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2008年7月27日 (日)

成人式の場所

自分の成人式は昨日の事の様でもあるが、実際は相当昔の事である。3箇所で行った。

地元では、夏、場所は公民館の体育館。国語の辞書を貰った。分からない言葉は直ぐに調べて勉強し、正しい言葉遣いで社会に貢献しなさい、と言う意味だったとも思えないが、比較的簡便な辞書で時々暇潰しに読書するのには向いていた。

当時の住所地からも招待状が来た。冬、成人の日にその市の中央体育館。安ものの判子入れセットを貰った。印鑑を使う機会も増えるだろうから、自覚を持って使う様にと言う事にも思えなかったが、暫く引き出しに入れて使った。

職場では、冬、講堂。訓辞、「諸君は社会に貢献する資格と機会を与えられたのだから、しっかり頑張りなさい」みたいな単純明快だった様に記憶する。

今、成人式はどんな所で行っているのか。多分特殊な伝統が有るところ以外は、自治体の体育館が多いと思う。テーマパークで行っているところも有ると聞く、これについては主催者には真意を参加者には感想を聞きたい。

一般的な報道の印象では、激励、祝福の言葉や記念講演を全く聴かない。私語、携帯電話が横行する。成人式の周辺業界の反対で式を止められない。

成人式も結婚式や葬式等と同じ重要な通過儀礼なのだから、騒ぐのは、もってのほかであり、私語、携帯電話で、講演の内容が全然聞き取れないとは情けないことだ。でもまあ、これは大人の鏡だろう。小中学校の参観日に教室の後ろに居る父母が私語、携帯電話、中座、高笑い、等をしているのを見て育てば、ま、或る意味しょうがない。

これから成人式は、出身地でも住所地でも良いが、小中学校か、養護学校、老人ホームなどで行い、児童生徒や老人達と一緒に構内外の清掃や食事の世話、勤労奉仕をすれば良い。参加者が激減する可能が有るけれど、それはそれで、しっかり考える機会に成るだろう。

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2008年7月25日 (金)

最高級天然木炭

BBQの季節である。子供が夏休みに入った。お父さんも夏休みを取って、お母さんも夏休みを取って、家族みんなでキャンプに出掛ける。勿論BBQをやる。キャンプはしなくとも日帰りで奥多摩に行ってBBQをやる。金持ち会社は高級リゾートへ社員旅行かも知れないが、普通の貧乏会社は、近場の海か山へ行ってBBQをやる。兎も角BBQの季節なのだ。

昔と違って今、炭を炊事や暖房に使っている家庭は無い。有るとすれば余程の金持ちか、風変わりな人だ。それでBBQをするとすれば、荒物屋で一俵の大きな炭を買う必要は無いから、大きな雑貨屋(もしかしたらホームセンターというかも知れない)へ行って、小さなカートン入りの炭を買う。高い備長炭なんかは売っていないから、安いマングローブ炭を買う。ご心配無用、自然破壊には、成らない。東南アジアの人達も馬鹿では無いから、鵞鳥の腹を割いて金の卵を一度に全部取ろうとしたりはしない。ヒルギを適当に伐採して炭を焼き、一巡して元に戻れば、マングローブは元の様になっている。永久に炭が焼ける。

300円で3Kg有る。想像を絶して安い。炭を焼いている人達は、日本でどの様に売られてどのように使われているか知らない。彼らは何の役にも立たなかったマングローブが安定した現金収入をもたらす物となって、喜んで働いている、多分。

この間、炭を買いに行ったら「最高級天然木炭」と印刷してある段ボール箱を見つけた。早速喜んで買った。最高級は、屑炭は混じっていません、太くて長いのばっかりです、位の意味だろうけれど、天然木炭ってどう言う意味? 天然って普通、人為が加わっていないこと。自然のままであること位の意味だろうから、一瞬、山火事でも起きて自然に出来た炭かいなと思ったが、勿論そう言うこっちゃ無い。単に天然とか自然とかが好きな我々のために使った修飾語だった、と思い当たった。強いて理由付けすれば、人工林でなく勝手に生えてくるヒルギを使って作った炭でっせ、程度の意味だろう。天然の木炭ではなく、天然木の炭。

