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2010年3月28日 (日)

カラスガイ釣り

--- 承前 ---

ある時誰かが、大きな貝には淡水の真珠が有ることが有る、と言う情報を仕入れてきた。我々は勇み立った。真珠を取りに行こう、と言うことで、その小川に入り込んで大きな貝を狙って採っては、みんなで土手に戻り、適当な石で割って、検査した。無かった。又小川に戻り大きな貝を採っては、割って検査した。1個もなかった。

誰かが川に行けば、もっと大きな貝が有る、と言うことで、用水池とは反対側に有る川に向かった。ズボンを目一杯たくしあげて小砂利の有る浅瀬を歩き、大きな貝を探し出して、川原に戻り割ってみた、何にも無し。最初の内は賑やかにやっていたが、幾つか割っている内に、みんな無口になった。無いことが分かって、無闇に生き物を殺すという罪悪感も出て来た。黒い大きな貝殻が幾つも割られ、薄い肌色の貝の身がグジャグジャに引きちぎられていた。止めよう、と言うことに決まり、止めた。

長じてから淡水真珠の出来る貝は、イケチョウガイで、カラスガイではないと言う事も分かったけれど、それが分かったのは、子供の頃、カラスガイを沢山割った事が遙か昔になって、他人ごとの様になってからであった。

当時夏は川で泳いでいた。清流で貝も沢山居た。季節になれば群で遡上する何種類もの魚が見えた。

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2010年3月26日 (金)

カラスガイ釣り

田舎に居た小学生の頃、カラスガイ釣りをして遊んだ。

家から少し離れた所にその近辺ではかなり大きな用水池が有った。周囲4キロ程度。数百メートルの土手の端から流れ出る用水路が有った。里山の縁を流れており、そこでカラスガイ釣りをした。道具はススキの穂をむしり取り、先端が少し膨らむように細工して釣り竿にした。その小川の土手を歩いて、川底に見えるカラスガイに差し込み、グリグリすると貝がピッチリ口を締める。少し揺すって小砂利の混じった川底から離すと後はゆっくり引き抜く。数人で競争して釣った。数十個釣れた。釣った貝は数えて放す。食べられるらしいと言うことは知っていたが、食べたことは無いし、食べたいとも思わなかったし、家人も食べたと言う話は聞いたことが無いので、持ち帰った事はなかった。

開いた口に入れるときに失敗して口が締まってしまう事も度々有ったが、川底には沢山居るので、直ぐ次に取りかかった。

--- 続く ---

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2010年3月22日 (月)

ウグイスのさえずり

近くに少し広い緑地がある。坂道が有って上の方は駐車場だ。そののり面と周りが藪の様な雑木林の様な、その又周りはポツポツと家が建っている。崖線上にあるので、全体的に緑が多い。

朝、最近はウグイスが鳴く。ステレオタイプなウグイス鳴きもあるが、それは稀で多種多様に鳴く。ホッケキョウの信者というわけではないので、ホウ、ホッケキョウと鳴いても特別有り難いことではないが、朝起きて直ぐ聞こえてくると、少し得した気分になる。

出掛けるために、家を出て、その前を通って居るときに鳴いていると、暫く聞いていたい衝動に駆られる。春になって山から里に下りてきて、その藪でウグイスが鳴き始めると、春が来た、気がする。気の重いことが多いけれど、生きていれば誰にも春は来る。

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2010年3月18日 (木)

カエル釣り

小学生の頃、カエル釣りをした。家の裏は畑が少しあって、それを過ぎると水田。家の裏には用水を引き込んで野菜の洗い場を作って有るところが点々とあった。初めは足場の良いその洗い場で、カエル釣りを始めた。

仕掛けは、チカラシバの穂先の実を23個残して、後は全部扱き取ったもの。釣るのはトノサマガエル。杭の上に止まった奴か、土手でジッとしている奴、水中にいて顔だけ水面から出している奴。静かに近づいてその穂先を目の前でチラチラ動かす。ハエやカトンボと間違えて食いつき釣れると言うわけ。

チカラシバの穂先は確かに虫が飛んでいるのに似ていなくもないが、要するに、カエルは、目の前でチラチラ動くものに食いつくようにプログラムされているから飛び付く。釣れると楽しかったが、ちょっと気の毒な気もした。本質的にカエルの食い物じゃないもので騙して釣った訳だから。

