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2010年5月30日 (日)

附属幼稚園

自分は田舎に育ったので私立学校というものを知らなかった。中学生の終わりぐらいになったときに世の中には私立学校というものが有って、お金持ちしか入れなかったり、お金だけ入れたりする学校が日本の何処かに、主に大都会に有ることを知った。今考えればまったくもって無知な田舎の子であったのを実感する。

幼稚園から大学まで揃っている学校法人が有ることも知った。それは多分高校生ぐらいの時だったと思う。どう言う風に試験してどう言う風に上級の学校へ行くのだろう() と真剣に考えたが分からなかった。勿論暫くしたら自然に分かった。極端な話、幼稚園に入れば、途中からなら、小中高何処かで入れば、その内大学を卒業できる。何か羨ましいような、そんな事で良いのだろうか、とかちょっと考えた。

自分が時々自転車で探見する地域にそれらしい学校がある。比較的恵まれた人々の学校のように見える。自分が育った環境とはかなり違う気がする。

付属学校とは基本的に違うのだろうけれど、最初に通った時は~~大学付属小学校とか、幼稚園と思ったが、何となく結果から行けば、~~幼稚園、若しくは~~小学校付属大学の様な気もする。

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2010年5月28日 (金)

アボカドの食べ方

昔同僚が、アボカドが好きだ、ワサビ醤油で食べると大トロのような味だ、但し歯ごたえ、歯触りは違うけどね、と言った。当時未だアボカドを食べたことが無かった。その内スーパーでは何処でも売っているようになった。そんな時、一度彼の言う通り食べた。自分の味ではなかった。青臭いし、妙に油っぽくて果物らしくないし、ネッチャリしているし。

それから長い間、スーパーに有ってもなきがごとしで、過ごしてきた。その後で、有るところにフィリピンのエンジニアと出張して同じホテルに泊まった。ホテルの朝食で一緒になることが何回か有った。彼はアボカドジュースを頼んで飲んでいた。自分はパインジュースかオレンジジュースが多かった。恐くてアボカドジュースは頼めなかった、もし自分の味ではなくて残したら、運んでくれた人にも作ってくれた人にも悪いし。未だに飲んだことは無いが、気まぐれで探したら、ジュースとは言い難いだろうけれど、アボカドジュースと銘打った飲物の作り方を発見した、その内作って飲んでみたい、あのエンジニアが飲んでいたものと同じかどうかは不明だが、飲めそうな材料だった。

それから暫くして中米へ出張した。昼はキャンテーンで食べさせて貰った。アボカドの入ったサルサをトルティーヤと一緒に食べた。バラバラに食べると、結構喉に詰まるが一緒に食べると、慣れて直ぐ美味しいと感じた。今では回転寿司のエビアボカド巻も食べるし、偶にはアボカドの入ったサラダやワサビ醤油をつけて、昔の同僚の様に食べて、結構行けると思っている。アボカドは1100円ぐらいだし、買ってきて食卓に転がしておいて、毎日つかんで食べ頃を見る、それはそれで面倒くさくて面白い。

アボカドは熱帯の果物だが、クスノキ科である。日本で最も近いのは、タブノキらしい。自分が生まれ育った地方にはタブノキが無かったが、幸いにも今の散歩道には何本もタブノキが有る。黒く直径12センチの実が9月頃熟すらしい、アボカドは味なしだが、少し甘いとのこと、今年の晩夏の楽しみが増えた。

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2010年5月24日 (月)

看護と言う漢字

看護師の学校で看護の漢字について説明しているかどうかは、非学で知らないがきっと何かしらの説明が有ると思う。

看護の看は、目と手により、手を目の上にかざして遠くを見る、が原義で見守る、看取ると言う風に変化したらしい。どうせなら、目で良く見て手で心の籠もった世話をする、と考えれば分かりやすいでしょう、位に説明すれば良いと思う。

護は言とつかむ意と音で、口でもって統率するぐらいの意味らしい、ひいては見守る、護るに変化していったらしい、因って、人の心をつかんで、快方の方に連れて行く、と言う位に説明すれば良いと思う。

