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2009年4月26日 (日)

筆子・綱男

休憩時間にお菓子をボリボリ食ってお茶を飲みながら雑談。同僚の1人に初孫が生まれて、名前の事が話題になっていた。

役に立つことには無頓着で、殆ど役に立たないが聞くと少し心に引っ掛かる事を偶に言うオジサンが言った。

「漱石は書も独特だし、俳句は言葉遊びとユーモアがあって中々面白い、娘には筆子と名前を付けた。字が上手ければそれでよい。勿論色々考えたのだろうけれど、俳句と同じでまあユーモアも有ったのだろう。

坂口安吾は倅に綱男と言う名前を付けた。世の中で一本の綱たれば良し、と言うことらしい。筆子も綱男も良い名前だ。

岩夫は、きっとご両親が、岩の様に丈夫で、意志も岩の様に固く、自分の道を進めるように、名付けたのだろう」

(陰の声;岩夫=そこには居ない同僚の名前、考え方が単細胞且つKY)

さっきまで黙って居た寸鉄人を刺すオニイサンが言った。

「頭が岩に成っちゃって」

以下そのオニイサン語録;

美人大年増の同僚について、

「美人だから人生の半分はそれだけで取ったようなものだ、只その脳みそで人生の半分は溝に捨てた。産土神が気まぐれで美人にするために多くの時間を割いて集中した。その内生まれる時間が来て、脳みそは側にあった返品の不良品を使った」

チビデブハゲの2人のオジサンについて、

年長の方を一号と呼んでいる、年下の方を二号と呼んでいる。「こちらに来て暫くは区別が付かなかった。2人とも遣ることがトンチンカンで区別が付かんし、いい人だけれど欠陥品、それでもまあ、手足はちゃんと付いているのだから、頭だけ替えればよい」

良い人で働き者で言うことが支離滅裂な同僚について、

「偉いと思う。発言はぶれまくりだが、遣ることは全くぶれない、いつも最悪の選択」

どっとはれ。

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2009年4月24日 (金)

干鱈の食べ方

芭蕉の句に「躑躅生けてその陰に干鱈割く女」と言うのが有る。

自分が子供の頃、干鱈を塩抜きして甘辛く煮たおかずが時々出て来た。甘辛いので1回煮ると何回か食べられた。自分は好きだったから良かったけれど。

お八つが欲しくなって、戸棚に有る干鱈を引っ張り出し横槌で叩いて、適当に割いて、炙って食ったこともある。自分は美味しいと思って食べた。最近見なくなったが、半生のしょっぱい鱈のつまみも好きでフラフラ旅に出るときは、一袋鞄に入っていた。

芭蕉の頃も自分がガキの頃も、干鱈は、安い物で、貧乏人の食い物だった。今鱈は高級食材になってしまった。漁師が潤っているなら、まあ仕方ないけれど。自然現象で獲れない波に成っているのなら残念なことだ。資源が枯渇して無いというなら益々残念だ。又昔の様に豊富に出回らんかなあと思う。

その内、戸棚から干鱈を出して、横槌で叩く、適当に割いて、七輪の上の金網に乗せて炙る、近所の自分に負けず劣らず老人力の付いた友達と昔話をしながら、秋の夕方4時頃から茶碗酒をチビチビ遣れば、楽しいだろうなあ。

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2009年4月20日 (月)

カスベの食べ方

自分の家以外で食べたことが無いものを何となく郷土料理の様に思っていたが、そうでもないらしい。確かにキリタンポは郷土料理だけれども、干しカスベの煮付けは郷土料理っぽいけれど、結構広い範囲で食べられているようだ。郷土料理から出世して広い範囲で食べられ様になったと言う事だろう。

子供の時は、どちらかというとハレの日の料理だった。身も好きだったしナンコツもカリカリと食べるのが好きだった。翌日になれば煮こごりに成って、益々好きであった。煮て湯気が上がって居るときは、異臭に近い。醤油その他を入れて味を調えると、それなりに食べ物の様な匂いに成る。当時生のカスベを煮て食べたことは無かった。傷みやすいので、乾燥させて流通していたのだろう。

