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2008年6月29日 (日)

家族同然のペット

119番「ハイ119番、消防本部です、どうなさいました」

主婦「119番ですか、直ぐ来て頂戴、直ぐに」(???)

119番「火事ですか、救急ですか」

主婦「救急に決まっているでしょう、家の子が急病なんです」(そりゃあんたは知っているだろうけれど)

119番「意識は有りますか」

主婦「グッタリしています」(意識が有るかどうか聞いてんのよ)

119番「呼吸は有りますか」

主婦「時々唸ります」(怪しい回答)

119番「住所を教えて下さい」

主婦「本町の本多です」(地元じゃ有名人らしい)

119番「正式な住所を教えて下さい」

主婦「市役所の裏の大邸宅の本多よ、知らないの」(自分の家を大邸宅と言うのも怪しいし、

横柄な態度だから市長の後援会長かも知れない)

119番「こちらは消防本部なので正式な市から言っていただかないと分かりません」

主婦「消防署から真っ直ぐ来て市役所の交差点を曲がれば直ぐだわよ」(困ったもんだ)

119番「何市ですか」

トンチンカンな問答が暫く続いて、やっと住所を確定した。出動できる最寄りの消防署から救急車が出発した。電話が有ってから6分後には現場に着いた。

出動した救急隊員は少し身構えた。署内で色々な噂が有る家だ。しかし救急に差別は無い。一刻も早く救急患者を搬送すべく、車から降りた。

広いお屋敷は森閑としている。門灯は点いているが門扉は閉じられている。やむなく呼び鈴を押した。ちょっとオドオドした中年の女性が出た。手伝いさんらしい。

「只今門扉を開けますから、静かに入って来てください」

無人の庭の門扉が開いた。救急車は静かに進入して車寄せで止まった。間もなく大きな玄関ドアが開いた。ストレッチャーを出して準備する傍ら、救命救急士とリーダーが患者の部屋に急いだ。大きな応接室に通された。

豚の様に太った中年のオバサンがお菓子を食べていた。一瞬呆気にとられてキョロキョロすると、少し離れたところに大きなソファーがあり、豚の子の様な太った犬が一匹居て時々唸っていた。

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2008年6月27日 (金)

ウグイの食べ方

「つきば」と言っていたが、多分「付き場」という意味だったと思う。自分が生まれ育った田舎を流れている全長数十キロの小河川に作った人工の産卵床。砂利が川原から河床まで万遍なく敷き詰めていて、水の深さは数十センチ。そんなところに木の柵を川下に向かってハの字型に作って川の流れを速くして、そこに砂利を上手い具合に敷いてそこに魚を誘引する。

何日かに1回河床を直していた。長い木の柄の先に丈夫な鉄枠に囲まれた金網が付いている、金魚すくいの親玉みたいな奴、名前が有ったのだろうけれど記憶に無い。

父親が産卵床を作ったり直したりする時には、特長と言っていたが、胸まで一体となっている長靴を履いていた。付いていって川原の日陰に座って、ジッと見ていたものだ。河床から砂利をすくい上げて、適当なところにザーと撒いていた。大人になってから相当な重労働だったろうなあ、と想像できた。

飽きればそこらを彷徨いてイタドリを食べた事も有った。当時は余り活発でなかったから、興味が引かれるままに遠くまで行ってしまうと言うことは無かった。

夜になると「行くか」と言うことで投網、懐中電灯、叉手網などを持って出掛ける。家から出て間もなく川の土手に出てそこにある小路を歩いて行く、暗いところは電灯を使うが、晴れていれば星明かりや月明かりで十分に歩けた。15分ぐらい歩いて付き場の土手に着いた。少し前から電灯を消して、静かに川原に降りる。そろりそろりと水際に近づいて、エイヤーと投網を投げる。ちょっと風を切る音がして、大きな鉛の連なりが水に落ちる音がする。

もう電灯は付けて良いのだが、全体が見えなくなるので付けなかった。投網をゆっくり引っぱり、徐々に窄めていって、魚を袋網の中に入れてゆくようにする。大漁の時は魚が投網の手元側の細くなっている方まで、登り上がってきて直ぐ分かった。

