせです → 大部分の人に取ってはどうでも良いお知らせ。大事なお知らせがそうそう頻繁に来るのは面妖だ。それも頼んでもいないのに。

        当社保険をご継続いただき、有難うございます → 止める人が多いのかしら。それはともかく、いざという時にはしっかり保険金を払ってよ。その時になると、色々理由を付けて払わない契約が何十万件も有るそうじゃない。

        保険料は改定により値上がりいたします → 自分で決めるのだから、値上げします、だろうけれど、その割りにはソルベンシーマージン比率が高いと言っているし、社員には高給取りが多そうだし、その前にやる事が有るんじゃないの。

        保障の一部は65歳以降半額になります → そう言う保険を勧めておいて今更、割高の追加保険を勧誘するというのは、ちょっと気分が良くない、そうならその時もっと説明して欲しかった。それから“なります”ってちょっと気に入らない。保険会社と関係なく、勝手になるみたいじゃ無いか。昔成増に住んでいたことが有る。ちょっとの期間だったけれど、気に入った街であった。歩いて直ぐ埼玉県に行ける。

        ジョウヒナイシンセイブツ(上皮内新生物) → 始めて聞いたときは、一瞬目がテンなって、後では新しい寄生虫かと思った。業界用語ではなく普通の言葉である早期癌と言ってくれ。もうちょっと進むと悪性新生物と言うらしい。~ヒルズとか~関とか~田町と言う街に住んでいそうだ。癌はいつから新生物になったんだ。癌と言う言葉がおどろおどろしいのなら、悪性腫瘍と言って欲しい、これも結構おどろおどろしいか。でも新生物というと放射線当てたり、強烈な薬を与えたりしちゃいけない様な気もするし保健所と自衛隊が組んでやっつけなければいけない気もする。

        良く見ないと何カ所かに氏名が記入されていて、捨てるにも手間が掛かる

長い間嫌がらせの様に、しぶとく一方的にダイレクトメールがきていたが、最近はそうではない、名前が記入されている所だけ切り取ってその他は全て同封の料金受取人払の封筒に入れて返送している。

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2007年5月26日 (土)

ポスト

市内にはたくさんお化けのQ太郎のような丸いポストが有る。勿論色は赤。テレビでは田舎に行って丸いポストを見つけて「ワー懐かしいー」「四角いのより親しみを感じるー」みたいな話が有るけれど、ちょっと違う気がする。無害で人の良い思い込みをワザワザ毀すことは無いので、ポスト全体に占める丸いポストの割合を公表しなくて良いけれど。

友達に手紙を送るときや、懸賞の葉書を投函するとき、あの金属音のカチャンという音を聞くと、ああ送ったんだ、と言う気になる。自分は丸いポストにA4の書類を突っ込んだ事は無いけれど、折って入れる人も有るのだろう。郵便じゃないものを入れる人もきっと有るだろう。公表するとコピーキャットが出て量が多くなるに違いない。

四角いポストの上に空き缶が有るのを見かけることがある。一日に数回の取集(ポストに書いてある)の時に、清掃されているのだろう。郵便ばかりではなく空き缶も集めている。ご苦労様。

最近はこれは郵便では有りません、と記された『配達物』が有るけれど勿論“郵便受け”に入っている。一般的に認知された名前は何というのだろうか。新しいものが出来ても新しい名前が付くまでは暫く時間が掛かる。ここではユウビンモドキと命名しておきます。

九州の方で「赤ちゃんポスト」が設置されて賛否その他の意見がかまびすしかったけれど、初発は想定外(?)の事であった。その時にテレビに回答した設置者の態度は実に立派であった。反対派は益々べき論を主張して、彼らを追い詰めるだろう、現実を見ながら苦難の道を選んだ心ある勇気の人々の試みを潰しに掛かるだろう。少し「赤ちゃんポスト」の歴史と世界の動向を研究して発言した方が説得力が有ると思うけれど。

赤ちゃんを虐待したり殺したりしないで、捨てて欲しい。子供は親が有っても生けて行けるし、無くても生きて行ける。生きていればきっと何か良いことが有る。

巨大な「老人ポスト」とでも言った方が分かりやすい施設が増殖している。老人の比率が今後暫く増加するに従って施設も増えるだろう。設備が良くて景色も良いところに立地している。有る意味幸せだろうし、仕方の無いことかも知れない。老人となっても可成りの人は最後まで社会に貢献して家族に囲まれて生きてゆきたいと思っているように感じている。隔離されて老人だけの街で生きて、毎日品代わりの行事に参加させられるのは、自分はご免だ。

