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2008年4月27日 (日)

即席麺の食べ方(1)

小中学校編

小学校高学年の頃、我が田舎にも即席ラーメンなるものが下ってきた。時々食べた、美味しかった。中学生になる頃、我が家では30個入り一箱を買って置くように成った。ラーメンは街に親が買い物に行くときに同伴できれば、食べさせて貰える事もあるご馳走であったら、ちょっとお金持ちに成ったように内心喜んだ。

当時もう給食があったので、お八つか、土曜日か日曜日の昼食。学校から帰ってきて1人でラーメンを1つ取り出してきて、キャベツを刻んで一緒に煮て食べた。小中学生の時に相当量食べたが飽きると言うことが無かった。

未だラーメンライスという魔法の味を知らなかった。気付いたのはずっと後年。

熱いラーメンとご飯に漬物か振りかけご飯。ウルトラCは熱いラーメンと醤油ご飯。醤油ご飯って、要するにご飯に醤油を少し掛けた奴です、ご存知無いかも知れませんけれど。

高校生編

修行のため食べなかった、と言うのは嘘だけれど、殆ど食べた記憶がない。時々友達同士がお互いの家に泊まって居たので、そんな時には食べたのかも知れない。

大学編

即席ラーメンを毎日のように食べた。入れるものはキャベツばかりではない。ネギだったりもした。それに魚肉ソーセージも良く入れて食べた。それに卵も良く入れた。一緒に牛乳を飲んだ。自分では栄養のバランスが取れていると思っていた。今でも思っているけれど。

即席テンプラそばも時々食べた。同じじゃ無いかと言われそうだけれど、これは中華ではなく和食。知る限り一種類しか無かったと思う。これにはネギと卵を入れて食べた。同封の乾燥しているテンプラも食べるときに麺の上に乗せる。直ぐグジャグジャに成るが中々乙。

即席冷やし中華もよく食べた。夏にも食べたが冬にも食べた。キュウリの千切りと魚肉そうセージの千切りと卵焼きの千切り?を掛けて食べた。去年の夏に思い出して、行きつけのスーパーで探したが、発見できなかった、残念。

ラーメンが切れていて、これをラーメンの様に食べたことも有るが、ちょっと酸っぱくて咽せた。

即席うどんも食べた。他の麺より少し量が多くて、晩飯に十分成った。ネギをタップリ入れて、卵も黄身の表面が固くなり始める頃に煮上がるように調整して入れた。他の麺と違って、少し煮すぎた方がしんなりして美味しかった。これにも相当お世話に成った。

小さな部屋の小さな台所の食べ物を入れる段ボール箱には即席麺、キャベツ、ネギ、キュウリ、魚肉ソーセージ、卵が入っていた。

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2008年4月25日 (金)

広島の人

ずっと昔、学生の頃旅の同好会に所属していた。或る夏に我がグループも旅に出た。1週間ほど南国の島々の民宿を泊まり歩いて、日中は海水浴をしたり名所を訪ねたり。夜は飲んだ。

お金持ちの子も居たが、自分はアルバイトで貯めたお金で旅費を工面した。贅沢なものでは無いが、若者ならではの楽しみだったと思う。気兼ねなく屈託無く暢気な旅。

一行の内3人は女性だった。当時特に意識はしていなかったが、みんな美人だった。その中の1人に広島出身の人が居た。話をしないと地味な感じの人だったが、話をすると良い目鼻立ちが際だち表情も豊かで良かった。

地方を旅行していると、その地域的な顔立ち、体型というものが有ると思う。際だつと言うほどのことはないが、何となく全体的に統一感が有るように感じる。伝統的に出来てきたその地方の人々。時代時代で土着した人々が、婚姻、繁栄して現代に至って居るのだろうけど、500年ぐらい遡れば10系統ぐらいに、もしかしたら1000年ぐらい遡れば23系統ぐらいに収束すると言うことも有るかも知れない。

