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2007年8月31日 (金)

鵞鳥

昔読んだ本に書いてあったのだけれど、地面に穴を掘って、最初は緩い下り坂、そして暫くしたら上り坂にして、その穴の先を地表に出して、その上を籠状に覆いをする。鵞鳥の好きな穀物を穴の回りからばらまいておき、穴の出口まで続けておく。夜活動する鵞鳥は暗闇の中で、その穀物を食べながら穴に入り地表に出る。その内に夜が明けて明るくなる。籠の中には鵞鳥がザックザック。穴を逆行して逃げれば良い、と思うのは人間だからであり、鵞鳥に明るいところから暗いところに入ってゆくと言うプログラムは無いらしい。夜に暗いところを動き回るのは平気である。でも明るい昼間に暗いところには入ってはゆかない。

この話を知って以来、何か踏ん切りが付かないとき、自分は鵞鳥と同じではないか、と自問するが、結構鵞鳥だったりする。

そんな“馬鹿な”鵞鳥でも、たまに金の卵を産むのが居る。そんな鵞鳥を飼って何日かに1個金の卵を得る人が居る。何を血迷ったかそんな鵞鳥の腹を割く奴が居る。そんな話を聞いて、普通の鵞鳥の腹を割く奴も現れる。ついでに鶏やらアヒルの腹を割く奴まで現れる。なんと卵を産まない犬や猫の腹を割く奴まで現れる。

大抵の鵞鳥は金の卵は生まないし、特に芸も無くガアガアうるさいけれど、愛嬌が有り見ていて飽きない。飼って居ればやすらぎを与えてくれる。庭の雑草も食べてくれるし。

こんな鵞鳥に無理矢理過剰な餌を与えて、脂肪肝を作り、腹を割いて取り出して、そのいわゆるフォアグラを食べ、体にタップリ付いた油を使いその肉を油漬けにして保存食とするって、我々も酷いことをする。

自分は鵞鳥じゃないかと時折自問するぐらいだから、鵞鳥には同情して居る。フォアグラは食べない。

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2007年8月29日 (水)

理事会で決定

療養先は理事会で決定、と言うニュースを見て、ビックリ仰天。理事会で処分を決定するのは普通だし、存分にやって欲しいけれど、療養先は医者が推薦して本人が決定する事だと思う。もしハワイで何ヶ月間か過ごすことが本人の健康回復に最良と医者が判断して、本人が望むなら、まあちょっと八百長臭いけれど、後は財布と相談することだろう。自分は“本人”は好きではないが、この件に関しては同情している。余りにも異常事態が連続した。解離性人格障害になってこの窮地を脱出すべし。

それとは関係なく俺もちょっと脱出したい。海に沈む夕日の中の景色の一部となって、木陰でビールを飲みながら、物思いに耽るのも良いなあ。

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2007年8月27日 (月)

博打打ち

知らなかったけれど、今回の参議院議員選挙で博打打ちが選挙に出て当選したらしい。所属する党は本人に厳重注意したらしいが、それぐらいのことで良いのだろうか。与党の初当選議員がそんなことをしていたのなら、かなり激烈な言葉で候補者を決定した責任者の党首は辞任するのが当然の事の様に言うと予想されるが、それで幕引きにする意向の様だ。他人に厳しく、自分に甘い日本の野党の典型的な症状の様に見える。参議院を薄めて水っぽくしているのは与党より最近は野党が多い様に感じる。

その博打が余暇のお遊びならご愛敬だけれども、詰まりは例えば野球選手が友達と麻雀をして賭けた、と言うことではなく、野球選手が野球で賭けた、みたいなものだから、悪質である。政治家は清廉潔白なら良いと言うものではなく、人柄が良ければ良いと言うものでもなく、最低限その職務にたえるほどの能力が必要なのは言わずもがなだけれど、品格何ぞには興味は無くひたすら世上の権力と名誉、金銭を求めるタイプは1番向かないと思うがどうだろう。まあそう言うタイプだから辞任する事は無く、ほとぼりが冷めるのを、特に別の事件が世上を騒がせて、自分の事件が忘れ去られる事を謹慎という形で待っているのだろう。もしかしたら逆に何かを暴露して話題をそらそうと考えているかも知れないし、やっかみで過去の事をことさら言い立てて、人の足を引っ張りやがって、と思っているかも知れない。自分が駐車違反をして注意をされたら、別の車を指して、あれだって駐車違反でしょうと言い、あっちはどうなんだと開き直るのは今様だろうけれど。

