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2010年4月30日 (金)

セロリの味噌漬け

セロリは数百年前に日本にはもたらされたらしいが、普及したのは戦後、勿論太平洋戦争後、それも多分、「もはや戦後ではない」とか「神武景気」以降ぐらいからだと思う。

自分はそれ程抵抗もなく受け入れた。今は好きな方の野菜である。比較的高価なので、それ程頻繁に食べるわけではないが、全く捨てるところ無く食べている。ヒラヒラの葉っぱは、コリアンダー代わりに使うことも多い。後残った枝や茎は味噌漬けにして食べることも多い。爽やかでご飯のおかずにも成って重宝している。

中近東、ヨーロッパ辺りの原産地からはるばる極東の日本に来て、まさか味噌漬けに成るとは、セロリもきっと予想して居なかっただろう。正に奇遇と言うべきか。

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2010年4月26日 (月)

久しぶりの飲み会

先日、4人で新宿の店で飲んだ。1人は数年ぶり、1人は10年ぶりぐらい、もう1人は学校を卒業して以来、会ったのもそれ以来。自分ばかりが年行った分けではなく、みんなそれ相応に年が行っていた。髪が有る人、無い人。出世した人、そうでもない人。実際そんな事はどうでも良く、みんな学生時代と全く同じで、忌憚なくワーワー言って飲んだ。

心は学生時代と全く同じで、自分の仲間だからそんな事は予想していたのだが、安堵した。

と言うことは、多分最近知り合って、上から目線で、自己中心的で、攻撃的な人は、多分学生時代からあんな人だったのだろう。そんな人とは、知り合いたくも無かったが、到底友達には成られない。それでも、それはそれで仲間がいてそれなりに付き合っているのだろう。

我が仲間は未だ現役だが、その内少しずつ引退して一線から退くだろう。そうなったら昔のように濃厚に付き合う事になるかも知れない。当時の様に一緒に旅行したり、しょっちゅう飲んだり、それに付き合える程度のお小遣いは確保したいものだ、それに健康も。

それぞれ悩みが無いわけは無いが、そんなものは誰にも有る物だ。先日の飲み会で、学生時代に良い仲間に巡り会えていた事を実感した。

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2010年4月22日 (木)

ゴキブリのインク

ずっと昔、事務所にいたらゴキブリが出たことが有った。あいつは不思議な動きをするので好きじゃない。それから黒いし。何かこれだけで差別用語に成りそうで恐い。鵜だって烏だって、白か虹色だったらあんなに嫌われないで済んだだろうに。

その時、同僚が居て、妙にゴキブリに詳しかった。ゴキブリの大部分の種は森に住んでいること、太古からあんな格好で生活していること、もしかしたら、核戦争後に生き残って地上を彷徨いているのはゴキブリであるかも知れないこと、等好意的に話していた。

彼も人から聞いた話と断って、教えてくれた話。

正月明けに事務所に行ったら、ゴキブリが居た。寒いし、食べ物などは一切無い事務所に、ゴキブリが居ることだけでも不思議に思ったが、その人はゴキブリ嫌いで、近くに有った書類を丸めて机からたたき落とし、足で踏んづけたらブチッとか音を出して死んだ。良く見たら青っぽい色が滲んでいた。不思議に思ったが、よく考えれば事務所に有る青っぽいものと言えばインク。そいつは空腹をインクで満たしていたらしい。寒い事務所にいてインク何ぞ飲んで空腹を満たさないで、外に行けばゴミ箱やその他にそれなりの食い物が豊富にあるだろうに、馬鹿な奴だ。

数日前に我が家にもゴキブリが出た。流しの近くだったので、流しに追い込んで食器洗剤をブチブチ掛けて、弱ったところに蛇口をひねり、水で配水管に流した。その時昔聞いたインクのゴキブリの事を不意に思い出した。

そのゴキブリは良い知恵もなく、弱り果てて、只空腹でやっと見つけた何か食えそうな匂いのするインクを飲んで飢えを凌いで、必死に生きていたんだ。

ちょっと見方を変えれば今の自分と同じじゃないか。

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2010年4月20日 (火)