瓶詰めの水に~~の天然水とか有るが、あれと同じ。逆の~~の人工水というのはほぼ無いから、無意味な形容詞。それとも濾過したり殺菌したりしたら人工水というのだろうか?まさかねえ、自分は人工水と言ったら水素と酸素を反応させて、つまり燃やして出来た水でなければ人工水と言えない気がしていますがねえ。

富士山から湧き出た天然水も最高級天然木炭も罪が無いから良い、殆ど反対概念の無い無意味な修飾語に惑わされるのも一興。最高級天然木炭で楽しいないしは楽しいふりをするBBQ

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2008年7月21日 (月)

福原橋の桑

外房の某市に岬町という町がある。その町を流れている川に福原橋というちょっと変わった橋が架かっている。車道橋と人道橋が親子の様に並んで架かっている。福原だから名前も良い。多分、昔の橋を現在の橋に架け替えるときに、人々の通行の便を考えて人道橋を作って橋の付け替えを終わっても計画通りそのままにしておいたのだろう。車でも渡るし歩いても渡るから、双方の橋にお世話になっている。

その橋を商店街の方に渡って50メートル程行くと、樹齢多分20年ぐらいの桑の木がある。今年始めて気付いた。大きな実がタップリ生っていた。家に帰るために駅に向かう所だったので、23分だけ立ち止まって、摘んで食べた。とても美味しかった。勿体なく心残りだったけれど、駅に向かった。

今自分が住んでいるところでも、桑の木が何本か有り、実を摘んだり拾ったりして、食べている。沢山採れればジャムにする、季節の恵み。こちらの方は自分の様な人達が多くいて、木は少なくまあ競争が激しい。気が向いて朝早く摘もうかなあと思って行ってみると、先客が居て通り過ぎることもある。

福原橋の桑の実は、あの様子だと、取ったのは自分達だけだろう。木が多いところでは人が少なく、人が多いところでは木が少ない。桑の実だからまあ実際どうでも良いことだろうけれど、ちょっと生まれたところが違うだけで、食料が溢れて居るところと、飢餓線上の所が有る。日本みたいな恵まれた所に生まれている人は、考えて本の少しで良いから、食べる物が無いところの人々を助ける様にしていったら良い。そう言う心は初等教育から少しずつ教えた方が良いだろう。

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2008年7月17日 (木)

ペットの世話

何時も散歩している綠道にベンチが南向きに5台並んでいるところが有る。目の前は遊水池。春のある日、その内の1台に寝転んだ。他には誰も居なかった。帽子を顔の上に乗せて、ジッとしているとポカポカして気持ちが良い。遠くに鳥の鳴き声が聞こえる。心が安まる。そよ風が吹いている。何か気持ちよく眠ってしまった。

夫婦連れが「この子」連れて来て、ベンチの1つに座った。この子は二人に挟まれて真ん中に坐った。奥さんがその子にブラシをかけている。抜けた毛は無造作に掴んで風に飛ばしている。塊の幾つかが、ベンチで寝ている人に付いた。奥さんは時々幼児語でその子に話し掛けながら、ブラシをかけている。その子は何も言わない。

「原材料は天然木100%だから安心よねえ。パインウッドの高い抗菌力が長い間腐敗臭の発生を抑えるのよねえ。粒の大きさも丁度良いし、適度な重さで足場もしっかりするし、足にも付きにくいし、汚くなったところを散歩のついでに時々捨てれば良いのよ。土から生まれて土に帰り、環境の保護と再生に貢献して居るんだわ」

確かにさっき、遊歩道の植え込みの中にレジ袋を逆さにして何かを捨てていた。そのレジ袋も丸めてちょっと離れたところに捨てていた。

「ふやかして与えて下さい、と言うことでお皿に入れてから、熱湯を表面まで注ぎ、230分したら、スプーンで少しかき混ぜると、この子が食べてくれるのよね。最初の内はそれに粉ミルクを混ぜて、スプーンで混ぜて、抱っこしながら、少しずつ与えたのよね。食事の後は、口の周りを、濡れたタオルで丁寧に優しく拭いてあげるの」

「もう家に来てから、8年目。最近は殆ど動かないし、じゃれつくこともなくなってきたし、時々粗相をするし、目には目脂が沢山付いて、歯も半分以上ないし。毛の本数も半分ぐらいに減ってしまったわ」

