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2009年1月30日 (金)

宗教的な(5)

普段の我々の生活にはその宗教の教義の奥義は、余り関係が無い。そもそも理解できる物ではない。その教団に属している人々の普段の活動と生活が見えれば、少しはその教団の事が理解できる。社会に貢献しようとしているのか、社会から金を吸い上げようとしているのかで、判断している人が多いと思う。

無住の小さなお寺でもその本堂に坐っていれば、確かに心が落ち着く。森閑とした境内で、ベンチに坐って黙っていても心が落ち着く。教義は知らなくとも、長く我々の生活に隣接したそう言う場所にいると、心が落ち着くことが多い。自分はそれより先に進むことは無いけれど、もう少し年がいって、年金生活になったら、仏教の世界観について大般若経や大日経、法華経について網羅的な説教を聞きたい気がする。笑いと涙の生臭説教は願い下げ。

と言う事でもしかしたら、自分は宗教的なのかも知れない。

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2009年1月26日 (月)

宗教的な(4)

住んでいる集合住宅の行事で知り合ったオジサンが、彼の属する教団関連の新聞を1ヶ月入れてくれたことが有った。その間普通の新聞を読む程度に読んだ。ええ、こんな事を毎日読んでいるんだ。独自の世界で生きていてそれはそれで面白かった。彼はその後購入して貰おうと望んだのだろうけれど。

一般紙もその新聞もニュースは流してくれるけれど、三面記事は別にして、自分が知らせたい事が一面を飾る。背景を知らせてくれないし、分析も無いから意味が不分明な事が多い。特に宗教新聞では、信者に有らざる身においては、不思議な記事が多い。新聞を入れてくれたオジサンは熱心さでは宗教的だったが、当方は信者的な活動が多いと感じた。

他人が熱心に祈っていることに、違和感は無い。東南アジアの上座部仏教の人達。アジアのムスリム。他の人が居ても、普通に祈っている。自分なんかは、少し羨ましい感じがするときも有る。

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2009年1月22日 (木)

宗教的な(3)

暫く前に散歩を兼ねて昼飯に出たら、なんの変哲もないところで、比較的若い女性に話し掛けられた。最初言っていることが分からなかったが、聞き直してみると『スピリチュアルボランティア』と宣った。何をどうしたいのか意味が分からなくて、ボンヤリしてしまったが、ちょっと興味を惹いたので、暫く黙って聞いていた。いっこうに本題に入らない。精神を救うには、見たいな話になってきて、ある種の宗教の勧誘らしいと解った。興味も失せて、少し疲れも感じたので、残念ながらそこでご遠慮申し上げて、食事に向かった。あの人は宗教的なのだろうか。

暫く歩いて行ったら、10メートル位先で、オバサンが転んで、横座りの様になった。近づいていっても、一向に立ち上がらない、仕方がないので、手を差し伸べて「どうしました、何処か打ちましたか」その人答えて曰く「神が罰を与えたもうたのです」。さっきの人と巡り逢えば良かったのに。

今の自分なら「へ、へ、兎も角立ち上がって」とか「何か罰が下される事をしたんですか」ぐらいの事は、言うだろうけれど。その時は、目が点になって「お大事に」を言うのが精一杯だった。あの人も宗教的なのだろうか。

ずっと昔公園の芝生やベンチで寝転んで本を読んでいると、2人組の若いアメリカ人男性に比較的上手な日本語で話し掛けられたことが何回か有った。宗教の勧誘っぽくはなかったが、休日に教会に来ないかとか、無料の英会話が出来るとかの言葉が有ったから、まあ勧誘だったんだろうと思う。でも宗教的な感じはしなかった。

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2009年1月20日 (火)

宗教的な(2)

他の人がどう言う願いをしているのか、聞くわけにも行かないので、自分の願いが普通なのか、突拍子もないのか判断できないが、少なくとも他人には害が無いわけだから、身勝手なのは、許して貰いたい。

新年になって神社に行くと、絵馬が奉納して有って、ちょいと覗いてみると、合格祈願があり、聞いたことのない学校名だなあ、と思いつつも、暫く見ていると、不思議な当て字だったりして楽しめる。慶応大学は、まだれにそれぞれKOが書いてあって直ぐ理解できた。一番の傑作は福田大学が、どうも早稲田大学を意味するらしい事を判読したとき、内心モヤモヤが解けた気がした。考えるに幸福(シアワセ;幸=シア、福=ワセ)と勘違いしていたのかなあ。書いた本人も字面が合わなくて、しっくり行かなかったと思う。でも多分こういう人が、その希望の大学に入って、オヤジの会社を継いでシアワセになるのだろう。

就職先の希望を書いてあるのもあった。「サッカー選手」とかは子供だろうから、まあ微笑ましいものだ。具体的に立派な企業名が書いてあるのは、洒落なのか本気なのか、こちらがちょっと悩んでしまった。

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2009年1月14日 (水)

宗教的な(1)

