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2011年2月27日 (日)

青島探訪(3)

漁師は夫婦で操業していた。小さな船、キャビンとかは無い。竜骨、肋材が見えるタイプ、井の頭公園にあるボートの大きい感じ。その船の真ん中よりやや前方に座らせて貰って、いざ出発。波が有ると、少ししぶきが掛かった。船外機が煩くて、普通の会話は出来ない。黙って灰色っぽい青の海を高速で走る。時々トビウオが驚いて水面から飛び出してくる。近くで見た事がなかったから、楽しめた。一匹は船に入りそうになったが、残念ながら越えてしまった。1時間ぐらい走って本土に着いた。船の上で固まっていたから、少し疲れた。陸に上がって、伸びをした。お礼を言って、夫婦の漁師と別れた。

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2011年2月25日 (金)

青島探訪(2)

翌朝、サッサとかたづけて連絡船に乗るべく港まで行った。連絡船らしい物はいなかった。乗客らしい人達も全く居なかった。「???」近くに漁協の事務所が有って、そこの人に聞くと、「今日は月曜日だから、普段より早い、学校とかちゃんと間に合うように」そこら辺の方言で親切に教えてくれた。特段急ぐ旅でもないので、もう一泊しても何ら差し支えはないが、ちょっと力が抜けて、ボンヤリしていると、「今日、本土から漁に来る漁船が有る、ここに寄るから、乗せていってくれるか聴いてみる、多分良いと思うが、大体昼頃だから、スピーカーで呼ぶから、呼んだら来れば良い」まったくもって親切、又、今じゃ考えられない暢気さ。

中学校跡やら、元() 小学校、何かの施設として使っていた、をぶらついた。景色も良いし、集落は小さいし、自分好みの島だ。港の近辺では小学生と知り合った、3人しかいないという、学校も遊びも毎日3人と言っていた。毎日一緒、とっても良いことの様な気もしたが、ちょっと人数が少ない気もした。3人ともおっとりしていて、印象に残った。

小学校の校舎辺りで、暇潰しをしていたら、スピーカーで呼ばれた「大学生の2人、本土に帰る漁船が来たから、港まで直ぐ降りてくるように」みたいな感じだった。

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2011年2月21日 (月)

青島探訪(1)

学生の時、友達と夏休みに青島を探訪した。瀬戸内海に有る愛媛県の島、周囲約42Km、面積約049Km2。当時の人口多分100人以下。車が走る道は無かった、勿論車は無かった。自転車も無かったと思う。

昼下がりに連絡船で島に着いた。野営道具を持っていたので、目の前が海のちょっと高くなっているところにテントを張った。直ぐに着替えて、海に入りサザエその他食べられる物を取った。23時間やって、魚も何匹も刺して取った。楽しい時間で有った。薄暗くなってきて、海の中が余り見えなくなってきたので、上がって、夕飯の支度。出来上がった頃にはもう真っ暗になっていた。その間に潮が満ちてきて、港から歩いてくるときに通って来たところは、完全に水没していた。その時歩いて帰る訳じゃないから、2人とも全く気にしなかった。日本海側で育ったので、大きな干満の差に、さすがに瀬戸内海!と嬉しくなった。

獲物は2人分にしては十分すぎるほど有った。みんな焼いて食べた。予め買って持ってきたお酒も沢山飲んだ。誰も居ない海辺で、良き友と獲物を食べながらお酒を飲む。余り話す事もないが、酒は静かに飲むのが良い。夜の風は気持ちが良かった。波の音以外全くしない。虫の音は有ったかなあ。いつも野営の時の天敵である蚊は全く居なかった。そこら辺りに居るのは2人だけ。四国本土の灯は、波間に遠く見えたが、島の灯はそこからは陰で全く見えなかった。何となく原始の気分だった。2人とも満腹でかなり酔って、テントに入って直ぐ寝入った。疲れと酔いでぐっすり眠れた。

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2011年2月17日 (木)

桂浜~足摺岬探訪(3)

次の日は足摺岬を探訪した。「飛び込む前に、ここに電話を」みたいな掲示が有ったが、インパクトが足りない気がした。「飛び込むんだったら、財布は要らないだろう、ここに置いて行け」勿論これはブラックジョーク。

少し離れているところから、海岸線に降りたら、綺麗な海と海岸線が広がっていた。直径10センチぐらいの珊瑚を見つけて、小さい物を含めて数個拾って土産にした。良く見たら、石に混じって直径数センチの黒くネバッとした油の塊が結構落ちていた、ついでに数個拾って土産にした。実際の事は傍に行ってみないと解らないこともある。

結局お土産は現地で拾った物ばかり。よく考えてみれば、自分にはそんなことが多い。

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2011年2月15日 (火)

