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2009年3月29日 (日)

ピコピコハンマー

ピコピコハンマーがJRの武蔵野線と南武線に装備された。二線とも首都圏の外環にあり、それなりに重要だけれど、直に都心に向かうと言う感じではない。ラッシュアワー以外は電車が10分に1本程度の所である。自分も偶に利用させて貰っている。景色がややのんびりしている。

ピコピコハンマーは、シルバーシートの横に装備された。目的は、該当者以外が坐っていたら、誰でもそのハンマーで、寝たふりを起こして、そこに本来坐って頂くべき人に席を譲る為の注意喚起。いや別にこれでそこにタヌキ寝入りしている人の頭を叩くというわけではない。頭上の荷台を叩いてお目覚め願う、と言うだけだ。

装備してから暫くは使われる事が無かった。勿論その席が正しく使われていた、と言う意味ではない。誰も遠慮して使わなかったと言うだけ。

老人や妊婦、体の不自由な人ならそこに行けば殆ど自動的に席を譲って貰えるとすれば、少しは気軽にお出かけも出来ると言うものだけれども、決してそうではない、と思って発案者は関係者を説得して、ピコピコハンマーを設置した。

その内使う人が出た。見てくれはそこにそぐわないが、急に目眩がしてへたり込んでいた中年オジサンを立ち退かせたり、急に腹痛を催したオバサンを追い払ったりの小事故も有ったが、例のピッピの音で、シルバーシート以外の席を声を掛けて譲ってくれる人も予想外に多く、それなりに効果は有ったようだ。優しい人は実は勿論沢山いたのだけれど、シルバーシートの意味が理解できていない人が、相当数いることも発見された。全く理解していない人が、もう途轍もない数がいて、それでもちゃんとかどうかは不明だが、まあまあ普通に生きて行けるのだから偉い物だ。世の中の仕組みなんか殆ど知らなくとも、まあまあ生きて行けるようだ。

発案者は、当初の目論見と違って、音で近隣に知らせるので、多くの人が優しさを発揮しとっても良かったと思っているが、シートの意味を全く理解していないし、お知らせの張り紙にも全く注意を払っていない人が大勢いることも知り、大いに悩んでいる。

優しい人は沢山いるが、知らしめるべきだと思った人には全く効果のないピコピコハンマーを別の路線にも拡大適用すべきか、それとも止めるべきか、ああそれとも暫くこのまま実験を継続すべきか。

未だご覧になっていない方は、廃止になる前に、この二線に乗って実際に見聞した方が良いかも。

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2009年3月27日 (金)

市議会議員選挙

今、自分が住む街は市議会議員の選挙戦中である。関係者はまことにご苦労様な事である。自分も少額ながら納税者であるから、それなりの関心を持って見守っている、多分。只、朝は働きに行かねばならないので、それぞれの演説をじっくり聞いては居られないけれど。印刷物の類は貰える範囲で貰って、投票の参考にさせて貰っている。

朝、駅までの間に候補者が数人いる。道を挟んでいると、気の毒になる。たった数百メートルの間に一番多いときは、8人居た。

候補によって手助けしている人の相が違う。家族で援助している風の候補、党で支援している風の候補、支持団体から援助が来ている風の候補。観察して歩くとそれだけで結構退屈しない。お知り合いなのか、「お疲れ様」「ご苦労様」等の声を掛けて居る人がいる。候補者側からは「お早うございます」「行ってらっしゃいませ」「有り難う御座います」「おつとめご苦労様です」「宜しくお願いします」、特段の意味はない。

昨日、自分より数メートル先を行く人が居た。その人は候補者を見て手を振り「応援しています、頑張って」と言いながら、にこやかに通った。その候補者の支持者のようだ。成り行き上、その人の後ろを付いて駅まで行くと、さっきの候補とは全く反対の政党候補の側を通った時も、手を振りにこやかに笑って「応援しています、頑張って」自分は一瞬目と耳を疑った。なおも後をついて行く。今度は宗教団体が支援する政党の候補者の前、「応援しています、頑張って」忙しい人だ。次はローカル色の濃い小グループの候補、やはりにこやかに手を振って「応援しています、頑張って」

自分はあれほど博愛にはなれないが、ちょっと考えさせられた。優しいのか罪作りなのか、即断しかねる。彼は多分いい人で、彼は彼なりに候補者を若しくは自分を励ましているのだろう。

候補者は一票上乗せと心の中で換算しただろう、願いは叶えられないが。

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2009年3月23日 (月)