当時同じものだとは知らなかったけれど、小さな漁港辺りにはカスベが乾されていた。かなりいい加減な大きさに切られて紐に掛けられていた。干したてのものには、血が付いているものあった。色も悪いし、ボロ雑巾の様にダラーとしていた。今時はきっちり長方形に切られて小綺麗に包装、地域の直売所で売っている。

食べていた地域以外からの人は、余り買わないと思う、干しカスベそのものは食欲をそそる見てくれではない。名前だってカスベ、カスですよ。べですよ。自分は小さいときから食べていたので、見付けると買う。偶には、田舎に頼んでついでの時に、一袋送ってもらっている。昔は安価なものだったが、今はそれなりに高価なものに成ってしまった。

昔行ったことが有るインド洋の島、マダガスカルの食堂でエイの煮魚があると聞いて注文した。生カスベの煮付け。干しカスベより少しトロッとしていた。美味しかった。大きな切り身で、食べ応えも充分だった。味付けも自分のお袋が作ったのではないかと勘違いするほどで、郷土料理っぽかった。何人かと一緒に食事をしていたのだが、心は暫しふるさとに飛んでしまった。何十年も前のハレの食卓の光景を思い出した。

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2009年4月16日 (木)

逃げ足

逃げ足がやたら速い奴が居る。大抵こういう連中は、梯子を外すのも上手い。無定見な輩が多い。それで居て見てくれも悪くなく、家柄も良かったりする。勿論学歴も良い。論理の展開は正しいのだけれど、出発点の現状認識が歪んでいる物だから、手段が適切ではない。因って殆ど結果は惨憺たるもの。大抵は、即断即決短慮であるが、頭脳明晰と勘違いしていることが多い。人徳は無い。

その失敗は自分に起因しないで他人に起因すると思っているから、めげることが無い。部下の手柄は無論平気で横取りをする。本人にその自覚は無い。自分の失敗は、他人の努力不足にしか見えない。それでも、決定的に自分の立場が不味くなると、本能で感じて、やたら早い逃げ足の才能を発揮する。時に強弁して恬として恥じない。希に観念して従容として運命に従うこともある。

私はそう言う者になりたい、なんてね。

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2009年4月14日 (火)

毛皮

昔家に毛皮が有った。一枚は熊、もう一枚は多分カモシカ。何も加工されていなかった。獣を真ん中で割いて身を取ってそのまま延ばして鞣しただけ。裏はゴワゴワしていた。

冬に爺さんが敷いた熊の毛皮に坐っていた。カモシカの毛皮はチャンチャンコの様にして着ていた。こう言うと鉄砲打ちの猟師かまたぎの家みたいだが、そんな事は無い。鄙びた農村の鄙びた農家。見たのが小さなガキの頃だったのでうろ覚え。高校生の頃まで有ればきっと、爺さんに言ってゆずって貰ったと思う。もう聞く人も居ないので、どうゆう来歴かはもう知ることが出来ない。

これら毛皮の主は、人間に肉も胆嚢も、全てを捧げた。そして皮を残した。未だ毛皮が有った頃、腹痛の時は、熊の胆を一欠けを飲まされた。とても苦かった。嫌々でも飲んだと言うことは、きっと効いたと思う。

電車の中で久方ぶりに毛皮を見た。60代後半の女性が着ていたロングコート。毛皮用に飼育された動物の物だろう。あの動物の肉はどうなってしまったのだろうか。加工されて多分何かの動物の餌か、肥料に成ったのだろう。

今の風潮が続けば、動物の毛皮を見る機会は益々少なくなるだろう。その一方で、処分されるペットだった犬猫の数は30年前の約3分の1とは言え、未だに年間数十万頭である。焼却される。皮も残さない。

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2009年4月 8日 (水)

カブトガニの食べ方

日本の何カ所かでは天然記念物に指定されている。だからきっと食べてはいけない物だと思う。指定されていないところでも、多分食べないと思う。表から見ると兜に長い尻尾が付いているだけれど、引っ繰り返してみると、まるでエイリアンの手足の様で、とっても食い物には思えない。又殻ばっかりで食うところが有るとも思えない。

