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2008年1月28日 (月)

年賀状、家の長男です

喪中欠礼の葉書を貰うのは致し方ないとして、寂しい。故人が高齢だと少し救われる気がする。写真が印刷してあって猫だったりすると、どう言う風に考えたらいいのか、よく分からない。家族同様の気持ちで暮らしていたのだろうけれど、尊属が死んだら、なんて挨拶するのだろうか。

自分が犬か猫を長年飼っていて、それを知っている友人には、喪中欠礼ではなく、死んだら葉書を出して、お知らせするかも知れない。受け入れられる程度の喜びや悲しみを共感するのは、友情の一環だと思う。でも少し危険な賭の匂いがする。

年賀状に家族の写真が印刷してあるのは、好ましいと持っている。普段着も良いし、旅行のスナップも良いし、正装も良い。奇天烈なのは止めてほしい、正月から目眩がする。特に赤ん坊の素っ裸は止めた方が良いと思う、幸いなことに自分は貰ったことがないが。几帳面な人なら、その人が成人式の時に、偶々会ったりしてその写真を思い出して興ざめするだろう。顔が赤くなったりするかも知れない。

ちょっとしたコメントが有って良いし、通り一遍のもそれはそれで良いと思っている。昔の思い出が有るばかりで、何十年も会っていなければ、特に書くことも無いし。年賀状を貰えば、当時を思い出したり、今を想像したり、色々考える。

犬の写真が印刷してあって、我が家の長男です、なんて言うのにはゾッとした。おまえんちの倅は犬か、するとおまえは何だと、思わず突っ込んでしまう。その場合、長女は多分人間だったりするのだろう。

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2008年1月25日 (金)

肥後の守

今でもナイフは時々使う。

チェックインの後の検査ゲートをずっと普通に通りすぎていた小さなナイフが、没収された。キーホルダーの中に吊り下げていたくらいだから、小さい物だ。ナイフとハサミが仕込んである赤い奴。そんなに頻繁に使う訳ではないが、旅行先でちょっとした物を切るのに便利であった。抵抗しても無駄なので、大人しく引き渡した、迂闊だった。職員も業務とはいえ少し気の毒風の顔をしていた。当方は残念そうな顔をしていたのだろうと思う。

一頃より釣りに行く機会が減った。特に寒い季節には殆ど行かなくなってしまった。それでナイフを使う機会も減った。船上でも岸壁でもナイフが無いと落ち着かない。釣った魚を締める、小魚を切って餌にする、貝を割って餌にする。実際は頻繁に使うわけではない。それでも無いと落ち着かない。孤独な釣りの友。

山菜採りにもナイフは必需品だ。山菜採りに使うと言うより、持っていれば安心して山中を歩けると言うほどの事だけれど。大抵の山菜は手で充分取ることが出来る。ヤマウド、ウルイはナイフが有ると便利という程の事。

山で犬に会ったことはないが、会ったらゾッとするだろうなあ。ナイフが無ければもっとゾッとするだろう、犬嫌いだし。

小学生から中学生の頃にかけては、何時も肥後の守を持っていた。鞘に付いた穴にヒモを通してバンドに巻いて落とさないようにしていた。大事に使っていた。今では高価な~~作、と言うものも有るけれど、当時田舎の子供が自分の小遣いで買って持っていたのだから、そんなに高い物ではなかった。

放課後は川で釣りをした、小川で魚掬い、竹を削って、竹とんぼ、竹鉄砲作り、その他色々な物の細工に使った。里山で駆け回った。適当な木を切って、握りに模様を削って、振り回して、ヘビが出てくればその棒で撃退、草を払って、蜘蛛の巣を払った。地バチの巣が有って差し込んでそれで少し壊すと、ハチが沢山出てきて、クマザサの中を無我夢中で逃げたこともあった。我々は遊び回った。

中学を卒業する頃には、肥後の守も段々出番が減り、いつの間にか引き出しの中が定位置と成った。肥後の守に思い出が宿っているわけではないが、当時の事を思い出すと、肥後の守と自分が同じ絵の中に静止画としてスライドショウが展開する。

今度帰省したら、田舎の古い物入れをちょっと覗いてみよう。

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2008年1月22日 (火)

ティッシュー配り

自分は今までティッシュー配りのアルバイトをしたことはないが、大変な仕事だと思う。ただで有用な物を配って居るのに、避けられたり邪険にされたりするんだから。諸般の事情で要らなければ、ちょっとニッコリして通り過ぎれば良い、ニッコリしたぐらいで減る顔じゃあるまいに、その逆の迷惑顔をして通る人が結構多い。