桂浜~足摺岬探訪(2)

急ぐ旅でもないが、ちょっと移動して、気に入った景色の街で降りて、その田舎っぽい所を散策。小川を見つけて、土手を歩いていたら、モクズカニが驚いてそこら辺りを走り回る。さすが南国と思って見とれてしまった。後で考えれば捕まえて夕食のおかずの1つにすれば良かったと思うが、突然の出来事で言葉通り見とれてしまった。

フラフラ歩いていると小さな祠が有った。その夜そこに泊めて貰おうかとも思ったが、一応鍵が掛かっていたし、床下でも良かったが、何となく気が進まず、ブラブラ移動した。夕食時になったので、街の食堂で食べた。未だ適当な宿泊先は見つからない。墓地に出た。コンクリートの縁石の様な物が有って、そこに座ると、蓄熱されていてほんのり暖かく気持ちよい。50センチぐらいの幅が有ったので寝られないこともないが、一晩中石の上は辛い、墓地に持参のテントを張るほど根性もないし、またまたフラフラ歩いて行ったら、小さな旅館が有った。玄関で聞いてみると、泊まれるとの事。本当は野宿したかったのだが、適当な場所が無くて、その晩はその旅館に素泊まりした。暖かくてサッパリして安眠は出来たが、少し出費が嵩んだ。

例の如く寝たら友達は数分で寝息に変わった。当方も寝付きが悪い方ではないが、友達の寝息を聞きながら、それから暫くその日のことを考えていたら、その内知らぬまに寝入ってしまった。

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2011年2月 9日 (水)

桂浜~足摺岬探訪(1)

学生の時に、友達と2人で桂浜辺りを探訪した。

土佐の高知の桂浜、今流行の坂本龍馬の銅像が建っている桂浜。そこら辺りを彷徨いていたら、高台に小母ちゃんが23人居て、直径数センチの石を売っていた。五色石と言う。ビニール袋に数十個、当時水槽で金魚を飼っていたから、その土産に買おうかなと思った。値段を見たら、高いとは思わなかったが、相手は石だ。何処にあるのか聞いたら、桂浜に落ちているという。ニッコリ笑って「どうも有り難う」早速取りに行った。浜中五色石で取り放題、さすがに鮮やかな色の物は少なかったが、適当に拾って売っている一袋分位確保。金魚の土産も確保したし、これで一安心。

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2011年2月 3日 (木)

四万温泉探訪(3)

お婆さんの家を辞去して又緩い上り坂を歩いていった。お婆さんは家の前で見送ってくれた。

我々2人は、お定まりで1日に何回か風呂に入り、朝食後暫くしたら、外出して、100メートル走の様に競争したり、沢の方に行って、小さい水晶が含まれている小石を拾ったり、適当な食堂で昼食。夕方宿に帰って、夕食までは読書。そんな生活を数日してから帰京した。

戻りにお婆さんの所に、温泉饅頭を持って行って、さよならの挨拶をした。運動の選手の様にトレーニングしていたのか、聞かれた。「オリンピックの選手か?」半ば真面目な顔で言っていた。我々が日中に戯れていた事がお婆さんの耳にも入っていたらしい。勿論単なるお遊び。家の前で別れてからお婆さんは最初の時の様に、我々を見送っていた。あれ以来一度も会っていない。もう普通で行けば、老夫婦共々とっくに鬼籍に入っていると思う。

お婆さんの顔も、家も、国民宿舎の食事も部屋も全然覚えていないけれど、お酒を注いでくれたちょっと汚めのジョッキとタクアンの黄色を今でも妙に鮮明に覚えている。あのお婆さんはきっとしっかり生きたんだ。

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2011年2月 1日 (火)

四万温泉探訪(2)

お婆さんは長い間四万温泉の旅館で仲居をしていた。その内お爺さんと知り合って(勿論知り合ったときは青年)結婚した。ご亭主は同じ旅館で万の仕事をしていた。数年前に二人とも現役を引退した。お爺さんの方は今でも忙しいときだけ少しだけ手伝いに行っている。その日も行っていた。残念ながら子供に恵まれなかったので、男女それぞれ一人養子を貰って、二人で働いて育て上げた。もう二人とも独立した。二人とも実の親ではないと解っていたので、時々難しい時も有った。今は二人とも大人になって、子供を連れて、偶には帰ってくる。

何となく気が向いて、誘った。もし泊まるところが決まっていなかったら、前に勤めていた旅館に案内したら良かろうと思った。若い人と話をしたのは久しぶりだったが、心が晴れて良かった。四万温泉は良いところだ、ゆっくり静養して行って下さい。

お婆さんは幸せそうだった。

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