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2008年2月29日 (金)

ウドの食べ方

去年の春、バスに乗っているとき、何時も見る畑に新しい何かが植えられていた。時々見ていると、ウドだった。夏に成ると大きく繁茂した。出だしが遅かったからかウドの大木らしくは大きく成らなかった。広がって繁茂した。どうするんだろうと思って見ていたが何時までも収穫する気配はない。秋になってもそのまんま。冬になったら枯れた。いつの間にか枯れた葉が取り去られていた。「ウーン」と思っているとき、ラジオの番組で根を移植して室に植え、東京ウドを育てる、見たいな事を言っていた。「フーン」。

モヤシじゃないんだから、種から育ててあんなに大きくて太いものが出来るとは思っていなかったが、これで疑問が解けた。東京ウドじゃ根は育たないだろう。こう言うのを2年生作物とでも言うのだろうか、話は逸れるがこんにゃく何ぞはこの伝で行くと、3年生作物と言うことになる。

東京ウドを見たのは東京に出て来てから、食べたのは見てから相当の年数が経っていた。ヤマウドには手がのびる。1番好きなのはゴマ味噌和えだった。年寄りが好きなものが好きだね、と言われたこともある。あの白い奴には、なかなか手がのびなかった。

今は東京ウドも好きで食べる。ヤマウドとは別の野菜だと思っている。

20年以上前に太くて15センチ位のヤマウドを230本貰ったことが有る。テンプラはこのヤマウドの為に有るのでは無いかと思った。まことに美味しかった。夢中で食べてしまった。今でもあの味を越えるタネに有ったことがない。

それから山菜採りに行くとヤマウドを探して採るようになった。翌年も採れるように、一本だけ生えているのは採らない。

そんなこんなしている内に、栽培のヤマウドを何回か貰った。まことに結構なことである。テンプラにして食べた。美味しかった。しかし天然のヤマウドには敵わない。ヤマウドが生きられる環境ではなく、ヤマウドが生えたい環境で生えた場所のものには敵わないのだろう。

今年も又季節になったら、何回か近くの野山に出掛けてヤマウドを探してみる。上手く行けば太くて1520センチぐらいのヤマウドが何本か採れる。楽しみだ。

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2008年2月25日 (月)

シラスの食べ方

自分は未だ地引き網をしたことが無い。初夏の頃一度してみたい物だと思う。乗り合い地引き網がないかなあ。地引き網を見知らぬ同士で楽しんで、獲物が有ればそれも使って見知らぬ同士で昼食、ちょっと一杯飲んで楽しんだ後は最寄りの駅までマクロバスで送って貰って左様なら。現地解散でブラブラ駅まで歩くのもいい気がする。

ネットの情報によると内房や湘南海岸で地引網が出来るらしい。一網幾らで漁協の人が準備をしてくれるとの事。実際の価格は知らないが、30人程度集まれば、一人2千円か3千円で楽しめるらしい。その収穫で後は勝手にBBQやら海鮮定食を作って楽しめる、まあこんな感じのようだ。町内会の行事や、会社の慰安旅行で。

テレビの話題で地引き網を見ていると、大漁のシーンなのだろうけれど、タコ、イカ、カレイ、ヒラメ、イナダ、サメ、ボラ、スズキなど大きな魚がいっぱい居て、その他じゃ失礼だが、イワシ類やヒイラギ、コノシロなどの小魚がタップリみたいな。実際はどんな塩梅かは知らないが、思ったほどの獲物がなくても或る程度楽しめる様に思う。

空き缶、長靴、海藻、ボロきれ、錆びた鍋、ポリ製品が大量というのは、願い下げたい。偶々運が悪く土左衛門というのもご勘弁願いたい。本人にしてみればこれで成仏できる、見たいなものだけれど、トラウマに成る人が居るだろうなあ。

