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2007年6月30日 (土)

箍(たが)

田舎で小学校に通っていた頃、通学路に桶屋があった。戻りに道路に立って仕事場兼店先をボンヤリ見ていた事が何回か有る。職人も気にする風ではなかった。鉋屑がそこら中に散らかっていた。工具が壁に一杯掛かっていた。職人の手元にも幾つかが転がっていた。狭かった。木の匂いがした。

当時は何処の家も塩物を沢山漬けていた。山菜やら野菜、茸。秋までに沢山漬けて、冬の間はそれをきだしして(水に晒して塩分を抜く)食べた。ナスやキュウリは特に美味しかった。味噌や漬物も自家製で家の裏に有る小屋には木製の樽や桶が幾つもあった。きっとその職人の手になる物を使っていたのだろうと思う。

古くなると箍が緩んで、水漏れがする、容器として使い物にならなくなる。物に因っては修理をして使ったのだと思う。小屋の片隅には打ち棄てられた壊れた桶や樽の残骸が残って埃を被っていた。

小学校の高学年か中学生に成った頃から合成樹脂の大きな容器が安価で出回りだした。自分の田舎では木製の樽や桶の類は急速に減少した。自家製の発酵食品も塩漬け食品も急速に減少した、残念な事だ。作る量も格段に減った。一家族の人数が減ったことにも因るが、要するに時代が変わった。変わっていった頃は、ドンドン良くなって行っていた気がしたが、今考えるとそうでもない気がしている。得たものも多いが、失ったものも多い。桶屋も彼の代で店を閉めた。

その内、箍が緩む、箍を締める、箍を外すとか言う言葉も廃れて行くだろう。でも箍が緩んだような事件が減る事は無く益々増えるであろう。残念だけれど。失ったものが効いてきたのだろう。

ちょっとだけ上げてみると、誰が納めたのか分からなくなった年金の件数が5000万件もある~~保険庁。でたらめな食品会社、お菓子屋さん、車軸が折れるコースター、プールの蓋もしていない各種施設、爆発してしまう温泉施設。

自分の保険金、自分が食べるもの、自分の子供が乗る遊具、自分の子供が泳ぐところ、自分が入るお風呂、と思えば、簡単な事だと思う。その場が良ければよいと言うものでは無い。

自分も知らずに何かをやっているかも知れない、やるべき事をしていないかも知れないと言う一抹の不安を感じる。

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2007年6月28日 (木)

サマーセーター

中学生の頃、母がサマーセーターを買ってくれた。当時はいつもそうだったけれど、一緒に行って買って貰うわけではなく、何でもない日に買ってきて突然貰う事が多かった。ハッキリは覚えていないけれど1年に1回ぐらいの事だった。

一目見て気に入った。白っぽい半袖のサマーセーター。普段着よりずっと高級な気がした。少し良いところのお坊ちゃんとまでは行かないが、何となく少し前に流行った言葉で言えば、ちょっぴりセレブって感じ。

汚れるのは嫌だった。いつも着るのは勿体ない感じ。裏山の方に遊びに行って藪の中などを通る可能性のある時は着なかった。2年着たらもうヨレヨレだった。体も大きくなって着られなく成った。普段のTシャツほど回数を着なかった。自分はそのサマーセーターを気に入っていたのだけれど、母は他のシャツより着る回数が少ないから余り気に入っていないと思っていたらしい。いつの間にか処分されていた。

中学生から高校生に掛けては人にもよるけれど、親とは余り話をしない、一種の熱病時代。そのせいでも無いけれど、母と子で、最も身近な服装に対しても、こんな誤解が発生しているのだから、他は推して知るべしか。それ以来サマーセーターを着たことが無い。何か身分不相応な気もするし、ちょっと落ち着かない気もするし、でも根本は似合わないのだろう、気分で。

自分と同年代の男性がサマーセーターを来ているのを見ると、ちょっと粋に見える。ちょっとお金持ちかなあ、勝手に想像する。でも体型がそれなりでないと、サマーセーターなんか着るんじゃ無いよ、セーターが伸びちゃうだろう、セーターが嫌がっているぜ、見たいに思う。その上へそでも出ていたら、セーター脱いで回しでもして歩け、ついでに薄い髪を集めてチョンマゲでも結え、なんて。

勿論チラッと見るだけで見たことにも気付かれないようにしている。そんな人に突っ張られたら、肋骨が折れそうで恐いから。

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2007年6月26日 (火)

公衆電話で

携帯電話が猖獗を極めてでは無く、普及が進んでその分公衆電話が減った。自分は携帯電話を持っていないので、詰まり電話を掛けないので、若しくは掛けるところがないので公衆電話が減っても電話で不自由を感じることは無いのだが、困る人も多いと思う。自分は急な雨の時に雨宿りする場所が減ったのが残念に思う。