空飛ぶ夢

農村地帯。家が屋敷林に囲まれて数軒、数十軒ずつ固まっている。集落内に柿の木や栗の木が有る。高いところから見ると、田圃が海で、集落は島のようだ。島の周りは掘り割りに囲まれている。子供達は自分の島で遊ぶ。時には数人で偶にはもっと多い人数で、別の島に遊びに行く。

或る秋の日の午後、56人でいつものように自分達の島で遊んでいた。木造の塀の上から勢いよく塀を蹴って飛び出す。水泳のように手で空中をかいて空を飛び回る。高さは34メートル。上手く行くと78メートルまで上がることが出来る。その高さで飛び回るのは少し疲れる。風が吹くと煽られて体勢を崩して、沈んで行き地面におちてしまう。手をかくのを止めれば、ゆっくり足から降りることが出来る。

飛ぶのが未だ下手な子は、塀の上から飛び出して必死に手をかいて、足をばたつかせても、少しだけ上昇して、間もなくフワフワ下がっていって、飛び出したところから78メートルで、地面に落ちてしまう。

時には里山から、ススキの穂と一緒に風に乗って、集落まで飛んで帰る。雁のように先頭が時々入れ替わって、みんな明るい顔で飛ぶ。

子供の頃、朝早く起きては1人で塀から飛び出して飛ぶ練習をした。何回も何回も1人で練習をした。ある時、少し浮いて、45メートル先まで行って、地面に落ちた。駆け戻って塀によじ登り又勢いよく塀を蹴って飛び出したら、飛べた。やっと練習の成果が出て飛べるようになった。楽しくて暫くそこら辺りを飛び回った。夕方、母の「たっちゃん、たっちゃん、ご飯よ」と言う声で、目が覚めた。

その朝も、こつを掴んだ気になって、1人で塀から飛び出して空を飛ぶ練習をしたが、駄目だった。その内飛べないと言うことが分かった。飛べるのは夢の中だけ。残念だった。その挫折に比べれば日常の挫折なんてどうでも良いような気がしている。

長じてからは、空飛ぶ夢は見なくなった。偶に素晴らしいトランポリンの23倍の跳躍力が有る夢を見る。日の因っては地上から56メートル止まりだけれど、絶好調な時は20メートル位も上がることが出来る。空中で自在に体勢を変えて、地面に戻って又自由な方向へ飛び上がり空中で景色を見ながら自在に体の向きを変えて遊ぶ。途中から、「あ、夢かも知れない」と思うが、ああ、醒めないで。

近くの公園を1人で散歩して、小走りに数メートルの土手を駆け降りて、力一杯飛び上がってみるが、勿論560センチ飛び上がり2メートルぐらい先に落ちるばかり。夢との区別は付いてはいるんだけれど、ちょっと試してみる。上手く行って高く飛び上がれたときは、やはり夢の中。

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2009年3月19日 (木)

ほっけの食べ方

今ほっけと言えば、居酒屋で食べるホッケの開き。身離れが良くて食べやすい。店によっては両身に背骨が付いている。最初に対面したときは、少し混乱した。さっき穿って食べた方に背骨が有ったのに、こちら側にも背骨がある。自分の勘違いか、テープが少し巻き戻し再生された?よく見ると反対側にもちゃんと背骨がある。何で?既に少し酔っていたので、暫くドンヨリした。少し経ってハタと分かった。冷凍している物を真ん中で切ったのである。氷のように固い物を人間の手で切れるわけはないから、機械仕掛けの刃物で切ったのだ。これとは違って、お年寄り用に全て骨を抜いたほっけも有るらしい。便利は便利だろうけれど、自分はそのお世話にはなりたくない物だ。

子供の時、母からお使いを頼まれて、時々魚屋へ行った。夕方お金を握りしめて、記憶はないが多分100円位、反対の手には竹で編んだ籠を持って。買うのは大抵ロウソクボッケ。お金を渡すと魚屋の小父さんが氷っているのをトンカチで叩き割って、新聞紙にくるんで籠に入れてくれた。煮て食べた。大きなネボッケは焼いて食べたことも有るかも知れない。当時干物は余り食べた記憶がない。ロウソクボッケは貧乏人の食べ物だったのだろうけれど、自分は好きであった。なんせ身離れが良いし、骨も簡単に取れる。

かなり前に日本海に有る島に遊びに行った事が有る。周囲10キロ余り、人口300人程度。渡りの野鳥の中継地である。半日もあれば島の道路は全て踏破できる。探鳥会の人達が三々五々島の各所に居た。