でも自分が少し著名人で、大政党からかなり受かりそうな参議院議員の比例代表候補になりませんか、とい誘いが来たら、断れるかなあ。自分は国会議員として国政に参画するほど、経験も知識もないし、そもそも人格高潔ではなく国民の手本となる資格に欠ける者です、とは言わないで、過去に少しぐらいの事が有っても、OKして立候補しそうだなあ。

孔子は“不義にして富み且つ貴きは、我れに於て浮雲の如とし”と言っているが、きっと立候補の打診を受けたら、あの博打打ちと同じく、立候補する気がする。

ついでに言えば、前段の“疏食を飯い水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす”、までは今の自分の様だ、次の“楽しみ亦た其の中に在り”、に成ると自分はちょっと怪しい。

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2007年8月25日 (土)

ダイエットコーラ

先々週の土曜日に回転寿司に行った。暑い中をタラタラ歩いて行った。強い日射し、車の熱い排ガス、強い照り返し。熱風の中を歩いて店にたどり着いた。グッタリしてしまった。店に入ると冷房が効いていた。間もなく元気になった。15皿食べた。海鮮みそ汁も食べた。チョコパフェも食べた。美味しかった。丁度見えるところに体の大きな人が居た。たくさん食べていた。惚れ惚れして見てしまった。印象深い顔なので覚えた。

その夜、贔屓のラーメン屋に行った。何とその人が居た。そこのラーメンは量が多い。自分は堪能満腹。彼はフルパワーのトッピングで大盛を食べていた。餃子と半ライスも食べていた。あんなに食べられたらそれは幸せに違いない。食べることは幸せに直結している。食べ物の趣味は合っているかも知れない。自分よりはかなり肥満で大きい。

先週の土曜日にチャリで近所では有名な食堂に行った。各種飲物がペットボトルで置いてある。余ったら持ち帰ることが出来る。食べ物は美味しい。肉料理の各種セットがある。一膳の品数が多く量も多い。

ググッ、あの人が居た。1番巨大なセットを食べていた。15リッターのダイエットコーラを飲んでいた。

それを見て何かモヤモヤっとした。何だ。何だ。肥満の人がたっぷり食べて、たっぷり飲んで、運動もせず、コーラだけダイエットコーラ。

考えている内に彼は食事を終えて、外に止めていた車で帰った。車も大きかった。このモヤモヤは何だ。そうだ。温室効果ガス排出量の削減だ。有りっ丈エネルギーを消費して温室効果ガス削減の為に冷房温度を1℃だけ高めに設定。

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2007年8月23日 (木)

店の種類

子供の頃、時々お使いを言いつけられて、お店に行った。よく行ったのは魚屋である。買い物籠を持ってお金を貰って歩いて行った。小学校の中学年の頃は、竹製か若しくは何かの蔓製だった、それから78年経つとビニールチューブにワイヤーを仕込んだ物に変わった。

魚屋に着くと「ご免下さい」とか言って店の人がでてくると、小振りな冷凍のホッケを指して「ロウソクボッケ下さい」。魚屋のオッサンは大きなブロックを金槌でたたき割って100円分にして、新聞紙に包んで籠に入れてくれた。

村の小さな商店街だったけれど、肉屋、雑貨屋、八百屋、洋服屋、喫茶店、薬屋、アイスクリーム屋、寿司屋、食堂、中華料理屋、荒物屋、電器屋、桶屋、笊屋、鍛冶屋、豆腐屋、家具屋、菓子屋、酒屋、その他もろもろ。もう何日だったかは覚えていないが六斉市も立った。

あれから半世紀が経った。今は店の種類が少なくなって、有るのはコンビニ、コーヒーストア、大型ショッピングモール、回転寿司、ラーメン店、ファミレス。

車が有って元気な内は良い。夜遅く帰ってきて、ビールと簡単なおつまみをコンビニで買って帰る。次の仕事の合間にコーヒーストアで一休み。週末は家族みんなで車で出掛けて大型ショッピングモールで買い物、回転寿司かラーメン店で昼食、午後もモールで遊んでファミレスで夕食をとって帰宅。

