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2008年3月30日 (日)

農家の軒先販売

自分が住む町には、農家が軒先販売をしている所が沢山ある。共同で開いているらしい直売所もある。時々散歩の時に買っている、キウイや柿を買うときもある。ちなみに一番多く買うのはナス。地産地消。トマトが少しいびつで大きさが不揃いでも、キュウリが少し曲がっていても新鮮で味が良ければ全く拘りはない。あっそ、割安感も大切だ。スーパーより安いのは当たり前で、八百屋より少し安ければ嬉しい。

その農家の意気が感じられる野菜が並んでいればそれだけで良い野菜のような気がする。そう言う軒先販売は近くを通ると、必ず覗いて必要なものが有れば買う。

手にとって見てみると、買う気がしない野菜を置いているところもある。度重なると覗く気もしなくなる。キュウリが曲がっていても勿論良いけれど、限度を超えて曲がって居るのは気に入らない。トマトがいびつでも良いけれど、限度を超えていびつなのは気に入らない。伸びすぎたブロッコリーは置いちゃ駄目だと思う。それで価格が結構立派だったりすると、何か勘違いをして居るんじゃないかと思ってしまう。

以前贔屓にしていた直売所の価格に割安感が無くなり、野菜も何となく質が落ちて、新鮮野菜のスペースが減り、趣味で作ったような手工芸品や雑貨が増えて行きその内足が遠退き、全く見にも行かなくなった所がある。

お客さんが多いからと言って、期待しているものが少なく、期待していないものが多くなればその内お客さんも遠退く。売り手と買い手の意識の乖離が大きくなれば、当然だ。

多分どんな仕事も初心を忘れずにって事だろう、人の事を言える義理でもないが。

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2008年3月28日 (金)

老人の運転

友達が運転免許を更新に行って、爺扱いされて、ムッと来たので少し芸をして、耄碌している振りをしたら、もう少しで更新が出来ない所だったと言っていた。

切り方は難しいだろうけれど、70才越えたからと言って、言外に免許を返上したら、みたいなことは止めたら良い。これは一種の虐めだと思う。そんなことをするより、酔っぱらい運転をした奴は、一生涯免許を取得出来ないようにするとか、直ぐ切れる奴には免許をやらないとかの方が交通事故減少によっぽど実効があると思う。

老人の全体に占める事故が増加したのは、老人の事故率が上がったと言うより、老人の比率が上がっただけだ。自分も老人の車に轢かれたくはないし(勿論、若者の車にも轢かれたくない、美女の車だったら良いと言うわけでもない。)老人に成って人を轢きたくもないが。社会全体で老人を支えてゆくつもりは全くなく、ちょっと危ないオモチャを取り上げて、事故が発生しないと思うのは、少し思考が違うと思う。

近くに良く面倒を見てくれる娘が住んでいるとか、都会の真ん中に住んでいて便利この上ない人なら兎も角、田舎で老人だけで住んでいたら自動車がなければ、そりゃもう引き籠もりに成ってしまいます。

警察にしてみれば引き籠もりでナントカ症になって孤独死は管轄外だから、そっちに追いやってしまえ、みたいな所がチラッと見える気がする。それより地域に出掛けていって、老人の為の安全運転講習をした方が良かんべえ。

出来るだけ支援しますが、もう限界かなあと思ったら、免許を返上してください、とでも言えば納得して返上する人も増えるだろう。ついでに生涯1年に付き5万円分のタクシー券を給付します、希望があれば、使用しない分の同等金額を社会貢献の為に任意の団体に寄付できます、とでも言えば、免許を返上してタクシー券の半分ぐらいは残して社会貢献に使って貰おう、と言う気にもなるものだ。

あんたは、もう爺さんで、目も霞んで、動作も鈍くなっているし、自動車を運転すると危なくてしょうがないから、自分の身のためにも免許を返上した方が良いじゃないか、あんたの為を思って居るんだぜい、とお為ごかしを一回りぐらい若い後輩に言われたら、フン五月蠅い、ってなものだ。

老人を大切にしよう、世話にもなったし、これから行く道だ、と別の友達が言っていた。

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2008年3月24日 (月)

イチゴの食べ方

我が家に時々イチゴを呉れる人がある。季節の初めから季節の終わりまで、毎年何遍も貰う。有り難い。何時も美味しく頂いている。その年の最後の物はジャムにして保存している。次の季節まで時々出しては美味しく大事に食べている。自製のジャムを食べると、安ものを買って食う気がしなくなる、諸般の事情で高いものは買って食うことはない。

