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2011年6月26日 (日)

与那国島探訪(6)

3時過ぎにバイクを返すためにガソリンを満タンにした。給油してくれた人は若い男性。今は島に戻ってきたが、学校を卒業してから、暫く川崎で働いていた。お金も仕事も悪くなかったけれど、何となく馴染めなかった。島に戻って、気候は厳しいし、お金も余り良くないけれど、余程人間らしい生活をしていることに気付いた、見たいな事を言っていた。自分は一旦田舎を離れて、結局は戻ることはないだろう。田舎を出てからもう田舎にいた二倍以上の年月が茫々として経ってしまった。何か夢が有った気もするし、そんな大した物は、無かった気もするし、ちょっとは達せられた気もするし、全然達せられなくて、現状を追認しただけの気もするし、正直言ってよく分からない。

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2011年6月24日 (金)

与那国島探訪(5)

3.        レンタバイク

与那国島は米粒のような形で東西に約11Km、南北に約4Kmで面積は約29平方キロ。最高峰は宇良部岳で2314m、全体的には起伏に富んでいる。当時人口2000人弱。戦前は、台湾との密貿易の中継地として、活気に溢れ、人口が最大時には2万人位居たらしい、ちょっと見てみたい気がする。自分に才覚は無さそうだが、そこで商売をしてみたい、想像するだけで、胸がワクワクする。

レンタバイクを借りた。泊まったホテル近辺には無かったので、フラフラ歩いて町の最も繁華な所へ出た。レンタサイクルの中に辛うじて2人乗りが出来るバイクを見つけた。それを借りてヘルメットを被り、いざ出発。島にはハブが居なくてその他危険動物も居ないと聞いていたので、心やすく、どこでも乗り回った。自転車だったら、二の足を踏む様な坂が多かったが、バイクだと躊躇無くガンガン走れた。

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2011年6月20日 (月)

与那国島探訪(4)

何処でもふらついている時に郷土資料館の類が有れば、入って見ることが多い。現物展示は勿論、AV系の展示も気が向けば丹念に見ることが多い。品名だけ表示してあって、使い方の説明、その機材の全体の作業における分担など説明が無いことが多いけれども、大抵のものは見れば解るものだ。

展示してある機材がその時代を横軸に並べ、作業の流れを縦軸に季節と共に実際の使い方を網羅的に説明して有れば、もっと見学者の気をそそるのだろうけれど、空間、人員、予算その他の制約条件で入手したものを、そのまま展示してあるだけと言う施設が多い。この数十年に我々の生活は、かつて無い大きな根本的な変化が有ったのだから、知識が喪失される前に、記録をしっかり残して、営々と築いた技術と知恵を保存するようにした方が良いと思う。

昭和30年代中頃から、西暦では1960年頃から日本人の生活様式は劇的な変化を始めた。一つだけあげれば、一般家庭の熱源が薪炭からガスと石油に変わった。それに伴って家の構造や産業の構造が大きく変わった。手間は掛かるが地域の循環型から、手間いらずの輸入、化石燃料になった。そのころ小中学生だったけれど、風呂とか調理の準備が劇的に変わった、便利に成ったと思ったが、今考えると失ってしまった物の方が多かった気がする。特に里山の薪炭林、入会地の環境が激変した。子供の頃、季節なりに入って、遊んで色々な物を取っていたのに、今は荒れて路も無くなり入れるところは、殆ど無くなってしまった。

あの布は何だったんだろうなあ。あの布も、もしかしたら世界で最後の一枚だったのだろうか。

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2011年6月16日 (木)

与那国島探訪(3)

2.   白い布

ホテルの近辺を、いつものようにブラブラ歩き回っていたら、直径3040メートルの円筒状で、所々に袋の様に膨らみがある大きな白い布を見つけた。見方によっては機織りの縦糸だけの様にも見える。人家側の片方の端にそれなりの機械が付いていた。地域から考えて、製塩に使うのだろうか、布を晒しているのだろうか、その場で色々考えたが、分からずじまい。近くに人が居れば、何か聞く機会が有ったかも知れないが、暫く佇んで見ていたし、戻りにも何か聞きたくてそこら辺りを彷徨いたが、ついに何人も現れず、聞く機会を逸した。今まで見たもので、全く何に使うか全く理解できなかったものは、これだけである。このままではきっと一生涯何だったか分からず、と言う事に成りそう。