またまた時が経つ。もし健康でも相当弱っているだろう。回転寿司もラーメン店もファミレスも遠くて歩いて行ける距離ではない。増して大型ショッピングモールは遙か彼方。コンビニには年寄りの口に合うような食べ物は少ない。歩いて何かを買いに行ける店は無い。街は味気ない。

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2007年8月21日 (火)

仮病

俺も昔何回か仮病を使った。大抵の理由は学校へ行きたくないとき。そうすると、寝ていれば良い時も有る。これは回復が早い。昼にはいつもは冷たいご飯に朝の残りや常備菜である佃煮や筋子を食べるのだが、その日は冷たいご飯を誰かが、多分お婆ちゃんがお粥にして卵を入れて、後は一緒だけれど、枕元まで運んでくれる。3時頃、ちょっとしたお菓子がお八つに出る。夕方は回復。仮病は仮病だけれど多分、でも体だけが病気の対象じゃないわけだから、学校で発病しそうになったちょっとした心の病気を体で表現して、家族にちょっと優しくされて自分を確認して直ったと言えばそうかも知れない。

そうは行かなくて、朝額に額を付けられて、「熱が有る」となれば保険証を持たされて歩いて1人で医者に行かされた。木造の2階建てで1階の待合室に入って待っている。消毒の匂いやその他余り気分の良くない雰囲気で段々病気になって、「~~さーん」と呼ばれて、診察室へ。恐い顔のお医者さんが、ニッコリ笑って、「どうした?」。元々虚弱体質で、明日にも死にそうに見えるから、『風邪の引き始め』みたいなことになって、薬を貰って帰って寝る。病気になって、2日ぐらいは寝て居ないと回復できない。遊びには行けないけれど、寝なから本を読んでいれば良い。本を読むのは今も好きだ。これは病気と仮病の間で体は病気になっちゃったけれど、心は休んで全体としては治癒したと言えるかも知れない。

悪気は無かったのだろうけれど、サッカー何ぞをしているところを派手に暴いてしまった。お互いに引っ込みが付かなくなって、精神科医() 5人も送り込んで、送り込まれる方も良い面の皮だが、収束点を発見したようだ。疲労骨折は何処へ行ってしまったんだ。ご苦労なこった。勿論、かなり前から双方とも顔はニコニコしながらコタツの中では蹴り合いをしていたのだろうけれど、もうちょいとみんな普通に遣れんものかね。爆発寸前までお互い気付かぬ振りは無いだろう。

考え過ぎだったら良いけれど。狭い世界だ、もう少し忖度して気を遣ってやれ。

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2007年8月19日 (日)

歩行禁煙地帯

我が街は、近隣に先駆けて駅周辺を歩行禁煙地帯にした。数年前のことである。暫くの間は市役所から多数の人が出て啓蒙に当たった。揃いのビニールジャンパーを着て通勤の時間帯に人々に呼びかけた。

晴れがましいやら、情けないやら、複雑な心境の人が多いと思う。サイレントマジョリティは考えている。人混みでタバコを吸わないのは当たり前だ。だが駅でタバコが吸えないとなると、駅まで歩きながら吸ってゆく人が多いのも事実であるし、下車して直ぐ吸い始める人も多い。だからといって礼儀の問題を条例で縛るのはどうかと思う。にもかかわらず罰則が無いとなると実効は限定的な物だろう。しかし今の時世では仕方が無いか。

一時的に効果は出たが、暫くすると元の木阿弥。雨上がりの水たまりは吸い殻だらけ、排水口のグレーチングの回りは吸い殻だらけ、足でもみ消さないで火が点いたままのタバコをそのまま歩道に何食わぬ顔で捨てる人も多い。何を誤解したか携帯灰皿を持ってそれに灰を落としつつ胸を張ってタバコを吸いながら歩いている人も居る。水たまりの前の商店は困り果てて、丸い一斗缶を出した。すると今度はそれを目がけて吸ってくる人が出た。

定期的に市役所から朝の通勤時間帯にジャンパー、幟旗の人達が出て啓蒙する。すこしの間効果が有る、その間隔は段々短くなって行く、麻薬に慣れて効果か段々短時間になってゆくような物だ、最近は匙を投げたか、ジャンパー、幟旗の連中が出没しなくなった。