イチゴは痛みやすい食べ物だと思うが、遠いところから運ばれているものが多い。ご苦労様なことだ。

子供の頃、家では副業の1つにイチゴの栽培をしていた。勿論露地物。出荷は指物師に作ってもらった専用の通い箱。ワラビが伸びた葉っぱを敷いた。今考えるイチゴは栽培だから幾らでも作れるだろうけれど、ワラビは自然のものだから、限度が有ろうし、集めるのが大変な様な気もするが、記憶ではそれ以外のものを敷物にしたのを覚えていない。杉板で作った平たい箱にワラビの緑の葉っぱを敷いて真っ赤なイチゴを綺麗に並べて出荷した。見た目にも良く、味も良かったので、評判が良かったらしい。自分は未だ小さかったので手伝った記憶はない。

毎日じゃ無かったけれど、イチゴの季節になると、出荷しないイチゴをたくさん食べた。大きなボールに塩水で洗ったイチゴが沢山入っていた。子供達がその周りで夢中になって食べた。とても美味しかった。当時照明は今ほど明るくなかった。親たちは必死で働いて子供達を育てていたのだろうけれど、こっちは毎日食って寝て学校へ行って遊んで少しは家を手伝って元気に生きていただけ。

自分は子供の時に1人の人が一生涯に食べる量に近いイチゴを食べた気がしているので、今自宅で食べるときは1回に5個と決めている。後は家人に任せている。子供の時に一生涯に食べる分とはほど遠い位しか食べていないだろうから。

年末年始頃に友人から頂いて最初に食べるイチゴは輝くほどに美しく美味しい。まことに有り難い。それでも昔、初夏に薄暗い照明の下で食べた、親が作ったイチゴの幸せの味が1番だと内心思っている。

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2008年3月20日 (木)

上原ウーガ

友達に日仏混血の上原ウーガという美人が居る。と言うのは嘘だけれど、何となくいそうな名前でしょう?なんだか知っています?千葉いすみ地方で、明治から昭和初期に大人だった人は知っているはず、無理か。

この間外房の田舎っぽいところを彷徨いている時に小さな郷土資料館で発見した。白い看板に黒字で『上原ウーガ』と書いてあった。「オイ、オイこの名前は何だ?」名前の由来を知りたいと思った。学芸員が居そうな資料館ではないが、念のため事務室をチラッと覗いたら、留守番の人っ感じの人がいるばかりで、名前の由来は知り得ず。

今度その近隣のもう少し充実した郷土資料館を探し当てて、上原ウーガを見つけ出して、名前の由来を突き止めようと思っている。もしかしたら睦沢にある歴史民俗資料館当たりには、名前も立派だし、由来が有るかも知れない。そこには1回行ったことが有るが、その時は上原ウーガに気付かなかった。

話は変わるが、その資料館に昔の様子を再現して展示してある一画が有った。そこで囲炉裏の側にいる人がもう亡くなった岳父に似ていた。今度行ったら、特別の許可を貰って写真を一枚撮りたいものだ。

上原ウーガって、犂(すき)の一種である。つまり田圃を耕す道具で牛や馬に引かせて使う農具である。いすみ地域では馬を主に使ったらしい。

当時は一世を風靡した道具だったとのこと。昔の事だから、鍛冶屋が金物を作ったのだろう。木造の部分は誰が作ったのだろうか。それも知りたい。

そんな道具も今は廃れて忘れ去られて、幾つかは古い納屋の奥から引っ張り出されて郷土資料館の隅で眠っている。

相当年配の人はそれを見て、若いときの事を思い出したりするやも知れないが、その人達ももう間もなく、資料館に訪れられなくなってしまう。時代は過ぎて人も去って行く。

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2008年3月18日 (火)

座金・楔

チョロいものだけれど、無ければ話にならないものって、結構あると思う。それらはまあ小さかったり、地味だったりする。場合によっては見えなかったりする。でも無いとその全体が台無しに成る事って多い。

ボルトナットに使うスプリングワッシャー。刃物と柄を繋いだ所に差し込む楔、こんなものは身近に有る代表的なものだろう。

勿論最初に作ったときは、座金も楔も有るべき所にあるのだが、時間が経過して、何回か保守や清掃がなされたときに紛失してそのまま。

知識も経験も無い人がその後に使うと甚大な事故に遭うことが有る。気の毒なことだ。無くした人に予見はないだろうし、もしかしたら基本的な知識に欠けていて、無くしたこと自体に気付いていないかも知れない。