「駅に着いたら電話を頂戴」「電話が混んでいたから」という言い訳が効かなくなった。その他同僚と飲みに行って「電話する暇が無かったんだよ」とか「やっと見つけたら何人も並んでいて」等という古典的な嘘がつけなくなった。嘘をつく楽しみが減った。きっと奥様がご機嫌斜めの回数が減って、多分夫婦円満の家庭が増えて結構なことに成っていることだろう。考えすぎてはいけないけれど、携帯電話が無い頃は、連絡が無くてもそんなに心配もしなかったけれど、今は少し連絡が遅れると苛ついたり心配したりする人が増えたかも知れない。慣れない人は家庭の固定電話が鳴っても、お驚きはしないが、携帯電話が鳴ると驚く人も、子供や孫から携帯電話を勧められた人には多いかも知れない。

今でも有るかどうかは不明だが、確か昔新宿とかその他大きな駅の構内で電話が10台も20台も並んでいるところにNTTじゃない電話が有った気がする。今でも生き残っているのだろうか。一度も掛けたことが無い。論理的に行けばNTTより安かったのだろうけれど、例えば10円で10秒長いと言ったって、あんまり意味の有る数字とは思えない。駅の電話は「これから帰ります」とか「みっちゃん何時頃出た」程度の話だろうに。

家の者と待ち合わせるときなどに、仕事場の最寄り駅から家に電話を掛けることが有る。先日駅前の電話ボックスに入って小銭入れから取ってお金を入れようとして落としてしまった。デイバッグを背負っているし狭くて直ぐには拾えない。間が悪いことにちょっと足を動かしたときに小銭を蹴飛ばしてしまって、外に転がり出てしまった。100円硬貨だった。そしたら電話ボックスに入る前から傍にいた自分と同世代と思われる地味な風体の男がスーッと近づいてきてこちらを見てニッと笑った。こちらは体が電話機の方を向いていて、顔だけ外を見ている。その男はその100円硬貨を拾うと何事も無かったかの様に早足で歩き出し、人混みに消えた。こちらはやっとの思いでデイバッグに邪魔されながらもドアを開けてその男の方を見た。100円で「ドロボウ!」でも無かろう。ちょっとだけモザイク行動をしたが、諦めて溜め息をついて落とさなかった10円硬貨で家に電話を掛けた。「今落とした100円が人相風体の地味な男に拾われて、混乱して半歩踏み出したり、電話ボックスの中を見たりしている内にその男が居なくなって、意味が良く飲み込めなかった。ドロボウと言うほどのこともないし、テッシュ配りのお兄さんがこっちを見ているし、」で電話が切れた。言っていることが無茶苦茶で自分でも呆れてしまった。

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2007年6月24日 (日)

池袋某公園

野暮用有り、池袋に行った。久しぶりである。ある時期名画座に通っていたので、馴染みの場所である。いつ行っても人が沢山居る。自分の様な者には、目眩がするような人、人である。ちょっと時間に余裕があったので、街をふらついた。何となく歩いて行くと、公園入り口という看板を見つけた。タラタラ歩いて公園に入る。

将棋をしている人達が数組あった。ギャラリーが何人か周りで見ている。暫く見ていたが賭をしている感じはない。プラスティックのコンテナーを使っていた。何処かに仕舞って共通の財産として適当に使って居るのかも知れない。将棋をしている人達は年配の人ばかりであった。

自分の居場所をそこに見つけているのだろう。自分があの年配に成ったら何をしているのか。自分は公園には居ないと思う。人見知りをするし、将棋は子供の頃、やったことが有るので、駒の進み方は教えて貰ったけれど、好きには成れなかった。

会社員と思われる人も居た。通りすがりで一休みしているのだろう。その日は暑かったから、木陰で風の通る公園で暫しの休憩。仕事が思うように行けば、疲れ知らずなんだろう。少し休んで次の仕事。家庭では何にも言わないけれど、思うようには行かない。汗を拭いて、タバコを一服吸って、缶コーヒーを飲んで、次の仕事。自分はきっとあんな元気ないなあ、駄目だと思いながら、暫く見てしまった。

自分が居たのは夕方だった。夜になると又別の様相を呈するだろう。行き場の無い人達が寝場所を求めて蝟集するだろう。昼の人達とは違うけれど、自分の居場所を求めて来るのだから、或る意味似ている。自分は夕方通りすがりだと思っているけれど、他の人から見ればそれ程の違いは無いようにも思う。一時の居場所を求めてその公園に来た1人。

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2007年6月22日 (金)

