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2008年9月28日 (日)

カワウソ

ナントカトカゲだの、マングースだの日本に居なかった動物は、沢山連れてこられて野生化している。日本相撲協会ではかなり前から、日本に居なかった・・・主題と関係ないか。

日本のカワウソは約30年前に高知で目撃されたのが最後。もう絶滅していると思われるが、最後の目撃から50年経っていないと言うことで、「絶滅危惧」種らしい。何か釈然としない。絶滅していれば何もする事は無いけれど、「絶滅危惧」なら未だ何となく救える可能性が有るみたいではないか。いっその事、南米にタップリ居るカワウソを連れてきて放して見たら、等と考える連中は居ないのだろうか。

そんなことをしたら生態系が乱れるとか仰る人も居るだろうけれど、朱鷺は中国から輸入、増殖させてつい先日、その何羽かを自然に放した(解き放した=朱鷺放した)。日本中何処にもいた朱鷺がもう種を維持できる常識的な数から相当減ってから、増殖しようとして結局失敗の言い訳のように、遺伝子的には日本の朱鷺と殆ど変わらないと言っていた。

朱鷺がよければ、カワウソだっていい気がする。日本相撲協会だって・・・。遺伝子的に言ったらどれもこれも似たようなものだろう。インド、スリランカ当たりに住んでいるワカケホンセイインコが野生化するのは黙認で、北米大陸に住んでいるカミツキガメは駄目って言うのも、いい加減な話に思える。

カワウソは多分毛皮目的で乱獲された。開発で営巣、生活地が少なくなった。河川の汚染が進んだ。それで結局は絶滅危惧種に成ったのだろう。

ずっと昔、田舎にいた頃祖父と雑談していたら、彼が子供の頃、つまり明治の末年、未だカワウソが地元の川に居たとの事。川の中でジャバジャバ泳いで魚を捕り食べて居たらしい。はたと気付いたら田舎では絶滅していた。

今だったら田舎の川も、一頃より綺麗になったし、人口減少で自然への圧力が減ってきたから、南米当たりから連れてきたら生きていける気がする。

そうすれば、田舎で話題が増える。

「この間、揚水機小屋の下でバシャバシャしているのを見た」

「一本松の土手を歩いているのを見た」と言うことに成るかも知れない。

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2008年9月26日 (金)

モミジガサの食べ方

毎年数回里山をほっつき歩いて山菜を採る。モミジガサは郷里ではシドケと言って、山菜では比較的上位の方に有ると思う。大量に採れないためか、保存が難しいのか、料理屋でも季節外れではお目にかかったことが無い。

毎年23食分は簡単に採れるが、昔の様に近所に分けて上げられるほど採れることはなくなってしまった。もし来年少し余計目に採れたら、駄目元で一般的な保存方法である塩蔵で保存が利くか試してみようと思っている。

塩蔵はザッと洗って琺瑯容器に入れて落とし蓋をする、その上に重しを置き、濃いめの塩水をひたひたに掛ける。後は冷暗所に置いておくだけ。真夏に出して塩抜きをして、茹でて食べられたら楽しみが1つ増える。

十数年前にいつもより多く採れたときがあり、茹でて冷凍したことがあった。自然解凍して食べた。香りは満足の行く物だったが、歯触りがザクザクと繊維質に成った。まあ食える範囲だったけれど、それ以降に冷凍保存を試したことはない。

シドケは茎に緑系、褐色系及びその中間と有る様だけれど、味に違いはない気がする。1回食べたら記憶に残る独特の香が有る。程よい苦みがある。シャキシャキと歯触りがよい。おひたしなら、茹でて少し水に晒せば食べられる。茹でてから汁や鍋物に入れても上手い。テンプラも独特の香りが生きて自分の好みだ。春菊に似ているかも知れない。