そうこうしている内に、暫くぶりで、ジャンパー、幟旗の連中が街に出没した。一緒にどこからともなくタバコ犬が現れた。道端に捨てられた火の点いたタバコを見つけると、ワンワン吠えて前足でバンバン叩いて消す。吸いながら歩いて居る人を見つけると、近くに駆け寄ってワンワン吠える。恐れをなして道端に捨てると、やはり前足でバンバン叩いて消す。動じないで吸いながら歩いて居る人を見つけると、走って追いかけて、そいつのケツを咬む奴、オシッコを引っかける奴、靴の上にウ○コをする奴。やんやの喝采、そんなことは無いよなあ。

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2007年8月17日 (金)

地球温暖化

今年の夏は特段に暑い気がする。猛暑日が10日ぐらい続いている。地球温暖化が進んでいるかも知れない、と思ってしまう。熱帯がこれ以上暑くなったらあそこの人達は生きて行ける限度を超えそうでそれは心配していたが、熱帯がそれ程でもなければ太平洋の小島が数千個沈んでしまっても、そこの全人口は知れているから、移住してしまえば済むことだ。ふるさと喪失は辛いことだけれども、そんな事は或る意味自然現象だったら諦めるしかない。戦争難民はその何十倍も現在居て、肉親が多数死んで故郷に住めなくなって慣れない余所で生死の間で暮らしているのに比べたら、耐えられる限度だと思う。

地球の温暖化は砂漠も増えるだろうけれど、緯度の高いその何倍もの寒冷地が穀倉地帯となって、人類の当面の生存には支障が無いのでは無かろうか、ユーラシアや北米の寒冷草原地帯が大穀物地帯になったら、地球の人口が100億を突破しても、今より潤沢な食料が飢餓線上の人々にも供給できるのではないかしら、勿論希望的観測である。その他温暖化に対する反応の速度の違いでちぐはぐなことはたくさん起きるだろうけれど、それを良しとする進化も有るだろうから、全体としては良い事が多いかも知れない、勿論これも希望的観測である。

ニュースを見ていると、悪いことばかり知らされるけれど、良いことも研究して発表して貰いたい物だ。そんな事をしたら袋叩きに会いそうでも有るけれど、殺人兵器を研究するわけでは無いのだから、しっかり予算を付けて研究したらよい。危機を煽れば良いという物ではない。本当に人類の生存の危機ならもっと真面目に対処した方が良い。アメリカも、中国も全然やる気がない。双方とも他国の人類が滅びても、自分達はちょっと減るだけで、最終的には残存者の利益を享受しようとしているのではないかと勘ぐりたくなる。

一億数千万年栄えた恐竜の時代は今より余程暖かかったらしいし、それに比べたら人類の繁栄は精々500万年だと言うから温暖化の方が良いのでは無かろうか。人類にとってと言うより地球に取って。エイリアンが地球に来て食料を調達するとき、例えばハンバーグの材料とか蒲鉾みたいな練り製品の材料とか、文句が多く感情の起伏が激しい肉の少ない人類より、静かで丈夫な肉の多いプロントザウルスの様なのが好まれる気がする。

自分には余り良いアイデアは無いが、取りあえず南極の氷をタグボートで引っ張って来る。勿論その時、ペンギンを乗せてこないように細心の注意を払う。それで台風、ハリケーン、サイクロンなどを大発生させている海を冷やせばよい。それから砂漠にベルトコンベアで港から続々その氷を運んで水分と適度な温度の低下をもたらして、牧畜が出来る程度に、出来れば農耕が出来るようにすれば良い。そうしておきながら二酸化炭素の排出規制等という実効が無いような事を真面目に検討しないで、大気中に有る温暖化物質、特にその代表である二酸化炭素を集めて元有った地中深くに戻すとかドライアイスにして暑いところを冷やすとか、そんなこんなしている内に画期的な良い方法が見つかるかも知れないし、気候が変わって今程度に落ち着くかも知れないし。

もしかしたら何しても駄目で人類が実質的に滅亡してゴキブリが大繁殖してゴキブリ帝国が現出するかも知れない。もっとも今の世界でも1~2キロ上空から霞ヶ関辺りやら兜町辺りを見たら、ゴキブリ帝国ぐらいにしか見えないかも知れない。俺もその1匹というのも情けないが。

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2007年8月15日 (水)