護は言を犭に替えれば、獲得の獲だし、禾に替えれば、収穫の穫で、分かりやすい。

最近テレビその他で漢字にまつわる話題が多いけれど、その字を知っているか、どうかの設問が多いようだけれど、それはそれで良いとして、象形文字だった頃から説き起こして、色々説明して呉れれば、もっと面白い物に成りそうな気がする。

英語は発音で色々な語幹があり、それから派生した字句で成立しているような気がするが、漢字は象形でそれから色々派生、発達した。論理的に説明すれば覚えるのはたわいない。根本をおっぽり出して、読み書きを覚えさせようとするから、要するに丸暗記させようとするから、中々覚えられない。教師を雑用から解放して専門的な先生に専心できるようにしたらいいと思う。漢字は人類の偉大な発明だと思う。これから意味を噛みしめて読んだり使ったりしたい。

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2010年5月20日 (木)

日本地図

自分は地図を見るのが好きだ。地図を見るのが好きな人は多いと思う。小学生の頃、よく友達と同じ地図を見てそこの或る地名を言って何処にあるか探す遊びをした。学校で買った(教科書を貰った世代ではありません)地図帳が有れば数人で何時間も遊べました。雨の日にはもってこいのお遊び。

今でも普通の地図をそばに用意しておいて、テレビで何処かがでれば直ぐそれを開いてみる。テレビでなくても椅子に座ってボンヤリ地図を見ていることも多い。最近は、騒音発生装置と化したテレビの音を聞きながら、青春18切符用の専用地図帳と鉄道全路線図、全駅の載った地図を眺めて雨の週末を旅行気分で過ごしている。

某社から出版された大枚、数万円をはたいて日本地図と世界地図を清水の舞台から真っ逆さまで買った。中々面白いが重くて見るのが大変なので安楽椅子に座りながら見られるように、専用の台を作った。

後入手したい地図はただ1つ、日本の全領土が正しい位置関係で一枚物に収まっている物。目茶苦茶離れた島は位置関係も目茶苦茶で嵌め込まれた物しかない。

要するに日本の最北端の択捉島、最東端の南鳥島、最南端の沖ノ鳥島(今は加工したから島のようだけれど、昔は沖の鳥岩?)、最西端の与那国島が正しい位置関係で一枚の地図で眺められる、そんな地図。勿論それに領海線、排他的経済水域線が描かれている物。

そんな地図がA0サイズの大きさだとすれば、日本列島がかなり左上に寄っていて、大部分が青い海で、その地図の真ん中は多分八丈島辺り、そんなことは勿論全然気にしない。

何方かそんな地図が有るのをご存知ならばご教示頂きたく、宜しくお願いいたします。もしやっぱり無かったら、誰か印刷して売り出して頂けませんでしょうか。出来れば択捉島と与那国島は兎も角、南鳥島と沖ノ鳥島は、少しだけ縮尺を鯖読んで、大きくして貰ったら益々嬉しい。

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2010年5月18日 (火)

閉店しそう

買い物に行くときに意気揚々と行くわけではないが、少しは高揚した気分であるはずだったのに、とあるスーパーマーケットに行って沈んだ気分で帰ってきた。

数年前に小さなショッピングンモールが出来てその中に田舎ではやや広い感じがするスーパーマーケットが開店した。そちらに行くとそのスーパーで買い物をした。全体的には勿論普通のスーパーであったけれど、幾つか安くて好みの食品が有りよく買った。

先日久しぶりで行くと、売り場面積が縮小されており、品も盛り上がる感じは無く、薄く寂しい雰囲気があった。折しも12キロ離れたところに、新しいスーパーが建設中であり、その開店と同時にこちらは閉めてしまう?感じがした。

隣に有るカジュアルの店も閉店セールの幟が有って、閉店するらしい。ショッピングモールはテナントを探せるのか。時々買い物に行く楽しみが減りそうで、ちょっと凹んだ。どんな差で繁盛したり客足が遠退いたりするかは当方知らないが、何かしら悪かったのだろう。それとは関係なく、時々買い物に行った場所が無くなる感じがするのが、とっても寂しい気分に成ることを知った。

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2010年5月12日 (水)

落ち着きがない

この間の夕方、いつも乗るバス停で、余り見慣れない2人を見た。1人は40代半ばの男性、その連れらしい(連れ合いじゃない)女性、こちらはその男性より一回りは年上() 、ちょっと離れていたので、2人の会話は全く聞こえなかったが、(バス停には3人だけ)感じたところで言えば、遠回しながらその女性が誰かを非難している風。男性は聞きたくもないのだろうけれど、単に相手をしている風。