こちらに出て来て、季節に八百屋でシドケを見つけた。食べたかったけれど、とっても高価だった。それで里山に取りに行った。特に当ては無かったが、沢筋を見て回ったら見つかった。今と違って一箇所に沢山生えていた。見つけてしまえば沢山採れた。秩父や多摩の沢筋や水気のあるどちらかと言えば北斜面で多く採れた。

毎年楽しみに何カ所か知っている所に行って採っていた。先を越されることも多かったけれど(群落に折り痕が有って直ぐに解る)、全体的に多かったから気にしなかった。その内倒木が放置されたり、山の手入れが無くなったりして、様子が変わり、年ごとに採れなくなった。荒れて近づけなくなったところも多い。

色々難しい問題は有るだろうけれど、長い間守られてきた山が荒れてゆくのを見るのは辛いことだ。沢の水は涸れるし、シドケは採れなくなるし。

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2008年9月22日 (月)

歩道の縁に

2ヶ月ほど前に我が町で恒例の阿波踊りが有った。暑い日だった。金、土の二夜に渡って行われた。

始まる前に駅に降りた。駅前から踊り会場になる道路は通行止めである。発電機とセットになった照明があちらこちらに有って、街はとても明るい。裏通りからは鉦と太鼓の音が聞こえる。弾んだ雰囲気。暑い空気。焼きイカや焼き鳥、おでんの匂い。ビールを注ぐ音。人々の話し声、交通整理の笛。

ああ夏だ。

道路も歩道も未だ昼の熱気が籠もっている。歩道の縁に敷かれたシートの上に、子供達が座っている。子供達が焼きそばを食べている、たこ焼きを食べている。ジュースを飲んでいる。子供達は浴衣を着ている。子供達は甚平を着ている。そんな子供達のグループが沢山ある。俺たちもみんな昔は子供だったんだ。

家に帰ってシャワーを浴びて、浴衣を着て街に出た。久しぶりに下駄を履く。空いた歩道の縁に薄いレジャーシートを敷いて座る。焼きそばを食べる、たこ焼きを食べる、焼き鳥を食べる。自分はビールを飲む。阿波踊りが始まった。次々に連が通る。幸せな一時。もう一杯ビールを頼む。

ああ祭りだ、夏だ。

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2008年9月18日 (木)

貧すれば

諸般の事情で可処分所得が減った。今までの行動様式から少し変わった。つまり貧乏くさくなった。清貧と行きたいところだけれど、自分の場合全然修行が成っていない。

サウナ、スーパー銭湯へ行く回数が減った。靴をロッカーへ仕舞う時と出す時に、他のロッカーをチラッとみてしまう。何故って?最初に入れた100円硬貨を回収忘れが有りそうで、昔は自分がしょっちゅう忘れていた。自分のロッカーも良く見なかった、他人のロッカーを見るわけがない。

自動販売機から買っても価格が変わらないもの、つまりタバコは買うけれど、値段が変わるものは、つまり飲物は近くの自動販売機を素通りして、コンビニを素通りして、スーパーに入って買う。その間ずっと喉が渇いていて益々貧乏顔に成る。この間、スーパーの柱に貼りつけてある鏡で偶然自分の顔が見えてゾッとした。

箱のテッシュペーパーは買わない。繁華街、駅前で配っているポケットテッシュを積極的に貰う。不足してきたら往復貰う、貧乏暇有り。

ワイシャツは自分で洗濯して自分でアイロンを掛ける。ジーンズをクリーニングに出すと言うことはもうない。

紙パック入りの100%、1リットルジュースを水割りで50%にして飲む。味の不足分は砂糖を追加して飲む。第3のビールはウオッカを足して飲む。スーパーの試食試飲はさり気なく近づく。勧められるままに飲んだりつまんだり、コメントを言わずニッコリして立ち去る。

タダか、100円ぐらいであれば積極的に大盛を利用する。ドリンクバーは最低5回お代わりをする。昼は殆ど吉○屋、スタ○ナ亭になった。貧すれば丼する。

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2008年9月16日 (火)