怪しげなバーの宣伝だったり、なんの宣伝かは不明だが会員登録を勧める物だったりする事があるけれど、だからといってティッシュー配り、その人とは全く関係ないし、況や貰う方はもっと関係ない。怪しい宣伝のティッシューを貰ったからと言って、怪しい組織の関係者に成る訳じゃない。

自分はボンヤリ歩いているかも知れないし、鼻の下を伸ばして歩いているかも知れないが、別にそう言う人をねらい打ちしているわけではない。偶に若い女性?だけに配ろうとして、それ以外には見向きもしない、自分みたいな冴えないオジサンには邪険にする仕事熱心なティッシュー配りもいるけれど、大抵は誰彼構わず配るのが彼らの仕事だ。自分は何時も貰っている、出来れば往復貰いたいぐらいである。よく鼻を垂れるので大変重宝して使っている。

知り合いのオバサンが駅前でいつもの様にティッシューを貰った、何気で見ると自衛官募集中って紙が入っていた。その人の感想、あの人目が悪いのかしら、オバサンに配るなんて。買い物から自宅に帰って、主人にこれこれしかじか説明した。そして私に配ったのだから良いのかも、入れて貰えたら、二人で行きましょうよ、同じ部屋にして貰って、お食事も付いているみたいだし、服も貸してくれる様だし。毎日色んな訓練が出来て楽しそうだし、出来れば沖縄の様な暖かいところが良いわ。件の亭主、目をパチクリして、倅を差し出せって事だろうと思うけれど、と控えめに言ったら、家には娘しかいないのだからそんなことは無いと思う、と言いながら、自分は年齢制限で駄目そうと残念がったらしい。

45年前はティッシュー配りの人が、殆ど無かったように記憶しているから、少しは景気が回復しているのだろうか。バブルの時は、かなり多品種の物が配られていた。貰って重宝した物が多かった。筆記具、携帯吸い殻入れ、タバコ、石鹸類、飲料、プラスティック容器など。

心優しき人は、チラシだけでも貰ってくれるだろうけれど、ティッシューが有れば、貰う人は増えるだろうと思う。

困っていそうな人がいたら、そっと声を掛ければよいし、ティッシュー配りの人が居たら、地味に貰えばよい。貰わないでいかにもおまえ邪魔なんだよって態度に出ている人とは、友達には成りたくないなあ。

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2008年1月19日 (土)

納豆の食べ方

半年位前に鹿島灘に臨む海浜公園に遊びに行った。戻りに勝田駅の土産物売り場で藁苞に入った納豆を買うか買わないかで、暫く悩んだが結局買わなかった。自分にとっては量の割りには高価なこと、友達が1番美味しいのはスーパーで売っている安納豆だと言った言葉が耳の底で反響していたこと、それからもっと単純で強い理由は、私納豆嫌いなんです。納豆が好きで毎日食べると言うのは気が狂っているとしか思えない。勿論好きな人は毎日毎食2パックずつ食べた方がよいと思う。栄養有るし安いし、特段準備しなくても、開けて、同梱の調味料を入れてかき混ぜればもう“美味しく”食べられる。

実は納豆を食べる修行をしたことが有る。週末にスーパーへ行って、3個で百円のパックを2パック買って、その日を含めて毎日1パック夕食に食べていた。ご飯の上にかけて食べたり、掻き回さないで醤油を付けて、肴代わりに食べたり、トンブリや卵やとろろを混ぜたり、茹でたホウレンソウを細かく切ってそれに塗して食べたり。薬味に在り来りのネギや大根おろしを初め、唐辛子やその他色々試した。実験するのが好きな人は胡椒を掛けて食べてみてください。軽いカルチャーショックを味わえます。

週に1回は休肝日じゃないけれど、休納豆日でお休み。修行と言っても納豆は普通に食べられた。食べている間息をしなかった等と言うことはない。残念ながら好きには成れなかっただけです。今でも100円回転寿司に行けば必ず一皿軍艦の(軍艦も落ちた物だと思う、その内、本来の意味は失われるかも知れない)納豆を食べる。醤油はたっぷり付けるけれど、それ以外は普通だと思う。誰も修行の結果とは思わないだろう。

牛乳、卵、バナナ、納豆は色な意味で四天王だと思う。値段が安い、簡単に食べられる、栄養豊富、日本中何時でも何処でも簡単に手に入る、多分。貧乏人向けに絶好の食べ物だ、自分には絶好の食べ物だが、最後の一点は食べられるが、好きには成れなかった。