「この子が居ると心が安まり、癒されるわ。従順だし。しっかり最後まで、心をもめて世話をするわ」

「歳月が経つのは早いわねえ。この子が来てから、早8年、、、、そう言えばこの子が来てから、1回もお義母さんのお見舞いに行っていないわねえ」

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2008年7月15日 (火)

野菜のタグ

財政上の問題が主であるが、~~牛、~~豚というものは、普段の自分とは関係がない。それなりの料理にはそれなりの材料が必要であるから、それなりの材料を買いたいと思うが、それでもやはり日常的な物を買う。

いわゆるブランド牛、ブランド豚は美味しいとは思うけれども、大変高価である。料理の仕方で普通の肉で新鮮な物なら日常の食生活では充分満足の行く物が出来る。ハレの時は少しは奮発するけれども。

魚は産地も大切だが、実際は値段で善し悪しを判断するしか方法が無いように思っている。(産地偽装、値段インチキというのは、詐欺だから問題外)丸の鮮魚のように見た目でまあまあ分かるものは良いが、加工食品は見た目じゃもう自分は善し悪しの判断が出来ない。

丸の魚だって、昔と違って冷蔵技術の進歩で、調理していて鮮度抜群と思っても食べてみると、味が落ちていて実際は思った以上に時間が経っていることは良くあることだ。

暫く前に、新鮮な小鯵が安価で店頭に有ったので、買い求めて押し寿司を作った。表面に出て居なかった半分は少し鮮度が落ちて居た。意図的に混ぜたとしか思えない。それでも充分生食できる鮮度であったけれど、ちょっとガッカリした。

良く立ち寄る農家直販の店がある。農家が出資した販売組合のようなものだと思う。大抵は休日の午前中に行く。八百屋と違って夕方になると棚には殆ど残っていない。そこのものは鮮度さえちゃんとしていれば、価格も安いので、何時も数種類の野菜を買う。買って気に入れば、その生産者のタグを保存しておく。次からはその生産者の物を先ず探す。人気の有る生産者の作物は直ぐ売り切れる。

生産者によって価格が違う、生産者が自己責任で価格を付けている、良いことだと思っている。だからと言ってブランドではない。宣伝も無ければ、イメージ戦略もない。生産者の付けた価格に内容が勝っていると思われなければ売れない。そうなっていれば売れる。タグを通して生産者と消費者が繋がっている。途中経過は全て省略されている。消費者が支払う代価と生産者の生産物だけの世界である。良い物は他より価格が高くても直ぐ売りきれる。生産の拡大は殆ど出来ない、よって良い物が存続する。野菜に付けられたタグで生産者と消費者はしっかり通信している。

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2008年7月 9日 (水)

ケンケンガクガク

友達や同僚と話をしていて言い間違えることは余りないが、ちょっとした拍子に思っても見なかった言葉が口をついて出ることが有る。大抵は取り返しが付かない。日頃の自分を知る人にとっては意外性を感じるだろう、知らない人にとっては、その言葉に因ってそれなりの理解がされるだろうと思う。でもまあ余程のことが無い限り、相互の関係に甚大な影響は無いだろうから有耶無耶にして通り過ぎてしまう。

若い人が意中の人の前で、緊張の余り言ってはならない事を口走ってしまったり、言い間違えて弁明の機会が無かったりすると辛いものが有るが、それも運命。逆も有るだろうから、それもまた運命。

保育園児にとっては、「トウモロコシ」も「トウコロモシ」も「トウモシコロ」も同じに理解されていると聞いたことが有る。理解力が旺盛で、寛容であり結構な事と思う。それがちょっと年が行くと、論理的誤解の余地は余りなくとも、頑なに理解を拒否して、簡単な話を麻の如く乱してしまう。人は生まれてから何年かが最も賢くて、それ以降は知識が増えるごとに馬鹿になってゆくのかも知れない。世に天才と言われる人は、知識が増えても馬鹿にならない人のことかも知れない。

今でもケンケンガクガクの議論と言われると少し引っ掛かりが有るが、新しい辞書を下記の如く作りました

1.       喧々囂々(けんけんごうごう)
大勢の人がやかましく自己主張をして、話がドンドン明後日の方に進んで、全く収拾がつかない様子。素人同士が全体を見ないで話し合うときに起こりやすい。

