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2010年6月27日 (日)

駐輪場の錠 (1)

時々駅前のスーパーに買い物に行く。フラフラ歩いて行くことが多いが、ちょっと重い物が有るときは自転車で行く。そのスーパーの裏に共同の駐輪場が有る。半円の中に前輪を載せるとカチャッと施錠されるタイプ。2時間まで無料だ。最初の内はボンヤリしていたから、自分の自転車に付いている錠は掛けなかった。今考えてみればアホな話だ。あれは、2時間以内なら無料でその自転車の駐輪機番号を制御盤から入力すれば解錠出来るのだから、誰の自転車だって解錠する事が出来る。悪意がないからしないだけだ。勿論今はスタンドも下ろして、施錠してから買い物に行く。

未だ自転車を忘れて帰った事はないが、何か予期せぬ事がスーパーの中で有ったら、頭の中が乱れて、歩いて帰りそうな気がする。どの時点かで気付くだろうから、それが3日後でも、誰にも言わないで、超過時間分の料金を払って取り戻そうと思う。そんなことが有ったら暫く思い出し笑いが出来そうだ、少し自虐的では有るけれど。

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2010年6月25日 (金)

見え方(24)、電波(その2)

小柴先生は、岐阜にあるカミオカンデでニュートリノの研究をしてノーベル物理学賞を受賞した。カミオカンデは地下1000メートル位の所にあるらしい。そこに設置した理由は、他の宇宙線が余り到達しなくてそこに到達するニュートリノが研究しやすいからだそうだ。

意識はしていないけれど、地上には宇宙線やら人間が作った電波やら無茶苦茶に降り注いでいると言うか飛び回っていると言うか、そんな状態に我々は住んでいるんだと思う。でもまあ普段は有ることは意識されないで、携帯電話が通じないとか、ラジオが聞こえないとか、テレビが映りにくいとか、無いことが意識されている。

多種多様な電波、宇宙線が無茶苦茶に我々を通過したり、我々で跳ね返ったりしていることは殆ど意識されていない。ちょっと一方的かなあ、と考えるときもある。

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2010年6月21日 (月)

見え方(24)、電波(その1)

ラジオを聞いている。贔屓の番組が幾つか有る。休日はラジオを聞きながらちょっと出掛ける。時に受信状態が悪くなる、同じ局でも地方に因って周波数が変わる。当たり前の事の様でもあるし、そうでない様でもある。鉄道が狭隘な所に差し掛かると、ラジオが聞こえない。こんな時、電波が弱い、来ていない、と言う事に気付く。街中でも何かの設備があるところで、ラジオが殆ど聞こえなくなることは頻繁だ。

携帯電話を色々なところで送受信する人は、ココは電波が弱いとか、全然駄目だと感じることが有ると思う。

衛星放送に関する雑談が耳に入ってきたことが有った。誰かが『東京では方向としては大体アンテナを富士山の方向へ向けて設置しているね』と言うことに反応した1人が、『電波はあのドーム(どのドームだろう?) から発信されて居るんだあ!』最近結構ビックリランクが高い話。富士山のドームから発信されていたら、衛星() 放送に成らないと思うがなあ。

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2010年6月17日 (木)

出雲の神々(2)

-ー 承前 --

自分は確信しているが、彼はそれを自分だけに言ったと思っている。彼は奥さんにも言っていないだろう。そんな気持ちで感謝して日々接しているだけだ。

自分はよく見えて他人は悪く見える物だ。神々はちゃんと見ている。彼は出雲に旅行したときに「神々に感謝して、何か自分に落ち度が有ったらならどんな罰でも与えてください」と誓った。

ある時、彼は何かの因果で罰が当てられたらそれは甘受するしかない、と言っていた。罰はコガ(自分の田舎の方言で木製の盥のこと)を被っても当たる物は当たる、と言っていた。当時未だ2人とも学生だったけれど、何かおかしくて2人は下宿で大笑いをした。当時の下宿はもうずっと前から無いだろうなあ。

2人ともほぼ引退したら、昔のように旅行したり、たわいない話をしたりする機会が増えれば良いと願っている。きっと出雲の神々が予定していてくれている、そんな気がする。

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2010年6月15日 (火)

出雲の神々(1)

我が友人の話。

彼は見た感じが良い、まあ男前である。勉強もしたし、運動もした。性格も良い。彼とは30数年来の友達である。お互いに一度も相手の誠意を疑ったことはない、と言うより疑う局面に成ったことが無い。一緒に旅行したり、遊んだりして意見が違うことは時々あるがそれは当たり前のことで、意見を出し合い、話し合えば直ぐ合意出来ることだ。

彼が結婚した相手は、全体的には平凡で地味な感じがした。彼だったらもう少し美人で知的な感じが似合う気がした。とは言え、それは当方には、関係のないこと、勿論祝福しただけで、当然何も言わなかった。

ある時彼は、平常な感じで、つまり特段の気負いを感じさせず、サラッと自分に言った。

『若い頃自分は美人で知的で、出来れば少し金持ちな女性と巡り逢って結婚するだろうと希望していたが、今の家内と知り合って結婚した。それに自分は感謝している。こちらの神無月、出雲の神在月に瑞穂の国の神々が集って、縁を結んでくれた。それで自分には今の家内を娶せてくれた。神々が各種算段して決めたことだ。自分はそれに感謝して従うだけだ』

-- 続く --

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2010年6月 9日 (水)

