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2010年2月 2日 (火)

見え方(22)、運不運

運不運と言うほど大袈裟なことではないが、この間ちょっと感じたことなど。

その日は珍しくちょっと早く家を出て、仕事場に向かった。駅について、ホームに登ってゆくと丁度良い感じで電車が来た。「ラッキー」。何時もとは違う号車に乗った。目的地の駅に着いた。何時もと違う場所、前と後ろに階段が有り、近い方にちょっと向かったが、全体的には遠くなる気がして、戻って遠い方の階段を上がった。駅の中央通路を歩いて、階段を下りて、バス停に向かった。バスが止まっていた。「ラッキー」、それも束の間、階段の途中でバスが出発した。「アンラッキー、さっきモザイク行動を取らなければ、きっと間に合っていた、不覚」。

バス停について間もなく次のバスが来た。「ラッキー」。もしホームでのモザイク行動がもう少し長引いて、前のバスが出発した後で、バス停への階段を降りている時に、実際に乗ったバスが来ていたら、電車もバスも、「ラッキー」と思ったに違いない。

東南アジアの片田舎の未だ電気が通じていない地域に行ったことがある。延々と畑や田圃、赤いラテライトの道。小森林が続いて、あちらこちらに小集落。高床式の様な家の土間で子供達が遊んでいる。ラジオから地元っぽい音楽が流れている。大人達は日中の暑気を避けて、暫しの休息、ハンモックに寝そべっている人が居る。縁台に寝転んでいる人がいる。土間に筵を敷いて車座になり、お喋りをしながら、手仕事をしている人達が居る。そこに暮らすのはラッキー?アンラッキー?

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