好きな本を読んで、疑問なことはネットでしつこく調べて、勝手に散歩して、出来れば畑をやって、友人とたまにはサケを飲んで、淡きこと水の如き交わりをする。

その内本当の老人ポストが出来るか?連れて来られる人も有るだろうし、歩いてくる人も有るだろう。ソイレントグリーンにはしないだろうけれど、最後は捕れすぎたイワシのように肥料にされそうで恐い、それはそれで最後のご奉公か、冗談だけれど。

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2007年5月24日 (木)

弐千円札

確か小渕首相の時に決まって発行されたときはもう亡くなっていた。残念なことをした。自分は弐千円札を一目見たときから気に入っていた。最近の札には全て印刷されていた肖像が無く、新しい感じもしたし、全体的にふんわりして上品な感じがして良い。2人で休みの日に外食すると1枚払えばちょっとお釣りが貰えて重宝だった。いつも財布に何枚か入れていたのだが、その内段々回ってこなくなり、最近はもう見たことも無い。寂しい。一体何処へ行ったのか。

使える自動販売機が少ないとか、その他批判的な意見がかなり出されていたようなことはそれなりに感じていたけれど、廃止もしない流通もしないって、学校の虐めに有るシカトみたいで好きになれない。そもそも自動販売機ってそんなに利用しているものなのだろうか。そんな時は千円札だって有るのだからTPOで使い分ければよい。もし札自体に不都合な点が有れば、全体的なデザインはそのままで、改善してゆけば良い。

海外では先進国を含めて2、20という単位の通貨が比較的普遍的に有るようだ。日本では定着しないで、平成の時代には2000円札と言うものが有ったのだよって、お祖父ちゃんが孫に言って聞かせて、「ウッソー」とか言われて、タンスから持ってきて見せてやるのだろうか。何か寂しいものが有るなあ。レジに入れる場所が無いとか、そんな問題も有るのだろうけれど、そう言うものは流通量が増加すれば、解決する問題だと思う。折角作ったのだから、みんなで盛り立てて使えれば良いと思う。

願望も少しちょっぴりたっぷり入っていますが、国会の盲腸、じゃない参議院の選挙の投票率と2000円札普及を一遍で劇的に上げる方法を思い付いたので発表します。

十分事前に宣伝を始めて、参議院議員選挙の当日に投票した後の人にプレミアムを付けて両替をする。人数は先着~~名様として、その投票場に通常来る20~30%位。10,000円で2,000円札6枚つまり一枚当たり400円のプレミアム。どうせ20円で印刷している2000円札だから良いでしょう、そんな問題じゃないか。ともかく日本銀行が責任を持って流通するようにキッカケを作ると言うことです。その日は市中の銀行員の方に休日出勤して頂く。全然当たらない経済予測の日本銀行と利益の有るときは楽しんで潰れそうになると政府が助けてくれる市中の銀行はそれぐらいサービスしても罰は当たらんでしょう。私、銀行に僻みも恨みも全く有りません、本当です、信じてやってください。

例えば1,000万人の人に12,000円ずつ両替して、1,200億円。プレミアムはたったの200億円、昔あった~~振興券の6,000億円だか7,000億円に比べれば微々たるものです。これでも半年後に流通していなかったら、今は時期では無いでしょう。記念紙幣として新たな出発をして、発行残高を激減させれば良いでしょう。残念だけれど。

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2007年5月22日 (火)

半端なお金

いつも使っている財布は立派なものでは無い。ファスナーが二本付いた小型で布製、キーホルダー兼用の財布。財布側の片側に千円札を2~3枚畳んで入れて、その後ろにカットバンを入れて、前の方に小銭を入れて、反対側にパスを入れて、月に23度行くスーパー銭湯の会員券も入れて、免許証も入れて、ついでにお守りも入れている。もう1つのファスナーの方のキーホルダーには、家のカギと自転車置き場のカギと自転車のカギと小さなアーミーナイフ、その割には全然膨らんでいない。前は小銭入れにカギを入れていたが、この財布を見つけて、飛び付いて買った。315円也。