キャッチアンド

或る県では、当局がちん○○をキャッチアンドいたぶってリリース、しているらしい、中々面白い試みだ、真偽の程は分からないけれど。

自分は釣りが好きだ。子供の頃から良く釣りをした。食えない食わない魚はキャッチアンドリリースするが、基本原則はキャッチアンドイート。偶にキャッチアンドギブというのも有る。船上でカワハギ釣りをしていると、カワハギは全く釣れないで、コベラがよく釣れる、これらを全部釣ってからでないとカワハギが釣れないものだから、熱心に釣って、リリースしたら全然カワハギが釣れないから、船の周りを飛び回っているカモメに見せて、気が付いたら空に放り投げる、カモメがイート。キャッチアンドカモメイート。

ちょっとした沼の辺りを散歩していると、ルアーを投げて、釣りをしている人を見かける。キャッチしているところを見たことが無い、因ってリリースしているところも見た事がない。テレビでは管理釣り場でキャッチアンドリリースしているシーンを見ることがある。リリースしないで俺に呉れ?

昔川でハゼを釣っていたら、ブラックバスが釣れた事が有る。捌いて皮を剥いて、バター焼きもどきで食べたら、それなりに美味しかった。今、ブラックバスは食い物の仲間じゃないみたいだけれど、積極的に食った方が良いんじゃなだろうかと思っている。キャッチアンドムニエル。 

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2010年4月14日 (水)

ラムネ

小学生の頃、毎日貰うお小遣いで時折ラムネを飲んだ。当時今ほど冷蔵庫が発達していなかったので、田舎の小さなお店では、そんなに冷えていなかった気がする。と言うのも、大抵栓を開けると、ビンの口から泡が吹き出していたので、開けると同時に、口を近づけて、余り溢れないようにして飲んでいた。冷蔵庫の事は、ハッキリした記憶がないが、そのお店のものではなく、多分、飲物を供給している製造業者からの貸出品で、少しは冷えるショウケースという程度のもの。

ラムネの栓はビー玉で内側に落とし込む。凸型の『栓抜き』で落とし込むのが普通だが、誰かがするのを見習って、小指か人差し指の指先を差し込んで反対の手で押し、栓抜きをした、出来ない子より、自分としては大人びている気で、少し内心は優越感が有ったが、今思えば、誰も何とも思っていなくて、且つ凸型の栓抜きで抜いた方が、よっぽどマシに違いないが、当時は気が付かなかった。

自分としては流行っていたラムネを発見して飲んで、少し得意気だったけれど、戦前から有った。大日本帝国海軍の艦艇には消火設備として炭酸ガス発生装置が設備されていて、それを転用してラムネを製造し乗組員に嗜好品として供給していていたらしい。そんな事も有って、ラムネは広く庶民に親しまれていた。

戦争帰りのオジサンから軍艦に乗って居るときにラムネを飲んでいたと聞かされても、何で海で戦争しているのに、軍艦の上にラムネが有るか理解していなかった。この暢気で甘く泡の出る飲物を、戦争しながら飲めるんだ?つまり軍艦に乗っている間中は、常に大砲を撃ったり、弾が軍艦に当たったりしているのを想像して、特段の事が発生しなくて、休憩していることが有ることを分かっていなかった。

今も何かの行事や、小旅行でラムネを発見することが有るけれど、飲んだことが無い。ちょっと高いのと、その場で飲みきりだから、手が出なかった。今度思いっきり喉が渇いていて、ラムネに遭遇したら飲んでみよう。もしかしたら、子供の頃のことが、思い出されるかも知れない。楽しいことの方が良いが、そうでないことが不意に思い出されるかも知れない、それはそれで良い、生きた証の1つだ。

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2010年4月 8日 (木)

3回まで?

4年に一度の冬のオリンピック、パラリンピックが終わった。自分の予想より色々な人々が活躍して、見ている我々に、大きな感動を与えてくれた。選手も参加した甲斐が有っただろうと思う。次は2年後で夏のオリンピック、パラリンピックが開催される。可能性のある人は精進して参加を勝ち取り、実際に持てる力を発揮して、悔いの無いように活躍して欲しい。

オリンピックの選手で夏と冬の両方にでる選手がたまにいる。とっても優秀な人だろうけれど、何となく他の人の機会を狭めている気がする。それから連続5回とか6回とか出る選手が居る、努力は慶賀すべきだろうけれど、後進が育たない気がする。

