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2009年12月 9日 (水)

見え方(15)、接近

通勤の電車は、偶々最寄り駅始発である。各車両十数名が乗る。適当な間隔でパラパラと坐る。次の駅で埋まり空席は無くなる。もし最寄り駅で、入線して直ぐ一車輌数名が乗るときに、隣にピッタリ坐る人が居たら、違和感を覚えるだろう。混雑具合により接近度合いを調整する機能が働いている。おたがいに不快を軽減するためには当然の事だろうと思う。混雑してくれば例え両隣に体の大きな人が居て、かなり圧迫されても、体は窮屈だが、苛つきは感じない、しょうがないと思うだけ。

戻りの電車に乗るときに駅のコンコースから改札が有る方へ向かう時に、偶に改札の当たりで十数名が待ち合わせか、屯しているときが有る。邪魔に成らない方向へ移動すればよいのにと思うが、全く動く気配はない。せせらぎの中に有る大きな石の様に、人の流れをせき止めて、渦を作っているのに談笑して、電話が来たりすれば、床に鞄を置いて、雑談。朝始発の電車で働いた摩擦を少なくする適当な距離観や他者への不快感軽減の心理が集団に成ると機能しなくなるのか、それとも多数を頼んで傲慢に成るのか、邪魔なこと夥しい。

スーパーでもホームセンターでも、通路で見ている人が居る。自分が接近して行くと、カートなり体を移動して、通れる道を空けてくれる人は多いが、無関心な人が増えた気がする。見えない訳じゃない。90度横から接近して居る訳だから、十分に見えている。同じ事が歩道でも起きる。数人が歩道を話ながらゆっくり歩いている。後ろから接近する。直ぐ傍まで近づいて、誰かの視界に入っても彼らは話しも止めないし、道を譲ると言うこともしない。中々追い越せない時がある。意地悪とか自己中ではなく、何も感じていないだけのように思える。こういう物って、教える事でもないし、躾の問題と言うより、自然に学習して身に付く物だと思うけれど、我々は昔より馬鹿に成ってきているのだろうか。自分の事で一杯で、他人を思って何かをする意識が薄らいできているのだろうか。

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