半端なお金って無いけれど、買い物したときにはなるべくきっちり払おうと思っているが、偶々小銭不足で、1002円とかでお釣りがたっぷり来るってちょっと気分が勝れないんだなあ。この時2円って半端なお金に見える。自分が店員だったら、要りませんって言いそうだから、店員になったら怒られそう。

良く100円ショップで買い物をする。家庭で使う細々としたものは大抵ここで間に合っている。105円硬貨ってものがあると良いと思っている。スーパーでは198円って言う値段のものもたくさん売っているので、198円硬貨も有れば良いと思う。又安売りでは998円のものも結構あるようだから、998円札が有れば良いと思う。

そんなお金って半端だから良くないと言われそうだけれど、100円のものを買ったら5円お釣りを貰えば良い、100円ショップで110円払って5円お釣りを貰うのと一緒の気がする。203円のものを買うときは198円硬貨と5円硬貨を渡せばよい。買い物する度ごとに計算に強くなりそうで、頼もしい。是非“半端なお金”を導入して頂きたい。1000円札でちょっとお釣りが来る998円という値段の設定なら、998円札でちょっとお釣りが来る996円の商品が出そうだ。

不合理的で社会に混乱をもたらすと言う立派なご意見がでそうだけれど、1000円札が合理的だって言う理由ってなんだろう。江戸時代なんか金、銀、銭が別個に使われて、それが相場で変動していても、普通の人は普通に暮らしていたらしい。金だけ見ても1両=4分=16朱、銭は金に対して変動していたようだけれど、1両=4000文~6000文、幕末は10000文位だったらしい。今から見ると目眩がするような複雑さ。賢かったのかお馬鹿だったのか。

半端なお金を使う機会しかないけれど、それはそれで気楽なものか?気楽でないお金の使い方もしてみたい気もするけれど。これもやっぱり向いていないかなあ、スーパーで暗算しながら品物を籠に入れているようじゃ。

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2007年5月20日 (日)

テレビの時間

新宿から出る幾つかの私鉄の時刻表はとても分かりやすい。例えば00 20 40分の時は特急が出発し、後何分かずれて準特急が出発し、以下急行、快速、各停などが整然と組まれている。ラッシュアワーや早朝深夜は違うけれどもとても分かりやすい。

30年ほど前に新宿から出る或る私鉄の沿線に住んでいた。多摩川を越えて直ぐの駅。自分が住んでいた駅は特急が止まる駅だった。今でも基本的な時刻表は変わっていない。駅で時刻表を見ると、当時の事がチラチラ思い出される。

自分はテレビを余り見ないけれど、気に入った番組は有る。NHKUHFの番組は殆ど正時に組まれているが、それ以外の放送局は555658分とかに始まる番組が結構ある。特にゴールデンアワーという時間に多いようだ。土日は午前中にも幾つか有る。視聴率を上げるための方策なのだろうけれど、効果は有るのか知らん。もっと分かりやすくすれば良いと思う。その時間帯にチャンネルをパラパラしたときにコマーシャルではなく番組が有れば、視聴率が少しは高くなるのかも知れないけれど、分かりにくくて逆効果の様な気もして心配してしまう。

プロ野球が行われて居る時間は、どの局も野球を中継しているというのは或る意味、当然だししょうがないけれども、同じ時間帯に似たような番組をぶつけ合って選択の余地を狭めるのは、視聴率を上げる意味でも逆効果な気がする。テレビを長く見る人はどれか見てくれるだろうけれど、自分の様な者はそんな時は得てしてテレビを消してしまう。

ニュースや天気予報だけの局、演芸やその類だけの局、ドラマや映画だけの局と言う訳には、今の無償の放送はいかないだろうけれど、もう少し工夫の余地が有りそうな気がする。自分は比較的一般的な(?)労働時間だけれど、前や後ろに働いている人達も相当数いるだろうから、もう少し意識すれば、番組の順序を変えるだけでもう少し視聴率が上がるかも知れない、と言っては見たものの、もう頭脳明晰な人々は考え終わっているかも知れないなあ。

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2007年5月18日 (金)

シルバーシート

仕事が終わって、バスに乗って15分。夕日に照らされて眩しい。その日は疲れていた。駅の長ったらしい階段、やっぱりいつも通り二段ずつ上がって駅のコンコース。コンコースって事の事もないけれど。自動改札に定期券を入れたらブーッと言った。今日は機嫌が悪いか。取って見たらバスカード。本当の定期券を入れたら黙っていた。