去年の夏、広島旅行をした。広島市内、呉、宮島、江田島にも足を伸ばした。予てより訪れて見たいと思っていたところに行き、満足の行く旅行であった。

広島駅に降り立って折角だから、広島焼きを食べようと探しに駅ビルの食堂街に行ったら、探す必要もなかった。半分ぐらいで広島焼きが食べられた。混んでいるところで食べた。男達が多かった。おなじみの人達ばかりのようで、圧倒された。何とか注文して期待通りの広島焼きが出て来た。美味しかった。

2泊して何回も食事をした。勿論たいそうなところで食べた訳ではないが、残念ながら、広島焼き以外は美味しいところに当たらなかった。そんなはずは無いと思いながらもどの食事も外れであった。だから広島焼きが美味しいと言うこともないだろうが、ちょっと不思議な気がした。安ホテルの朝食が無難で美味しいぐらいの物だった。何となく自分が今まで行った大きな街より食堂が少ない気がした。次に訪れる機会が有れば、日常的なところで、繁盛している店に入って見ようと思う。

広島市内の移動は徒歩か路面電車を使った。何とかフリーパスを買って利用した。便利で乗り心地も良かった。行きたいところには殆ど側まで行けた。電車のデザインも良い。

電車の中には女性が多かった。ゆったりとした静かな感じの人が多かった。色白で目鼻立ちの良い美人が多いと思った。そう言えばずっと昔みんなで旅行したときの広島の人もこんな感じだった。

女性達とは卒業以来会っていないが、男達とも暫く会っていないなあ。時々思い出すばかり。みんな元気でやっているかなあ。

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2008年4月21日 (月)

かき氷の食べ方

小学生の頃、真夏に1回か2回、かき氷の出前を頼んで家族みんなで食べた。あんな美味しいかき氷を食べる機会ってもう無いと思う。

かき氷は近くの菓子舗のオジサンが出前をしてくれた。大きな岡持に入れて持ってきた。足の付いたガラス製の入れ物、昔はかき氷と言えば必ずその容器に入っていたと思う。スプーンは金属製。「冷たい」「甘い」「頭が痛い」「美味しい」だのと言いながら食べた。食べ終わって暫くすると、持ってきてくれたオジサンが静かに来て、母か父と少し話をして、容器を持ち帰った。

多分食べたのはイチゴかメロンにミルクが掛かっていた。何であんなに美味しかったのだろうか。食べる前にも、食べた後にも、かき氷の話題は無し。話題にすると後こんな機会が訪れないような気がして。まあ一種の言霊。

大人達は、それから又仕事、自分達は外へ遊びに行ったか、風通しの良いところで昼寝をした。アブラゼミが鳴いていた。夕方になって、薄暗くなり始めて、少し涼しくなるとヒグラシが鳴いた。

かき氷はどんな値段だったかは知らないけれど、とっても贅沢な食べ物だった。子供の頃、あれが食べたいこれが食べたいと何か要求した記憶は無い。そんな事はお金持ちの話だろう。自分達は、突然の幸運でかき氷を食べた。

高校生ぐらいになると、少しは小遣いが有り、夜特に暑いときは、かき氷を食べに行ったことも有る。それも菓子舗だったけれど、出前をしてくれた所とは違うところ。その菓子舗は夏になると、敷地に簾で蔽ったかき氷を食べる所を設えた。ブラブラ蒸し暑い薄暗い街を歩いて、小柄で頭の禿げたにこやかなオジサンが気さくに注文を聞いて、手で回すかき氷器でシャーシャーかき氷を作った。夜はもう秋の虫が鳴いていた。

崩れないようにスプーンで慎重に押さえながら、少し溶けている下のシロップがタップリの所にスプーンを差し込んで少しずつ食べた。きっと真剣な顔をしていたんだろうと思う。段々涼しくなって行き、食べ終わる頃はもう少し寒かったりする。最後は例のコップを持ち上げて最後の冷たい甘い水が多いかき氷を飲み干した。

ブラブラ歩いて家に帰る。夜寝てからお腹が冷えて、痛くなり、便所へ行ったことも有る。ああなんて贅沢で暢気な生活だったんだろう。

今?良い思い出がぶち壊れそうで、言霊のせいで?もう何十年もかき氷は食べていない。

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2008年4月17日 (木)

