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2010年10月31日 (日)

風呂の自転車(5)

職務質問されて少しガッカリした。でもまあ、当時歌舞伎町を歩いていたら特段助平な顔をしていたわけでもなくても、誰でも怪しいバーに誘われていた、多分。繁華街で慣れていたから、そんなに怪しいからだと言うことではないだろうと勝手に納得しギコギコの自転車で銭湯に向かった。風呂に入ってサッパリしたら、もうどうと言うことも無くなって、ちょっと昂進していた気持ちも収まった。特段話す相手も居なかったので、そのまま長い間忘れていた。暫く経ってから、成り行きで職務質問の件を友達に話したら、自慢じゃないが、俺は何回も有る、と言う奴が居た。勿論彼が特段怪しいと言うことは無かった。地域性かも知れない。

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2010年10月29日 (金)

風呂の自転車(4)

「今晩は」(警察官はまあ愛想がよい)

「はい、今晩は」(挨拶した後、警察官だと気付いた)

「どちらまで」(制服の2人を見て、何か事件の聞き込みかと思って、ちょっと気分が高揚した)

「お風呂」(自分は未だ自分が職務質問されていることに気付いていない、かなり鈍いらしい)

「ああ、お風呂ですか」(接近してきて、懐中電灯で顔を照らしたり、自転車を照らしたりしている。ココで自分が『不審人物』だと気付いた。暇なお巡りだ、自分は急いで銭湯に行かにゃ成らんのだと、急にテンションが下がる)

「この自転車・・・」(使用窃盗かどうか探りを入れているらしいが、どう考えたって、風呂道具を入れて、ボロボロの自転車が使用窃盗って事は不自然だろう、鍵だって普通に開けられているし。)

「大変ですねえ」(一応自転車に名前は書いているが、その名前の主が自分だとう言う証明はない。風呂に行くのに名刺や、免許証、定期などを持って行く習慣はない。部屋の鍵が付いた小銭入れを持っているだけ)

「住まいは近くですか」(銭湯に自転車で向かっているのだから近くに住んでいるに決まっているだろう。当時、スーパー銭湯は無かったから何キロも離れた銭湯に行く馬鹿は居なかった。)

「○○病院の裏に有るアパートですよ」(その病院は救急指定だから近所の人だったら誰でも知っている、勿論近くの交番から警邏に来たお巡りさんも知っている。)

「それじゃ気をつけて」(突然終わった。解放されたらしい。勘の鈍い、お巡りだと思ったが、そう言う地道な活動が地域の安全を支えているのだろう、と無理矢理自分に言い聞かせた。)

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2010年10月25日 (月)

風呂の自転車(3)

自分は、今は喫煙しないが、当時は風呂上がりだけは、タバコを燻らせながら、ダラダラと自転車で帰ってきた。当時乗っていた自転車は18インチつまり小さい自転車。サドルとハンドルを目一杯高くして。その古い自転車を直しながら乗っていた。

季節は晩秋、ジーパン履いて、半袖のシャツを着て、足は、自転車にも関わらず下駄かサンダル。いつも通り夜遅く自転車で銭湯に向かっていると、ちょっと薄暗い梅林を抜け曲がったところで、警官2人組に職務質問された。半袖のシャツに興味が引かれたかも知れない。

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2010年10月21日 (木)

風呂の自転車(2)

友達の1人の様に、盥は銭湯に有るのだから、風呂道具を会社に持って行って、駅から銭湯に直行、と言う芸当を自分はしたことが無い。背広で銭湯、何か気分が乗らないでしょう。確かに背広の人も居たけれど。観察したわけではないので分からないが、着替えの下着類は持参していたかも知れない。

土曜日の夕方とか日曜日に行くときはその分、ゆっくり入った。冬は開店の4時に行くこともしばしばあった。時にはシャッターがガラガラ音を立てて上がるのが、近づいているときに聞こえてきた。年配の人達が数人階段を上って銭湯に入って行くのが見えた。

12月だと夕日を浴びて、時には夕闇が迫って、薄ら寒い中を行き、出たときは真っ暗で、体が温かいと言うのは、割りと好きだったかも知れない。真夏には4時に行くと言うことは無かった。風呂から上がって家に帰るまでにもう一回汗をかいてしまう。7時過ぎの夕日が落ちてからゆっくり入って、少し涼しさの漂う表に出てくる。熱気が残っているときも多かったが、5時頃に比べたらかなりまし。夏の虫の蝉も、秋の虫の地べたの虫たちも鳴いていて気分が良い。

