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2008年8月29日 (金)

駐輪禁止

最寄り駅の南口の狭いロータリの前にドラッグストアとハンバーガーショップが有る。その前に大きな看板が有り、「駐輪禁止」と大きな字で書かれている。その前に自転車がビッシリ止めてある。

俺にはとても出来ん、勿論する気もないが。

今駅前再開発で、全体的に手狭だ。そこに自転車が沢山止めてある狭い歩道。もうちょっと何とかならんものだろうか。坂道だし、バリアフリーにも成っていなし、視覚障害者誘導用ブロックも無いので、車椅子や視覚障害の人は歩ける街じゃないが、老人子供はおろか、元気な青年だって乱雑な自転車に引っ掛かって歩くのが大変だ。

そんな所で、朝駅に向かう人がゾロゾロ居るのに、旗を立て、歩いている人にパンフを配って市会議員が高邁な福祉理論や国際政治の話をされても鼻白む。目の前のチャリが見えんらしい、歩道が狭く感じられないらしい、子供や老人、各種障害者の難儀が見えないらしい、設置されていない視覚障害者誘導用ブロックも想像できないらしい。

俺にはとても出来ん、勿論する気もないが、と友達が言っていた。

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2008年8月25日 (月)

朝のファミレス

近くにファミレスが出来た。まあ住宅街の真ん中だと思う。朝に行ってみた。東京で朝にファミレスに行ったのは、初めて。ビックリした。自分達以外全員一人で来ているオジサン。自分が居る間に何人も来たがみんな一人で来たオジサン。見たところ全員60歳代。朝食を食べて、ドリンクバーで何かを飲みながらゆっくりする人もあれば、食後コーヒーをサッサと飲んで直ぐ帰る人もある。60歳代のオジサンが来ては帰る。帰っては次が来る。又次が来る。

行ったのは土曜日の朝。何か色々なことを想像してしまった。

奥さんは昨日のカラオケ疲れで寝ている。奥さんは友達と山へ行った。奥さんは友達と旅行に行った。奥さんはパチンコに行って並んでいる。奥さんは地域の行事に参加している。奥さんは実家に帰った。奥さんは孫の世話で出掛けた。奥さんは息子の新居へ出掛けた。奥さんに相手にされない。奥さんが家を出て行った。こんな事ばかりじゃないだろうけれど、オジサン全員に何で1人で来ているか、アンケートを取りたいぐらいだ。

暇なので見える範囲で観察していた。みんなムッツリしている。自己に没頭している。ウエイトレスにニッコリする人は一人も居ない。最低限度の事もやっと言う。勿論有難うと言う人は居ない。みんなとても暗い。ファミレスの中に話し声は全くしない。静かで良いけれど。時々ウエイトレスの「いらっしゃいませ」だけが虚しく響く。こちらはオジサンを見て楽しんで、朝食後、ドリンクバーを5杯も飲んでしまった。

きっと時間によって、お客の相がとても違うんだろう。今度は夜中に行って見よっと。

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2008年8月21日 (木)

停電

数年前に強烈な低気圧が外房をかすめて北上したとき、千葉や茨城で電柱が何本かなぎ倒された。その影響で長時間広範囲に停電地域が発生した。我が外房の隣人のお宅も停電に見舞われた。夜半揺らめく蝋燭の光の中で台風の様な暴風が家を揺らし、雨が壁や窓に打ち付けた。二階の寝室は余りにも揺れて、落ち着いていられず、一階で1人朝まで過ごしたとの事。電気が有れば老人の友達、テレビを見て過ごせたのだが、その電気が無かった。気の毒なことだった。

彼には大いに同情した。嵐の後で、自分の庭には、何処からか飛んできたプラスチックの波板の破片やら、小枝やらがいかにも嵐の後と言う感じで散らかっていた。

田舎に居た子供の時、台風や大きな低気圧が近くを通過するとよく停電した。夜に通過するときは、早めに夕食を食べて、早めに寝た。枕元には懐中電灯を準備した。夜中に嵐の音で目が覚めることが有っても、暫く暗闇の中で聞いているだけで又寝入った。

最近は停電に遭ったことが無い。何かの大きな工事で予定停電と言うことも少なくなった。世の中は便利に成ったけれども、ひとたび停電に成れば自分が子供の時より余程酷い気がする。

偶々隣人から長時間の停電の事を聞いて、停電の時の事を考えて有って当たり前の電気の事など忘れていて、有ることの有り難さについて思ったことはなかった、でもまあよく考えてみれば、世界には、いつも停電というか、電気が無い村なんてざらだ。

我々は今更原始的な社会に、若しくは只電気が無い程度の昔に戻って暮らすことは出来ないけれど、今でも電気が無い所に暮らしている人達に比べて、我々がより幸せだと言う積極的な理由を探すのは結構困難な気がする。

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2008年8月19日 (火)

