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2007年11月29日 (木)

卵の黄身

卵、よく食べる、誰でもよく食べると思う。~~、大鵬、卵焼き、今や死語に成ってしまったが。~~の方は自分には余り縁がない、故郷の近辺にはプロ野球のチームもなかったし、公式戦もあまり無かったと思う。有っても行かなかったと思うけれど、家族の誰も野球は熱心じゃなかった。

話は逸れるが大鵬は未だにファンである。子供の頃田舎の町に巡業に来た。今もそうだけれど、色白でハンサムで堂々と立派なのに親しみが持てた。自分が生まれた田舎と縁も有るし。小学校の児童会長を決める選挙で、大鵬と書いた奴がいたらしい(俺じゃない)。その内相撲博物館に行って望見しようと思っている。

一頃、卵はコレステロールが多いから多く食べてはいけない、と言われて家庭内で卵が制限されていたが、その後科学が進んで、一日に二個ぐらいまでは良いことになった。でも昔のコレステロールは何処へ行ってしまったんだ。それから卵を制限して居た頃も、上限付きながら解除に成ってからも、自分のコレステロールは高値安定。家族は同じ様な物を食べているのに、健康的安定、食べ物とコレステロールは我が家では相関が無い。

最近オムレツをふっくら作る技術に開眼した。積年の修行が実を結んだ、と言うことはないけれど。温泉卵も好きでよく食べる。薄く焼けただけの目玉焼きの両面焼きを温かいご飯の上に乗せて、醤油を垂らして、卵掛けご飯。白くふんわりした目玉焼きの片面焼き、スクランブルエッグ、厚焼き卵、キャベツを入れた即席ラーメンの上に有る生煮えの卵、その黄身を麺に塗しながら食べる。その他もろもろの卵料理。卵は我が友である。

自分は卵のブランドには余り関心がない。安くて新鮮で殻が固ければ、シロ、アカ拘りはない。依って卵の黄身が箸で摘める、黄身に爪楊枝を何本も突き刺して倒れない、等という売り文句は、どう言う意味だろうと思う、黄身の皮が固い?黄身自身が固い?美味しいとか、濃厚とかを表したいようだが。健康食品の宣伝と一緒で余り好きになれない。

美味しいから買って食べてください、と言うのは好感が持てるが、実際は責任有る発言が全くない印象映像だけではねえ。

数年前に鳥インフルエンザが養鶏場に感染して、悲惨な結果を招来してしまった。初期段階で誰か親身に相談してやれなかったものかと思う。物見高い連中は寄って集って、正義を振りかざした。全く見るに堪えなかった。

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2007年11月27日 (火)

お握りの食べ方

我が友人の1人がポツリと言った言葉「塩結びが1番美味しい」。

最近焼きが回ってきて、食欲が無いというか、食が細くなったというか、ガッツリ食べる事って無くなってしまった。お握りは市販の物なら2個も食べれば暫くそこから動きたくない。美味しいとは思うが何かとてもくどい、もっとサッパリしたものは無いのか。あの複雑な工程を経て手品の様に海苔がご飯に巻かれてすっぽり収まると言うのは、いつ見てもエライ。

駅のホームで電車を待ちながらお握りを食べている人を見ても、コンコースでお握りを食べながら歩いている人を見ても、通勤のバスでお握りを食べている人を見ても、コンビニから出て来て直ぐ袋からお握りを出して食べる人を見ても、今は驚かなくなった。自分は未だお握りは食べられない。ペットボトル入りの飲物は時々飲む。

『丸くて黒い物』の太郎が未だ大学生の頃、一緒にハイキングに言ったことがある。そんな事だろうと思って、沢山作って行ったのであるが、お握りを6個だったかを食べた。まったくもってこちらも美味しかった。作った甲斐が有るという物だ。もう彼自身は忘れているかも知れないけれど、こちらにとっては忘れ得ぬ楽しい一情景。そう言えば何処へ行ったんだったかなあ。

