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2009年1月30日 (金)

宗教的な(5)

普段の我々の生活にはその宗教の教義の奥義は、余り関係が無い。そもそも理解できる物ではない。その教団に属している人々の普段の活動と生活が見えれば、少しはその教団の事が理解できる。社会に貢献しようとしているのか、社会から金を吸い上げようとしているのかで、判断している人が多いと思う。

無住の小さなお寺でもその本堂に坐っていれば、確かに心が落ち着く。森閑とした境内で、ベンチに坐って黙っていても心が落ち着く。教義は知らなくとも、長く我々の生活に隣接したそう言う場所にいると、心が落ち着くことが多い。自分はそれより先に進むことは無いけれど、もう少し年がいって、年金生活になったら、仏教の世界観について大般若経や大日経、法華経について網羅的な説教を聞きたい気がする。笑いと涙の生臭説教は願い下げ。

と言う事でもしかしたら、自分は宗教的なのかも知れない。

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