床屋の鏡

いつも通勤で使っているバスの窓から見える床屋一軒。夕方その床屋にお客が居たのを見たことがない。椅子は二つある。いつも右側の椅子に主人が座っている。テレビを見ているようだ。何となく行きたくない感じ。お客が来たら、自分が座っていた椅子から降りてそれを勧めるのだろうか。入ったら相好を崩して、親しそうな挨拶をするのだろう、但しタメ口で。自分の苦手な情景が空想される。

30代初めの男性が一番端の椅子に座っている。もうじき終わりだ。職人が、合わせ鏡を持ってきて、後ろを見せた。旋毛の辺りが、少し薄くなり始めている。職人は前から気付いていたが、黙っていた。その人が終われば今度は自分の番だ。

この床屋にはもう長い間お世話に成っている。その間特に髪型の変更を伝えた事はない。流行が変わったようにも思えない。自分の髪型は伸びては2ヶ月分ほど逆戻りして、少しずつ伸びて又2ヶ月分ほど逆戻り、繰り返し、全体的に白いものが増えた程度。

声が掛かって自分の番に成った。鏡の前に坐る。想像より老けた自分。聞かれるままに簡単に答えた。職人が仕事を始めた。坐って直ぐだるくなって眠くなってきた。

さっきより床屋の中がうるさい。この床屋はサラサラと仕事をするだけで、簡単な問と答え以外は殆ど会話が無い。今日は今までにない雰囲気に成っている。職人の翻訳装置が壊れているようだ。業務用会話装置に組み込まれている中枢が壊れて、単純な感情からの発言がそのまま飛び出している。ギョッとして辺りを見回したが、お客の表情は全く変わらない。いつもの静かな床屋風景である、と言うことは壊れているのは自分の翻訳装置かも知れない。

「お客さん、最近白髪が増えましたね、ワカメ、コンブを食ったって駄目ですよ。黒豆茶は効果有ると聞いたことが有りますが、体質に因るでしょう。お嫌だったら染めるしか有りませんねえ」

「薄くなってきましたね。天辺なんかすっかり禿げて、まるで河童ですぜ」

「薄くなって髪の量が1割に成っても、禿げてしまって生えている面積が半分に成っても、料金は10割頂きます、それが温情ってもんです」

「縮れてその上亀の子たわしのようで、全く切りにくい髪だ、料金5割り増しを貰いたい」

「あなたは髪が多く長くて、その上ゴワゴワ、洗うのが全く大変です、その上、注文が多い、洗っている間だけでも静かに願います」

「あなた何考えて居るんですか、そのご面相で、その髪型は無理ってもんです。モデルはいい男ですから。その切り抜きはしまった方が良いでしょう」

「髪型も大切ですが、髪型と一緒に服装も直した方が良いですよ、顔は直らないでしょうから」

職人に「お客さん、髪洗いますよ」と言われて目が覚めたら、いつもの床屋だった。

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2007年6月20日 (水)

桑の実拾い(1)

最も望ましいのは金曜日の夕方から風が吹いて、土曜日の朝には小雨が降ること。

田舎に居る時に、12回試しに食べてみたことが有る。品種が違うのか、気候の為か、こちらほど実が熟さなくて甘くなかったし、食欲をそそるものではなかった。そもそも実が何分の1ぐらいの大きさしかなかった。木が生えているところと言えば、川縁の崖で取るのにも適していなかった。平地で余り見た記憶はない。戦前は養蚕も有っただろうけれど、自分が小学校で養蚕の事を習ったときには村に養蚕をしている人は居なかった。親に聞いたら昔はやっていた、素っ気ない返事だった。

三木露風の赤とんぼは不意にラジオから聞こえてくると、聞き耳を立ててしまう。田舎の景色に合う歌だと思う。その中にある『山の畑の、桑の実を 小籠に摘んだは、まぼろしか』というのは、自分にとっては当時それ程実感の有る歌詞ではなかった。今そう言う子供時代が無かったことは、残念なことだと思っている。

小さなレジ袋を持って拾う。木の周りを移動しながら拾う。1周すると新しいのが落ちている。又ゆっくり拾って行くと、時々目の前に落ちる。帽子や背中に当たって落ちる。レジ袋は段々重くなって行く。拾うのは楽しい、落ちていればついつい拾ってしまう。もう今日はこれぐらいで止めようと思いながら、暫く拾う。もう良いのは無いなあ、と思いながらも目は辺りを探している。桑の実拾いは楽しい。

天気がよいと何人にも声を掛けられる。殆どは自分より年配である。ガックリするのは「何をしているんですか」((質問者の大部分、桑の実を知らないらしい。もしかしたら目が悪くてよく見えないのかも知れない))。「拾って何するんですか」((二通りあり、1、地べたに落ちたものを拾って、どうするのだ、見たいな。2、食べるんだろうけれど、どう言う風にして食べるのだろう))。「このジャム美味しいんですよね」「果実酒ですか」((こういう人とは一頻り話をする))。