駅のホームでボンヤリ立っていた。暫くしたらいつもの電車が来た。いつもの場所からいつもの車輌に乗る。その日は混んでいなかった。席が1つ空いていた。滅多にないこと。その席に座った。電車に乗っている時間は、本の10分程なので、特段座りたいと思うこともないけれど、その日は疲れていたから、何か嬉しくて座ってしまった。

隣の駅からお婆さんが、大勢乗り込んできた、みんな声を掛けて、傍の人は手を引いて、それぞれお婆さんに自分の席を譲った。声は小さく柔らかくその顔は母を見るような優しい目。次の駅からは松葉杖を使っている人と、小さな子供連れのお母さん、妊婦が大勢乗り込んできた。みんな声を掛けて、手助けして松葉杖の人、小さな子供連れの人、妊婦に座って貰った。声は小さく柔らかく優しさに満ちていた。

ハッとして目が覚めたら自分が降りる駅だった。夢の中の電車には特段のシルバーシートは無かった。全ての座席はシルバーシートだった。

現実はそれに近づいて来ているのだろうけれど、その席なら安心できて負担にならないと言う人も居るので、あのままなのだろう、きっと。

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2007年5月16日 (水)

同期の結末

マレーシアのマングローブの中にある一本の木で、無数のホタルが最初はバラバラに明滅している。それが段々揃って行って、最後には完全に同期して明滅する様子を見たことが有る。誠に不思議な現象だ。どんな理由か、どんなメカニズムが働いているのかは、科学者が解説している通りだろう。このほかにも、色々な事が同期する瞬間って有ると思う。余り小さくて気付かれないことも有るだろうし、余り大きくて気付かれないことも有ると思う。

数人で歩いていると、身長の差が有るのに、歩幅と速さが同期して分列行進のようになる事が有る。無謀な戦争に突入するのは、数多くの人が、頭に血が上って同期して、しちゃならない決定をして始めてしまうのだろう。

同期するとか共鳴、共振するとかは、科学的に研究されているけれど、宇宙の根本的な何かが絡んでいるような香がする。

2007年4月13日金曜日、日中は良く晴れてその季節としては暑いぐらいであった。日が陰ってからは気温も徐々に下がり、夜の錦糸町駅4番線ホームは風が通り抜け寒いぐらいであった。数分に一本ずつ15両編成の長い電車は入線して、各ドアに10位並んでいる人達を乗せては出発して行った。同僚や知り合いと乗り込むと言うこともなく、乗客は静かに黙って並んでは黙って乗り込んでゆく。車内はパラパラと立っている人がいる程度でもうそんなに混んではいなかった。窓際の席で、ピーナッツを食べながらビールを飲んでいる客も有る。

21時45分発君津行きの電車がホームを出た。次の電車は21時55分発の佐倉行きで10分間の待ち時間が有る。少しずつホームに人が上がってきた。他の電車より待ち時間が長い分だけ待つ人の列は少し長い。新聞や本を読んでいる人、イヤホンでラジオや音楽を聴いている人、携帯電話でメールをしている人。先頭から3両目の1番前よりのドアの前にも他と同じように人は並んでいたが、何かしている人は一人も居なかった。全員所在なげにボンヤリ前を見て電車を待っていた。暫くして並んでいる人全部がゆっくり同期して揺れていた。

佐倉行きの電車が入線してきた。電車が停止してその集団が乗り込もうとしたときに、隣の列の1番後ろに並んでいた中年の男性がちょっと列を乱してさり気なく1番前に来て、乗り込んでしまった。ゆっくり同期して揺れていた集団に緊張が走り、ピクリと動いた。割り込んだ男性は何気ないふうで歩いて、偶々1人が降りて空いた席に座った。少し笑みが顔に現れたが、直ぐ目を瞑った。揺れた集団はその男性に近づいて、最初の1人が肩をグイと押した。中年の男性は目を剥いてその人を睨んだ。その瞬間、揺れた集団は無言で表情は先ほどと変わらず特段の表情はなかったが、勝手に手足が動いているふうで、又1つの生き物の様に動いて、その中年男性の上着を掴んで席から引っ張り出した。その生き物は男性を飲み込むように囲んで、殴ったり蹴ったり踏みつけたりした。男性は恐怖に駆られて目を大きく見開いていたが、口を開けたまま、全く声を発する事も出来なかった。男性は段々ドア側に連れて行かれた。その間にあちらこちら殴られたり蹴られたりした。鼻血がダラダラと出た。目の周りは真っ黒に腫れ、瞼は切れ血が流れ落ちた。髪の毛は数百本抜かれた。脛や膝も散々蹴られて立っているのもやっとだった。電車のドアが閉まる直前に男性はホームに転がされた。その生き物はサーッと離ればなれになり、それぞれの乗客として電車に留まった。その間約10秒。電車が出発した後、その男性はこれは悪夢だと思いながら、蠢いて横たわっていた。