ずっと昔、東南アジアのデルタの奥へ行った事が有る。そこでお昼をご馳走になった。海鮮料理だった。美味しく頂いた。その中にカブトガニが居た。これは美味しく頂けなかった。人生最初で最後、今のところ。食べたのは身ではなく、卵。引っ繰り返されて出て来た。お腹に卵が沢山付いていた。塩ゆでしたのか、それともちょっと味付けしてあったのかはよく分からなかった。兎も角自分の好みの味ではなかった。卵はバリバリと固く、味は食べたことはないが、泥のようで。厚意だけ受け取って、ご辞退申し上げたかったのだけれど、まあいつもの調子で、死にはしないと覚悟を決め、一掬い食べた。どうだ、と聞くから、「不味い」とも言えず、気が弱いものだから、「卵だね、始めて食べました」と言ったら、何がどう理解されたのか、ドンドン勧められて、かなり食べた。特段お腹が痛くなったりしなかったから、毒では無いと思うけれど。2度目は体が抵抗して、結構食べられないかも知れない。

後で調べたら、このカブトガニ、5億年ぐらい前から化石が有って、2億年前からは殆ど形状を変えていないとのこと。あの格好というのは、ああ言う所に住むには理想的な格好なのかも知れない。我々の大先輩であり、尊敬に値する物の様だ。それに比べたら、我々人類はせいぜい5600万年前に、多めに見積もっても、700万年前にチンパンジーやボノボと共通の祖先から別れた新参者。

オスは季節になると、メスに掴まって縦列で一緒に行動する。夫唱婦随の逆。これはこれで良い気がする。中には掴まる相手を間違って亀に掴まったり、大きな魚に掴まったりして、その気になっているのも居るらしい。間抜けと言えば間抜けだけれど、何となく好きだ。「ホレテマウヤロウ」とはちと違うけれど。そんなお間抜けちゃんなことを、2億年も全く同じ格好で遣って来たとすれば凄い。暢気に暮らしているのだろう。ちょっと調べたら2億年以上前から今の亀の様な格好をした亀が居たらしい。と言うことは二人して、2億年前から、お間抜けちゃんなことを遣っていたかも知れない。2億年×2億年暢気。

おら達は小さいことで苛ついたり、頭に血が上ったりしているけれど、彼らの爪の垢でも煎じて飲んだ方が良いのかも知れない。

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2009年4月 2日 (木)

柱時計

子供だからと言っても眠れぬ夜もある。自分が病んでいる時もあれば父母か、兄弟が病んでいるときもある。嵐で怯えていた時も有った。長い夜時計の音を聞いて過ごす。静かな夜、特に冬の夜はボーンと鳴る前に、ウーッと言うような低い音が聞こえる。何となく感に堪えない、とでも言いたげな、そんな風に聞こえた。

正時にはその数だけボーン、ボーンとなる、30分ごとに1回ボーンと鳴る。12時には12回鳴ったはずだが、そんな時は数えている内に意識が別の所に行って数えた数字と余韻を足して時間が解った。

中学生になって腕時計を買って貰った。それまでは唯一の時間を知る柱時計。長い間、数日に1回ゼンマイを回すのは自分の役目だった。仏壇の側に置いてあった踏み台を使ってゼンマイを回す。鉤を穴に差し込んでゼンマイを回すと、最後は少し固くなってギーギーという音がした。回し終わったら、溜め息をついて、鉤を振り子の下に置いて、踏み台を元に戻して、薄暗い座敷を通ってその場を離れた。当時の子供は忙しいと言うことは無かったから、忘れると言うことも無かった。

高校生の時、冬休みに友達の家に遊びに行って、泊めて貰った事が有る。 雪の深いところだった。夕食が終わって、雑談して深夜になった。大きな座敷に布団が1つ。布団の中に入って、ウトウトしたら、ボーンと柱時計が鳴った。「あ、柱時計だ」暫くして寝入った。

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