昔聞いた話でうろ覚えだけれど、友達が湘南の方で地引き網をしたことが有るらしい。タイやヒラメが舞い踊った、と言うことはなかったらしい。大きな魚が殆ど入らずに最初少しガッカリした。地味だがシラスが大漁。じゃまあ食べようと言うことで食べたら、あまりの美味しさに一同大喜び。手間いらずだし。酒はすすむ、ご飯はすすむ、シラスってこんなに美味いものだったのかと感動したらしい。街でも偶には生シラス、生食用とか言って売っているけれど、生食ギリギリの期限当たりで食べるのと、とりたて飛び跳ねているのを食べるのとじゃ、それは違いますわね。

ブラッと行った田舎の漁港の近くの食堂で、何時も食べている魚なんだけれど、とびきり美味いのに当たり、その魚を再発見することが有る。そんな感じだったのだろう。その魚が好きに成って、スーパーで買って食べるけれど、あのうまさには巡り会えない。釣れる魚ならもう自分で釣るしかない。シラスは湘南へ行って獲れたてを出す店に行って食べるしかない。

ヨーシ今度、もう少し暖かくなったら鎌倉辺りを散策して、昼食は「生シラス丼有ります」の看板の店に入るぞ。

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2008年2月21日 (木)

揺すってみる

子供の時に遊ぶ仲間が居て、よく一緒に遊んだ。色々な物を揺すってみた。

昆虫採集に行けば、木の下に目を凝らして甲虫類が居そうな木を揺すった。上手く行けばノコギリクワガタや、ミヤマクワガタが落ちてきた。毛虫や蛇が落ちることも有るが、滅多になから気にすることは無い。

中秋の名月を少し過ぎた辺りに、山栗を取りに行って、登って木を揺すった、熟した実がバラバラ落ちたり、イガごと落ちたりで結構な収穫であった。ついでにスズメバチの巣が落ちて、向こうもパニック、こっちもパニックで、ほうほうの体で逃げたこともある。その時は、誰も刺されなかった、運が悪ければ誰か集中攻撃を受けて死んでいたかも知れない。

アケビはよく蔓を引っ張って揺すった。上手く行けば段々蔓が緩んで、実を全部採ることが出来た、アケビが高いところに230個生っているのは壮観だ。熟して口が開いているのは、中の果肉がその時に飛び出して殻だけの収穫と言うことになる。

今田舎では使って居ないようだが、当時田圃の中には爆音器という優れものが立っていた。赤くてT字型をしており、中にカーバイドが入っていて、時々爆発して鳥を追い払う物だ。人家の側に有ったら大迷惑。

我々は里山に遊びに行くときにそれを見つけると、爆発したら駆け寄って、それをグラグラ揺らして逃げた。揺らし始めると水のかかったカーバイドからシューシューとガスの発生する音が聞こえて、細い畦道を10メートルも逃げないうちに、爆発を起こすこともあった。みんなその場にへたり込んで笑い転げた。1回だけ3メートルほど逃げてバクハツしたことが有った、みんなそれこそ飛び上がって驚いた。

小さな川の秘密の場所へ釣りに行くときは、滅多に列車の来ない踏切の側を通った。ある時警報器を揺すったらどうなるか、と言うことになって、直ぐ実行。列車が通っても居ないのに警報器が鳴った。慌てふためいて一目散に逃げたが、その後も何回か鳴らしたことが有るが、誰からも特段のお咎めはなかった。悠長な時代だったのだろう。

最近はペコちゃんとモモちゃんの頭を通る度に揺すっている。誰も居ないのに暫く頭がボヨンボヨンしている。ちょっと不気味だ。きっとオッサンがペコちゃんやモモちゃんの頭を小突いて居るのを目撃した人は、色々考えて同情してくれるか、その不気味さにゾッとしているんだろうなあ。

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2008年2月19日 (火)

トンブリの食べ方

子供の時によく食べた。季節になると何回も食べた。今でも好きな食べ物だ。長じるまでもっと普遍的な食べ物だと思っていたが、日常的に食べているところは、秋田県と多分北陸の一部(?)らしい。勝手に想像すれば、江戸時代に起きた出羽の大飢饉に切羽詰まって食べちゃったけれど、何とか食べることが出来る程度の物だったと思う。仕方なく何度も食べている内に最も適した食べ方を発見して今日に至ったのだろう。