自分が生まれた田舎には挽き割り納豆という、粉砕された豆を使った納豆が有った。軍艦の納豆も挽き割りを使っているが、あれは納豆にしてから挽き割ったわけでは無かろうから、自分の田舎のメーカーの物を使っているかも知れない。

昔は納豆は自家製だったらしい。茹でた大豆を熱湯で殺菌した藁に包んで保温しておけば一日か二日で納豆に成ったらしい。子供の頃聞いた話なので、保温はどうしたかハッキリした記憶はないが、布団の様な物に包んで、経験知で囲炉裏から或る一定の距離に置いて熟成させたらしい。昔は豆も藁もふんだんに有ったから、時々作って食べていたのだろうと思う。雑菌が繁殖しやすいから夏は余り作らなかった様なことも言っていた気がする。

昔の人が特段賢いと言う事もないけれど、昔の人の生活の知恵は昭和40年以降急速に失われた。未だ漬物や干物、その戻し方、料理法はそれなりに知っている人が多いが、もう10年もすれば知っている人の数は激減するだろう。

昔JALの機内で配られたつまみにギョッとしたことが有る。乾燥?揚げ?納豆。思わず入っていた袋を見てしまった。納豆?出す場所違いません?間違って食っちゃったから飲み込んだ、と言う人も多いと思う。慣れない人にくさやの干物、ブルーチーズ、シュールストレンミング、タクアンの古漬け、こう言うのは不特定多数の人に出すもんじゃないような気がする。

当時未だ自分は納豆の修行をしていなかった。今は修行を終えて効果は期待した程ではなかったが、回転寿司で、納豆軍艦が食べられるようになった。

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2008年1月16日 (水)

焼け石に水

世の中に焼け石に水って事は多いと思う。勢力やら予算やら小出しにして、思ったような効果が出ない内に、マンネリ化してしまう、ってやつです。

最近は○○に毛生え薬って奴もあります。本人はネットでやっと海外から入手して密かに過大な期待を持って、家族にも内緒で夜な夜な試して、半年もすれば、そりゃ少し産毛が太くなった気がしますが、他人から見たら肌が荒れただけで、それ以外全く変化無し。遺伝子に打ち勝つのは大変です、と言う実体験。教訓としては努力の甲斐無し。

わしの田舎には焼け石に水ではなく、水に焼け石という物が有ります。正確に言えば石焼き料理とか、もう少し格好良く磯焼き料理とか言っております。元は漁師料理だったのでしょうけれど、ホテルの人がそれにヒントを得てお客さんの前で派手に料理をして、美味しく楽しく召し上がっていただく、と言うものです。

まあザッと説明すると、お湯の入った木桶と言うかちょっと深めの木の盥に海鮮鍋料理具材一式+調味料を入れておいて、それに多分800900℃に熱した真っ赤な火成岩を放り込んで短時間に調理して食べると言うものです。とっても美味しいそうです。自分は未だそう言う所で食べたことは有りません、つまり地元なので、ホテルに泊まりませんので。河原でBBQを遣ったとき、真っ赤に焼けた石を、鍋に入れてごった煮スープ何ぞを作ると、短時間で出来ます、その前に石を焼くのに時間が掛かりますけれど。

石焼き芋で分かるように焼いた石で食べ物を焼くとか、石焼きの焼き肉は焼けた石に肉を乗せて焼くと言うのが基本的発想ですが、わしの田舎では、水気の有る鍋料理にそこらに有った焼けた石を放り込むという逆発想のずぼら料理を発明したのであります。

皆さん、男鹿半島にいらした折にはどうぞご賞味あれ。

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2008年1月12日 (土)

初島旅行

30年以上前に初島に上陸したことが有る。上京して未だ1年も経っていなかった。久しぶりの気晴らしで兄と釣りに出かけた。車で移動しながら海岸線を物色している内に熱海港に辿り着いた。水が熱帯魚の水槽の様に澄んでいて、全く釣れる気がしなかった。それでも竿を出して暫く釣って居たのだけれど、実際全く引きはなかった。あーあと思っているところに、初島からの連絡船が直ぐ側に着岸した。じゃちょっと初島へ行ってみようか、と何の準備もなく渡った。今と違って、船は小さかった様に記憶している。

上陸して港の辺りを彷徨いた。釣り人が港に沢山いた。大部分の釣り人はメジナを狙っていたように記憶する。カワハギやアジなどは釣れていなかった。それで我々は竿も出さなかった。