魚がばたつく投網を川原に持ってきて魚を網から外す。小さいのはヒヤレ、30cmより多きいのはナカト、若しくはナカド、40cm以上のはヒゴロと言ったと思う。どれも婚姻色で赤黒の線が鮮やかだった。叉手網に集めて、適当な量になれば、木で作った大きな生け簀に入れた。1回に560匹も捕れることもあった。魚が夢中に成っていて、一回目の投網で逃げなく、もう一度投網を打つこともあった。そう言うときは大漁で楽しかった。

大部分は売った。時々食べた。

大きいのは焼いてから、鍋物の出汁兼具として、小骨の多い魚だったけれど、骨離れは良く自分は好きであった。みそ味で豆腐ネギ、時にはジュンサイなどを入れた。塩焼きでも食べた、淡泊な味。

小さいのは甘露煮、長期保存が利くので1回作れば暫く食べられた。頭も背骨も皆食べられた。小学校から帰ってきて家に誰も居なければ、自分でご飯を装って、中ぐらいの魚を一匹その上に乗せて、朝の残りのみそ汁もお椀にとって、1人で食べた。昼食が終わって、水瓶から柄杓で水をゴクゴクと飲んで、遊びに出掛けた。

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2008年6月23日 (月)

ペットと墓

散歩道の1つに犬猫の墓地とお寺が有る。葬儀一切も取り扱うようだ。最初知らないで迷い込んだが、知ってからは横にある道を通るだけで、境内には入らない。散歩に向く雰囲気はない、心の平安が乱れる気が漂っている。

その墓地今は良いが数十年後にどうなっているのか、人ごとながら、若しくは他動物ごとながら心配だ。子孫累代が使うわけは無かろうから、その内荒廃の道に入るだろう。墓地側も心得ていて、何年忌などで連絡して音信不通になったら、使用権を停止没収して、新たなる顧客に使用権を売るのかも知れないが。

ペットの犬猫が死んだら、大抵の自治体は通告すれば、生ゴミとして引き取ってくれるようだ。同じ墓に埋葬する人達にとっては言語道断だろうけれど。

今、都会では、老人が飼っているペットが死んだときに、自分が入る予定の墓に埋葬する人が居るらしい。ペットと言っても殆ど猫と犬だけ。それより高等でも下等でもいけない。まあ猿を飼っている人は少ないし、爬虫類や鳥類だと犬猫ほど感情移入も出来ないだろうから、そう言う意味では自然かも知れない。

そしてその墓の主催者が死んだら、その人がそこに埋葬される。残された者が主催者と同じ気持ちなら、次々に入るのだろうけれど、そうじゃなかったら、その墓は祀る人が居なくなる。永遠の眠りが、好きでもなかった犬猫と一緒じゃ嫌な人も多かろう。

そんなこんなで数世紀後、その場所から大量の骨が発見されて、DNA鑑定したら、人間の骨に混じって相当量の犬猫の骨が有ることが分かり、そのころは人畜混祭の風習は勿論完全に廃って忘れ去られているだろうから、未来の人達は暫くの間、結構悩むと思う。その内現代の日記の類が、ひょんな事から露出して、事実が分かるだろうけれど、何故そんなことをしたのか、心理学的理由は分からずじまいだと思う。

たった6~70年前の戦争の色々な出来事でさえ、何故と問い始めたら、本当に理解するのは難しい。

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2008年6月19日 (木)

耳の毛

耳の部品で名前を知っているのは耳朶だけだから説明しにくいけれど耳の穴の所にあって、それを押すと耳の穴が塞がれるもみあげのそばに付いているヘタみたいな『奴』。

ニュースの写真じゃ何処に生えているか、よく分からなかったけれど或るインド人の耳の毛が世界で1番長いらしい、13.2センチ。そのオジサンは頭には毛が無かった、抜けてないのか、剃ってないのかはよく分からなかった。インド亜大陸の住人は立派な髭の持ち主が多いから、毛全体が立派な人が多いだろうけれど、耳の毛があそこまで成長するとは益々立派、と言いながら、耳に毛を生やすぐらいなら、俺の頭に少し回せって人も有るかなあ。

自分の耳は長い間、生毛がパヤパヤと生えていたけれど、この前に何か気になって触ってみたら、そのインドのオッサンほどは長くはないが『奴』の上に黒い立派な毛が一本生えていた。「うーむ」と思わず唸って、いかにすべきか悩んでしまった。確か日本の作詞家で耳に毛が生えている人が居た気がするが、友達の説に因ると、これが生えるのは老境に達しつつある印らしい。先祖返りをして毛が濃くなるとの事だ。彼はダンディな人だから、あんなものは生やしておくものじゃない、直ぐ抜いて、身の回りならぬ、耳の回りは小綺麗にしておくに限るとの事。頭に生えた毛なら大事に育てたかったのだけれど、10センチばかり場所がちがった。