それでもその器具の器具たらしめている要が欠けていれば、その器具はその機能を維持して行く能力に欠けて、最後に崩壊するときに運が悪い人を事故に巻き込む。

最近起きる色々な事故にそんな事が関わっている気がする。

普段大地を踏みしめて、ツッタカタッターと歩く足さえ酒を飲めばふらつき、まともに歩けないのに、酒を飲んで思考まで酩酊して自動車を運転して他人を轢き殺す。こんな事件が頻発している。人間を人間たらしめている心と肉体を結んでいる楔が外れて想像力の欠けた半人間が横行している。飲酒運転は法律でも禁止しているが、そのスプリングワッシャーが小さすぎて役立たずに成っているのだろう。

手始めには法律の改正が必要だけれど、本来的には心の問題だから、心の教育をしっかりした方がよい。一旦崩れたものを本来の所に戻すには永い時間が掛かる様に思う。早いに越した事はない。何か今日は気分が優れない。

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2008年3月12日 (水)

ハンバーグの食べ方

幸いにもか、不幸にもかは即断しかねるが、子供の頃自分の周りにはハンバーグというものはなかった。高校生ぐらいになって世の中では比較的好まれている食べ物だという知識は得た。食べたいようなそうでもないような。実際に食べたのはこちらに出て来てからだ。友達と一緒に食べた。友達は子供の時から好きだったように見受けられた。自分の第一印象は余り良くなかったかも知れない。咬んで歯ごたえの無いことおびただしい。今は出れば普通に食べるし、ファミレスのセットメニューで食べることも有るが、それ程好きではない。

その理由はもしかしたら、かなり屈折している気がする。憧れていたのに、その姿さえ見えなくて、初めて食べたら、自分の好みでなくてちょっと町場の子が慣れた風で美味しそうに食べたので、何か時代から残された人の様で。食感もあるだろうけれど、何となく未だに好きになれない、話は逸れるがメンチは好きである。

昔テレビを見ていると当時ポパイの漫画が番組にあり、黒い服を着た、丸っこい顔のメガネを掛けた(多分)ウィンピーとか言うストーリーには全く関係ないオジサンが、ハンバーガーを幾つも食べているシーンが、頻繁に出ていた。何時か食べてみたい、と長い間思っていた。その後暫く忘れていたのだが、東京に出て来てある時思い出して、もしかしたら看板を見て思いだしたかも知れないが、入って食べてみた。残念ながら、ウィンピーが頻繁に食べていた物とは違うんじゃないかと思った。頻繁に食べられるものでもないし、たくさん食べられる物でもなかった、残念ながら美味しい物だとは感じられなかった。胸焼けがした。その後別の店でも食べてみたが、やっぱり幻想とは違っていた。ハンバーガーも余り好きではない。

パキスタン料理にチャッパルカバブと言うものが有る、地域によって少し違うとは思うが、大きなフライパンで焼くというか揚げるというか、熱々を店先で食べるのだが、全くハンバーグである。友人に連れられて行って店先で食べた。自分は後で夕食も有るからと言って、小さめのを2個食べた。香辛料がタップリ入っていて、刺激的ではあったが、友人の様に楽しんでは食べられなかった。

回転寿司に行くとハンバーグの軍艦が遊弋している。思い切って1回食べた。多分二度と手を出さないと思う。

子供の時に出会う機会を逸したことを未だに根に持って居るのかも知れない。自分はハンバーグを差別しているのかも知れない。

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2008年3月 6日 (木)

すいとんの食べ方

高校生の時に初めて自覚的にすいとんというものを食べた。母が作った。「昔は好きでは無かった。全然具が入って居なかった。ネギがちょっと入っていた。美味しくは無かったけれど、それしか食べ物が無かったから、無いより増しだった。続くと嫌だったが、それしかないのが分かっていたから、文句を言わないで食べた。食べなくても良くなってから、これが初めてだ・・・」

具も沢山入っていたし、出汁もしっかりしていたから、美味しいと思って食べた。それでも自分はうどんの方が好みかなあ。それから田舎ですいとんを食べた事はない。偶々旅行で「ひっつみ」とかそんな名前で数度食べたことが有る。田舎で食べた物より美味しいとは思えなかった。何かお座なりなような気がした。

すいとん系の食べ物は畑の冬の裏作に麦が出来る地方に多い気がする。北陸や東北の日本海側では農家が小麦を持って居ない。冬の間畑地は雪に埋もれているのだから必然的に作る機会は少ないだろう。