なるべくならば、寒空に延々と並んで、ボランティアが配給するお握りを貰うために並ぶ、と言うことは発生して貰いたくないものだ。出来れば、そう言う団体にささやかながら喜捨をするという形でいたいものだ。富貴は天にありだそうだけれど、貧困は地にありか、自己にありか、これも結局は天に有るのだろう。天に居るのは何方か知りませんけれど、そっちの方には連れて行かないで。

今度の休みの日が温暖ならば、塩結びにタクアンを付けて経木か竹の皮もどきに包んで、近くの緑道のベンチで食べようかなあ、ポットの熱い番茶を飲みながら。

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2007年11月25日 (日)

落花生の食べ方

子供の時から落花生が好きである。中学生の頃だったか、近所の農家の庭先に落花生が収穫されていた。自分が生まれた地域では落花生は結実しないと思っていたのでちょっとカルチャーショックを受けた。食べてみたい気がした。その後どう成ったかは不明だけれど、見たのはそれっきりだったから気候が合わなかったのかも知れない。

最近2回ピーナッツバターを試してみたが美味しいのには当たらなかった。安かったからだろうけれど。あれじゃ固定客は付かない。落花糖は閑なときに自分で作って食べる。買っても食べる。黒糖でも白糖でも良いが、自分は黒糖の方が好きだ。

美味しいバタピーにも柿ピーにも最近巡り逢っていないなあ。これもやっぱり安いのを買うからだろうけれど。

テレビを見ながら殻を剥いて食べる。椅子の周りが散らかる。服の胸の辺りにも粉が飛ぶ。パタパタ払うと家人にジロッと見られる。

沖縄でピーナッツから作った、名前もそのまんまのジーマーミートウフという物を食べたことが有る、高級な物だろうけれど、サラッとした豆腐を期待していたので濃厚で驚いた。

昔パキスタン辺りで仕事をしていると、天秤棒で担いだピーナッツ売りが居た。時々買って食べた。殻付きは茹で、が多かった。新聞紙で作った紙袋に入れてくれた。知らないで初めて食べたときは、驚いた。指先が濡れた。初めての経験。その内何とも思わなくなったけれど、指先が少し黄土色に汚れた。同僚の話によるとピーナッツ売りはとっても豊かな生活をしている、客単価は安いが、総売上は多くて利益率は高いからと言っていた。そうかも知れないけれど、何となくそうでもない気がしている。そんなに良かったら参入者が多くて分母が多く成って大きな利益は長く続かない。

この前、家庭菜園をしている姻戚のオバサンから殻付きピーナッツを貰った。茹でて食べた。絶品だった。その後数軒農家持ち込みの直販店を探検したが、剥いた乾燥ピーナッツは店頭に有ったが、殻付きの生ピーナッツは発見出来なかった、残念。

オバサン、来年はもっと沢山播種するらしい。オバサンの家族やその他上げた人達から絶賛されて俄然その気になったらしい。来年は美味しい茹でピーナッツを何回か楽しめそうで今から期待している。

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2007年11月21日 (水)

丸くて黒い物

昔、昔、太郎が未だ小学生の低学年の頃の話。当時自分は未だ大学生だったような気がする。何故ってその事が発生したのは冬休みだった。田舎に帰って正月を過ごそうと思って帰省していた。

実家には畑と果樹園が有って帰省の度に遊びに行った。その日は何人かで遊びに行っていた。自分の父親が果樹の剪定をしていた。太郎にしてみれば外祖父、有り体に言えばお祖父ちゃん。我々は遅く採れるリンゴの残りを取って食べて後は手伝うようなそのあたりを彷徨くような事をしていた。葉っぱが落ちた果樹園は明るく、夏とは全く感じが違う。もうかなり寒くなっていて、地面は乾燥と寒気で固くなっていた。

その内太郎が指先で摘んで丸くて黒い豆のような物を持ってきて、自分に見せた。たくさん落ちているという。

「何だと思う?」

「分かんない」

「まあ、いいからそこに置け、取りはせんから。それはね、それは、それは、ウサギの糞」

可愛い甥っ子だもの、ちょっと食って見ろとは言わない。

「ワー、騙された、キッタネー」(陰の声;誰に騙されたんだ?)