何であるか分からなくても、世の中は普通に過ぎて行くのだけれど、何であるか分かれば、少しスッキリする。

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2011年6月14日 (火)

与那国島探訪(2)

女将さん、ホテルのオーナー夫人若しくはオーナーと言うべきか、レセプションの担当と言うべきか、ちょっと話し好きで感じのいい人で有った。当時の自分より20才ぐらい上だったと思う。

少し立ち話をして、結果的にお互いに少し様子を見た。閑散期と言うこともあってか、一番良い部屋、と言うことで2階の奥の南西の部屋に案内された。その部屋から障害物無しで港のある景色と東シナ海が見えた。年に何回か、空が澄んでいる日は、約110キロ先の台湾の山脈が見える部屋と言うことであった。自分が滞在していたとき、とっても空気が澄んで晴れたときに、確信は持てなかったが、そう思えばあれかなあ、の様な雰囲気だった。

部屋で明るい感じで雑談をした。生まれは浅草で、縁があってここでホテルをやっていると屈託無くも思えたが、ちょっとだけ、浅草に郷愁を感じているような、ちょっとは後悔を感じているような素振りが見えた。色々な人が泊まりに来て、色々なことを感じることが有るような事も言っていた。

近くに食事をするような所は余り無かった。夕食は黙っていれば、お仕着せのものが有った。品数も量も味も良かった。殆ど覚えては居ないが、ある時付け合わせに少し苦いアシタバがあり、何も言わないで、全部食べたら、何かとっても喜ばれた。まあ大抵当方は食べられる物は、残さず食べる。次の時は心なしか、アシタバの量が増えた気がした。

2日目だったか、数人一緒のお客さんが泊まった。1人は見たことが有った。女将さんと話しているのが聞こえてきて、俳優さんだった。暇なときにそれなりの最果てを旅して回っているらしい。

3泊しかしなかったけれど、居心地の良いホテルであった。食べ物も部屋も、設備もホテルというよりは、民宿だったけれど、居心地の良い宿だった。今はどうなっているかは知らないけれど、機会が有って又与那国島に行ったら、又そのホテルに泊まる。

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2011年6月 8日 (水)

与那国島探訪(1)

1.        ホテル

十数年前に与那国島に行った。

小さな飛行機で、余り気密じゃないらしく飴が配られた。ちょっと水平飛行したら、直ぐ着陸態勢に入った、文字通り米粒のような与那国島が見えた。ドンドン接近して、マッチ棒の様な滑走路も少しずつ大きくなって、10人ほどで満員の飛行機は無事飛行場に着いた。

ターミナルに着いて、多分そこら辺に有った地図を見て、目の前の道路を歩いてホテルに向かった。急ぐ旅でもないし、距離も近いし、ブラブラ一本道を歩いて行った。視界が開けていて、自分好みの景色だった。途中にサトウキビが生えていたり、パパイヤが生えていたり、自分にとっては南国気分全開。町役場のすれ違った車から与那国蚕は捕獲禁止ですから、とか注意を受けたが、もとより取る気は全くない。釣り竿を持っていたから、捕虫網の取っ手だと思われたのだろう。

久部良について間もなく目指すホテルに着いた。ホテルの西側は崖の様になっている。当時未だペンションという言葉は余り一般的じゃ無かった気がする。ホテルの大きさは今で言うペンションサイズ。勿論初めから知ってはいたが、名前はホテルだが、当時民宿に毛が生えた程度だなあ、と思った。

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2011年6月 2日 (木)

果物の食べ方(3)

果物の中じゃ、一番簡単に食べられる物は、イチゴ、サクランボ、ブドウあたりだろうけれど、イチゴはヘタが有って、サクランボは種が有って、ブドウは皮も種も有って面倒くさい、と言う人が居そうな気がする。そう言う人って、生きているのが面倒くさくないかなあ。

母とか姉とかがどんな果物でも、それなりに調理して目の前に出してくれれば、何でも食べるけれど、と言う人も居そうだ。1人暮らしになった途端に自分の無能を覚ることとなる。もうその時点で取り返しが付かない。その内果物は奥さんに依存するだろう。何か自分から見れば詰まらない人生に思える。普段は兎も角、奥さんが不調の時、甲斐甲斐しく、果物を剥いて食べさせてやる。子供に果物を剥いて食べさせる、とっても楽しいことだ、小さいけれど幸せを感じる一瞬だ。子供は黙って自分の手元を見つめている。子供は喜んで食べる。

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