自分が宗教的なのか非宗教的なのかは、余りハッキリしない。反宗教的ではないと思う。一心に神仏の加護を願ったことは無いかも知れないが、散歩の目標を杜のある社寺にすることは多い。境内に入って一休みする。参道を通って本殿に参拝することもある。少しは喜捨もする。初詣に行けば、少額で色々祈願もするしお神籤も買う。だから宗教的かなあと言えばそんな気はしない。

大体お願いすることは、殆どいつも同じで、世界平和と世界の子供達みんながちゃんとご飯を食べられますようにが一番、次に自分を含め家族友人知人が健康で有りますように、3番目が宝くじが当たりますように。一応念のために申し上げますが、第一志望○○大学、第二志望△△大学、やぶれかぶれで第三志望□□予備校と言うことは一度も祈念したことが無い、神仏に誓って。

お願いしている第一は当面叶えられそうにない、経済の悪化で寧ろ悪い方に推移しそうだ。第二は大体叶っているが、漏れる方が時々ある、自分も時々漏れて、初詣の帰りに腹痛になったりする。第三は今のところ擦りもしない。

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2009年1月 8日 (木)

プリンスメロンの食べ方

自分が小学生の頃、プリンスメロンが爆発的に流行した。

真夏の午後、いつものたまり場に数人でいると、1つ学年が上のいつものあそび仲間が現れた。

「プリンスメロンを食べに行こう、家の畑にあるのが熟した」

何回か食べたことがある。甘くて美味しいプリンスメロン。我々は意気込んで出発した。子供の足には野を越え山越え小一時間掛かって彼の家の畑に着いた。まん丸の大きなプリンスメロン。匂いを嗅いで、お尻の方を検査して、2個選び出した。肥後の守で蔓を切って、近くの水場で洗った。いよいよ割って、タネを刮げ取って、それぞれ食べた。おいしいプリンスメロン。あんなに美味しいプリンスメロンとそれ以降出会った事はない。

今はもう網目系のメロンに取って代わられてしまった。プリンスメロンとも殆ど出会うことはなくなった。マクワウリも滅び去ってしまったのか見ることはない。食べれば連想で当時の事を思い出させてくれるマクワウリやプリンスメロンがもう少し市場に出回れば良いのになあ。それを食べれば、忘れていた当時のことが、味と共に色々思い出されるだろう。

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2009年1月 6日 (火)

鴨の食べ方

初冬にシベリア方面から冬鳥が渡ってきた。近くの用水沼には何種類もの水鳥がいた。もう少し南に渡るまで暫しの休憩、真冬に減少し沼の氷が緩んでくる早春には、北へ帰る冬鳥達が又増えた。

我々は相変わらず外で遊んでいる。数人ずつ対抗してゲーム姓のある遊びをした。走り回っているので寒いと言うことは無かった。風が冷たいので、時々鼻水を垂らした。服の袖口で拭った。我々は特に気にも留めていなかったが、袖口がピカピカしていたらしい。後年親から言われて、そうだったかも知れないと思うばかり。

天気は連日曇りがちで、風が強く、灰色の空から粉雪が舞う。もう落葉樹の葉は全て落ちている。そんな時に鴨猟が解禁になる。遠くから鉄砲の音が聞こえた。そんな日が何日か過ぎると、何軒かのお店屋さんの店先に鴨がぶら下がって売られるようになる。特に気の毒だと思ったことはない。

そんな或る日、夕方薄暗くなって家に帰ると、我が家でも年に1回か2回の鴨かやき(鴨肉を使った鍋料理)。だまこもち(潰したご飯を直径3センチほどに丸めた物)を入れたりうどんを入れたりして、たくさん食べた。それこそいつもの倍も食べた気がする。醤油味でそれはそれは美味しい物であった。銀座に有る高級フランス料理店の番号の付いた鴨とはちょっと違うと思うけれど。

当時家の主室は蛍光灯が点いていた、他の殆どの部屋は60Wの裸電球であった。今から比べるととても暗かった。爺さん婆さんがいて、兄弟も多くみんな一緒にご飯を食べるのが常であったから、美味しい鴨かやきは、益々美味しく今でもその光景を鮮明に思い出す。その時のメンバーの半分はもう他界した。

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2009年1月 2日 (金)

浦島太郎(4)

太郎は粗末な小屋で雨露を凌いでいた。夢と現の区別がハッキリしない。そんな或る日あと数日で死ぬであろうと予感した。夜眠りに就き数日夢を見ながらそのまま死んでしまった。

色々なことが夢に出て来たが、竜宮城の事は出てこなかった。繰り返し繰り返し出て来たのは小さな子供の頃のことばかり。貧乏ながら明るく楽しく暮らして、お母さんとお父さんが居て、愛情に包まれて日々を過ごしたこと。

お父さんとお母さんに折に触れて抱き上げられた。もう少し大きくなってからは、近所の友達と海辺で遊んだこと。山に行って、木の実やキノコ、山菜を採って遊んだこと。そんなことを繰り返し夢に見た。長じてからのことは全く夢には出てこなかった。太郎は母に抱き上げられて、母の匂いを嗅いで、満面の笑みでいたところで死んだ。

太郎の死に顔は微笑んでいるようだった。

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