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2007年5月14日 (月)

ドミノ理論(2)

去年、埼玉のプールの排水口に子供が吸い込まれて亡くなった。誠に痛ましい事故で有った。後で分かったことだが、格子蓋が外れているのを確認しながら、プールから人を上げるとか、吸い込みポンプを停止させるとかの処置はしていなかったらしい。後からドンドン出て来た事実に因ると、格子が二重になっていないところとか、壊れているのに応急処置が恒久処置の様な扱いになっていたりした所が続々判明した。

事故が有ってから、プールを休止する自治体が続出した。重大事故には至らなかったけれど、軽微な事故はその何十倍も起こっていただろうしヒヤリハットはその何倍も起きていたに違いない。重大事故の報に接して、事実を見直して本質的な改善をした所が多かったと信じるが、もう忘れて、と言うより学習効果が全く発揮されず、去年の事故以前の状態で、夏が来ませんように。

考え方はとっても簡単だと思う。自分の可愛い子供が自分の家のプールで遊ぶ。しっかり安全な所だけれど、親は一瞬も目を離さない、それだけの事。

大阪のローラーコスターで、重大事故が発生した。誠に気の毒である。ローラーコスターは一種の怖さを楽しむのだけれど、基本的な安全は確保されていると信じているから、楽しめるのです。これもプールと同じで、ドミノ理論じゃないけれど、休止している施設が多分続出しているだろう。中には万全の検査をして自信が有るが、哀悼の意を表して遠慮しているところも有るだろう。この一件の重大事故が発生するまでに軽微な事故はやはり数十倍起きて、その又何倍ものヒヤリハットが起きているに違いない。

もっとも危なそうなローラーコスターの管理態勢がこうだと、観覧車に置き去りにされている人は相当数居そうに思える。今は数人乗っていれば、少なくとも1人ぐらいは携帯電話を持っているだろうから、外部に連絡が付いて、悲惨な事にはなりにくいだろうけれど。

北陸か何処かの原子力発電所で、原子炉の制御棒に関する事故が発生した、と言うニュースが有ったけれど、よく調べたら、類似事故や別の報告すべき事故が長期間各所で隠蔽されていたらしい。まさかチェリノブイリやスリーマイルアイランドで起きた様な事故が続発すると言うことはないと希望しますけれど、危ない気がする。

日本ではステンレス製のバケツで作業させられて亡くなった人が有ったけれど、誠に気の毒で言葉もない。

事故は発生するものだけれど、小さいことを隠さないで、しっかり考えた方が良いと思う。

小さいドミノでも連続して倒れていって段々大きくなって、巨大な原子炉がチャイナシンドローム。おお恐っ。

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2007年5月12日 (土)

PC不調故障

今使っているデスクトップのPC4年ほど前にHDが壊れた。後で思えば確かにその1ヶ月程まえから何と無く違和感はあった。壊れる1週間ぐらい前からはそれにもまして調子が悪かった。いくら安物のPCとはいえ、そもそもHDが壊れるとは想像していないわけだから、そのときは特段気にも留めていなかった。PCがちょっと不安定だなとちらっと思っただけであった。

使っているときに限界を突破して壊れた。ワードが動かなくなった。そしてシャットダウンが出来なくなった。無限循環に陥ってしまった。買って1年以内だったので、無償修理で直して貰ったが、HDにしまってあったデータは全て無くなった。力が抜けた。日々のメモ、金銭出納、住所録など自分にとって大切な物が全て、ブラックホールに吸われてしまった。買ったお店でHDの回復を紹介してくれれば、金額にも因るが、もしかしたら依頼したかも知れない。

23週間して戻ってきた。PCは真っ新。他人の様な気がした。勿論メールの履歴も全てブラックホールに飲み込まれていた。住所もイーメイルアドレスもPCのみにあった人は、先方から連絡があるまでは、永遠にさようならである。近くの人とは偶然に会うと言うこともあるだろうけれど、遠くの人とは無理である。心の中で思い出すのみ。

