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2010年3月 4日 (木)

入学願書

この間街を歩いていたら、入学願書受付中、みたいなことが書かれている垂れ幕を見つけた。「ああ、未だやっているんだ」とも思ったけれど、ちょっと願書って言葉に引っ掛かった。

昔は、入学願書と言う言葉に、全く違和感を覚えなかった。書店で買ったか、小為替か何かで申し込んだかよく覚えていないが、何通か入手した、\500位だったと思う。それから書いて、お金を振り込んだ証明書か何かを付けて返送して、受験票が送られてきたのだろう。そんな事を何回も行ったのに、手続きうろ覚え。自分が特段に頭が悪いとも思わないが、全く関係なくなると、記憶から消えてゆくのか、隅に追いやられてボンヤリしてしまうのか。

願書というのは神仏に対する願いを記した文書や許可を得るために差し出す書類を言うのだろうと思うが、確かにその当時は、比較的倍率も高かった。実際の可能性は兎も角表面上競争率10倍と言われると、入学願書も神様に出す「願書」ぽかった。

今は色々な学校が定員割れを起こしていて、特に地味な勉強をしている地味なところにある学校は、願書って事も無かろう(勿論単なる厭味です)。定員を確保できないのに、願書買いに来いではいかんと思う(勿論厭味です)。スポーツクラブやパチンコのように街へ出て、ティッシュー付きの宣伝を配るように、おまけ付きの願書を配るというわけには行かないだろうけれども。

普段から教育の中身や、先生の顔ぶれやら、就職先の候補とかを知って貰う活動をした方が良いように思う。地味な場所から派手な場所に躍り出るとか、無茶苦茶の度量句で達成されることを、入学だけで達成できるかのような虚仮威しをするとか、関係省庁に縋るだけが脳じゃないだろう。

と言いながら、最後にもう一つ厭味を言うと、願書は止めて実情に見合った「申込書」にした方が良いかも、なんて。

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