生の時は普通食べなくて一旦乾燥させてから、湯がいて籾と実に分けて、それを分離してから実の水分を取って出荷するらしい。大したことのない食べ物だが、かなり面倒そうだ。

暫く前は、入っている袋に、煮たり焼いたり炒めたりしないで、そのまま食べてくれみたいなことが書かれていた。自分は食べ慣れた物なので、「エッ」と思ったが、それが何なのか分からない人には、想像も出来ない食べ物だろうと思う。草の方で箒を作るホウキギの実なんだけれどね。江戸時代の人は、実を食べる目に遭うなんて想像しないで、箒を作るために庭先に植えていたのだろう。

最近は畑のキャビアとか言っている。そう言われてみれば色が草色をしている以外は、歯触りも大きさも見てくれもかなり似ていると思う。生臭いナンプラーを掛けて、イカスミで黒くしたら、騙される人が居るかも知れない。ちょっと騙されてみたい気もする。

子供の時は刻んだナガイモと一緒に醤油を掛けて食べた。自分の皿に取り分けるとき、相当注意しても、56粒は飛び跳ねてテーブルに転がった。ちょっと手荒に扱えば、数十粒飛び跳ねた。小さいし転がるし、フキンで拭き取らないと取れる物ではなかった。今はもっとたくさんの物に付け合わせるレシピーを宣伝して消費の拡大を図っている。低カロリーで各種ビタミン、ミネラルが豊富、漢方では地膚子(じぶし)とか呼んで、強壮・利尿などの効果も有るらしいが、残念ながら、普通の人は食べる以前の問題で、トンブリまで辿り着かないと思う。ヨーク見ると大抵のスーパーの棚に有るのだけれどなあ。暇な人は見つけて食べてみてください、もっと暇な人は偽キャビアを作って食べてみて感想を聞かせてください。

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2008年2月13日 (水)

柿の食べ方

それまでも何回も送られてきたが、3年前は田舎から柿が大量に送られてきた。聞いてきたので、渋抜きをしないで、と頼んでおいた。1回に4050個皮を剥いて干し柿にした。寒そうな日の前日に皮を剥いて、抜いたヘタの所にアルコールを付けて、乾し網に並べて屋上に乾した。露が当たらないように、夜には取り込んだ。数日すれば体積が三分の一ぐらいに成って、干し柿になった。直接手で触らないようにして、10個ずつぐらいタッパーに入れて冷蔵庫で保管。友達や近所に上げて好評を博した、お返しが何か来た。自分も相当食べた。

何かの時に柿を1020個と貰うときがある。そのまま食べることが多いが、種が少なければ、干し柿にする誘惑に駆られる。

昔子供の時、家に柿の木があった。沢山生った。渋を抜いて食べた。子供達は夜、皮を剥いて自分達で細く編んだ縄に結んで干し柿にした。軒下に乾した。田舎は黴びる心配がない。暫く放っておけば干し柿になる。それを保管して、時々おやつの時に食べた。お腹が空いているときには4つも5つも食べた。最初家の中に乾しておいて、表面がストーブの熱で直ぐ乾き、よい干し柿が出来たが、ちょっと忘れていると、熟してボトンと落ちることもあった。

柿を段ボールに並べてしまっておいて、熟して透けてきたら、順に食べた。多分手がベトベトになったのだろうけれど、そこいらにあった藁に拭いて平気だった気がする。柿は体が冷えると言うことで、熟した柿は一度に2個ぐらいしか食べなかった。

晩秋に山里を歩くと、柿が収穫されないままに景色となっていることが多い。風景としては好きだが、木の傍まで行って、地面に熟した柿がたくさん落ちているのを見るのは、好きではない。自分としては取って干し柿にしたい。

軽自動車に脚立を積んで回って、庭先の柿を取らせて貰って、半分ぐらいは、持ち主に、残りの半分が貰えたら、晩秋の週末は趣味と実益を兼ねて大活躍が出来るのだが。何百個、何千個は食べられないから、産直で売ったり、干し柿を産直に卸したりすれば、結構な小遣いに成りそう。折角生った物を落果させて、寂しく大地に返すことは無い。