つい先日家人がバジルの種を捨てた、折角拾い集めていたのに、中に幾つか青虫の糞が混じっていたことが判明したからだ。自分は気にすることは無いと思うが。

外見は似ているが出自が違う物が世の中には多い。

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2007年11月19日 (月)

猫の食べ方

生きの良い猫を三枚に下ろして刺身、みたいな話では有りません。

猫の手も借りたい、と言うのは多忙で誰でも良いから手助けが欲しい、位の意味だろう。その裏には、猫の様に手に肉球が着いていて物が掴めず殆ど役に立たないだろうけれども、居ればきっと何かの手助けには成るだろう、とか、寝ているかと思うとムックリ起き上がりふいと何処かに行ってしまう程気まぐれだけれども、とか、からかってじゃれさすと、目をランランと輝かせて、無駄な遊びを延々と遣るとかの揶揄が入っているように感じる。

猫もみくびられたものだ。猫の代わりに一言言いたい、今度生まれるときは、熱帯の猫にしようと思っているので、と言うこともないが。

猫は今、家族もどきに成り下がってしまった。与えられた物を食べて、下手をすれば、家の中から一歩も出ないで一生を終わる。昔は自由に家と言わず、近所と言わず好きなところを好きな時に彷徨いて、気分が向かなければ、何日も外泊して帰らず、帰って飼い主が喜んで、撫でたりすればその時だけ、ゴロゴロ喉を鳴らして、後は直ぐ勝手気まま。ネズミを半分食べて放置し家人を驚かしたり、カナヘビを取ってきて家に放したり、小鳥を捕って家人を慌てさせたり。気が向かなければ、飼い主が与えた餌を全く無視して通り過ぎて何処かに勝手に行った。かと言えば飼い主にまとわりついて餌を催促したりした。

暫く前に、テレビを見ていたら、どっか、余り記憶がハッキリしないが、外国での話、何匹もいる猫が食事の時に、皿の周りにグルリと集まって、皿に入ったキャットフードに手を出して1個掴んでそのまま口に運んで食べる。喧嘩もしないで、大人しく仲良く1個掴んでは食べ、又1個掴んでは食べる。それはそれは可愛い。

それを見ていたら、昔、中近東で大きな皿の周りに座った連中が、自分も含めて、その大きな皿から鶏肉入りサフランライスを取っては食べて、食べては取って、をした事を思い出した。汗臭くて猫ほど可愛くはなかった。でも自分以外は手で食べていた、猫のように、自分はいつも持っていたスプーンで食べた。

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2007年11月17日 (土)

携帯VSペースメーカー

実際に事故が起きているかは不明だが、電車の優先席付近で携帯電話を使っている人が居る。そこでは電源を切るように車内放送しているが、あまり効果は無いようだ。多分これからも放送は続くだろうし、携帯電話を使う人は居るだろう。

きっとペースメーカーを付けて居る人は、近くで携帯電話を使っている人が居ると、胸騒ぎがしているだろう。使って居る人が数人になれば、多分相当嫌な感じに成っていると思う。でもその時に特段の異常が無ければ苦情も言いにくいし、ペースメーカーを使っていることを話すことも躊躇されるし。

1ヶ月ほど前に航空機内で携帯電話の電源を切らない人が居て、その電波が原因と思われる障害で航空機の通信が各系統不通になったことが有った。

ペースメーカーもそれなりの防御をしていると思われるが、その日、何か特別要因が加わって、携帯電話の電波の為に付けている人が重大な影響を受ける事も有るかも知れない。

光子は最近忙しくて疲れ気味で有った。いつもの当駅始発の優先席に乗り会社に向かった。もうすぐ停年である。その日は電車がいつもより混んでいた。三つ目の駅から麻美がそこへ乗ってきた。彼女は短大の1年生である。遅れたので友達にイーメイルを送った。彼女は次の乗換駅で降りた。反対側に坐っていた光子は急に苦しくなりその乗換駅に着いたときはもうグッタリしてしまった。誰も異常には気付かなかった。