気が向けば、用水をソロリソロリ移動しながら、土手に居るカエルや水中にいて顔だけ出している奴を見つけては、チカラシバの穂先をチラチラさせた。思ったほどには釣れなくて時間が経つのは早かった。時に釣りに夢中になって気付かなくて、足下からヘビがニョロニョロ逃げ出して、ヘビも驚いただろうけれど、こちらは本当に飛び上がる程驚いた。

カエル釣りは先輩から教えられたものだが、その先輩は、隣の集落の誰かから教えられて、自分達に伝えたのもの様に記憶している。文化は高きところから(?)低き所に自然に流れて行く。当時本でそんな知識を仕入れることは無かった。そんな網羅的な本も無かったと思う。今より余程暢気な小学生生活、学校が終わってから、夕方家に帰るまでの間は、今の小学生と違って子供達だけの中で生きていた。大人の影は殆ど感じなかった。

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2010年3月16日 (火)

人避け高周波

暫く前に友人から聞いた話を思い出した。彼はしゃっきりしているが、70代で有る。

彼の家の近くには用水に沿った散歩道が有る。その散歩道の適当なところにベンチが置いて有った。或る日散歩に出ると、ベンチが全て無くなっていた。後で分かったことだと、近隣の住人から撤去の要請が有ったらしい。夜に少年達が屯して煩いから。

ベンチが無くなって少年達の屯は無くなった。但し日中散歩する人達の休むところも無くなった。座って知り合いと、世間話をする場所も無くなった。日光浴しながら読書する場所も無くなった。

東京のどっかの区の区立公園に「若者たむろ防止装置 モスキート」を去年設置した。効果が有ったらしい。少年達の屯が減った。高周波を流すのは一旦停止にするが、機材はそのままにしておくらしい。「迷惑行為が再発した場合は作動を検討する」としているとの事。

江戸時代に主家が改易されて牢人が沢山出た。最も就職しやすい江戸に集まった。老中や大老が集まって、「どうすんべい」誰かが「全て江戸追放すればよい」誰かが「追放しても居なくなる訳じゃない」と言うことで、就職の斡旋やらその他政策が実施された。思った程の効果は出なかったが、解決の糸口は付いた。

「分散すれば影響は少なくなることが多いけれど、臭いものに蓋をしただけじゃ根本的政策とは言えんなあ」と友人は言っていた。

根本政策を実施するのは難しく効果が出るまで時間が掛かるけれど、場当たり的な事は、直ぐ出来るし、費用も少なく、表面的な効果は直ぐに見える、全体的な解決には全く結びつかないし潜行悪化する事が多いけれど、分からん者に説明は出来んからなあ、(つまりお馬鹿ちゃんに説明しても無駄)と友人は言っていた。

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2010年3月10日 (水)

ネットの見出し

ネットの見出しは分かりづらい。勿論週刊誌、新聞の見出しも、とかく見出しは分かりづらい、勿論当方に取ってであるけれど。見出しは内容を象徴すると言う思い込みが有るかあらかも知れないが。見出しで代表された内容がいつまで経っても出てこなくて、最後まで何回か読んでも、結局見出しとの関連が分からなくて困ることもしばしばである。見出しに釣られて読んだ自分も悪いけれど、ネットのニュースを全部見るわけにも行かず、困ったもののだ。

長い間、見出しが分かりづらいのは、大した内容では無いが、本文を読んで貰うために、ギリギリ反則直前の関連付けで、釣り文句を書いているものと思っていたが、最近少し考えを改めた。つまり見出しを書いている人は、勿論内容を書いている人と同じか一心同体だろうけれど、その人達にとっては、見出しと内容に全く異同はなく素直に理解されているのでは無いかと言うことだ。

ハンバーガーに脂肪分が多いから太るわけではなくて、食べ過ぎるから太るのだろうに。

飲んだコーヒーの空き缶を歩道のポストの上に置くのは、ゴミ箱が無いからではなく、公徳心が無いから。

明らかに違った理由、原因を或る結果に結びつけている人は、自分が小さい頃想像していたより遙かに多い。日々ギョッとしたり学んだり、勿論他人も自分の考えや行動にギョッとしたり顰蹙したりしているのだろうけれど。マジョリティでもそれが正しい保証をマジョリティに求めては駄目だろう。

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2010年3月 4日 (木)

入学願書

この間街を歩いていたら、入学願書受付中、みたいなことが書かれている垂れ幕を見つけた。「ああ、未だやっているんだ」とも思ったけれど、ちょっと願書って言葉に引っ掛かった。