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2010年10月19日 (火)

風呂の自転車(1)

ずっと昔、銭湯に通っていた。夜の英語学校へ行っていた。山手線からかなり引っ込んだ私鉄の田舎っぽい所に住んでいた。1週間に34回、自転車で銭湯へ行っていた。前籠に風呂道具を入れて。田舎の銭湯は閉まるのが都会より早い。帰りが遅い。自転車で行くとまあ普通に入れる。ちょっと夜のお勉強が延びて、電車が一本遅くなると、私鉄への乗り換えのタイミングが悪くて準急にも乗れなくてちょっと長く待たなければならず、最寄り駅についてスタコラ歩いてアパートに帰り、自転車でかっとんで行っても、入った気がしないほど、無茶苦茶急いで済まさないと、最後の1人なりそうで、いつも焦った。

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2010年10月13日 (水)

電車の樟脳(9)

数年前に2人は思い出しながら近辺を探索したことが有る。個々の建物は殆ど変わったように思えたが、街全体の感じは所々に昔を感じさせる物が残っていた。特に駅から少し離れると、細い路が入り組んで静かな街並みのままだった。そんな中にハッキリは分からなかったが、傾いだアパートが建って居たらしいところに、小さなマンションが建っていた。昔の気が未だそこらに漂っている気分がした。

電車の中や、衣類売り場の中で、樟脳や或る香水の匂いを嗅げば、何も言いはしないけれど、伊藤は不意にあの若い頃の自由で貧乏だったあのアパートの事どもを思い出す。

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2010年10月 7日 (木)

電車の樟脳(8)

休みの日に、午前中出入りすると、アパートの住人と擦れ違う事が有った。会釈する程度で余りお互いに話はしなかった。その内の1人で当時中年と思っていたオバサンは、今考えれば多分三十代の半ば。当時やっと少し一般化してきていた上下揃いの手首足首が括れているトレーナーのようなラフな格好。初めてすれ違ったとき、少し何かの香がした。全く化粧っけも無く地味な感じの人だった。

彼女と2人宵の口にアパートに戻る時に、如何にも夜の商売という感じの厚化粧の派手な服装の女性とすれ違った。高そうな香水の香りがした。彼女からあの人は、午前中の人と同一人物と知らされたときに伊藤は本当にビックリ仰天した。

1人は頭にタオルを被ってアパートの掃除とか仕事にしている感じの地味な人だったし、1人は派手な美人のクラブのママだった。その人は全くの別人の感じで、多分、夜の仕事生活と、昼のアパートにおける生活も又、全く別のものだったのだろう。あのオバサンは今どうして居るだろうか。

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2010年10月 5日 (火)

電車の樟脳(7)

お腹が落ち着いたら、ブラブラ歩いて銭湯へ。当時アパートを決める1つの基準は銭湯が近いこと、と言うのも有った。風呂道具は紙袋に入れてぶら下げて行った。当時流行っていた外側がビニールで、内側が比較的丈夫な紙。銭湯を出るときにピッタリと言うことは中々無いから2人の内どちらかは少し待った。銭湯の前にベンチが有って、そこで待っていることが多かった。近くの小さな公園のブランコで待ったこともあった。帰りもブラブラ歩いた。自動販売機で冷えたコーラを買って飲みながら帰った。夏は時々、遠くからお囃子が聞こえた。休みの前の日は、布団の上で、明け方まで花札やミリオンダイスをした。双六もした。当時テレビは持っていなかった。

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2010年10月 1日 (金)

電車の樟脳(6)

2人でお銚子を12本飲んで、美味しくご飯を食べて、小さな小路をクネクネと歩いて部屋に戻った。暫く部屋で休んでいると伊藤は決まって腹痛がした。共同の便所へ行った。夜は特に暗く、ジメッとしていた。用を済ませば後はどうって事もなかった。そのころから段々樟脳その他のあんなものの過敏症に成って行っていたらしい。

田舎に居た頃は刺激が無くて平気だったけれど、都会での生活で自分の肝臓の処理能力を超えることが多くなった、と言う事のようだ。当時伊藤の部屋にも少し樟脳は有ったけれど、着るものも少なかったし、夜具も少しだったから、1回買えば数個だけ出して、後は蓋付きの缶に密閉して保存していたから、そんなに成分は漂っていなかったのだろう。

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