漁港の辺りを彷徨いた。風が吹いていた。小母ちゃんがほっけを捌いていた。プラスチックの網コンテナに入っていた。その小母ちゃんが、ちょっと離れて見ていた自分達に不意に「ほっけは要らんかね」目が点になって暫くジッとしていると、「ほしければたんと上げようと思って」益々意味が分からない。ちょっと興味が湧いて旅行中だから貰えないけれど、どうしてか聞いたら「船が帰ってきてワカメを遣るからほっけはええ」見ている内に、網のコンテナを岸壁の縁まで引き摺って行って、倒して残っていたほっけを全て海に捨ててしまった。数十匹は干されたが、残りの数十匹は海に戻った、静かに底に沈んでしまったけれど。

岸壁から澄んだ底を見て歩いたら、何カ所かにほっけが固まって捨てられていた。その時期はワカメ優先、ほっけは合間の仕事。

あの時貰っても処置無しだけれど、何となく引っ掛かって、今でも岸壁から底を見ると人の良さげな小母さんと海の底に沈んでいたほっけを思い出す。

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2009年3月17日 (火)

農薬の付いた野菜

近くに八百屋がある。越してきて発見してから、贔屓にしている。新鮮で比較的安いし、何より近いのが良い。週に1回ぐらいは行っている。そこは家族で遣っている。商売熱心なのは結構だけれど、突拍子もない物をしつこく勧めることが有って、閉口するときが有る。

サツマイモを買おうとして、籠に入れているのに、乾ききった石焼き芋を勧めて、籠に入れた、要らないと言って、籠から出したら、『せっかく、美味しいのを安くしたのに』。

閉店間際に行くと、当日中に売りたい物を、しつこく勧める事もある。気の弱い人は買ってしまう。

お隣さんと偶々一緒になって、その八百屋さんの話になったことがある。さもありなん、と言うところの面白い話を教えて貰った。20年近く前の事のようだ。消費者が生産者から遠く離れて、ブルームが誤解で農薬と間違われ、今はブルームレスのキュウリばかりになってしまったが、未だ双方が店頭に有った頃の話。

客:「これ農薬でしょう、こんなの食べられないじゃないの」

八百屋:「ブルームと言って、農薬なんかじゃありませんよ、奥さん」

客:「嘘仰い、適当なことばっかり言って、白いんだから、農薬に決まっているでしょう」

八百屋:「それなら、奥さんの顔の白いのは農薬ですか」

客:「失礼な、違います」

八百屋:「それなら、毛羽立っているから、カビですか」

自分が子供の頃の新しいキュウリには、白い粉、つまりブルームが付いていた。当時名前は知らなかった。この粉は元々キュウリ類には有る物で、水分の蒸散を防ぎ、水をはじいて、果実を環境の変化から守る働きがあるらしい。接ぎ木の台木によってブルームが付いたり、無かったりするとのこと。ブルームのあるのは皮が柔らかく歯切れが良いが、やや日持ちがしない。ブルームがない方は、皮がしっかりして色つやがよく日持ちがする。当時ブルームが付いていなくて、手に刺さりそうなトゲのような突起も消えているのは食う気がしなかった。

最近はブルームレスのキュウリでも、平気だけれど、郷愁からか、昔のキュウリの方が未だに美味しかった気がする。

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2009年3月11日 (水)

公園のキジ、ウズラ

いつも散歩する公園の端に藪が広がっている。鬱蒼とした藪はそのままであるがその裾の草地は年に何回か草刈りをする。少し離れた所に歩道が有る。そこのベンチに坐って、刈ったばかりの草地を注意深く見ていると、時々キジやウズラが採餌しているのが見られる。昆虫や草の実を食べているようだ。

キジは繁殖の季節はオスメスが番で居ることが有る。絵のようだ。大抵オスは単独で、メスは23羽で、若しくは68羽の雛を連れている。

ウズラはオスメスがよく分からないが、数羽で居るのを見かけることが多い。雛を従えて行進しているのは、残念ながら見たことが無い。

藪の奥は道路に面している。最近道路の拡幅なのか何か施設を作るのか、かなり大きな面積を掘り返している。キジやウズラの生息地が無くなるのではないかと心配している。

キジは国鳥であるし、キジにまつわる色々な言い伝えや物語、諺が有り我々に馴染みの深い鳥だ。春先の繁殖期には頻繁に二声の鳴き声が聞こえて、姿が見えずとも居ることが確認できて季節の到来を知らせてくれる。