都合の良い休日

自分は今週休2日である。昔は15日であったので有り難いと思っている。大抵の場合は定時で帰ることが出来るので、日常の生活には全く不便は感じない。

出来ればと言うことで、ちょっと希望を述べます。

銀行:最近は昔より銀行の数が減った、店舗数も減ったけれど、それには全く違和感はない、昔は何故あんなに数が有ったか逆に理解が出来ない。もっとも自分が生まれた村には一行もなくて、ガキンコの頃は銀行と言うものを知らなかった。それはさておき、銀行は沢山あっても自分には全く意味はない、窓口業務は夜8時までやっているところは全くないし、土曜日や日曜日にやっているところは、勿論1つもない。会社相手ではなく、個人相手に「皆様の銀行」というのなら、住宅街の銀行は土日にも店を開くか、夜8時ぐらいまで通常業務をしてくれれば良いのにと思う。関係者は頭の良い人ばっかりだから、出来ない理由を論理的に整然と述べるだろうから、議論で勝つつもりは無いけれど。

歯医者:緊急じゃ無いことが多いので、自分の様な者は、歯医者に行くからと言って早退も出来ないし、開業と同時に行って遅刻も出来ない。時より夜7時頃まで開いているところが有るので、住まいの近くで間に合うことも有るけれど。

市内には多分20院?位の歯医者さんがあるから、その内の何カ所かが土日診察治療をしてくれるように成れば、我慢して酷くなる前に行く人が多いだろうに。勿論それを狙っていることは無いだろうけれど。

コンビニ:便利で良いけれど、少し高い、似たような店で安いところも有る、その違いは営業時間。自分が駅まで歩く10分位の間に、24時間営業のコンビニが10店必要か?1店じゃ寂しいけれど、2店有れば十分だ。他の8店は夜中閉めて営業コストを下げて少し安くすれば良い。午前3時に飲み屋が2店開いていてコンビニが10店開いている。まれに飲んだくれていることも有るけれど、そんな時間にコンビニに入ることはない。

交番:自分の家に最も近い交番は無人だ。心細い。中に入ったことは無いけれど、テレビ電話と書いたデスプレイが見える、頼りないこと甚だしい。もしかしたら統計で有人でないと対処出来ない事案がとても少なくて無人化したのかも知れないけれど、違うと思う。犯罪率は増加しているらしいし、検挙率は低下しているらしいし。Fleet in being じゃないけれど、そこに交番が有ってお巡りさんが居るから良いのだ。飲んだくれて夜遅く帰ってきて、煌々と電気が点いていて中にお巡りさんがいる。頼もしいですよね。休日とは直接関係ないけれど。

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2007年8月13日 (月)

クールビズ(1)

ビーチサンダルでステテコ履いて腹巻きしてダボシャツ着てカンカン帽被って、釣りをしていたオジサンを最近は船上で見かける事は無くなった。絵になっていたのに残念である。陰ながら憧れていたのに。

自分は電車で釣りに行くので、この季節電車の中は短パンTシャツだけれども、船上では薄い長袖長ズボントレーナー上下を着て釣り用の帽子を被って直射日光を避けている。時によってはタオルで顔を蔽うことも有る。見かけによらず弱いもので。

30年近く前の第何次かのオイルショックの時だったか、省エネルックなるものの提唱があったがあれは流行らなかった。平たく言えば半袖の背広。テレビ以外では見たことが無かった。今でも某元首相は時には着用しているのだろうか。

一昨年からクールビズが提唱されている。見た感じはノーネクタイと言うだけで余り中身が有るようには見えない。取りあえず何かしている振りをしなくちゃなあと言うことで、本来の目的であるCO2排出削減に余り効果が有る様には見えない。

着流し、カンカン帽、下駄、扇子で過ごせとは言わないけれど、もっと実効の有る気候に有った服装にしたら良いと思う。

もう撤回したようだけれど、参議院の某委員長がネクタイ着用を義務づけようと発言した、ちょっと見には、国会見学の子供に誠意を尽くす態度の様だけれど、本質とは関係がない気がする。

本当に地球温暖化が進んでいて、それが有害でありCO2等の温室効果ガスを本気で減らす気ならもっと真面目にやった方がよい。自分達の子孫のために。それからネクタイ背広がしっかりした服装、それ以外はしっかりしていない服装という観念も捨てた方がよい。カビの生えたTPOを見直した方が良い。