昔は、入学願書と言う言葉に、全く違和感を覚えなかった。書店で買ったか、小為替か何かで申し込んだかよく覚えていないが、何通か入手した、\500位だったと思う。それから書いて、お金を振り込んだ証明書か何かを付けて返送して、受験票が送られてきたのだろう。そんな事を何回も行ったのに、手続きうろ覚え。自分が特段に頭が悪いとも思わないが、全く関係なくなると、記憶から消えてゆくのか、隅に追いやられてボンヤリしてしまうのか。

願書というのは神仏に対する願いを記した文書や許可を得るために差し出す書類を言うのだろうと思うが、確かにその当時は、比較的倍率も高かった。実際の可能性は兎も角表面上競争率10倍と言われると、入学願書も神様に出す「願書」ぽかった。

今は色々な学校が定員割れを起こしていて、特に地味な勉強をしている地味なところにある学校は、願書って事も無かろう(勿論単なる厭味です)。定員を確保できないのに、願書買いに来いではいかんと思う(勿論厭味です)。スポーツクラブやパチンコのように街へ出て、ティッシュー付きの宣伝を配るように、おまけ付きの願書を配るというわけには行かないだろうけれども。

普段から教育の中身や、先生の顔ぶれやら、就職先の候補とかを知って貰う活動をした方が良いように思う。地味な場所から派手な場所に躍り出るとか、無茶苦茶の度量句で達成されることを、入学だけで達成できるかのような虚仮威しをするとか、関係省庁に縋るだけが脳じゃないだろう。

と言いながら、最後にもう一つ厭味を言うと、願書は止めて実情に見合った「申込書」にした方が良いかも、なんて。

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2010年3月 2日 (火)

親父と夜釣り

その年は気が向いて、田舎に帰った。

8月の上旬だった。日中は暑かった。蝉がそこら中で鳴いていた。夕日が沈むと、北国だけ有って、余り蒸し暑さは無く凌ぎやすい。

その日は夜釣りと言うことで、少し早めの夕食。

長ズボン、長靴、長袖のシャツ、手と顔にタップリ防虫スプレーを吹きかけた。日中予め準備していた道具を持って、煌々とした月明かりの下を歩いた。家の裏から小路を少し歩いて、川の土手に出た。暫く歩いて土手の緩いところから砂利の川原に降りた。川幅十数メートルの真ん中辺りだけ、水が流れている。水のない河床を歩いて、川が曲がっている所まで出た。家から10分程度で釣り場に着いた。その縁から深くなり数十メートル池のように成っていた。父の話だと、そこに魚が溜まっていて、沢山釣れる。何回か来たが、いつも大漁でとっても愉快だ。

何年かに一回季節が良いときに水が足りなくて魚の溜まるような所が現れれば、その季節に数回1人で愉しんでいたらしい。昔は漁はお金になるから、好きだけれど、釣りはお金にならないから、と父は冗談で言っていた。何回か誘って、1回ぐらいは自分に付き合ってくれたが、その時は父の方から、話題に出して釣りに誘ってくれた。

大々的に準備して、車で遠くまで釣りに行くのもそれはそれで良い。暇な午後や夕食後暫くの間、家から歩いて釣りに行くのは暢気で、此方の方がもっと良い。海辺に住んでいて、夕方岸壁でアジやメバルが釣れたらもっと楽しいだろう。

懐中電灯で照らして、餌を付けた。餌はドバミミズ、昼に畑に行ったときに掘って置いたものだ。とっても新鮮。大きいので2つに切って付けた。竿は15尺。仕掛けを振り込んでから、数分で電気浮きがフラフラし始めて、間もなく沈んだ。父がサッと合わせた。竿が大きくしなった。釣れたようだ。暴れようからしてナマズらしい。段々引き寄せて、後ずさりして、ナマズを川原に上げた。そこで自分が暴れている魚の口に軍手を履いた左手の親指を差し込んで掴み上げ、右手で針を外した。口の大きな網魚籠に入れた。網魚籠の紐を竹に絡ませて、竹を川原に指して、魚籠を水に沈めた。

「あ、どうも」「大きいねえ」時々、最近の釣りの話や、昔の釣りの話をポツリポツリとしながら、釣りを続けた。1時間ほどで、それぞれ数匹釣れた。ナマズ、コイ、ニゴイ、どれもこれも大きいものばかり。

もう遠い昔のことだけれども、時々思い出して懐かしく楽しい気分になる。

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