ずっと昔田舎に住んでいた頃、初夏、里山を歩いていると、67羽の雛を連れたメスのキジと時々出くわした。危害をくわえるつもりは無いが、走って近づくと、親鳥はちょっと遠くまで逃げて見えなくなるが、雛たちは、遠くまで逃げた様子は全くないのに、近辺に融け込んで隠れて全く見えなくなった。離れて暫く見ていると、親鳥がどこからともなく現れて、そこら辺の草地から沸くように雛が現れた。そして何事も無かったかのように、親鳥を先頭にして雛がチョコチョコと付いていった。

ウズラは小柄で地味であるが、鳴き声が『ご吉兆』で好まれた鳥だ。これらの鳥が繁殖地を失うのは残念な事だ。もしかしたら広い公園の事だから何処かに生き延びて、ベンチに坐って景色を見る我々の前に現れてくれるかも知れないが。

自分にとっては、各種スポーツ施設や駐車場等の構造物が出来るより、本来そこに有った自然がそのままで、野生の鳥や動物その他の生物が、そのままで居られることが望ましいのだが、多分駄目だろう。

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2009年3月 5日 (木)

棒杭の代わり

2週間ほど前、近くの大きな公園に散歩に行った。正面入り口から入った。梅祭りだった。その日は陽気が良かった。たくさんの人出。最近よく見かけるストリートパフォーマーが何組か居た。子供達がたくさん見て居るところもあるし、大人が多いところもある。時々歓声や拍手がおこる。我々も足を止めて見た。一段落するまで見ると、ああ腰が痛い、と言うことだが面白い。野点が行われていた。屋台が賑わっていた。梅林の中をゆっくり歩くと、強い香がした。

我々は公園を半周した。北東側の出入り口から出た。予定していた食堂に入って昼食を取った。入ったのは始めて。美味しく量も多く満足してそこを出た。同じ所から入って、残りの半分を回った。日当たりの良いベンチで休んだ。散歩の親子ずれやジョギングの人達が通る。

最初に公園に入ってから3時間ぐらい経って正面入り口から出た。入るときに居た若い人が未だ入り口の所にいた。朝から夕方まで居るのかも知れない。70cm角ぐらいの看板を持っている。それには一本棒が付いている。下を地面に置いて、上の方を手で持っていた。看板は彼の顔の辺りにある。入る時に下を向いていた。出るときも下を向いていた。アルバイトの学生で、同じ事をしている人が何人か居るのだろう。看板には『~~の戸建て、モデルハウス公開中、~~ホーム』等と書かれて矢印が付いていた。

自分も幾つもアルバイトをしたけれど、棒杭の代わりのアルバイトはしたことが無い。

看板を公園の地面に刺しておけないから、彼が持っていたのだろう。棒杭は人間の代わりが出来ないけれど人間は棒杭の代わりが出来る。

何となく悲しくなって黙りして家に帰った。

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2009年3月 3日 (火)

タケノコの食べ方

数年前いつもの通り夜外房の田舎道を歩いていた。道路の真ん中に筍が数本落ちていた。可成りの大物。拾いたい気もしたが、結局そのままにして通り過ぎた。菜園の小屋に着いて一休みしてつらつら考えた。あれは筍農家が、翌日に直販所等に出荷するために、自宅に軽トラで運んでいるときに、道路に落とした物だったに違いない。きっと無駄になることなく誰かが拾って食べただろう。

同じ頃、秩父にハイキングに行った。道端の野草を摘みながら峠道を上った。或る集落を通過していると、80歳台の老人から声を掛けられた。彼は通路を清掃していた。法面を片付けたり、石ころをよせたり、邪魔な竹を切ったりして、何本かの筍を掘ったとの事。偶々通りかかった我々に声を掛けて、筍を二本くれた。数分立ち話をした。大分腰が曲がっていた。歯も少なかった。皺だらけの顔で笑った。

「元気で長生きしてください」道が曲がって見えなくなるときに、振り返って、手を振った。彼も笑って手を振った。

外房でも秩父でも春先にほっつき歩いていると竹藪に巡り逢って、12本掘ることが有る。大抵はアク抜きしても思った以上にえぐい。折角だから工夫してどうにか食べるけれども。食べられる部分の何倍ものゴミが出る。八百屋の店先でアク抜きタケノコを見ると、剥かれた皮の量が頭に浮かぶ。

年に1回ぐらいは外房の郷土料理を出すお店で筍料理を食べる。美味しいとは思うが、タケノコが余り好きではない。ここ数年自分は、筍づくしではなく、一品ぐらい入った別のセットメニューを頼んでいる。筍を食べ過ぎるとお腹も不調になるし。

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