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2009年8月18日 (火)

長生きすれば

父方の祖父は長生きした。同じ屋根の下で暮らした。最後の20年ぐらいは別々に暮らした。偶に帰郷して昔の話や、その時の印象を聞かせて貰った。

亡くなる直前まで、普通に朝起きて、日中は新聞を読んだりテレビを見たりしていた。普通に夜寝ていた。睡眠時間は少なくて良いようで、夜よくラジオを聞いていた。心が安まると言っていた。自分も休日はNHKのラジオ放送を聞いている。良い番組が多い。

自分が未だ20代だった頃、帰省してじっくり祖父の話を聞いたことが有る。大部分は昔それなりに聞いたことの有る話であった。それでも少しずつ新しいことが有り、彼の過去の様子が付け加えられて学ぶことが多かった。

「長生きすると、段々友達が減っていき、最後は一人も居なくなって、寂しい」話す顔はいつも通りにこやかで有ったけれど、心の中は本当に寂しかったのだろうと思う。おたがいに衰えて、訪ねることは出来なくても、生きていれば心の中で、ああしているか、こうしているか、と考えられるが、亡くなってしまえば、思い出だけで、未来はもう無い。

「友達がいる内に死んだ方が良いのかも知れない」とも言っていた。自分は未だそんな年では無いけれど、友達は家族とは又違う心の拠り所。

家族は心遣いで、お爺さんを長年の友達若しくは畏友、先輩の葬式に出したがらない。寒かったり疲れたり、気が落ち込んだり、心配の種は尽きないけれど、本人が望んで家族が支援できるなら、世間体など気にせず、参加させてあげるのが、本当の孝行であり本人も生きた意味を確認できる残された数少ない機会では無いだろうか。

長生きの秘訣、某首相経験者の言葉…「転ぶな、風引くな、義理を欠け」:自分の考え方とは違う。

『高木』は家族が止めるのも聞かず、『井上』の厳冬の葬儀に出席した。それで体調を崩してそれが元で死んだ。家族は悔やんだだろうし、世間も家族を非難しただろうけれど、『高木』は故人を偲び、生きた意味を噛みしめて本望だった気がする。

自分にそんな刹那が巡ってくるや否や不明であるが、或る意味義理を欠く位図太い大政治家ではなく、生きる意味を噛みしめる機会を全うする生き方を選びたいと思っている。

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