釣りの長靴

自分は釣りが好きだ。TPOで長靴を履く。濡れやすいところは必要に迫られて長靴を履く。冬は長靴が良い。足下の寒さが無い。暖かくて気持ちが良い。初めから釣り何ぞに出ないで、炬燵に入っていれば、足が温かくて気持ちが良いのだが、それとは違う、寒空の下、暖かい服装で、長靴を履いて、ポカポカ気持ちが良いのは又格別だ、何かそれはそれでとっても幸せ気分だ。岸壁や岩にもたれ掛かって、うつらうつらするのは気持ちがよい。家の中で、冬、窓ガラス越しの日下でボンヤリ音楽を聴いているのも気持ちが良いが、波の音と潮風の匂いを嗅ぎながら、広々とした景色の中の一風景と成ってボンヤリ何か考えながら釣りをするのは楽しい。釣れても楽しいが、釣れなくても気が和んで幸せを感じる。もしかしたら釣れない方が、ゆっくり出来て良いような気分に成ることもしばしばだ。釣りが終わって帰り道、段々現実に引き戻されるのは、ちょっと憂鬱だけれど、出掛けるときの反動だから仕方が無いかなあ。

釣りをしない人は、釣れもしないのに何時間も黙って待っているなんてとか、全体の費用を考えたら、新鮮な魚を近くのスーパーで買ったら余程安いとか仰るけれど。釣りの楽しみは釣るばかりじゃ無いのだなあ。釣りは人間太古の釣る食べる生きる、そんな記憶も呼び覚ましているのかも知れない。

よく釣れなかったり、下手な釣り人がいたり、それを典型的に現すのに、引いた、引いたとか言って、つり上げてみれば古い長靴なんて言うステレオタイプがあるが、1回だけ昔、昔多摩川で本当に長靴が釣れたことが有った、勿論引きはしなかったけれど、引っ掛かったと思って、そろり、そろり上げたら、長靴が引っ掛かっていて、思わず苦笑いして、周囲を見回した。心の中で『俺もマンガ並に成った』と呟いてしまった。そう言えば、外房の港で空き缶が釣れたこともあった、多分カニかシャコに餌が引き込まれて、引っ掛かり釣れたのだろうと思う、その時も力が抜けて、せっかくの良い気分が現実に引き戻されて、ちょっとガックリした。

冷たい空気を顔に感じながら、服装は暖かく、暖かい長靴でするのが良い。釣りは釣れれば面白い。釣れなくとも面白い。無心に成ったり、色々想像したり。

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2010年6月 3日 (木)

栗金団の食べ方

栗金団、お節料理。正月には必ず食べる。同じ名前でも地方によって若しくは家庭によって、色々違いがありそうだ。今自分が言っているのは蒸かしたサツマイモを潰して甘くして、甘く煮た栗を入れた物。黄緑色のサツマイモの中に、黄色っぽい栗が入っている。

栗が出来たとき、サツマイモが出来たときに、思い出して作れば良さそうだけれど、つらつら考えても、余り思い当たらない。今度思い出したら、作って食べようと思う。

瓶詰めの甘い栗は多分探せば一年中有るだろうし、サツマイモは長い間市場に有るだろうから、何時でも作れそうだ。

材料を買ってきて作れば、家族で作業を分担協力して楽しい。出来た物も美味しい。

土曜日に、「ようし、今日は栗金団を作って食べよう」

みんなでスーパーに買い物に行って、栗とサツマイモを買って帰る。栗の皮を剥く、大変な作業だ。中々瓶詰めで甘いシロップに入っているようには剥けない。それでもみんな黙々と栗を剥く。やっと20個ばかり剥き終わる、みんなもう相当疲れている。

それを鍋に入れて煮る、長い間煮る、適当なところでタップリ砂糖を入れて、甘くする。煮えたら、栗は鍋から出して、冷ましておく。汁は後でサツマイモに混ぜるから、別の容器で冷ましておく。

一方、サツマイモは蒸かして皮を剥いて、しっかり潰す。荒い金網笊で裏ごしにする。すっかり冷えるまで昼食を挟んで待つ。

そのサツマイモに栗の煮汁を少しずつ掛けながら混ぜ合わせる。後は冷ましておいた栗を適当に混ぜてプラスチックの容器に入れればお終い。

それが夏だったら、夕食に素麺を食べて、その後に、等分した栗金団を食べる。それはそれは美味しい。涙がチョチョ切れると言うことはないが、とっても美味しい。

秋、サツマイモが自分の家庭菜園で出来た物なら、もっと美味しい。栗がみんなでハイキングに行って、拾ってきた山栗なら、もっと美味しい。そんな時の夕食は軽めが良い。

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2010年6月 1日 (火)

娘が膝の上で

「娘が今一歳半なんです」

「子供ってたちまち大きくなるよね」

待望の子供が生まれた

娘だった

自分の膝の上に抱かれてオシッコを漏らす

たちまち小学生になる

たちまち中学生になる

たちまち高校生になる

ああと思っている内に就職して独り立ち

ああと思っている内に結婚して家を出て行く

ああと思っている内に子供を連れて遊びに来る

孫娘が爺さんの膝の上に抱かれてオシッコを漏らす

爺さんは昔の事を思い出す

今俺の膝の上にいるのは、娘の娘だ

娘は頻繁に父の膝の上でオシッコを漏らした

娘の娘も俺の膝の上でオシッコを漏らす

自分も物心ついて、たちまち小学生になって

ウダウダしている内に、たちまち大人になって

特段の事もなく、もうこんな年

「もうお爺さんなんですか」

「友達が言っていた」

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