通りすがりのホンの少しの人が声を掛ける。持っている袋を渡して一緒に取りながら、ジャムの作り方を教える事もある。最も困るのは質問しながらそこら辺りを彷徨いて良い実を踏みしだく人、そう言う人は質問していたかと思うとプイと何処かに行ってしまう。別の困る人は、自分が嫌いな犬を自分にけしかけて「邪魔でしょう」とか言う人。犬は結構桑の実が好きだ。夢中になって食べる犬が多い。((こういうときは黙っているが、早く立ち去る事を念じている))「そんなものを食べたらお腹壊すでしょう」((勿論犬に言っている))

因って金曜日の夜に風が吹いてたくさん落ちているけれど、土曜日の朝、小雨が降って、散歩する人がいないのが、桑の実拾い日和。

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2007年6月18日 (月)

モモヒキネエサン

時々中央線にモモヒキオジサンが出る。勿論1人ではなく何人もいる。

1回はデイバッグを背負ってパッカーを着て半ズボンだけれど膝下からモモヒキが脛の途中まで。靴下をはいていないようでその下は直にスニーカーである。彼のモモヒキは伝統的なラクダのモモヒキ。思わず暫く立ち止まって口をあんぐり開けて見てしまった。格好良いと言うべきなのか、斬新と言うべきなのか、単に着るものが無くて着てきたのか。ちょっと混乱して階段を一段踏み外してたたらを踏んだ。

次に見たのは、半袖半ズボンのトレーナーを着ていた。民宿の便所に有るような木製のサンダルを履いて、階段をカランコロンと歩いていた。紺色っぽいモモヒキが膝からくるぶしまであり、腕は肘から手首まで同じ色のウデモモヒキとも言うべきものを着ていた。寒さ対策なら長袖長ズボンのトレーナーを着て中にモモヒキを履けば良いのに、そうではないところを見ると、寒さ対策ではないようだ。

次に見たのはカンカン帽を被りダボシャツにステテコ、その下からラクダのシャツにラクダのモモヒキ、足袋に雪駄。扇子を持って左手には竹で編んだ手提げ籠を持っていた。つい思わず「大統領」と口走った、但し心の中で。

最近はそれらに触発されたか、若い女性がスカートの下からモモヒキを覗かせたり、ワンピースの下からモモヒキを覗かせたり、モモヒキの上に短パンを履いたり、色々なバリエーションを見るようになった。

自分は顔がテカテカで小柄小太りの正真正銘のオジサンで、仲間がモモヒキを履いているのを見ると、自由で羨ましく心の中で応援しているけれど、若くて可愛い女性が、何故、何が悲しくてモモヒキを外出しではいているのか、未だに考えあぐんでいる。

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2007年6月16日 (土)

洗濯板

ずっと昔寮にいた頃、作業服は定期的に洗濯してくれた。それ以外は自分で洗った。広い洗面所の片隅に二槽式の洗濯機が有って、それを使った。大した量でもない時は洗い桶と洗濯板を使って洗った。特に違和感は無かった。寮に入る前に洗濯機も有るから、と説明された事が妙に印象に残っている。ちょっと進んでいる見たいなニュアンスだった。日本中に二槽式の洗濯機が行き渡りつつある頃だったと思う。

その前は一槽式で手回しの脱水機というか搾り機が付いていた。今昭和の暮らし等と銘打った展示施設に行くと年代毎に区分けの中に、そんな懐かしい洗濯機を見ることが有る。あの一槽式の洗濯機を買った人達はきっと時代の変革を感じていたに違いない。あの頃はあの生活が輝いて居ただろうに、今は古色蒼然としてある種の感慨が有る。

単槽式で全自動洗濯機が出て来たときは、節水とか余暇の増加とかその新型の洗濯機とは基本的に関係のない議論が沢山あって面白かった。今は多分、節水、節電、節時間など行き着くところまで行っているのだろう。乾燥機が付属しているタイプも多い。一見余暇が増えたように見えるが、服が増えたし洗濯する回数が増えて、洗濯に費やす時間が増えていたりして。

民宿の風呂場に洗濯機が有れば昔はコイン式だったように記憶するが、今は洗剤も置いてありますので自由に使ってください、となっているようだ。

労働と時間を節約する道具が増えて結構なことだ。その分幸せの可能性が増えた気はするけれど、実際の幸せが増えたかというとそんな気はしない。キッチンドリンカーが増えていると言うのは聞いたことが有る。それでも冬に冷たい水で洗濯をしなくても良いのは、それだけで十分価値が有る。