港から坂道を登って島内に入ってゆく風だったが、クーラーやら竿やら持っていて、長靴だった。探検する格好ではない。来た船で折り返し熱海港に帰った。今考えてみると残念な事をしたと思う。当時は今よりよっぽど不活発だった。致し方ない。因って当時の島の様子は残念ながら分からない。ホテルは未だ建っていない、食堂街もなく、静かな所だったろう。

先日、思い立って初島に行った。

熱海で降りて商店街を通り過ぎる。きつい階段を下りた。何カ所か工事中の海岸通りを歩いて熱海港に着いた。もう乗船待ちの人が並んでいた。直ぐに乗って間もなく出航。揺れない船旅は好きだ。景色を見ながら、何かゆったりした気分、眠くなった。30分ぐらいで着いた。ゾロゾロみんなの後を付いて船から出た。港の前にある食堂街を歩いて適当な店に入った。何処も造作もメニューも同じ様な感じであった。ご当地らしいセットランチを食べた。ちょっと割高なような気がしたが、致し方ない。昼食後デジカメで写真を撮りながら、ダラダラと右回りで島内を巡った。30数年前に島内を巡っていれば感慨も一入だったろう。富士山がクッキリと見えた。

三分の二ぐらい巡った所ですれ違ったオバサンから、「もうすぐですか」と声を掛けられた。上り坂がもうすぐ終わるだろうかとの問い合わせだ。多分彼女にすれば未だ相当長い感じだろうと思うが「もう直ぐですよ、そこを曲がったら直ぐ、登りは終わりですよ」と答えた。

普段歩き慣れない人は、歩くだけで相当疲れる。登り坂が続けば、疲労困憊。他人に声を掛けて、あと道のりが少しである事を確認したいだろう。自分を励ましながら、歩を進めるのだろう。そのオバサンと話して間もなく、白い大きなホテルの前に出た。への字型で南面している。

真冬に23泊する、散歩する、本を読む、昼寝をする、新鮮な魚介を使った料理を食べる、夜はちょっとお酒を飲む、そんな静養をしたら、さぞかし心が安まる事だろう。

ブラブラ歩いていたら、蘇鉄が自生していた。よく見たら種がたくさん有った。黄色の粉っぽい花に手を突っ込んで種を5つ貰ってきた。帰って直ぐ鉢に植えた。発芽したら、外房の庭に植えて気長に大きくしたい。自分が尊敬する井上某の旧宅には大きな蘇鉄が有るそうだ。春になったらその蘇鉄を見に行こう。

島には数百年と思われる黒松の大木が沢山有った。風で折れている物も有った。無惨である。今はもう防風林の役目は卒業したのかも知れない。傲然と空に突きだして生えている様は、誠に力強く胸を打った、寂しくも有ったけれど。これを見ただけでも島に渡った価値は十二分に有った。

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2008年1月 8日 (火)

おばか専門家

人と話す機会は余りないが、偶に専門家という人々の話を聞く機会が有ったりすると、「ん、ん」と思うことが有る。何かの専門家でその道にはとっても詳しいが、その道の知識を使う娑婆に対する知識常識が何か不足しているのではないかと、若しくは理解が不足しているのでは無いかと、不安を覚える事が有る。

もしかしたら夏目の親分が博士号を辞退したときは、そんな仲間では有りません、わたしは娑婆で常識的な暮らしをしております、と言うつもりだったかも知れない。わしだったら、有っても邪魔にはならんわい、と思って貰っただろうけれど。

今日、福岡市の飲酒運転三児死亡事故に対する一審判決が出た。検察は即時控訴した方が良いように思う。さもないと、その内に飲酒で重大事故を起こしたら、脇見運転をしていたと、堂々と主張する輩が出るだろう。

これは日本人の道徳の根幹に拘わる問題をはらんでいる事件だと思う。別の「専門家」が言うように法律が不備かも知れないけれど、そんな詰まらん問題ではないと感じる。それなりの法律は有るのだから、道を付けるのはあんただよ。(あんたって、説明の必要有りませんよね)

多数決が必ずしも正しいわけでは無いと思うけれど、市井のサイレントマジョリティは検察を強力に支持していると思う。サイレント~~だから、黙っているけれど。そうすると又、あなたが正しいと思ったら、その意見を発表すべきです、みたいな人が出て来て、問題を益々ややこしくする。

こんな判決が、もしパキスタンのトライバルエリアで最終審になったら、被告には悲惨な運命が待っている。悲惨なのでこれで止めます。

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