電車はそこで又たくさんの人を乗せて出発した。

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2007年11月15日 (木)

ウナギの食べ方

鰻重を初めて食べたのは、遠戚のオバサン一行が東京に何かの用事で来て、成り行きで一日付き合ったときに、昼にご馳走になったときである。街を言われるままに連れて行き昼食はウナギを食べようと言うことに成ってうなぎ屋に入った。みんなが上を頼んだので、自分にも成り行きで上が来た。肝吸いと奈良漬けも付いていた。初めて食べた。

「へえ、こんなものか、テレビで見るのと一緒じゃないか」

あれからウン十年。1年に3~4匹位ずつ食べたとしても100匹は軽く越えているわけだから、それを1回にウナギの籠に入れたら、相当えぐいものに成るなあ。

昔時々昼食の時に行っていた店では、鰻丼も遣っていた、サッパリしてウナギの量も少なく自分の好みで有った。その店の隅にはウナギが入った黒っぽいプラスティックの籠が有った。ちょっと覗くとあの黒い奴がのたくっていた。相当生命力が強いものだと思う。

78年前秋に外房の港の岸壁で釣りをした。ハゼなどの小魚が釣れた。何か変わった浮子の動きで合わせたら、引きがおかしい。無理、無理上げたらウナギだった。持ち帰り蒲焼きもどきにして食べた。目釘を打てるまな板はないし、家人はウナギが暴れるのを見て、恐れをなして逃げるものだから、のたくっている奴を1人でやっと捌いて、一部は三枚に出来たので蒲焼きもどき、残りはぶつ切りにして半分は佃煮もどきにして、残りはみそ汁に入れて食べた。捌いても未だ身がうねるのでそれなりに気持ち悪かった。そう言うところはヘビと似ている。

今年、自分で捕ったウナギを土用の丑に食べようと思って笯を作ったが、完成する前に季節が過ぎた。同時にドバミミズを付けた仕掛けでウナギを釣ろうと思って夕方満ち潮の時に河口付近に釣りに行ったが2回ともピクリともしなかった。今年はもう駄目っぽいから、この計画は来年に延期。

ウナギは最近安くても結構美味しいからスーパーで買って、電子レンジで温めて、タップリ山椒を掛けて食べるのも良いが、一応そこら辺に自由に暮らしている奴が、居そうだから、そう言う奴を捕まえたい。

来年は笯か釣り上げたウナギを食べるぞ。

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2007年11月13日 (火)

ふぐの食べ方

つまみでふぐの干物は馴染み深かったが、ふぐ料理を食べたことは無かった。自分が生まれ育ったところにふぐの料理が有ったかどうかは知らない。漁師は食べていたのかも知れないが、自分が育った家庭ではふぐ料理は無かった。

学校を卒業して、初めて入った会社の時にふぐを食べた。入社した年の冬に、成り行きで近くの繁華街である歌舞伎町に行って、ふぐを食べた。その時は先輩がご馳走してくれた。楽しく食べたて話が弾んだ。

沖釣りに行くようになって、東京湾でも外房でも時折ふぐが釣れる。自分にはトラフグは釣れたことは無いが、聞くところに依ると大きなトラフグを釣って喜ぶ人もあれば、知らないで放流する人もあるらしい。マフグ、アカメフグ、シロサバフグなどが釣れれば、その場で背ビレの後ろにナイフを入れ背骨を切り、皮を剥いて一気に内臓まで取り身だけにして持ち帰って食べている。最初家人には知られないようにこっそり食べていたが、その内露見してしまった。今でも不安そうに見られるが今のところ大丈夫である、1回も死んでいない。痺れたこともない。塩焼きが淡泊でビールのつまみに合う。刺身も煮付けも美味しい。フグは頭ばっかりで食べるところは少ないが、骨離れも良く味も良く、釣れるとニッコリしてしまう。