程なくバスが来て、3人とも乗り込んだ。ギリギリ出来た年配の人も居て、そこからは4人が乗り込んだ、始発に近い、バスはガラガラ。

その男性が座った後ろにその女性が乗った。自分はもっと後ろに座ったので、勿論話は聞こえないが、状況は先ほどと同じ。何となく件の女性落ち着きがない。何かありがちなパターンで興味もないが。成り行きで見ていた。バスは終点の駅までがらんとしたまま、その2人が視界にあった。バスが止まると、前の方から順々に降りてゆく。自分は最後、と思いきや、そうではなかった。自分が料金を払って出ようとした時も未だ件の女性は、ブツブツ言いながら(どうも財布が鞄から見つからないらしい?若しくはバスのプリペイドカードが見つからないらしい)、自分はそんなオバサンに関わっている暇は無いからサッサと降りたが、バスの外にはその連れらしい男性の影は見えなかった。サッサと自分が行くべき所に行ったらしい。暫く歩いてちょっと興味がそそられて振り返ったら、その女性は未だバスから出て来ていなかった。財布を忘れてきたか、あらぬ所を探しているか。バス停に居るときから何となく落ち着きが無かったが、何時のも事だろうから。少し学習して、降りる前に財布なりプリペイドカードなり出して準備して置いた方が良いように思う。

余りにもステレオタイプな行動パターンで、駄目な見本の展示を見ているようであった、人のことを言えた義理でもないが。なんのためにも成らなかったが、そんな人が居ると言うことは勉強に成った。

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2010年5月 6日 (木)

個食

1人で食堂へ入ることは少ないが、必要に迫られれば、1人でも食堂、ファミレスに入る。辺りを見回すと、1人で食べている人は多い。息苦しい職場なら、昼食ぐらいは1人でゆっくり食べたいことも多いだろう。

昔高校生の頃、或る土曜日だと思うが友達数人と食堂に入って、麺類を食べた。勤め人風の人が1人で店に入ってきて、「~~定食」を頼んで1人で食べて、食べたら直ぐ出ていった。田舎者だった自分にはちょっと驚きだった。~~定食って毎日家で食べているご飯じゃないか。外で食べるときぐらいちょっと普段じゃないものを食べれば良いのに。長じてからはその理由が分かったが、今でも自分は外では、家とは少し違うものを食べている。

最近自宅内個食が多くなってきたらしい。その社会学的な側面には自分は余り興味は無い。単純にみんなで話ながら食べたら美味しく楽しいだろうにと思うぐらい。

見方は単純じゃないだろうけれど、人だけが同じ食卓で同じものを分かち合いながら食べるらしい。ハイエナなどの肉食動物が一緒に1頭の獲物を食べるのとは、意味が違うらしい。個食ってある一面では人の動物化なのかも知れない。危険の匂いを感じる。

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2010年5月 4日 (火)

果物売り

先日、夕方の帰り道。

「済みません」自分の事とは思っていないから一応立ち止まったけれど、キョトンとしていると、もう一度「済みません」目の前に20代の女性が2人。1人は段ボールを捧げ持って、もう1人は潰した段ボールを数個キャリアーに括り付けて。ニッコリ笑って「立川の果物屋ですが、果物要りませんか」

ちらりと見ると薄暗くて良くは分からないが、56個果物らしきものが、捧げ持った段ボールに入っていた。不意に声を掛けられて、「ハイ幾ら?」とか「どんなもの」などと聞く才覚は持ち合わせていなから、暫くボンヤリしてから、引きつった顔で、「い、要りません」と言ったらあっさり「どうも有難うございました」と言って遠ざかった。

新形式の商売なのだろう。今度声を掛けられたら、反応は前と同じだろうけれど、少し離れて、追随して、どんなものか、少し観察したい。ついでなら、本当に立川の果物屋から来たのか、確かめてみたい。

彼女らはファミレスの店員のアルバイト感覚なのか、新商売に邁進して財を成す希望が有るのか、それとも何かしら自分には想像も付かない理由が有るのか。次回は少しでもその解答に近づくべく、探見してみたい。

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