今でも探せば荒物屋に洗濯板は有るのだろうか。あれで洗濯をすると、色々思い出されて物思いに耽る事が有ると昔友達が言っていた。表は洗濯板で裏は物思い板。あの人は今どうしているかしら、満開の桜の下の散歩、夏祭りの夜、冷たい木枯らしの夕べ、と。洗濯と共に帰らぬ事どもが思い出される。

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2007年6月14日 (木)

スーパー銭湯

暫くの間、近くのラ○ンセンターに2週一ぐらいで通っていた。通常は土曜日の夕方。17時以降は料金が安い。自転車で鼻歌を歌いながら10分程、冬は寒いし真っ暗だし、鼻歌どころではなかったが。サウナに入って、板の間に寝ころんで、時々本当に眠りこけて、ゆっくり出来て中々良いところだった。倶利迦羅紋紋のオジサンも何人か居た。思わず拝みたくなるような有り難い彫り物の人も居た。そこも1年余り前に閉鎖に成ってマンションに成った。残念な事をした。

最近はスーパー銭湯に行っている。自転車で20分位掛かるから、前よりは遠いが、大きな公園を突っ切って行くので、温泉地に行って自然の中をサイクリングしてから、ゆっくり風呂に入るのだ、と無理矢理考えている。

焦げ茶色の天然温泉に入っていると、偶にうるさい子供が来て騒ぐので、プラスチックの風呂桶で頭をバッシリやっている、想像で。その日の最初のサウナは15分ぐらい入っている。汗がたっぷり出る、全く以て爽快だ。サウナ嫌いの人には分からんのだろうなあ、と思う。仕事か何かでとっても暑いときでも、サウナに比べたら、ドウって事はないから、忍耐強さも涵養されている、本当かいな。

ラ○ンセンターには特段注意書きは無かったけれど、最近通っているスーパー銭湯には、刺青、タトゥー、パインティングもお断り、みたいなことが書いてある。この間、服を脱いで、風呂場の方に歩き掛けたら、「済みませんが、、、」と従業員に話し掛けられた。顔を見たら、ちょっと哀れを誘っているような顔つき「えっ」「背中に湿布薬が、、、」そう言えば前日、体が痛くて、背中のあちこちに湿布薬をベタベタ貼っていた。サウナに入る前から顔が真っ赤になったが、素知らぬ振りで剥がして、ゴミ箱に捨てダッシュでサウナに逃走した。湿布薬はサウナに行く前に剥がしておいた方がよい。

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2007年6月12日 (火)

越後屋(2)

久しぶりで越後屋が訪ねてきた。例の如く駅から電話である。いつも帰宅してから直ぐが多い。何処かで隠れて見ているのでは無いかと思うぐらいだ。訪ねても良いかとの事。勿論OKで有る。数分したらインターホーンをならす人有り、のぞき窓から見ると彼だ。何か食べている風である。手が動いて見えた。ソフトクリームだ。嘗めながら目の焦点はのぞき窓に合っている。のぞき窓は内側の人が見るものだが、外側から見られている感じだ。ちょっと不思議な感じ。彼から見えているはずは無いが、一瞬見られている錯覚が有った。

ソフトクリームは近くの洋菓子屋さんから買ってきたに違いない。自分も時々買っている。前回彼が来たときも暑い日で、雑談の時に、そこのソフトクリームが美味しいと思うと紹介したら、途中で買って食べながら来たのだろう。

「今開けます」がこちら、「ちょっと待って下さい」が彼。何か逆の様なやりとり。彼は残っていたソフトクリームをコーンごと食べてお終いにした。変な奴だ。招じ入れると、土産を渡したいという。上がってもらい一緒にお茶を飲んだ。お土産はズッシリと重くない。とっても軽い。風呂敷に包まれている。開けると菓子箱が出て来た。包み紙には、大きな鯛の格好をした生菓子の絵が描かれている。蓋を開けてみると、焦げ茶色の麩菓子である、軽いはずだ。