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2007年8月11日 (土)

禁煙タクシー

自分は時々タクシーを利用する。特に会社名を気にしたことは無い。タバコを吸わないので、誰かが吸った後に乗ると、気が付くけれど、直ぐにそんなに気にならなくなるし、どうせそう長い時間の事ではない。傍で吸われると嫌だが、自分が乗っているときにタバコを吸った運転手を見たことはない。

タバコを吸えない所に長い間居た人が、タクシーに乗った瞬間にタバコに火を付けると言う気持ちも理解できる。喉が渇いていて水が飲めるところに行ったら直ぐ水を飲むようなものだ、きっと。タクシーの乗った瞬間に部下がタバコを吸わなくても直ぐ火を付ける部長が居たっておかしくはない。

バスツアーに参加すると、昔は喫煙は自由だったけれど、十数年前から止めましょう見たいな事が数年続いて、その内全面禁煙に成ったけれど、もう誰も文句を言う人は居ない。電車だって近距離はみんな禁煙に成って久しい。飛行機だってもうみんな禁煙だし。

だからと言ってタクシーも全て禁煙、禁煙と声高に言っている人は好きに成れない。

体に悪いし、全体として医療費を押し上げる要因に成るし、公共の場所で喫煙するのは怪しからん、子供が居るところでタバコを吸いながら歩いたら、危ないだろう、その通りだと思う。でもそれはタクシーの禁煙と少し話が違うと思う。タクシーは公共交通機関に近いと思うけれど、公共にしたら単位料金が高いし一台の客は基本的には1人だ。全車禁煙にする事は無い。タクシーに乗る人の喫煙率を調べて、それに近い割合で、禁煙タクシーと喫煙タクシーを分けて街に供給すればよい。まあ調べなくても通常の喫煙者数と運転者も乗客もほぼ同じ割合だろう。同乗者に喫煙者と非喫煙者とが居たら云々、そんなのは同乗者同士で決めれば良いことだ。

そうすると、信奉者はやっと来たと思ったタクシーが、喫煙タクシーで乗れなくて又暫く待たねば成らなかった、重要な用件が有って急いでいたのに、見たいな議論を吹っ掛ける様な話が出てくるだろうけれど。こういう話を一々取り上げて居ると、益々世の中の自由が阻害される気がする。そんなに急いで居たならそのタクシーに乗れば良かったし、乗らなくて良いぐらいの急ぎだったら黙って次を待てばよい、自分の事情ばかりを声高に言う人は好きになれない。

思いやりが必要だけれど、レベルの高い社会だったら、ちょっと遊びが有った方が、より暮らしやすい気がする。

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2007年8月 9日 (木)

犬の散歩(1)

私はポメラニアンを飼っている。名前は赤毛のアンから取ったアンだ。通常はアンと呼んでいる。ポメちゃん、メラちゃん、ラニちゃんなど色々悩んだが、余りに工夫がないので止めて、アンにした。みんな良い名前ねえと言ってくれる。本当は子供と同じようにちゃん付けで呼びたいのだが、アンちゃんだと下町の言葉の様な気がするのでアンと呼んでいる。

体が小さくて餌代が余りかからない。ちょっと見栄を張るには都合の良い犬だ。社交的で人懐っこい。利口である。みんなに誉められる。私の自慢だ。健康で今まで病気らしい病気をしたことがない。同居しているお義母さんとは大違いだ。芸を教えると良く覚える。これもお義母さんと大違いだ。小学校に通っている娘が色々芸を仕込んでいる。同級生を家に連れてきては、その芸を披露して喝采を得てご満悦だ。大抵は芸を1つぐらい披露すると、塾があるからとか、お稽古が有るから、スイミングクラブに行くからとか行って直ぐ帰る。もうちょっと芸を見てゆけばいいのに。ケーキやお菓子それにお茶を出したいと思っても直ぐに帰る。家には芳香剤をたくさん置いて、良い香りだのに。

家には、猫も2匹いる。トイレの躾をしっかりしているので何時もトイレで用を足している。家の中はまったく臭くない、家の中には芳香剤も効いているし。

一段落した午前にアンを連れて散歩する。いつもの人達と挨拶をする。手入れがされたアンを見て、毛が綺麗とか、明るいとか、賢いとか、色々誉めてくれる。相手の犬も私が誉める。みんな喜んでいる。