場所取り

昼頃段ボールとブルーシートを持って会社を出る。サクラの木の下で同僚と持参の弁当を食いながら、夕方を待つ。サクラの木の下だから日は当たらない。冷たい風が吹くと寒い。夕方まで待つだけ。寝転んで本を読んでいると、背中に段ボールの暖かさを感じる。これで給料が、貰えるなんてサラリーマンって暢気な商売だと思った。雨がジャジャ降りだと中止。

21世紀になると、場所取りをするのは、サラリーマンばかりではなく、商店の人も工場の人も関係なくなり誰でも勝手に何処でも、何時でも取るように成った。特に多いのが爺婆含みの家族連れ、ヤンキーの混じった若者、分別盛りのオッサン連中、厚化粧しても追いつかないオバサン連中、幾らでも居る。

大抵は歩道や広場の適当なところにガムテープを貼って、場所を確保する。地面にダンボウールを置いて、その四周をガムテープで念入りに止める。芝生の上も、お手洗いの前もお構いなしに何処でも自分が好きなところに好きなだけ貼る。植え込みだって邪魔となれば地面で切られて段ボールの餌食になる。それは花火を見る場所だったり、祭りを見る場所だったり、各種イベントの場所だったり、兎も角何でもいい、人が集まる所なら、行って貼る。

中には1人で何カ所も貼って、夕方になるとそこら辺を彷徨いているグループに声を掛けて、場所を売る連中まで出没する。見回って客が帰ればそこを再確保して又売る剛の者まで現れる。斯くして花火はより一層熱が入り、祭りや花見は夜遅くまで盛り上がる。

終わった後は、誰も片付けない。空ビン、空き缶、弁当のからやら食べ残しやら、そこら中に満ち溢れる。哀れブルーシートと段ボールを貼られた芝生は蒸れて息絶える。歩道も広場も段ボールとブルーシートのパッチワーク状態。

色々啓蒙したが、事態の改善は全くない。

お巡りさんとイベント主催者、市の職員が1つのグループとなり集金して回っている。新財源アンド清掃代。何時の間に作ったんだろうという精密な場所取り地図。一等地は概ね\1000/m2。大抵のグループは1万円位徴収されている。抵抗するだけならまだしも暴行する連中も未だに散見される、直ぐに逮捕連行されている。

どっちが良いかは分からないが、時代は変わる。

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2008年8月13日 (水)

暦の上では

秋ですが、暦の下では夏真っ盛りです。

太陰暦(旧暦)から太陽暦(新暦)に変更するのは自然の成り行きだったろうけれども、変更して2030年ぐらいの内に、矛盾点は概ね出尽くしただろうから、それ成りに良いところを生かして新太陽暦に組み込めば良かったのに、未だにトンチンカンな事を平気でしている。

社会全体に余裕もなかったし、ゴチャゴチャでもそんなに生活が混乱するわけではないけれど、もう切り替えてから100年以上経つのだから、それなりの部署の人は、現実の暦に旧暦の季節感を反映する方法を考えた方が良い。暦の所轄官庁は文部科学省か国土交通省かどちらかだろうけれど多分、天気予報で毎度、『暦の上では立秋となりましたが、暑さは当分続きます』みたいなことを平気で言わせているのはどうかと思う。

8月初旬と言えば無茶苦茶な不順天候でない限り、真夏も真夏の夏真っ盛り。それに旧暦7月の立秋を無理矢理引っぱってきて、新暦の裏に隠して置いて『暦の上では立秋となりましたが、暑さは当分続きます、これからは残暑と言うことになります』って言うのはどうかしていると思ってしまう。言っている本人も釈然としないだろう。

簡単に旧暦の良いところを新暦に練り込んだり、旧暦に合った年中行事をすんなり新暦に嵌め込んだりは出来ないけれど、お座なりに一月遅れで遣っちゃうとか、断り無しに新暦旧暦ゴチャに使っていたずらに混乱を助長するのは止めてほしい。

六曜も旧暦から無造作に新暦に嵌め込んで使っているから、実に不思議な動きになっている。気にする人でもそれが気になる行事は年に数えるほどしかないから、無頓着に使っている。寛容、大雑把どちらにしてももう少し分かりやすい方が良い。

所轄官庁と暦研究者と雑多な外野を交えて今流行のコラボで国民に使いやすく季節感、年中行事が実際の季節やら実感に合うように、新暦、旧暦のコラボを実現してほしい。

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2008年8月 7日 (木)

嫁、婿

ここ数年の流行なのか、自分の妻のことを、嫁と言う人が多くなってきた。若い人のみならず、テレビを見ていると40代の人も自分の妻の事を嫁って言っている人が居る。自分は今一馴染めない。何年かすれば流行の発信元が特定されるかも知れない。

もう相当前から違和感は無くなったが、最初の内、自分の妻の事を「うちの奥さん」と言う人に驚いた。奥さんって多分奥様のちょっと砕けた言い方だと思うが、今でも多分うちの奥様って言ったら、相当前後がハッキリしていないと、その人の奥さんか、その人が仕えている人の奥様か判然としないと思う。