オリンピックにしろパラリンピックにしろ、大変な障害を乗り越えて、やっと参加しているのだろうと推察するが、自分の好みとしては、ステートアマとか裕福な家庭の人ではなく、やりくりしながらそのスポーツの頂点に近づいた人が出て、本人も大満足して、見ている人も大感動するようなそんな人達が好きだ。

パラリンピックの日本のアイススレッジホッケーの主将は凄かった。

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2010年4月 6日 (火)

靴の方向

本当はそうじゃないんだけれど、行儀とか作法とかに成ってしまって、本来の意味が形骸化し実際は不便とか危険に成っていることどもが、世間には溢れている。

自分は滅多にタクシーに乗ることは無いが、田舎の老母が、出て来たりすれば乗ることだって有る。自動のドアが開けば、先ず自分が乗り込む、次に母が乗り込む、降りるときは先ず母が降りる、自分は料金を払ってから降りる。これは身内だから出来るが、他人だと中々出来ない。

年寄りが狭いタクシーの左のドアから乗って、右側に移動するのは一苦労である。世間ではそう言う場合、老母を先にタクシーに押し込め、それから自分が乗り込む、降りるときは、当然自分が料金を払って、老母はやっとの事で左側のドアまでずれてきて、息を弾ませて降りるとなる。とっても親孝行とは思えない。

靴を脱いで事務所に入る事が有る。靴を揃えてくれる。自分で揃えるときも有るが、それは出るときに進行方向に爪先が来るようにする。それが階段で有ったりすれば何か危険そうで嫌である。爪先が内側を向いていて、後ろ向きに履くのが良い、大抵は掴まるところが有るし、どうせ振り返って挨拶をするのだから、初めから内側を見ていた方が良い。にもかかわらず、入っていったままの方向だと、礼に失すると言うことで靴を揃える、そんなものは個人の勝手にさせれば良い、お客の靴だって自分で好きなようにさせれば良い。

夏だからと言って、聞きもしないでアイスコーヒーなんか出すな。そもそも俺はコーヒーが嫌いだし、冷たい飲物はまっぴらだなんて言う人も多かろう。せめてお茶、飲まない様だったら、静かに水。選択肢が有るなら初めから聞けばよいし、聞かれたら素直に有る物から選べばよい、飲みたくなかったら、それも良しとすれば良い。

自分としては過激なことを書いたら疲れた。

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2010年4月 2日 (金)

白内障遺伝子

余程幸運に恵まれないと、誰でも一定以上の年齢になれば、白内障になる。酷い人も居れば平均値ぐらいの人も居るし、それは様々だ。だからといって、人間に白内障の遺伝子が組み込まれているわけではない。(これに関する専門知識が有って言っているのでは有りません。まあいつも通り適当な事を言っていますので、悪しからず)

じゃ何で白内障に成るかと言えば、あちらこちら傷んできて、白内障に成らないように生理的に活動していたものが、能力が落ちてきて、白内障で無いことを保てなくなり、“自然に”白内障になってしまう。何かの病気での合併症でと言うか、その影響でと言うか、白内障になる人も居るけれど。

年齢が行けば、顔に皺が増えたり、シミが増えたりするのと同じで、DNAが全く同じく自己再生が効かなくなり、所々に不具合が生じて、最終的には自己の生命も維持できなくなる。

昔は色んな事情で人は今よりよっぽど早く死んだ。因って白内障になるなんて人は少なかった。幸運に恵まれた人のみが長生きしてその抱き合わせで、白内障になった。独禁法では抱き合わせ販売は禁止されているけれど、自然界ではよくあることだ。

昔は今のような手術法は無いから最後は殆ど盲目で死んだ。2回の日帰り手術とか1週間程度の入院で両目の視力がパッチリ回復し、世間がハッキリクッキリ見えるように成って、又生きる新たな勇気が湧くと言うことはなかった。

自分の田舎の老母が白内障の手術入院から先日退院した。明るい声で庭の花がクッキリ綺麗に見えると電話してきた。テレビが古くなったのか画面がボンヤリしていたと思っていたが、今度はハッキリ綺麗に見えるようになったと喜んでいた、画面がボンヤリ見えたのはテレビのせいじゃなかった。

又、庭の草花の手入れを楽しみにして、新たな勇気と元気を持って春を待つ。

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