2.       侃々諤々(かんかんがくがく)
正しいと思うことを堂々と主張して、相手の話も良く聞いて、盛んに議論しながら、真っ当な結論に達しそうな様子。知識も経験もある人達が話し合うときで時間は短い。

3.       ケンケンガクガク=カンカンゴウゴウ
上記12が混交して結局はろくでもない結論に達してしまう様子。結構高い率で最悪の結論を導き出す。

4.       喧々囂々牛モウモウ豚ブウブウ猫ニャンニャン
大抵の議論、会社の会議、通常はやらない方がまし。最近はよく国会で起きる。

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2008年7月 3日 (木)

色即是空

大抵の人は、般若心経を知っていると思う、その中に色即是空と言う言葉が有ることも知っていると思う、概ねこの世の物質的な物は、そのまま空であると言うこと。まあ特に悲観することもない。空即是色とも言っているわけだから。

昔寮に居た。仕事が終わってお腹が空いて、大盛のご飯を平気で食べた。今から考えると、今よりずっと痩せていたし、全くどこに入ったのだろうと思うが、ちゃんと食べられた。おかずも汁も大盛、水もタップリ飲んだ。それで一晩寝ればスッキリ目が覚めて、気力充実、朝起きて疲れていると言うことはなかった。又働いて、仕事が終わって、たくさん食べた。太ると言うことも無かった。よく食べた、良く体を動かした。張り切って働いた。士気即是食う。

世の中の人は良く喋る人と、喋らない人に分かれと思う。良く喋る方では政治家か漫才師が筆頭の様に思う。出るところが国会か寄席の違いで、双方余り変わらない気もするけれど。中身がしっかりしている人も居るし、そうでない人もいる。

感心して聞いてはいるが、何処がおかしいか判然としないが、何となくそんなに上手く行くかしら、と思う事が多い。自分が野党なら綺麗事を言っていれば良い。大抵の事は反論できない。言いたい放題だ。『こういう危機的な状況にある時は、弱者救済のための福祉を充実して、税金を安くして、財源は無駄遣いの追放と莫大な利益を上げている大企業から』みたいな話だ。そんなに簡単なら与党だってやっているだろうって。

口から生まれてきたような政治家もいや漫才師か、三百代言の評論家先生も、責任が無いことを良いことに勝手な綺麗事ばっかり言う人も、生きていればこそ出来る。死んでしまえばもう何も言えない、死期即絶句。

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2008年7月 1日 (火)

ペットの餌

野川綠道を散歩する。これからは雨の季節である。大雨でなければ1人で傘をさして散歩する。雨の日は散歩の人が少ない。犬を連れて歩いている人はもっと少ない。ザーザー降りでなければ、心は軽い。落ち着いて、物思いに耽りながら散歩が出来る。

晴れの日は、散歩の人が多い。犬を連れている人も多い。水のない遊水池ではリードを解かれた犬とボール遊びをしている人が居る。小型犬を放して話し掛けながら歩いている人が居る。

小型犬でも飼うには相当の出費があると聞く。まして大型犬なら餌も多いし長命であるから、費用は相当な額になるだろう。中型自動車1台分より多いだろう。飼っている人は癒されるとかとも聞く。犬の散歩で人も散歩になる。現在千数百万頭の犬猫が人に飼われていると言う。

ペットフードの袋を見ると、

「お肉たっぷりの半生タイプ」「ヘルシーなササミにチーズ・むらさきいも・ミルク・野菜をドッキング」「8歳以上のワンちゃんためにやわらかさをアップ」「お腹の健康維持に配慮してオリゴ糖を配合」等という特長が書かれている。原材料も成分についても詳細に書かれている。犬や猫を飼っている人は、彼らの健康と長生きと喜びの為に色々試して与えているのだろう。

彼らは犬や猫に対してとても優しい。予防注射を定期的にする。流行病が有れば臨時にする。健康を考えて、餌を変えて与える。各種服を着せる、靴らしい物を履いている犬を見かけるときもある。毎日散歩や運動をさせる。老犬、老描に成れば、十分な介護をする。そんなに犬や猫に優しいのだから、況や人にはもっと同情心が有って優しいはずだ。餌代の10%位は、第三世界の子供達への教育や食料援助の為に何も言わずに黙って寄付しているだろうと思う。

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