家族で動物園

1年に1回程度は上野動物園に行く。都民の日と休日が重なった日なら、可成りの確率で行く。ブルブラコースに従って園内を見て回る。その時気に入った場所が有れば暫く留まる。贔屓の動物が何種類か居るのでそこには暫く留まって彼らを見ている。近くにベンチが有れば尚良い。隅々を歩き回れば、それなりに何時も発見が有る。

東園と西園つまり高台の方と平地にある方を結ぶ通路に有るベンチは空いていれば必ず坐って休む。色々な人々が歩いている。都民の日ならば、それ以外の日より大勢の人がゾロゾロ、ゾロゾロ歩いている。それを見るのも楽しみだ。色んな意味で色んな人が歩いている。当方は、向こうから見れば貧相なオッサンが座ってデイバッグに手を突っ込んでジャンクフードを食いながら、ペットボトルの飲物を飲んでいるのは、風景の様な物。ジャンクフードを溢すと鳩が目ざとく見つけて啄みに来る。良く見ている。

ベンチに坐っていると、子供と目線の高さが同じになる。子供はこんな景色を見て居るんだと思う。子供は遠慮無く人の顔をジッと見つめるので、そんなジロジロ攻撃に遭っても知らんぷりが出来るようにサングラスを掛けている。

そんなある時、もう20年ぐらい経つけれど、夜間英会話学校の同級生を見た。自分より56才下だったかなあ。辞めてから56年後だったと思う。

奥さんと2才程度の子供と一緒だった。白いテーブルと椅子が沢山置いてある休憩所。幸せそうな家族。声は掛けなかった。何か邪魔をしそうな気がして、又ちょっと気後れがした。未だ当時の顔は覚えているけれど、彼の名前は忘れてしまった。彼ももう可成りのオッサンのはず。時間は無常にも?若しくは情け深く?兎も角経過する。自分は、折に触れて、例えば英会話学校の有った駅を通ったり、上野動物園に行ったりすれば彼の事を思い出す事も有るけれど、彼も自分の事を思い出すことも有るのだろうか。

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2008年9月10日 (水)

CBで轢き逃げ

最近2回続けて轢き逃げにあった。幸いどちらもちょっと痛いだけの軽傷で済んだが全く危険だ。近づかないようにしているのだが、後ろから来て轢き逃げされると、彼らは逃げ足も速いし、人混みで大きな声を出すほどの事でもないし、尤もなんと言って文句を言ったらいいのか見当も付かない。

「轢き逃げですよ」(日本語になっていない)

「痛い、気をつけてください」(全く迫力がない)

「死にそうだ、どうしてくれる」(強請、たかりじゃ有るまいし)

どれもこれもしっくり来ない。何方か良い言い方ご存知なら、ご教示お願いします。

今駅の構内を大小様々なキャリーバッグ(CB)を引き摺って歩く手合いが多い。自分はサッサと人を掻き分けて進んで、キャリーバッグの引き手は目一杯後ろに伸ばして、蛇行する。右に左に内輪差が起きて、轢かれる者が続出する、危ない。キャリーバッグが反転しても、ジロッと睨んであんたボヤッとしないでチャンと転がってきなさい、見たいな目で見ている、とても普通の人達の理解の範囲にいるとは思えない。

小さな子供が轢かれて転倒して、キョトンとして起き上がって見たときにはもうそのネエサンは遠くに。大抵は利き手に携帯電話反対の手にキャリーバッグ。殆ど凶器を両手に持って人混みの中をスピード違反しながら進行している様なものだ。