徘徊、放浪

最近は徘徊と言うと特殊な意味が加わって、介護施設に入っている老人が何かを探し求めて、夜中に長時間歩き回る様な情景を連想したりするが、まあこれも徘徊には違いないけれども、普通はそんな悲惨な情景ではなく、単に行ったり来たり、比較的狭い地域を歩き回ることや、彷徨く事を指す言葉だろう。

彷徨く動機に特段の意味が無いこともあれば、内心と表面上と乖離している場合もあるだろう。青年が意中の人と会う機会を増すために、その人が出没しそうな地域を徘徊して、友達に会って「ちょっと散歩」ってなもの。

徘徊する範囲が格段に広がって、時間も長くなると放浪すると変化しそうだ。字面の感じからすると、徘徊は同じ所を何回か通りそうだが、放浪は一筆書き交叉無しの様に自分は感じている。徘徊にも特段の当ては無いが、放浪と成るともっと茫洋としている。

今でもそうであるけれど、街中と言わず野山と言わず自分は徘徊するのが好きである。住んでいる街はもとより近隣も徘徊するし、電車やバスで出掛けていって、探見と言えば探見だけれど、その街に住むつもりになって徘徊することもある。誰かから普段何かしておりますか、と言われたら、徘徊とは答えないで散歩と答えている。

少しお金と暇が有れば小放浪する。人生ってそもそも放浪の様な気もするけれどもね。

田舎に居た頃、小学生から高校生の時まで頻繁に里山を徘徊した。小さいときは友達と一緒と言うことが多かったが、長じるに従って1人と言うことが多くなり中学生も後半以上になると全く1人だけで徘徊した。夏は放課後だったり早朝だったり、それ以外の季節は放課後。週に2312時間里山を徘徊した。休みの日には半日、一日徘徊した。空を見て長時間過ごしても飽きると言うことが無かった。

里山は松の林、杉の林、雑木林、笹野原、藪、点々と用水沼。日中獣を見ることは無かったが、鳥や虫、その他の動物が身近にいた。里山そのものが生きていた。

当時はそれぞれの集落に通じる小路が縦横に走っていた。小路の真ん中は人が一人か二人歩ける程度に完全に草が無く、黄土色や焦げ茶色の土が露出していた。山菜を採ったりキノコを採ったり、木の実を採ったり昆虫を捕ったりもしたが、大抵は彷徨くだけ。

そんな里山の小路も草が生え、藪となり、もう徘徊する路も無くなってしまった。

自分がロマだったら又考えが違うかも知れないが、ちょっと憧れるなあ。何を感じ、考えて放浪して居るのだろうか、喜びと悲しみ。焚き火の下で彼らの話を聞いてみたい気がする。

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2008年4月15日 (火)

夕闇の白い杖

昨日は遠距離散歩をした。夕方から曇った。予定通りだったが辺りは薄暗くなっていた。調子よく歩いた。速度は余り落ちていなかった。そこからの帰路は浅間山公園から多磨霊園を突っ切るのが、1番の近道だ。迷わず雑木林の小路に踏み込んだ。霊園の外周にある小さな杜だ。一旦寂しいバス通りに出る。

1人の若い女性がチラチラと視界に入った。白っぽい服を着ている。このまま歩けば、数十メートルで交叉しそうで躊躇した。辺りは薄暗い狭隘路だ。ゆっくり歩いて時間を稼いだが、何となくしっくりいかない。脇にある無人の児童公園のベンチが目に入り、入って座った。そこで十分やり過ごしてから、通れば良い。ベンチに坐った。花の香りがした。タバコに火を付けた。タバコが違和感を減らしてくれる。ゆっくり吸った。もうタバコの火が赤く見えているに違いない。ペットボトルの水を飲んだ。時間が止まったようにゆっくり流れる。吐いたタバコの煙が無風の大気に拡散する。

彼女はゆっくり歩いている。先ほどより近づいた。先ほどよりハッキリ見えてきた。ぎこちない足取りである。白い杖を突いていた。片側は斜面で、幅は狭い。道路側にはガードレール。向こう側に曲がることを期待したが、こちら側に曲がった。もしかしたらバス停に向かっているのかも知れない。ここのバスは2系統が止まる。本数は少ない。少し焦燥感が胸に沸く。