「越後屋、これは何の真似だ」

「いえ、いえ、~~保険庁様ほどではありませぬ。これはホンのお遊びですから」

お茶を飲みながら彼と暫く楽しく話をした。近況と最近話題になっている年金の不明分の話が行ったり来たりした。彼は概略次の様な事を言った。

「きっと払ってもいない保険料を払ったと言って来る人が続出して、混乱に輪を掛けるだろう」

「サラリーマンが保険料を天引きされているのに事業主が納付していない事実が多数発覚するだろう」

「納付が証明されずに給付が無かったり減額されたりしている人で、鬼籍に入る人が続出するだろう」

「二重支払いで返還処理済みが実はそうではなかった、と言う事案が多数有りあり返還要求が有るだろう」

「双方ともあやふやで、その救済で多額の国債が発行されるだろう、保険の給付以上のインフレが進みそう」

1年とか2年とか期限を切っても年金の根本的問題もあり、色々輻輳して問題は長期化するだろう」

未だ色々言っていてが、義憤にたぎっている風では全くなかった。いつもの彼だった。サラッと次の事を言ってニッコリ笑って帰った。

「今までお茶ばかり飲んで遊んでいたのだから、毎日、終電一本前までサービス残業をして、最後の一件までしっかり調査して貰いたい。サボったり間違ったりしたら、共済年金無しで懲戒免職にすれば良い」

これはこれでトカゲの尻尾切りの様で恐いけれど。

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2007年6月10日 (日)

卵石

自分は巨人大鵬卵焼きの時代に小中学生時代を過ごした。卵は好きでよく食べる。回転寿司の卵焼きもよく食べる。職場で他人の弁当を見ていると、毎日のように卵が入っている人がいる、自分を含めて。国内で卵は年間に400億個消費しているそうだ。大変な量だ。全部消費者が殻をガッチャリ割って食べているわけではなく、マヨネーズや菓子の材料などにも成っているけれど。養鶏の人達のお陰で卵を食べることが出来る。

ホテルに泊まってビュッフェ形式の朝食の場合、自分は何気なく卵料理を探している。卵焼き、目玉焼き、温泉卵、スクランブルエッグなど、何種類かの卵料理が有ることが多い。それらを少し皿に取って、ゆっくり安心して朝食を食べる。珍しいものが有ればちょっと取って食べてみるけれど、いつもの卵、その他いつも食べているものが良い。

自分は、農村で育った。当時近所の家は鶏小屋を持っていて鶏を飼っているのが普通だった。多いところは数十羽飼っていた。自分の家にも多分二十羽ぐらいは居たと思う。鶏小屋は地面の上に直接立っていて、壁は板や藁、金網などで出来ていた。小屋の中には仕切られた部屋の様なものも幾つか有った。中には藁が敷いてあった。

時々、鶏に餌遣りをした。穀物飼料は袋から開けて餌箱に入れるだけだったから簡単である。何か摘んできた若しくは人間が食べた後の野菜クズを刻んで与えることもあった。ダイコンの葉っぱが多かった気がするが、余り覚えていない。シジミ貝の殻を粉砕して与えることも有った。飛び散らないように麻袋に入れてトンカチで叩いて粉砕した。鶏はよく食べた。卵の殻に成るんだから、と言われたが、卵はいつも真っ白か赤卵で、黒いシジミの殻が卵の殻に混じっていることはなかった。

田圃の畦道に坐って、側に来るバッタを捕まえてビンに詰めてそれを与えることもあった。鶏はよく食べた。バッタは幾らでも捕れた。稲の葉っぱも相当食べられたのだろうけれど、後のように夕方風が止まった時に農薬を撒いてその近辺全て白くなると言うことは無かった。

毎日と言うことも無かったけれど、籠を持って卵を採りに鶏小屋に入った。楽しい行事である。いつも幾つかは採れた。雌鳥が温めていると、そこに手を入れて採ることもある。慣れると卵が有るか無いかが概ね分かるようになった。そこら辺から卵石(たまごいし)を掴んで、雌鳥の下に手を差し込んで卵を採り、卵石を代わりに置く。雌鳥は目をグリグリさせてゴゴッと鳴いた。大きな抵抗はしなかった。卵は暖かい。雌鳥は騙されて卵石を温め続ける。卵は大抵仕切られて部屋のように成っているところに有った。偶に小屋の隅の方の地面にぽつねんと産み落とされているのも有った。本当に効果が有ったがどうかは知らないが、鶏小屋の中には卵石が幾つか有った。一種のデコイである。卵と一緒の格好で一緒の大きさである、色は白。良く見つけたと思う。遠くから見たら区別が付かない。

段々鶏を飼う人も少なくなり農村じみた景色も急速に変化して行った。卵石も全て打ち棄てられただろう。田舎で誰か持っている人が有れば見てみたい気がする。数十年前の卵石を掌に持ってちょっと握ってみたい気がする。

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2007年6月 7日 (木)

電車で釣り

10日ほど前に釣りに出掛けた。

駅前のアーケードを歩いていると、少し歩調が早くなってしまう。仕事に行く時と同じで時間には少し余裕があるのだけれど、つい早足になる。途中で気付いて「ハイハイ、ゆっくり」。クーラーを持ってデイバッグを背負って竿を持って。