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2008年6月17日 (火)

問責決議

A:衆を頼んで衆議院で再可決するなんて、多数派の横暴だす。

B:立法府の参院で多数派が衆院の議決が怪しからんと言って、行政府の長たる首相に法的拘束力のない問責決議案を採決可決するなんて、国費の無駄遣い、党利党略のパフォーマンスにしか見えませんどすえ。

C:お店で展示して有るのは良くも悪くも、実際どんなものか分かるっぴ、カタログ販売だとお店にあるのよりずっと安くて良さそうに見えても、買って届いたらガッカリって事多いっぴ。

D:真面目にやれー、税金ドロボウ!

A:「もっと深刻に受け止めるべきだ。総辞職か解散を行う覚悟でなければ、恥ずかしいだす」

B:「恥ずかしいのは、何方どす」

C:主語と述語をハッキリさせておかない方が、後で逃げやすいっぴ。

D:ハッキリ分かりやすく言えー、特別職国家公務員!

A:国民の為にもっと真剣にやるだす。

B:衆院で多数派に投票した人は、国民じゃないみたいどす。

C:自分の都合の良いときだけ国民を使うなっぴ。

D:俺も国民だぞー、選良。

直近の民意って上手い事を言うが、参院だから投票した人も居るだろうし、ちゃんとしたことは衆院でって人も多い。

何か負け犬の遠吠えみたいで真面目に取り合う気もない、大体金切り声で絶叫する人に国政を運営して貰いたくない。

問責って、サボったり嘘をついたりして、される物の気がするけれど、自分の政策と違うからと言ってするものじゃ無いと思う。

野党参院多数で、念願適って首相の問責決議案を可決しちゃったけれど、伝家の宝刀だと思ったのに、錆びたなまくらで、と言うことになったら、誰が責任取るのだろうかねえ。

問責決議を受けた「史上初の不名誉な首相」って思い込みだと思う。名誉って事も無いけれど、首相の名誉不名誉は施策の実行で後世の判断だろう。

そんなこんな議論が、深夜の居酒屋で、ろれつの回らない酔っぱらい連中がしていた、或る意味国会と似ているかも知れない。聞いていた俺も同じ酔っぱらいだから最後はどうでも良くなって、勘定払って帰って寝た。

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2008年6月11日 (水)

無謀な自転車旅行

去年の今頃、中年のオジサンが万引きで現行犯逮捕された、と言うニュースが有った。お腹が空いておにぎりとパンとあめを万引き。見出しが:無謀な自転車旅行。

2月に北九州を出発して6月に和歌山、ちょっと掛かりすぎの感じがする。まあゆっくり来たのだろうけれど、瀬戸内海沿いを来たとしても、23月は寒かろう、どんな格好してどんな持ち物でと言う報道は一切無かったから、知る由もないが見出しから憶測すれば野宿しながら自転車で移動してきた、と言う事なのだろう。

お金が無くて気の毒な物だ。どうしちゃったのだろうか。生来暢気なのか。ネジがちょっと外れちゃったのか。中世のさすらい遊芸民のお仲間か。でもまあ万引きの金額が数百円程度なら、実際の所は知らないが、裁判して監獄にぶち込む事も無かろうから、諭旨後釈放と成ったと想像する。彼にとって事態は全然改善していないのだから、その後どうしたのだろうか。他人事ながら妙に心配になる。

数百円の万引きでネットのニュースに名前なんか出さなくて良いから、なんで北九州から旅に出たのか、それ以前は何をしていたのか、そんなことが知りたい。自分も漂白の心が出て、何時かは旅に出ちゃうかも知れないし。

釈放されたのならその後の事も地味に報道してほしい。不起訴で釈放すれば、もう一般市民だからプライバシーの問題で、報道できないと突っ張るだろうなあ。

たった数百円でもこれは金額の問題ではなく窃盗は窃盗だし、現行犯逮捕されたのだからと言ったって、姓名と年齢をネットのニュースに流す事は立派な行為とは思えないが。ただ報道されなかったら自分も本件知らなかったし、ジレンマ?