自分よりかなり年配の友人と、数回、内房と三浦半島に釣りに行った。岸壁からである。雑魚が釣れて面白かった。最初と2回目に比較的大きいクサフグが数匹釣れた。友人が食べると言って持ち帰った。その後も釣りに行った、と言うわけで友人は何ともなかった。自分は今のところクサフグを食べる悟りは無い。

何年か前に九州旅行をして、豊後水道のふぐ料理を食べた。トラフグ。家内と2人で何種類かの料理を堪能した。誠に美味しかった。自分達としては最大の贅沢であった。それ以降、冬になったら毎年1回はふぐを食べようと言い合っているが、経済の問題もあり、機会の問題もあり実現していない。

もうすぐ季節だ。今年は何とかして、『ふぐ料理始めました』の看板が下がったちょっと良い料理屋に予約して行きたいものだ。

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2007年11月11日 (日)

老人の餅の食べ方

正月になると、老人がモチを喉に詰まらせて亡くなった、と言うニュースに接することが有る。お気の毒である。家族はビックリ仰天。本人は訳も分からないうちに昇天。或る意味本人は好きなものを食べて浮き世とおさらばだから、それはそれなりに運命だったのだろう。

真夏に近くの小川の有る緑道を散歩していたときに、ネズミモチを見て、正月のニュースを突然思い出した。夏の真っ盛りにモチを食べる人は少なかろうが、好きな人は好きなわけだから食べている人も居るのだろう。

昼食で蕎麦屋に入ると真夏でもチカラウドンを食べている人が居る。自分は真冬でも冷やし中華と素麺を食べている。真夏の昼に散歩の後、シャワーを浴びてソーメンを食べて昼寝って、良いよねえ。セミの音が聞こえてきたらもっと良いねえ。熱い鍋焼きウドンを食べてタップリ汗をかいて冷たいスイカを食べて昼寝も良い。遠くで祭りの太鼓が鳴っているともっと良い。

運が良く長生きできれば、誰でも老人になる。運が良いか悪いか、その内幾ばくかは耄碌して仕舞う。本人は暫くすれば耄碌している事に気付かなくなる。家人はそれを中々受け入れられない。

何故かは分からないが、当人は一度に沢山食べられないためか、他の理由からか、直ぐお腹が空く。家人に話すと今は10時であること、さっき朝食を食べたばかりであること等を優しく話すが、実際老人はお腹が空いている。涙ぐむ老人も居る。お腹が空いているのに、この人達は自分にご飯も食べさせてくれない。

いきおい家人が居ない時、特に正月などいつも直ぐ食べられるものが沢山あるときは、1人で食べる機会が多くなる。家人が庭で遊んだりしてちょっと留守にしたときは、雑煮のお汁も有るし、モチも沢山あるし、自分で雑煮を作って食べる。家人に見つかったら、何かいわれはしないかと思って、急いで食べる、ドンドン好きはモチを食べる、喉に詰まる。助けを求める声も出ない。

食べ過ぎは良くないと思うけれど、出来ることなら一日5食でも食べさせてあげれば良い。もう余命は幾ばくも無いのだから、程よい体型で体が健康で晩年を送るばかりが価値が有るわけではない。テレビと食べることが楽しみなら、そうして上げたいものだ。気づかぬうちに、自分の価値観を押しつける事無く、先祖返りしてしまった自分の親にせめて食べる楽しみをもっと与えたい。

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2007年11月 8日 (木)

お節料理の食べ方

今だと全然関係ないので安心の季節だ。未だ商戦は始まらないし、今年の記憶も遠くに成りにけり。

正月にご近所の1人で暮らしているお爺さまからご招待が有れば、新年のご挨拶に行ってお節料理をご馳走になる。お節料理らしいお節料理を食べるのはその時だけだ。何処か有名なデパートに売っている有名な料理屋の贈答用。お爺さまが自ら真空パックを開けてそれらしい重に入れて、お目出度そうな取り皿と取り箸とを揃えてくれて、お屠蘇を一杯頂いてお節料理。