東京に出て来て、自分と同じ程度の貧乏な家庭で育った友人と雑談をしていて、自分が麦飯を食べたことがない、と言ったら信じて貰えなかった。話はそれで終わってしまったが、今考えれば地域文化が大きく違っていたのだ。もっと話をすれば面白かったと思う。

自分の田舎は、冬は雪に閉ざされる。畑に麦を植えて麦踏みをするみたいな話は知っていただけで、遣ったこともないし見たことも無かった。

中学生の時の修学旅行で春の夕方田舎を経って、東京に向かった。明け方板谷峠を越えた。明るくなって福島の平野に差し掛かったときに、青々とした「稲」があった。勿論稲であるはずがない、さて実際何であるか分からない。1時間ぐらい眠い眼差しでボンヤリ見ていて、ハタと麦で有ることが分かった。その時初めて麦を見た。

麦飯は小学校の頃一度だけ見た。兄が病気で入院しているときに、放課後見舞いに行って見た。一口食べさせて貰った。美味しいとは思わなかったが、不味いとも思わなかった。作っている人は分かるのだろうけれど、未だに大麦小麦は見ても区別が付かない。

その内すいとん料理が流行って、ラーメン屋が十軒有れば、すいとん料理屋が一軒ぐらい有るというのは悪くないと思う。各種メニューが有って、スープは味噌、醤油、塩など。具材は野菜の他に鶏肉、豚肉、牛肉など。勿論普通盛、大盛、ジャンボ盛など、各種有った方がよい。

シンプルみそ味は、多めのお湯で茹でた少なめのすいとんに味噌を加えて、ネギが少しだけ散らしてある。価格は¥800内¥300は店主へ残り¥500はNGO経由で海外の飢餓地帯へ寄付。シンプル塩味は価格¥300、色々なことを考えるきっかけとして。

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2008年3月 4日 (火)

核家族

この言葉は、戦後、特に60年代から急速に流布した様だ。実際の核家族は、都市部では江戸時代から相当一般的だったとのこと。田舎でも大農以外は案外核家族が多かったかも知れない。落語なんかで長屋に住んでいる人達は殆ど核家族だ。夫婦に子供が一人か二人、老人と娘か息子、老人と言っても当時のことだから50前後だったりするけれど、あと夫婦だけとか一人暮らしの登場人物が多い。テレビの時代劇でも長屋の住人は落語と似たり寄ったりだ。

大きな商家とか農家だと経済的包容力の大きさから大家族、つまりは3世代家族で子供が多ければ十人以上が一緒に住んでいて、そこに奉公人や作男が住んでいて総勢はもっと多いと言うことなのだろう。奉公人も作男も縁戚だったりすれば、まあある種の家族の構成員だろう。

核家族に否定的な意味も無いだろうし肯定的な意味も無いと思うけれど、何となく年配の人に取っては寂しさも含めてやや否定的で、若い人に取っては自由度が高くやや肯定的な感覚がちょっと前まで有ったように思う。

かなり昔人口について聞いた話で、核家族は、とても希望の有る言葉だった。これから発展する家族の核になる家族だ、と言う。

アメリカの西部開拓時代に幌馬車で西に向かう一団の中の1人の青年が或るところで離脱して開拓に入り、伴侶となるべき女性と知り合い家族を形成して、子供が増えて、開拓の土地が増えて、子供達が成長してその子供達が伴侶を得て、孫達が生まれて、孫達が又伴侶を得て、家族が拡大してゆく。親類も増えてゆく。移住した1人の青年とその伴侶の核家族が大家族に発展した。この二人は家族の核だった。

或る統計によると江戸時代の初期から現代まで日本の人口は10倍になった。この間約400年。増加率を大雑把に言えば、最初の100年で人口は2倍以上、次の150年で約12倍(たったこれだけ、財産の分割、零細化を嫌ってとか言う解説もあったけれど、社会が住みやすくて安定していると人口は増えないと言う方がよっぽど説得力が或る。)、最後の150年で、則ち幕末から現代までで4倍、都合概ね10倍。

人口大増加期は、核家族から大家族へ変遷して行き、人口停滞期は、大家族が“核家族”へ変移して行ったのだろう。

今は人口減少期らしいが、一人暮らしが多くなって行くのかなあ。生活を楽しんで1人だったらそれはそれで良いのだろうけれど、困窮していて1人になって行くというのなら、何か寂しい。人口の減少は或る意味必要かも知れないけれど、地味で豊かな生活を将来に見いだせるものだったら良いと思う。

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