そう言う手合いに復讐する機会を待った。休みの日に立川のコンコースで大きなキャリーバッグを持って待機した。居た、居た。携帯で誰かと話しながら、キャリーバッグを持ってズンズン歩いている若い女を見つけた。腰の曲がった小柄なお婆ちゃんが犠牲の第1号で轢かれた。お婆ちゃんがよろけた。轢いた本人をジッと見ていたがその目は涙目であった。暫く行って今度は5才ぐらいの男の子を轢いた。その子はソフトクリームを食べていた。哀れソフトクリームは地べたにへばり付いた。ジッと見ていたがその目は涙目であった。

追跡していた自分がやっと追いついて、その若い女を追い越し直ぐ曲がって、でっかいスーツケースの角でその女の膝を直撃して遣った。

「痛い」膝に激痛を感じて夢から覚めた。

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2008年9月 4日 (木)

エスカレーター逆走

1ヶ月ほど前に東京国際展示場で登りエスカレーターが搭乗者の重みに堪えかねて(多分)どっかが壊れて逆走した。10人ぐらいが怪我をした。甚大な怪我人が出なかったことは、不幸中の幸いだった。

あれからテレビとネットのニュースを注意深く見ているが、事故の原因が発表されたようには思えない。原因と言っても警備員の制止に注意を払わず有りっ丈の人が乗ったという方の事故の原因ではなくて。機械の一部が想定以上の力が加わってドコドコが折れたとか、それでブレーキが利かなくなったとか。手抜き工事だったとか。何か最初の報道が大上段に構えていた割りには、自分が興味を持っていた事柄に対する続報は無かった。

地下で火災が発生したりすれば、最寄りのエスカレーターにはあれぐらいの人が一時に乗る事って普通に有ると思う。転んだり押しつぶされたり、あれより酷いことも結構ありそうだ。エスカレーターって柔な物なのだろうか。

最初の報道も、少し考えすぎの様な気がするけれど、乗り合わせた人達が、限定フィギュアの展示即売会場に行く人達と言うことで、まあ一種のオタク、報道の仕方がちょっと冷たい気がした。「どうせ、オタクだし」って言う報道姿勢。そう感じた人は他の事故報道より多かったと思う。

海外の大事故の報道で日本人が含まれているかいないかと言うことは、自分も第一に気になるところだけれど、「日本人は含まれていない模様です、それじゃ次のニュース」って失礼な話だよね。

アジアだけでも毎日、貧困や天災、暴動や破壊活動で多数の人が亡くなっているのに、余りにも報道が少ない。もうちょっと世界の日常的な状況事件事故を報道してほしい。自分達は周辺の事を知らないし知って何かをする気もない、自己中に成っている気がする。

最近アフガニスタンで亡くなった方のように、高邁で無くとも、報道がもっと多ければ、月千円ぐらい寄付する人は多いと思う。

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2008年9月 2日 (火)

じぃじばぁば

多分、10年ほど前から使われるようになったと思う。まあ一種の幼児語だろう、幼児語と言っても大人が教えた言葉。じぃじはお爺さんまたは爺の。ばぁばはお婆さん、または婆。

この言葉に違和感の無い人もあろうし、そうでない人もあろう。お爺さま、お爺ちゃん、お婆さま、お婆ちゃんという良い言葉が有るのに、ワザワザ作り出す事は無い、とい人もあろうし、短いし親しみが有って良いと言う人もあろう。

幼児が言うのは良いが、呼ばれるご当人が自称として使うのはどうかねえ、と言う人もあろう。ゾッとしていたのに、自分がそれで呼ばれたらその日からご機嫌で自称でも使うじぃじやばぁばが居る気がする。

小さな孫にお爺さま、お爺さん、お爺ちゃん、爺ちゃん、じぃじとか呼ばれて、返すときは、自称でお爺さまは・・・とかでOKと思うが、孫が小学生ぐらいに成ったら、通常使っている自称、例えば、「わたしは」を使った方が自然の成り行き、と言うものだろう。

じぃじ、ばぁばについて、私の感想?

一切れのパンのために信仰を捨てた聖職者。

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