電車に乗ると荷物が少し重かったので、体が火照り少し暑く感じた。坐って電車が走り出してから、目を瞑ってゆっくりする。直ぐ眠くなることも有るのだけれど、今回はイメージトレーニングに入ってしまった。船上の様子、波の様子、海底の根の様子、一荷釣りの身勝手な様子などが頭に浮かぶ。荻窪当たりで少し眠くなってきた。何か幸せな気分で眠気を楽しんで新宿駅に着いた。

新宿で乗り換える。ホームで山手線を待っている。昨日からの連中が沢山いる。自分はポツンと立っている。未だ釣りの雰囲気は整っていない。邪魔に成らないように、柱の横に立って電車の到着を待つ。いつも山手線は比較的混んでいる、仕事に行く人家に帰る人、釣りに行く人。

品川で京浜急行の快特に乗る。ホームには釣り竿を持った人が沢山居る。段々釣りの気分になって行く。三崎口行きに乗る、坐った。眠ってゆこうと思った。早足で乗り込んだ同年配の人が隣に座った。人なつこい人で話し掛けてきた、ポツリポツリと釣りの話をしながら1時間が経った。彼は前回行った所にキャリアを忘れたらしい、その他、ちょっと忘れたりすると言っていたが、それぐらいが丁度いい気もする。リラックスできて良かった。2人が降りる駅は同じであった。船が違うので改札を通った後、「それじゃ」と言って別れた。彼はアジ釣り、自分はカサゴ釣り。駅から船宿までの間は、心が急く時間、楽しい時間。船宿の前の交差点に有る交番のお巡りさんが挨拶して、こちらも挨拶。船宿到着。

景色を見ながら釣り。釣りは仙人遊びのようだ。船上人無く船下仕掛け無きが如し。自然の中に溶け込んで、景色の中の自分、自分は景色の一部。初夏の明るい陽光の下で、波にゆっくり揺られながら心は自由に飛び回る。幼い頃の事を思い出したり、昔行った遠い所を思い出したりする。時折魚が釣れて、現実に引き戻されるが、一連の動作が終わると又心は自由。ずっと留まっていたい様な心地。半日ゆっくり楽しむ。釣りは心の休日。

最後に船頭が上がりましょうと言って現実に戻り、又日常生活に帰る。

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2007年6月 5日 (火)

携帯で教える

自分は未だに携帯電話を持っていない。特に理由は無いけれど、多分貧乏だからだ、と思う。家に有る黒電話も滅多に鳴る事は無いし。自由の心地よさを捨てて、その上4~5千円を毎月払う気もしない。自分が好きな味噌ラーメンなら、6~7杯食べられる金額だ。今はお店に因ってはランチタイムなら半ライスが無料サービスの所も有る、半ライスにちょこっとだけど、漬け物が付くところもある。それでも財布と相談しなければ成らない事も多いけれど、話が逸れた。

持っていないから不意に人に呼び出される心配は無い。これが持っていない事の1番の特典かも知れない。持っていない事での特典というのも妙なものだが、この際よく分からないが、勝手にOKと言う事にする。

初夏に三浦半島の磯に釣りに出て、余り釣れなくて早めに取った昼食の後、なんか眠気を催して、半日陰の草地に敷いたマットの上で転た寝をする。低い潮騒の音が心地よい。そんな時不意に携帯電話が鳴って、起こされる心配はない。せいぜい近くを通る人達が、「誰か寝ているわ」と言って通り過ぎるだけ。

真夏に野川緑道の林で、土曜日の午後なんか眠気を催して、読書を止めて、木陰の風の良く通る草地に敷いたマットの上でごろりと横になって、転た寝をする。こんな時ガンガン鳴いている蝉の音は、子守歌に成りこそすれ全く騒音ではない。せいぜい数人のグループが声高で話ながら通るだけ。

晩秋に昼食後散歩に出てダラダラ歩いていると、なんか眠気を催して、風のない日当たりの良いベンチで転た寝をする。このちょっと暖かい心地よさ。不意に携帯電話が鳴って、起こされる心配は無い。せいぜい近くを通った犬がワンワンキャンキャン吠えて、「うるさいなあ」と思う程度。

真冬に木枯らしの音を聞きながら、ベンチに座って物思いに耽っているとき、不意に携帯電話が鳴って、現実に引き戻される心配が無い。せいぜいズルッと鼻水が垂れて「オオッと」思うだけ。