途中でオシッコをしたり糞をしたりする。人が見ていないと、片付ける振りをするけれど、実際はしない。傍に人が居ると片付ける。嫌な感じだ。暖かくグニュッとしている。ティッシュを掛けて小さなレジ袋で取る。公園のトイレに逆さにして入れ、流す。レジ袋はゴミ箱に捨てる。前に誰も居ないと思って入ったら、レジ袋ごとトイレに流している人を見たことが有る。場所が悪いと流さないで藪に捨てたり、ゴミ箱に捨てたりする事もある。時々猫の分も持って行って捨てる。家から遠いから平気だ。みんなもやっている。

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2007年8月 7日 (火)

心配性・心肺症

自分は大昔受験をした時、特に心配はしなかった。あの答えはちゃんと書いただろうか、とか失敗したらどうしようかとか殆ど考えもしなかった。勿論結果が悪いことは幾多も有った。仕方がねえなあ、と思っただけである。暫くは力が抜けるけれども、過ぎた事は如何ともし難いし、そもそもそれを招来したのは自分であるし。

後年入札に参加することが、業務の大きな柱だったが、失格になったらどうしようとか、まけたらどうしようとかは受験と同じで殆ど考えなかった。精々考えたのは力不足若しくは読み違いで参加が出来なかったら嫌だなあと言う事。札を入れた後は、特段何も心配はしなかった。もう考えてもなんにも成らない。期日が来れば分かることだし、別に打つ手は無い。

と言うと自分は全く心配性じゃない様に感ぜられるが、逆である。全くの心配性である。

1人で家にいる。気楽、暢気で好きである。良く本を読む。歴史の本だと近くに年表と人名辞典を用意しておく。散歩にも行く。大きな雑貨屋?に入って新しい発見を期待する。簡単な料理(即席ラーメン+半ライス+卵焼き+漬物+大福)をしてテレビを見ながら、時間に因ってラジオを聞きながら食べる。中央線若しくは西武線の人身事故のニュースが流れる。やおら心配になる。家の者が轢かれてのではないか。

胸中に心配の黒雲がムラムラッと湧き上がる。脇からタラッと汗が流れる。額にジワッと脂汗が滲む。否そんなはずはない。時間的におかしい。少し安心するが、不調で少し休んでから移動したので時間が掛かったのかも知れない。台風の接近の時の流れの速い雲が心の中を流れる。心臓がドキドキする。息が荒くなる、だから心肺症と言う訳ではないが。そんなことはない。必死に否定する。時間と共に冷静になって、今までも何でもなかったのだからきっと今日も何でも無いだろう、と思う。段々振幅は小さくなって行くが、心配は止まらない。夜に成って家人が帰る。概ね予定通りである。安心する。心配したことはおくびにも出さない。

家人が色々話す。そうかそうかと言って聞く。時々質問とかする。心配したことは全く言わない。家人は「暢気で良いわねえ」と言う。

暢気なのだろうか。

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2007年8月 5日 (日)

それぞれ

「安奈、カレー煮な」じゃなく、アンナ・カレーニナじゃなかったっけ、幸福はどれもこれも似通っているが、不幸はそれ成りのやり方で不幸だ、みたいな話が最初に載っているのは。

自分の服装は至って地味である。ソフトを被っている。いつもサングラスをしている。口髭が有る。薄い縦縞のダークグレイのダブルのスーツを着ている。靴は黒のストレートチップオックスフォードを履いている。頭はお笑いのクロちゃんのようである。

頭に付いては色々試したが、結局効果は無かった。アデランネイチャーその他も考えたが、性に合わない。ドンドン後退してゆく。左から右へ流したが、無理が有る。ある時剃った。それ以来、数日に1回髭と共に剃っている。もう迷いは無い、多分。

羨望の眼差しで見ていた友人が有る。髪は黒々、フサフサである。同い年だが顔の感じも10才以上若く見える。羨ましい限りだ。何時か彼がポツリと言った。「どうしても出世が遅れる、同期だと老けて見える方が早く出世する」。仕事は人並み以上に出来るが、どうしても誤解に基づいたバランスを考え抜擢人事になると思うらしく出世が遅れるらしい。気の毒な事だ。