暫く平穏に使っていたが、数ヶ月前に再度壊れた。今度はスイッチである。ONにならない。勿論何度やっても同じ。前回はOFFにならなかったけれど。5年の保証期間以内であったが、担保されていたのは、ほんの雀の涙。全く足しにはならなかった。皆さんもご注意下さい。自分で持ち込んで回収して、それも精神的に疲れた。

HDは、損傷を受けていなかった。別置きのHDDに時々、データを保存しているので、前回ほど焦らなかった。皆さんこまめにバックアップをしておきましょう。

重いタワーをバスで持ち帰り繋いだ。当たり前だけれど普通に使えた。でも出費も大きかったし、保証期間なのに、殆ど全額払ったし、配達もないし、やっぱりグッタリ疲れた。せめて保証期間中なら回収配達は無償でやって欲しい。

何と1週間ほど使ったら、又壊れた。又スイッチがONにならなくなった。仰々しい修理報告書が添付されていたし、エイジングも4時間もやったと記入されていたが、1週間で壊れるって、あんた一体何をやったのさ。前の修理は3週間近く掛かったが、今回は引き取り再配達を含めて、約1週間、じゃ前回は何故あんなに長期間掛かったのけ?

勿論無償だけれど、普通の社会生活だったら菓子折ぐらい持って来るぜ。世の中は不思議な事に満ちているけれど、人間のせいの事も多そうだ。

1回目のスイッチの故障前後から、無線ルーターの調子が悪かった。日和見的に繋がったり繋がらなかったりした。再設定をしたり修復をしたりしたが不調だった。そうこうしている内に、デスクトップのインターネットへの接続が出来なくなった。無線ルーターを外して直結すると復活した。何回も取っ替え引っ替え実験していると、無線ルーターが壊れたように思えたので、修理に出そうとした矢先にPCが壊れてしまった。もしかしたらPC側に問題があるのでは、と一縷の望みを託して修理に出さず、タワーが戻るまで保管しておいた。戻って来て繋いだがやっぱり駄目だった。無線ルーターは壊れているのだろう。それ程高い物ではないので修理代が本体の価格を超えそうで、そこら辺を店の人と話をして、金額条件付きで修理に出した。未だ連絡もないし戻ってもこない。どうなっているのだろうか。因って家のPCは未だ完全復活したわけではない。

今度買うときはもう少し信頼性が高いと言われるメーカーのものを買いたいと思う。お店も替えるかも知れない。ちょっと応対の質が低下しているように思った。

今テレビが見られたり画面の質が良くなったりして高価なPCが出回っている。それはそれで良いけれど、インターネットのみのPCが安価で普及すれば良いと思う。あと慶弔季節の挨拶が書ける簡単な文書作成ソフトが付いた物。それとももうあるのかな。大抵の物が進化して複雑高価になるけれど、基本に忠実で単純安価に進む物も有って良いと思う。PC、携帯に限らず。

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2007年5月10日 (木)

駅前の吸い殻入れ

その駅の南口は、時々利用している。乗降客は比較的少ない。南口はロータリーになっている、ロータリーに吸い殻入れは無かった。歩行者通路の東側に小さな丸い池が在り、その縁に座る事が出来る。自分が通るときは大抵45人座っており、その内半分ぐらいはタバコを吸っていた。携帯灰皿を持っている人も多いが、その丸い縁の周りには踏みつけられた吸い殻が散乱していた。駅に入る前に歩きながら吸ってきたタバコを靴でもみ消して、駅のコンコース入ってゆく人もいる。

この間、休みが終わって久しぶりにその駅の南口を通ったら、歩行者通路の端に大きな吸い殻入れが二個並んで設置されていた。吸い殻入れの無い駅近辺ではタバコを吸わないで下さい、と言う呪文があったのだろうけれど、呪文の効果が無い人が多く、街が吸い殻で汚れるので、せめて吸い殻は吸い殻入れに入れてください、と言うお願いになったのだろう。路上の吸い殻が減るのか、それとも増えるのか。その吸い殻入れは苦渋の決断だったのだろう。

立川の駅前にはコンコースの後に、吸い殻入れが有った。撤去されて今はない。北口には花壇が沢山あり、その縁に腰を掛けることが出来る。その周りには吸い殻が散乱している。立川駅前の吸い殻入れは復活するのだろうか、それとも無いこのままの状態が続くのだろうか。