未だ聞いたことはないが、その内、若い女性が、自分の夫のことを「うちの婿」と言い出すだろう。勿論特段の意味はなく単に夫という意味で。その内40代、50代の人もうちの婿がと言いだし、一瞬その人の夫の事を言っているのか娘婿の事を言っているのか分からなくなるだろう。

言葉は変遷して暫くすれば落ち着くところに落ち着く。ちょっと無理してでも、新しい使い方か、新しい言葉を作って、世の中が滑らかに成れば良いと思う。

咄嗟の時に、まあ簡単に言えば、人混みの中で何かを落とした人を見かけたときに、呼びかける言葉がない。坊さんなら、「お坊さん」、侍なら、「お侍さん」、水戸黄門なら、「黄門様」とか呼びかけられるのだが。

ベストアイデアという訳ではないが、叩き台として、僭越ながら国立国語研究所の代わりにちょっと考えました。

「奥さん」:既婚未婚に関わらず、大人の女性なら全て、勿論相当のお婆も含む。

「お嬢さん」:アバズレも学生も、「奥さん」以外の女性全て。

「旦那さん」:プータローも、大人の男性なら全て、勿論クソジジイも含む。

「お坊ちゃん」:汚いハナタレも、「旦那さん」以外の男性全て。

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2008年8月 5日 (火)

脅し文句

と言ってもそれなりにシリアスなのではなくて。

昔、相当、かなり昔、言うことを聞かない子供に対するお母さんの脅し文句の常套句は「お巡りさんが来るよ」とか「歯医者さんに連れて行く」だったと言われていた気がするが、自分は一度も現実には言われたことがない。勿論良い子だったと言う訳ではない。

自分が生まれ育った所では「もうこがくる」凶暴な幽霊のような悪鬼のようなそんなものの集団を連想した、後で分かったことだが「蒙古軍が攻めてくる」、つまり元寇の遠い記憶ですね。自分の姪っ子にちょっと効果が有ったのは「なまはげが来る」だった。きっとなまはげが相当印象強く心に刻まれてしまった物と思われる。

お宅によっては「お父さんにお酒を飲ませるわよ」なんて言うのもそれなりに効果が有りそうだ、又お宅によっては「お母さんにお酒を飲ませるわよ」どっちにしろ、ちょっとブラック。

「惚けてやる」、これには脅し文句返しが有り「もう充分惚けているよ」、そしたら切り返し「惚けるだけじゃなくて、失禁してやる」、きつい冗談?かなり親密な良い関係の親子か夫婦じゃないと中々言えない。そんな関係じゃなくて言い合っているならもう家庭崩壊の一歩手前だろう。

「ぐれてやる」これは親から子でも、子から親へでも使える。自分なんかはボヤーとしていたからぐれかたがよく分からなかった。(影の声:充分ぐれているよ)

大学受かってやる」、確かに普通の家庭か貧乏な家庭で「聖~~医大」とかに受かったら、結構問題有るなあ。借金して頑張って卒業はしたけれど、医者の国家試験が受からなかったら見たいな。

「俺だけれど、会社の金、横領しちゃって~~」こんな簡単な文句で、被害者に成るのも気の毒だけれど、本当の息子なら、被害に遭うよりもっと悲惨、多分。

ずっと昔、脅すつもりだったのだろうけれど「闇夜の晩ばかりじゃないぜ」とのたまった人がいたらしい。聞いた人は目が点に成っただろうなあ。

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2008年8月 1日 (金)

豚捨て男

23週間前に、『ミニブタ捨てた男を書類送検、食欲旺盛に「飼う自信なくす」』という記事が有った。動物愛護法違反と言うことらしい。

気の毒なことをした、勿論豚に対して。人の方は多分、十分反省していると言うことで不起訴か悪くても数万円の罰金を払えば済むだろうけれど。豚の方は証拠品として(証拠豚として)警察に連れて行かれて、警察でも処置に困るだろうから、保健所に引き渡されて、あの世行き。

本音だけの社会じゃ生きにくかろうから、食糧不足の所に動物タンパク質として寄付しろとは言わないけれど、犬猫その他動物が年間100万頭以上処分されて焼却されているらしい。二重、三重の無駄な気がする。

犬猫その他動物も、輸出入に目を光らせるだけではなく、遺棄が激減するようにやり方を考えた方が良いと思う、例えば原付バイクのように登録と抹消を義務づけて、抹消が無ければ、高い税金が継続的にかかるとか。それじゃ貧乏人はペット飼って癒されることが出来ない、とか色々議論が出るだろうけれど。

食糧危機は思う以上に迫っている。これからもずっと処分される動物が減らなければ、その内第三世界の食糧危機救済の一環として、それからソイレントグリーンが出来るだろう。

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