別の友人に白髪がいる。もう10年も経てば白髪の上品な老紳士だろうけれど、今は年齢不明の若年寄である。彼は若いときから白髪が多かった。それで染める気が無い内に機会を逸してしまった。眉目秀麗で白皙の美男なので、羨ましい限りだ。本人は茶髪や金髪にしたら、全く人種不明の年齢不明の困った事に成りそうだ、と言うことでママである。

気の毒な事で悩む人も良いが、他人から見れば羨ましいことで悩む人も多いことを知った。自分の様にワカハゲで、30代からクロちゃんのような髪型?頭型!にしている人を羨ましいと思う人は居ないだろうけれど。

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2007年8月 3日 (金)

深海魚

自分は水族館が好きだ。水族館のアクリルの向こうには綺麗な景色が展開している。1年に何回も見に行く。巨大な水槽の前で見ていると目眩がしそうになる。魚が自分にぶつかるわけは無いのだが、向かってきた魚の群が自分の所で二つに分かれて通り過ぎるような感覚に囚われる。それらは自分を単なる岩か何かの障害物として認識する。こちらから先方を見ているのとは全く違った感じでこちらを認識している。

夕方駅前を歩いていると、たくさん人が流れるように歩いている。何本かの筋に成って流れている。みんな水族館の魚の様だ。中には恐い顔をして先頭を切って居るような人がいて、深海魚に率いられた雑魚の様な群もある。それぞれの流れが、その意志で進むように流れている。駅のコンコースは、それなりの流れで歩かないと、邪魔者扱い。自分は今一流れに乗れない。立ち往生しそうだ。合流する交差点で上手く入り込めないドライバー。

誰でも深海魚と言われたら気分は悪かろう。リュウグウノツカイだの、アンコウだの、フクロウナギだのと言った日には、絶交か一発殴られる。「あんたは何なのよ」。

駅のコンコースはそんな深海魚が群で流れているようだ、大きな目を見ひらいているのに全く無表情で、反応無く近づいては通りすぎて行く。自分はそんな深海に漂っている。

話は変わりますが、自分の田舎の名物であるハタハタは、分類上は深海魚です。私の大好物の1つです。

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2007年8月 1日 (水)

ヒョウタン巨峰

友達に自分より二回り年配の人が居る、自分が時々訪ねては雑談をしている。自分は彼の話を聞いていることが多い。説教臭い話は全くない。自慢げな話も一切しない。雑談をしては時々ガハガハと笑っている。お茶をご馳走になって、タバコを勧められて、お菓子を食べて2時間ほど時間を過ごす。

彼の友人とは殆ど会ったことは無いけれど、時々話題に出て来て、それぞれの人となりが想像される。近況が変化するとそれなりにお話が出て来て面白い。彼に友人が沢山いるのは、きっと『あんたなんか』という気持ちが全く無いからだと思う。

彼の友人に自分と彼の丁度真ん中ぐらいの人が居る。もうとっくに引退しているが、自分から見るとお金持ちである風。釣りをしている、家庭菜園をしていると言うことを聞いている。彼は楽しみでヒョウタンの栽培をしている。どうやら10坪ぐらいの広さに立派な棚を作ってダイビョウタンを作っているようだ。

二回りの人から1回だけ大きなヒョウタンを見せて貰ったことが有る。立派なダイビョウタンに素人っぽい俳画があり、良く読めなかったが一句認めてあった。それに艶消しのニスが塗ってあった。括れているところに組紐が巻かれており、床の間に飾ればそれなりにちょっと話の種にして、訪ねてきた人と歓談できそうだ。

彼は今まで小さいのも含めて数個貰ったらしい。それなりに装飾をしているとの事。二回りの人は、柔らかく、もう飾るところも無いから、と言って謝辞ししている風。もう来ない事を期待している。まあ来たら彼の優しさで、貰うと思うけれど。

この前彼に会った時、果物の話になった。あちらこちらに果物狩りにいった事を楽しそうに話した。石和で温泉に入った帰りに買ったブドウはとっても美味しかった。あの斜面一杯に広がるブドウ棚を見ると、ああ山梨に来たなあと思うとの事。ピレネーとか巨峰は本当に美味しい。もう年だから行く機会は無いだろうけれど。それから彼は急に我に返った風で、「ヒョウタンじゃなく、巨峰だったら良かったのに」。

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