夕方駅から歩いて帰宅途中、八百屋の前にはその季節、笊に入った柿が沢山並んでいる、結構な値段だ。山里の柿より大きく立派だけれども、山里の柿だって、少し手入れをすれば、十分美味しく食べられると思うがなあ、勿体ない。

佐渡に行ったら、季節外れだったけれど夕食のテーブルに柿が有った。冷凍柿、少し溶けるのを待って、スプーンで掬って食べた。初めて食べた、美味しかったけれどちょっともの悲しかった。出来るかどうかは知らないが、練りドリアンみたいに加工してくれたら、きっと土産に買って帰ると思う。

自分は柿が好きだから、季節の内に何回も買って食べる。田舎から送って貰えるときは、買うことは無かった。今はもう柿の送り主も亡くなってしまった。

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2008年2月 7日 (木)

村の信号機

自分が子供の時に、普段の行動範囲内には信号機は無かった。近くの街に出掛けたときに、見るぐらいであった。ある時、一人でその街に行って初めて歩行者用信号機という物を見た。人の形が浮き上がって見えるが、なんせ初めて見たのでどちらが進めでどちらが止まれか区別が付かなかった。赤が止まれで青が進めだろう、当然じゃないか、と言われそうだが、初めて見たのです、ちょっとボンヤリした田舎の子供が。

未だ生きているところを見ると、普通に渡ったか、信号無視したのだが、事故に遭わなかったかのどちらかだろう。

今は生まれた村にも信号機が幾つか有るけれど、要らない気がする。人も車も殆ど無いのだから、見栄で付けているのかなあ。信号機は付いたが、暮らしやすくなったとはとっても思えない。自分が小学生の頃より自動車の数は確かに増えた。しかし使うべき人間の数は激減した。

何年かに一回帰って、当たり障りの無いところを散歩するが、人と会うことは滅多にないし、子供が群れて遊んでいる光景はついぞ見たことが無い。

いっそのこと村は信号機を外して、サッパリさせた方が良いと思う。見晴らしは良いし走っている車の数は少ないのだから、みんな注意して運転するだけで十分だ。横断歩道のゼブラゾーンも取っ払った方がよい。ろくすっぽ人が歩いていないのだから、何処で渡ったって良いじゃないか。そして、昔のように学校の校庭を放課後も解放して、集落には広場を作って、子供も年寄りもそこに行ったら仲間が発見できるようにしたら良い。今より少し暮らしやすく成るだろうと思う。

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2008年2月 5日 (火)

馬脚を現す

隠していたことが露見すると言う程の意味で、良い意味では使わない。因って長い間匿名で障害者施設に寄付していた人の事が、何らかのきっかけで世上に知られたからと言って馬脚を現したとは勿論言わない。

例えば暫く音信の無かった友人から、その内会いたい、と言う連絡が来て、会ってみると、最初の内は近況やら遊びの話仕事の話など盛り上がって、風向きが少し変わってきたなあ、と思っていると無限連鎖講への勧誘だったりすれば、馬脚を現したと使えるかも知れない。

中国語では露出馬脚来(マーチャオライ)、と言うらしい、ネットで調べたらそう書いてあった。

「彼は強盗事件に巻き込まれた」と言う場合、例えば、近くの郵便局に切手を買いに行って、順番札を持って椅子に座っていたら、拳銃のような物を持った強盗が入ってきた、と言う設定が分かりやすい。

「強盗事件に遭った」と言う場合は、帰宅途中薄暗いところで、2人組に囲まれ、刃物で脅されて、財布を奪われた、と言う感じ。

「強盗した」と言う場合は、銀行から出て来たお婆さんを付けて行き、人気のない所で、後ろから羽交い締めにして、命が惜しければ、金を出せと言い、年金を取り上げた、と言う感じ。

事ほど左様に内容が違うのに、某放送局が贔屓のボクサーが車の免許取りたてで、追突事故を起こしたのに「追突事故に巻き込まれた」と報道した。見出しだけ見たら誰でも誤解する。