吸い殻入れが無ければ、タバコを吸う人は少ないだろうけれど、路上は吸い殻が散乱する。有れば路上の散乱は減るような気がするが、タバコを吸いながら歩く人や、縁に腰掛けて吸う人は、多分増えるだろう。

雨上がりの水たまりには吸い殻がたくさん捨てられている。悪いものを見たような気分になる。タバコは人生の小さな楽しみの1つだろうから、1人で部屋に居るとき、存分に楽しめば良いと思う。人混みで他人に危害を及ぼす危険性を犯してまで吸うものではない。

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2007年5月 8日 (火)

袖口ボロボロ

自分は特に節約家では無いけれど、地味に暮らしている。食べ物を粗末にしないように、着る物も粗末にしない。良く洗濯して着ていれば、結構長持ちする物だ。綿のトレーナーなどは、切れると言うことが殆ど無いから、かなり長い間着ていることに成る。それでももう着られないなあ、と思うときが来て、似たような新しい物を買ったときに格下げして、大掃除の時に雑巾にして使い、洗ってから資源ゴミで出している。後は季節の変わり目に、何年も出し入れするばかりで、着なくなった物に目が行き、ジッと見て捨てることも有る。

着る物にも食べ物にも特に頓着しないけれど、出来れば標準偏差内で有りたいと思っている。

1年ほど前にいつも履いていたジーンズのお尻の辺りが破れた。薄くなって疲れ切って破れた。体にぴったりしていたが、やむを得ず捨てた。破れたのが、膝でもそのちょっと上でも、直ぐ捨てただろう。自分は敗れたジーンズをはいて街を歩く気は無い。時々腿から膝に賭けて、何カ所も破れたジーンズを履いている人を見かけるけれども、未だに見慣れない。冬は寒くもあるだろうし。もしかしたら、自分が買うジーンズよりよっぽど高価なのかも知れないが、自分が履いたらもう殆ど、尾羽うち枯らした冴えないオッサン状態。

少し前に電車の中で、目の前に居た若い女性のトレーナーの袖口はボロボロだった。片方はその上破れていた。自分は勿論全く驚いた表情を出さなかったけれど、ワザワザやるこっちゃ無いと思う。高価なものでも、自分には効果無し。彼女が自分でやったのならお暇なことで。仲間内ではファッション談義が盛り上がるのだろうけれど、ちょっと違う気がする。私の勝手でしょ、と言われそうで面倒くさいけれど、何かもっと先にやることが有るような気がする。

物を大切にして、袖口がボロボロになるまで着るのは、立派だけれど、出来ればその上から何かを着て、外には出さない方が、良いと思う。ファッションでボロボロのトレーナーを着ているのも、外見上は一緒だが、経緯が違うから、隠しはしないのだろうなあ、当たり前かファッションだから。結果が同じだったら同じよと、ねじ込まれそうだが、物を大切にするのと(貧乏でもあるかも知れないけれど)ファッションでそれをするのとは、大きな違いだろう。

分かろうとする気の無い人に、説明するほど元気も無いし、億劫だからなるべく地味にしているけれど、それ違うんじゃないの、みたいなことに遭って、口がパクパクする事が有る、俺は酸欠の金魚か!と思いながら、無害ならば、シラーとして街を歩いている自分。

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2007年5月 6日 (日)

犬便所

先の統一地方選挙でユニークな政策を掲げる町長候補者が当選した町が有った。

その町は地方都市のベッドタウンとして急速に発展した。町には~~シティと言うショッピングモールが出来た。人口の8割はこの10年間で移り住んだ人々で占められている。大部分の人々は都市の集合住宅から、戸建ての家に移り住んだ。核家族と3世代家族の割合はほぼ拮抗している。

開発された住宅地は緩やかな南斜面に面していて、放射状に住宅が広がっている。町内に点在した集落にも小規模開発地が段々増えてその町は、今ほぼ飽和状態となっている。旧来からの住民は農業や林業を営んでいる者が多い。それにどんな町にも有る工務店や商店が有るばかり。今は高齢化が進み、全体的には発言力が低下して、静かに暮らしている人々が多い。新住民の方が圧倒的に多く旧住民との軋轢は発生し得なくなった。