ちょっと逸れるが自分は伊達巻きが好きなのだけれども、一年中全く気にならなくて正月になると気になる。普段も売っていると思うが目に付いたことが無い。自分は頻繁にスーパーに買い物に行く、いわゆるスーパーマンである。何処に有るのだろうか。みんな見て歩いている風でもきっと、心の中で大抵は買うものを決めていて、そこに真っ直ぐ行ってしまうのかも知れない。TVのコマーシャル恐るべし。あ、家にはTVが無かった。新聞も取っていないし。

新しいスーパーに行くと新しいものが見えて新しいものを買うことが多いがいつものスーパーだといつものものを買う率が高い?きっといつものもの以外は目に映じてない危険が有る。今度スーパーへ行ったら他人の迷惑顧みず、流れに逆行して見て歩くべし。

お爺さんのお宅へお邪魔したら、最初の5分ぐらいは、改まって新年の挨拶やら旧年のお礼やら。後は2時間ほどの雑談、段々アルコールが回ってきて、話はあちらこちら寄り道をして、最後はどうでも良くなってお開き。てくてく歩いて帰宅。1年の出だしが良いのか悪いのか、そんな感じで始まる。

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2007年11月 6日 (火)

マテバシイの食べ方(1)

街の中をブラブラ歩いているとマテバシイの並木は多い。自分が住んでいる近くにも一列100本位の並木が何カ所にも有る。小公園にも数本植わっているところが多い。

昔は実の量も多いしそのまま食べられるので救荒食として各地に植えられたらしい。今は常緑で剪定にも強く、その上成長が早く大気汚染にも強いから街の緑化に使われる様になったのだろう。

自分が生まれ育った田舎にはマテバシイは無かった。生育には寒すぎた。温暖化が進めばその内海岸線から育ち初めるかも知れないけれど。

図鑑でそのドングリが食べられる事は知っていた。ドングリの生る木は何種類も有ったが、食べられるものが無いのは、不平等な気がして何となく気分が良くなかった。

長じてこちらに出て来て公園でマテバシイらしい木を見つけたが、その時は実がなっていなくて取ることが出来なかった。その内暫く忘れていた。

ここ数年は、毎年この時期になると拾ってきて食べている。そのままでも十分食べられる。剥いて砂糖まぶしにすればそれはそれで美味しい。茹でて塩を振って食べても良い。沢山取ったら、十分乾燥させてカビが発生しないようにして保管している。休みで閑なときに食べる。何千年も前の気分が味わえる。

米が日本人の食生活に入り込む前は栗やドングリが可成りの比重を占めていたらしい。自由人も沢山拾って米の代わりに食べれば良いと思う。少なくとも買わなくて良いわけだから。小公園に行けば数キロ拾うのは訳はない。並木を巡るなど真面目にやれば、冬中の最低限の穀物は確保できる。売るなら銀杏の方が良いかも知れないが、あれは毒が有って大量には食べられないから自家用には向かない。大量に食って痙攣起こして、オッチンダリしちゃ洒落にならない。

「ホームレス毒を食べて孤独死」ぐらいの見出しが付けられそうだ。

朝は温かいご飯にみそ汁、漬物、納豆、それにアジかイワシの干物が有れば良いのだろうけれど、自由人としてはそんな贅沢はして居られない。マテバシイを食べて、一杯引っかけて。食べてしまえば、何だってそれなりに満足するものだ。昼は半カレー付きの蕎麦セットが良いが、持参の塩ゆでマテバシイと砂糖まぶしのマテバシイ。夜は焼き鳥で一杯の後トンカツが良いのだが、マテバシイ粥で軽く済ませたい。健康第一。

何か稼ぎが有ったときは、でもやっぱり温かいご飯だろうなあ。好きな鯖缶を開けて。

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2007年11月 4日 (日)

ヤヨワゲメヨ

誰でも勘違いや無知から間違って記憶している事が有ると思う。自分はきっと平均を大幅に上回っている気がする。

昔はこの場合、江戸時代とか、には藩校とか寺子屋で論語何ぞを習っていたらしい。今とはちょっと読み方は違うだろうけれど、当時の話し言葉に引きずられた読み下しをしていたのだろう。解説も有っただろうけれど、それも大部分は為政者、若しくは権力の有るものに都合の良いものが多かったに違いない、まあ現代と大して変わらない。