誰が見たって偏向報道なのに、その放送局の広報担当者は「事実に基づいている」と主張したらしい。また、その放送局の関係者は「会社の主張がこうだから自分の報道を曲げる、ということは絶対にない。それは報道にたずさわる者が決してやってはいけないこと。現場の記者が自らの取材に基づいて書いたニュースであり、ボクサー寄りというのは邪推だ」との見解を示したらしい。

某放送局は、厚顔無恥?贔屓の引き倒し?揶揄されたら恥の上塗りをした?権力を笠に着て、形振り構わず、横車を押し通そうとている?幾らでも慣用句が続きそうだ。

少なくとも馬脚を現した、とは言えそうだ。

思わずネットで社長の顔を見てしまった。論語にある「不義にして富み且つ貴きは、我れに於て浮雲の如とし。」とは別世界に住んでいるのだろう。

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2008年2月 1日 (金)

縄文土器

小学生の時に学校で土器の事を習った。勿論その前から土器とか石器のことは知っていた。畑で土を掘っていると、石器が出て来たし、土器だって出て来た。友達と見せっこをしたこともあるが、そんなに熱心だったわけではない。学校で習って、俄然やる気になった。なんのやる気って?土器を掘る事です。ハッキリ言うと当時土器と石器と化石の時代別などと言うことには全然注意を払って居なかった。よけい勉強が出来た訳でもないし、賢い子がいて蘊蓄を垂れてくれたわけでもないし。

土器や石器はずっと昔の人が土に埋めた、と思っていた。その割にはみんな破片ばかりだなあと、ちょっとは疑問も有ったけれど、疑問もそこまで。化石は誰かが埋めたわけではなく、多分土砂崩れみたいなもので自然に出来たとは思っていたけれど。と言いながら、釣った魚を平べったい石に挟んで土に埋めたこともあるし、魚を干からびさせて、やっぱり平べったい石に乗せて埋めたこともある、きっと馬鹿だったんだなあ、今考えれば。

自分が生まれ育った地域は、縄文時代から人間が住んでいたようだし、化石が出る沼や川が有ったから、人間が住む前は海か池で魚が住んでいたのだろう。

化石も幾つか持っていた。隣の家には木が化石が10個ぐらい家の裏の祠に置いてあった。漠然と木が長い間土の中にあると石に成るんだ、と思っていたけれど、それ以上は考えなかったので不思議とも思わなかった。まあ、酷く馬鹿な子供とは言わないけれど、そこら辺のガキだったのです。

今でも自分が生まれ育った村に有るかどうかは不明だが、郷土資料館と言うものは、当時無かった。そこで二万年程前からの考古資料や千五百年ぐらい前から現代までの暮らしの展示が有れば、洟は垂れていた可能性は大だが、もう少し賢かったかも知れない。

暫く前に友人を訪ねて一緒にその町の郷土資料館へ行ったことが有る。縄文土器が圧倒的ボリュームで展示してあった。中々見応えが有った。再訪するつもりだ。

縄文時代の土器は何種類かに分けられるようだ、一万年ぐらい続いた時代だから当然だろう。あの派手な装飾の土器は中期頃のものらしい。中期というのは二千年位続いた。考古学的な見地に因らない勝手な想像によると、余程暮らし易い時代だったと思う。多分穀物やら木の実やらを栽培して、動物、魚介を獲って、木の実草の実、野草なんかも採って、暢気に幸せに暮らしていたのだろうと思う。気候も良かったのだろう。今と違って医者なんか居ないだろうから、酷い怪我や病気で簡単に死んだんだろうけれど、人並みに健康なら、自由に楽しく暮らしていたのだろう。きっと何十世代も仲良く暮らしていたのだろう。生活するための時間は少しあればいいのだから、土器作りの連中は、凝りに凝ってデザインを考え装飾を施し、あんな土器が出来たのだろう。仲間同士でも同じ集落同士でも見せ合い自慢し合い、時には数キロ、数十キロ離れた隣の集落に持て行って自慢したのだろう。もしかしたらコンテストだって遣っていたかも知れない。そんな想像を一瞬のうちに掻き立てた圧倒的な縄文土器の展示であった。

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