それは兎も角、論理上は正しいし、規則も守っていることは分かるけれど、こういう報道の人とは自分は友達になれないなあ。

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2008年6月 5日 (木)

BSの番宣

最近番宣と言う言葉を知った。

一人暮らしの従姉妹が「N○K総合でBSの番宣をするな」と言っていた。ふむふむ。先方にはBSの受信者を増やすと言う営業上の目的があるだろうけれど。

直接的にBSに入ってくださいと言うなら兎も角、良さそうなテレビ番組の宣伝を知らんぷりで総合で流して、あら見ようかしらと思ったら、画面の隅にBSと書いてあるのは、何となく騙されたようで気分が悪い。設備無いし、契約料高いし。ふむふむ。

そもそもなんでBSが有るんだろうか?総合か教育で流せば良いんじゃないか、日本殆ど何処でも電波届いているわけだし。どうせ1人でテレビを見るのだから、1社でチャンネルが三つも四つもあるのはおかしい。ふむふむ。

そんなに良い番組なら、駄目な番組を削って(予算も削って)よい番組をそこに入れれば良い。民放はCMが入っているけれど受信は無料だから幾らチャンネルが増えて貰っても勝手だが、N○Kは有料なのだから、勝手にドンドンチャンネルを増やして、良い番組を新しいチャンネルの方でながして、料金上げるのは、日頃は贔屓にしているけれど、気分が悪い。ふむふむ。

視聴率の高い番組と良質の番組は違うだろう。

CMを流すところは、良質の番組を提供すると言うより、まあ端的に言えばどんな番組でも良いから高い視聴率を稼ぎたいだろう。N○Kは或る程度視聴率を挙げないと申し開きが出来ないのだろうけれど、有料なのだから自分の信じる良質の番組をじっくり作ってゆけば、自然に視聴率は上がってゆくと期待すべきだろうねえ。ふむふむ。

自分はと言えば、長い間テレビが無かったし、有るように成ってもお笑いとニュース、天気予報しか見ない。それもニュース、天気予報はその時見ているけれど、お笑いは録画したビデオのCMをとばしながら見ている。きっとCMテレビ局、有料テレビ局、双方から駄目な視聴者の分類に入れられていると思う。

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2008年6月 3日 (火)

省エネ

毎年真夏の昼下がり、暑い空気の中をチャリで近くの武蔵野公園に出掛ける。家はクーラーの効きは悪い。ウナギの寝床の様な作りで風通しも悪い。暑いしうるさいので近くの公園に逃避というわけだ。

武蔵野公園は遊歩道の一部が舗装されているが、大部分は地べたがずっと続いており大きなサクラ、ケヤキ、カエデその他適度に生えており、緑陰がずっと続いて風通しがよい。ベンチが沢山あるから、空いているところを見つけて寝ころぶ。初めからムシロの敷きマットを持って行って、地面に敷いて寝ころぶこともある。

さっきまでかいていた汗がたちまち乾いて、涼しさを感じる。素肌に当たる風が気持ちよい。セミがガンガン鳴いてうるさいぐらいだが直ぐ慣れて心地よい音の風景と成る。持参の本を読み始めるが、大抵は間もなくウトウトして半睡眠の状態で、何か考えているようなセミの鳴き声を聞いているような。

全面舗装した地面に密閉した家を建て、夏の冷房は21℃ではなく26℃にする、と言うのは省エネとは言っても便宜的なものだ。庭に打ち水をして、木陰の窓を開けて涼風を入れるのが伝統的省エネだろう。

冬も又然り。26℃の暖房ではなく21℃で過ごすというのではなく、15℃程度で薄い上下の防寒着を着て過ごせばよい。Tシャツ短パンで過ごすような温度で有る必要はない。デパートに冬に買い物に行ったら暑くてとても居られるものではない。客が防寒着で店員が半袖っておかしいでしょう。何かの誤解が発生している。

もっと自然に即した服装と自然に適った住居を考えて、総合的な『省エネ』を考える時期に来ているのでは無かろうか、と思う。外から隔絶した密閉された狭い空間で内向きの家族が野壺に嵌ったように暮らすのは、心の健康にも悪い。

色々な反論が有るだろう、その又反論もあるだろう、全部割愛して、全国津々浦々、放棄された耕作地、無人の廃屋、忘れ去られた集落がタップリあり、狭い国土なんて、単なる思い込みです。お金持ちに成る気持ちを捨てたら、地味に何とか暮らせるところは、沢山有りそうです。

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