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2011年5月17日 (火)

タイムカプセル(2)

掘り出されたポンペイの街みたいなのがそう言う意味では本当のタイムカプセルとしての伝達機能が有るような気がする。化石とか貝塚なんかも或る意味タイムカプセルのようなものだ。縄文中期の火炎土器を作った連中がどう言う気持ちで作って、それぞれあの土器をどう見ていたかは、実際は永久に解らないだろう。あれはどう見ても実用を越えている、詰まり芸術的若しくは遊びがふんだんに入っている。千年ぐらいの間、その人々はあの火炎土器製作に心を注いでいた。

現世も何百年か経てば、我々がどう言う気持ちで、その仕事をしていたかとか、何処に意味を求めていたかは、解らないであろう。それは戦国時代の数多くの斃れていった無名の兵士達がどんな気持ちで戦いに参加してどんな気持ちで戦って、そして斃れていったかが、解らないように。いくらかの人々は名を残しただろうけれど、大部分の人は名を残さないばかりか、若く斃れた人は、血も残さなかった。今でも隣の人がどんな気持ちで居るかも殆ど解らないから悩むような事でも無いけれど。只昔の資料を見ると、生き甲斐とか喜びの本質は、全く変わっていない事を発見することが有る。

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