意味も分からず丸暗記して大人になってからその意味を知るように成る人も多かったらろうし、ハッキリ知ることもなく、頭の中に仕舞われたまま二度と外に出てくることもない人も多かっただろう。たまには翻然と理解すると言うことも有ったかも知れない。

昔の人も賢さ加減、馬鹿さ加減は今の我々と大した違いは無いだろうから、間違って覚えて正す機会に恵まれずに、そのまま間違って覚えたり、意味も分からず覚えていたりする事だって、結構有っただろうと思う。

江戸時代の大部分の人達は世界地図は不要だったし、日本の歴史だって多分殆ど知らなかっただろう。今の様に旅行が盛んな訳ではないから地方のことは、関心も無かったし知らなかったと思う。そう言う意味じゃ暢気で良い時代だったかも知れない。

我々は何が必要で何が不要かもよく考えないで、成り行きと時代の変遷の間に揺れ動いて生活している。自分が小学生の頃とは今は相当違っている気がする。自分は小学校の時は相当ボンヤリしていたが、(陰の声:今でもボンヤリしているぜ、と言われそうだが)卒業式の時だけ歌う“仰げば尊し”は部分的に相当誤解して覚えていた。当時はなんにも考えないで、不思議とも思わなかったけれど。

仰げば尊し、我が師の恩 → 扇げば尊し、和菓子の恩。

身をたて名をあげ、やよはげめよ → 箕を立て菜を上げ、ヤヨワゲメヨ

他の所は兎も角、ヤヨワゲメヨって全く何のこった。主語ヤヨワ、動詞ゲメヨ。全く訳分からんけれど、特段の不都合もなく、楽しい小学校生活だった。

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2007年11月 2日 (金)

階違い

誰でも勘違いと言うことは、有ると思う。自分は多いのか普通なのか少ないのか不分明であるけれども、普通の範囲内だと期待している。

電車の乗り換えで逆の方向へ乗り込んでしまう事は滅多にないけれど、1駅ぐらい乗り越すことは多いし、住んでいる集合住宅で、自分の階を通り越して、1階上に行ってしまう事もある。

今まで1回しかないけれど、自分が住む階を通り越して行き、廊下を歩いているときにも気付かず、自分の部屋の位置でカギを差し込みドアを開けようとした事が有る。幸い全く違うタイプの鍵で差し込めなかったから、変だなあと思って表札を見たら、見慣れない表札で一瞬トリップした。

自分には本のちょっとした時間であったにも拘わらず、自分が住んでいた時空では長い年月が経って自分の家族は自分を諦めて、何処かへ引っ越ししてしまった???自分はその間何していたんだろう??それとも自分はそっくりの異次元に入り込んだのでは無いか?普通そんな事は滅多に起きない。モザイク行動の様にちょっと振り返ると何かいつもと景色が違う、木の高さが違うようだし、ものが見える角度が違うようだ。1階余計に上がってしまった。すごすごと帰りながら、万が一何かの偶然でドアが開いて中の人に見咎められたら、それはそれで面倒な事に成っただろう。ああ良かった。又あらあなたお帰りなさい、とか言われて記憶と違う所に入っていったら、これはこれで結構な酩酊状態に成りそう、後で醒めたらID失うなあ。

やっと自分の階に戻って、ドアの鍵を開けようとしたら、又別の表札。この時は本当に血の気が引いた。オイオイ、時空が錯綜したか。安直なテレビドラマじゃないんだから。ちょっと振り返ると何かいつもと景色が違う、木の高さが違うようだし、ものが見える角度が違う様だ。1階余計に下がってしまった。ちょっと上気しながら今来た階段を引き返した。今度は途中で方向を間違った。下ばかり向いていて、踊り場で反対に曲がって壁に直撃。ずっこけて尻もちをついてそのまま転んで後頭部まで打ってしまった。

ココで悪夢からは醒めたが、気を失って階段をズルズル滑り落ちた。

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