新住民は、犬猫などのペットを飼って居る人が多い。朝晩は広い歩道や点在する小公園でペットを介して立ち話をする人達がここそこに見える。犬の糞を片付ける人も多いが、初期に移り住んだ人達は、形式だけの人も多い。当時は農村の中に移住者の家屋が点在していたので、そのままにしていた事が多かった。

新住民同士で、ペットの飼い方について水面下で長い論争が有った。それで折衷案とも言うべき解決策が出て来た。小公園にペットの糞を捨てる専用のゴミ箱を設置して町が処理すると言うもの。名前は公募で決まり『ドッギー』。この施策は新住民の中から出て来た1人の町議会議員の主導で実行され長い間行われていたが、段々意識は低下して行儀が悪くなり、ドッギーの有る小公園のみならず町は犬の糞だらけになってしまった。近隣の町からは犬糞町と陰口を叩かれるようになった。犬糞専用のゴミ箱は糞ばかりでは無く、犬猫の毛、生ゴミ、生まれたての子猫、小犬、各種ペットの死骸などで溢れた。お母さんのお子供に対する脅し文句は、「ドッギーに連れて行くわよ」。どんな駄々をこねる子供もこの一言で顔が引きつって泣きやんだ。姑との抗争のあるお宅では、嫁の気休めは、姑をドッギーに捨てる幻想。

そうこうしている内に先の地方選挙、ドッギーを推進していた町議が町長選挙に立候補した。政策は小公園を中心に町内に20個の犬用の公衆便所を作ること。便所には自動水洗装置装備。毎日朝夕2回巡回して、指定道路の犬糞を町で片付けること。そして犬糞町の汚名を雪ぐ事。

選挙戦は熾烈を極めた。反対派も汚名を雪ぐことには賛成したが、犬便所、清掃など町政の問題ではなく、住民の意識の問題であり、予算を使うべき政策は福祉や教育など山積していると、訴えた。ドッギー派と反ドッギーに、町の輿論は二分された。ドッギー派は、「現実的な」政策に協力を求めた。反ドッギー派は「良識的な」政策に協力を求めた。

選挙結果、僅差でドッギー派の勝利。その町には間もなく犬の便所が建設される。

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2007年5月 1日 (火)

うっかり失効

自分は20数年前にうっかり失効で運転免許証を失効させてしまったことが有る。未だ3ヶ月位だったので、通常より少し高い手数料を払って更新が出来た。それで自動二輪と普通免許が免許証上では同一日に取ったことになってしまっている。何か釈然としない。

失効したのは自分の責任だけれど、更新してくれたのなら、本来取った年月日を従来通り記載していても特段の不都合はないと思うが、実際はそうではない。どんな理由からかも説明はなかったけれども、そのせいで、もういつ取ったのかハッキリしない。自分のうっかりは棚に上げて、公安委員会は、、、等と思っている。

余り運転もしないし、普通のドライバーなので、ゴールド免許の制度が出来てから、ずっと、ゴールド免許である。巷間幾つかの都市伝説が有り、軽い違反なら見逃してくれる見たいな、実際はどうなのだろうか、多分駄目だろうなあ。きっと何の斟酌も無いだろうきっと。5年に1回の更新時には、確かに簡単で結構なことだけれど。

今は最寄りの警察署で免許の更新が出来るのだから、便利で良いよ、と言う方が居るけれど、自分は最寄りの警察署より運転免許試験場の方が近いから、警察で更新したことはない。だから特に便利と言うことも勿論無い、せいぜい5年に1回の事だから、なんと言うこともない。神社の近くに住んでいる人が、初詣便利で良いよ、と言わない様に。でもまあ有名な神社の近くに住んでいる人は、初詣の時は結構鬱陶しいだろうなあ。

自分の出身の県は免許証のうっかり失効率が全国で一番低い。周りの県も低くて、全国で1,2,3番。ついでに自殺率も全国で1,2,3番。こうなると失効しない率と自殺率は何か元が1つの様な気がしてくる。我が出身県は自殺率不動の1番、とでも言うべきか。10何年か前に、1回だけ2番に落ちた?のを除けば20年以上1番だ。なんてこった。表面上の調査分析ばかりではなく、何か根本的なことが解決されていないようだから、時間を掛けて知恵を出して、少しは改善していって貰いたいものだと思う。ふるさとは遠きに在りて思うもの。死人に口なしだけれど、もう少し何とか。何かどんよりした。

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