大分前にネットで見た事で、携帯電話のちょっと感心した使い方が有った。

比較的混んでいる電車内で、自分が坐っている場合。目の前に立った人のファスナーが開いている。大抵の人は黙ってやり過ごすのだけれど、そうすれば自分の時だって、相手が黙ってやり過ごして、結局長い間、知らぬが仏で、間抜けな格好で街を練り歩いてしまう。そうならないためには、教えてやることが大切だ。情けは人の為成らず、我が身の為。それで教えてやりたいのだが、電車は混んでいるのだから、相手の羞恥心を無闇に刺激することは無い、逆恨みされても業腹だし。何かスマートな教え方は無いものか。手で窓の格好をして、空いているよと右手を何回も動かすのも、うさんくさく見られて失敗するだけのようだし。そう言う時には、携帯電話の表示に「社会の窓が開いていますよ」若しくは「理科の窓が開いていますよ」、男か女か不明の時には、どちらかあてずっぽうで、その人の目の前で表示をかざせば良い。うん、凄い使い方だ、自分も携帯電話を買おうかしら。エッ。

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2007年6月 3日 (日)

カルガモの季節

自分がよく散歩をする野川緑道には、カルガモが沢山住んでいる。多いときは20羽ぐらいが狭い範囲に屯している。良い光景だ。不用意に近づくと距離を空けようとして少し逃げるが、人を恐れている風ではない。パンの耳を持って行って与えると、最初の内は少し食べて、直ぐに食べなく成ってしまう。餌をやる人が多いのだろう。

1年中いる。季節によって少し数の変動が有るようだ。毎年生まれるが、特段多くなって行く様子は無いから、淘汰で今はきっと飽和状態に近いのだと思われる。地味だけれど比較的大きな野生の生き物が沢山いる光景は良いものだ。

カルガモをはじめ一般的にカモなどの水鳥類は、孵化したその日から泳げるようだ。どんな進化で直ぐ泳げるようになったのか、誰か知っていたら教えてほしい。その上数ヶ月で擬似大人になって空を飛べるようになる。

人間は生まれたては泳げないばかりではなく、歩くことも這うことも出来ない。どうしたことなのだろうか。自分は今は勿論歩けるし、這えるし(夜這いでは有りません)片足跳び、スキップ、ウサギ跳びなども出来るし、縄跳びだって出来るし木にだって登れる。しかし生まれてもう何十年も経つけれども、未だに泳げない。どうしたことなのだろうか。DNAのプログラム?

この間引退を表明したポール・ニューマンの映画で「明日に向かって撃て」と言うのがあった。追い詰められて、断崖から遙か下の川に飛び込むときに、ロバート・レッドフォードが躊躇しているのでポール・ニューマンが聞いたら「泳げないんだ」と言った。それでポール・ニューマンが笑って「水に叩き込めば、犬だって泳ぐぜ」。おれは犬以下かも知れない。そんな事を考えながら橋の下を見たら、生まれたてのカルガモが8羽単縦陣じゃない一列縦隊で親に従って遊泳中、長閑で良い。泳いでいるときに親は1羽だけ、多分メス、お父さんは何処へ行っているのでしょう。会社に行っていると言うことは無いから、近くで見守っているのか、それともここまで来ればもう用なしで、そこいら辺を彷徨き回っているのか。これもちょっと知りたい。これはDNAのプログラム。

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2007年6月 1日 (金)

盲目の人

上京するまで盲目の人を見たことは殆ど無かった。ずっと昔の事である。学校の近くに盲人用の施設が有った。夜遅く賑やかな集団が横から近づいてくるのが分かった。その人達は暗い路を歩いていた、一瞬不思議な感覚に囚われた。何かの会合の後らしかった。自分とかなり接近して分かった。彼らは盲目だった。夜路を歩くのに街灯は不要だ、視覚障害者誘導用ブロックが有れば良い。重要性をその時に始めて認識した。確かにその街には自分から見れば縦横無尽に設置してあった。

暫くして慣れたからギョッとはしなくなったけれど、見て見ぬふりの月日が長く続いた。今は、困っているなあと判断すれば、手助けできるようになった。

盲目の人が近づくと遠回しに見守っている人も多い。それも1つの手助けだろうと思う。駅のコンコースではせめて前を向いて歩いて、子供や老人、盲目の人にぶつからないように気をつけた方がよい。彼らはぶつかってくるものを避けられない。駅ではぶつかられる人が多いように見受けられる。盲目の人には駅でも街でもリレーをするように、短距離で良いから、大事に手渡しするように、手助けするようになれば良いと思う。

大部分の人は、ちょっとした親切が身に染みて有り難い、と言う境遇には立ち至らないけれど、何かを感じて、出来れば普通の教育課程の中で、知るようになって親切に出来るようになれば、盲目の人にとっても、老人にとっても、自分達にとっても今より、ちょっぴり住みやすい社会になると思う。誰でも長生きできれば老人になる。

そんなことを考えるようになるまでは、自分は心が半分盲目の様なものだったろう。今でも余り自信は無い。

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