二本続けてタバコを吸うことは無いのだけれど、思わずタバコの箱を取り出してしまった。ちょっと思いとどまって。又水を飲んだ。

杖の女性が来た方向から又1人の女性が早足で歩いてきた。杖の女性より年配の様に見えた。その女性は見る間に近づいて来た。追い越すのかと思っていたら、杖の女性の直ぐ近くに来てからゆっくり歩いて話し掛けた。切れ切れにしか聞こえないが、内容は分かった。

杖の女性に行き先を尋ねて、バス停を教えて、腕を貸して、にこやかな顔で話ながらバス停で立ち止まった。女性は知っている風だったが、時刻表をチラッと見た。間もなく目的のバスが来た。彼女は杖の女性に話し掛けながら、手を貸してバスに乗り込んだ。二人は同じ席に並んで座った。自分の前を通るときに杖の女性の顔が見えた。安心感と感謝の気持ちが溢れていた。話し掛けた女性は親しい人と話すような、いつもの感じのように見受けられた。

バスをやり過ごして、ベンチから立ち上がった。自分は安心して多磨霊園の中に入って、帰宅を少し急いだ。

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2008年4月 9日 (水)

塩鮭の食べ方

子供の頃塩鮭ばっかり食べていたので、多分普通の人が一生涯に食べる鮭をもう食べきってしまったと思う。

学校から帰ってくる、勿論家には誰も居ない、と言っても鍵が掛かっているわけではないから、普通に立て付けの悪い玄関の引き戸を開けて家に入る。土曜日なら弁当の無い日なのでお腹が空いている。風呂の中を覗いてみる。(風呂と言っても、湯船のある風呂場ではない、勿論これも風呂と言っていたが文脈が違うので混乱したことはない。多分、塗りおわった漆器を入れて乾かす室を転用したものか、それに似た形だから風呂と言っていたのだろうけれど、茶箪笥のような食器入れの様な全部木で出来た引き戸の付いた物入れである)

朝焼いた塩鮭がある。タクアンやその他の漬物も入っている。佃煮や筋子が厚い油紙に包まれてそれがペラペラの薄い板で作られた箱に入っていることもある。いじこに入ったお櫃にはご飯が入っている。朝炊いたもので真冬は冷たいが、それ以外は生ぬるくて、平気である。大きなお鍋にこれも朝作ったみそ汁が有る。

兄弟の誰かがいれば一緒に、居なければ1人で食べる分を出して、小さな折りたたみの足の付いたお膳を広げて、その上に乗せて食べる。何時も美味しいと言って食べた。食べているときに誰か帰ってくると、「たっちゃんは、何時も『美味しい』と言いながらたべているね」と言われた。

子供の頃未だガスは無かった。電熱線のヒーターは有ったが、真冬でも余り使わなかった。いつもの事なので昼には温かい物を食べたいとも思わなかった。

当時塩鮭は何時も塩引きと言っていた、今の辛口よりよっぽどしょっぱかった。休みの日に釣りや探検に行くときは、自分で弁当を作って持って行った。弁当にご飯を詰めて、その上に焼いた塩引きの一切れを乗せて脇に漬物を詰めた。後は保温じゃない水筒に水を詰めて持って行った。場所によっては飲める湧き水が有るので、それを当てにすることも多かった。その他にも塩引きを食べる機会は多かったから、全くよく食べた。

だからもうこれからは他の人の為に鮭は残しておこうと思っている。

村上の高級塩鮭はお土産で貰って、薄っぺらい切り身が真空パックになっている奴を食べたことが有る。家人が村上を通った時に値段を見たら本のちょっぴり、多分A6 位で1000円だったとの事。もう食べる機会は無いなあ、と言うより鮭は他の人の為に残しておくのだから、もう食べられない。土産で貰ったら普通に食べるけれどね。

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2008年4月 3日 (木)

