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2007年6月 5日 (火)

携帯で教える

自分は未だに携帯電話を持っていない。特に理由は無いけれど、多分貧乏だからだ、と思う。家に有る黒電話も滅多に鳴る事は無いし。自由の心地よさを捨てて、その上4~5千円を毎月払う気もしない。自分が好きな味噌ラーメンなら、6~7杯食べられる金額だ。今はお店に因ってはランチタイムなら半ライスが無料サービスの所も有る、半ライスにちょこっとだけど、漬け物が付くところもある。それでも財布と相談しなければ成らない事も多いけれど、話が逸れた。

持っていないから不意に人に呼び出される心配は無い。これが持っていない事の1番の特典かも知れない。持っていない事での特典というのも妙なものだが、この際よく分からないが、勝手にOKと言う事にする。

初夏に三浦半島の磯に釣りに出て、余り釣れなくて早めに取った昼食の後、なんか眠気を催して、半日陰の草地に敷いたマットの上で転た寝をする。低い潮騒の音が心地よい。そんな時不意に携帯電話が鳴って、起こされる心配はない。せいぜい近くを通る人達が、「誰か寝ているわ」と言って通り過ぎるだけ。

真夏に野川緑道の林で、土曜日の午後なんか眠気を催して、読書を止めて、木陰の風の良く通る草地に敷いたマットの上でごろりと横になって、転た寝をする。こんな時ガンガン鳴いている蝉の音は、子守歌に成りこそすれ全く騒音ではない。せいぜい数人のグループが声高で話ながら通るだけ。

晩秋に昼食後散歩に出てダラダラ歩いていると、なんか眠気を催して、風のない日当たりの良いベンチで転た寝をする。このちょっと暖かい心地よさ。不意に携帯電話が鳴って、起こされる心配は無い。せいぜい近くを通った犬がワンワンキャンキャン吠えて、「うるさいなあ」と思う程度。

真冬に木枯らしの音を聞きながら、ベンチに座って物思いに耽っているとき、不意に携帯電話が鳴って、現実に引き戻される心配が無い。せいぜいズルッと鼻水が垂れて「オオッと」思うだけ。

大分前にネットで見た事で、携帯電話のちょっと感心した使い方が有った。

比較的混んでいる電車内で、自分が坐っている場合。目の前に立った人のファスナーが開いている。大抵の人は黙ってやり過ごすのだけれど、そうすれば自分の時だって、相手が黙ってやり過ごして、結局長い間、知らぬが仏で、間抜けな格好で街を練り歩いてしまう。そうならないためには、教えてやることが大切だ。情けは人の為成らず、我が身の為。それで教えてやりたいのだが、電車は混んでいるのだから、相手の羞恥心を無闇に刺激することは無い、逆恨みされても業腹だし。何かスマートな教え方は無いものか。手で窓の格好をして、空いているよと右手を何回も動かすのも、うさんくさく見られて失敗するだけのようだし。そう言う時には、携帯電話の表示に「社会の窓が開いていますよ」若しくは「理科の窓が開いていますよ」、男か女か不明の時には、どちらかあてずっぽうで、その人の目の前で表示をかざせば良い。うん、凄い使い方だ、自分も携帯電話を買おうかしら。エッ。

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