分別すれば

確か昔、分別すれば資源、混ぜればゴミ、と言う標語が有ったように記憶している。必ずしも正しいとは言えないとしても分かりやすいし、資源化出来るゴミも沢山出てきて、ちっとは足しに成っていると思う。今は一頃と違って古新聞や雑誌が、家庭や集積所に溢れていることは無くなった。これは資源化されたと言うより、隣国で需要が高まり商品化したと言うことらしいが。

散歩コースの1つの道沿いに古紙を扱う倉庫の様なのが有り、今はフォークリフトが忙しく立ち働いている、何年か前は古紙が堆く積まれていて、働いている人も見えないぐらいだった。

別に皮肉屋じゃないけれど、分別すれば只のゴミ、混ぜれば厄介なゴミ、と言うのが現状のように思う。例えばリサイクルするのに本当にアルミ缶が良いのなら、缶詰はみんなアルミ缶にすれば良い。切り替えるまで少しは時間が掛かるだろうけれど。自分が好んで食べる鯖缶は昔から鉄缶であり、寡聞にしてアルミ缶にすると言う話は聞いたことが無い。

外で喉が渇いて公園が近くに有れば水飲み場で水を飲む事も多いけれど、ペットボトルに入ったカロリーのあるものを飲む、余談だがカロリーのないものを150円も出して飲む気がしない。このペットボトルも実は結構厄介者で集めたは良いが、場所によっては処理に困り野積みをしているらしい。自分は何回か使って汚れてくれば捨てる。

本気でリサイクルする気なら初めからリサイクルする事を考えて作って発売せにゃいかん。まあ方法は材料だったり、作り方だったり、システムだったり色々あるだろうけれど。

2年ほど前に、友達と山菜採りに丹波方面へ行った。丹波と言っても京都兵庫の方ではなく、東京の奥多摩の。

小さな沢筋の小路を登って行った。少し深い沢の下に雑誌類が大量に捨てられて朽ち果てていた。友達曰く「沢に捨てないで、道路に置いていってくれた方が遙かにマシだ」

今自動車や家電製品はリサイクル料が入って居るか、リサイクル料を払って引き取って貰っているが、庭のある人が生ゴミをコンポストで処理する以外は、殆どのものが他人の力で処理しているのだから、もうちょっぴり考えた方がよい。

電気はクリーンなエネルギーだから全部電気にすれば良い見たいな単細胞な考え方も止めた方がよい。電気の3割以上はしっかり分別しても今の科学じゃ手に負えない核廃棄物をドンドン作り出す原子力発電だし。ソーラーだって風力だって発電するときはクリーンだけれど、装置を作るまでと寿命が来て処理するときは、きれい事だけで済んでいる訳ではない。

自分の主張を通すために反対しにくい論法で相手の意見を封じずに、みんな忌憚の無い意見を出し合って、生きてゆくために協力しないと、数百年後には先進国後進国を問わず結構悲惨かも知れない。猿の惑星って事も無いだろうけれど。

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2008年4月 1日 (火)

3月31日の花束

331日の帰りの電車で花束を持っている人を何人か見た。明るい顔の人も居たし、暗い顔の人も居た。スッキリした顔の人も居た。栄転、左遷、定年。

近くに霊園がある。休みの日に散歩していると花束を持っている人に会う。真心、義理、仕事。故人に花束の香は届かないけれど、持って行く人の心に何かしらの祝福はあるのだろう。

「アルジャーノンに花束を」、人の幸せって人それぞれだろうけれど、真ん中に居るのに気付かなくて、それを捨て失ってから気付く人って多いのだろうなあ。不幸せの真ん中に居るのに、幸せだと思い込んでいる人も居る気がする。

昔出張中に夜半過ぎに帰ってきて、花マーケットの側を通った事がある。薔薇の花が、数百本単位で束ねられていた。数十本買ってきて、部屋に飾ったけれど寂しいばかり。23本を残して直ぐ、みんなに分けた。肩の荷が下りた気がした。

今まで何回か花束を貰った。真心が無ければ自分とは違う次元で美しく咲いているばかりである。それでも美しい花を見ていると心が落ち着くものだ。

331日に花束を貰った人達は、どんな形で貰ったのかは知らないけれど、新たな出発。1回溜め息ついて又歩き出す。

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