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2011年10月30日 (日)

タコ釣行記(5)

5)家内と2人釣行

自分は1回家内を連れて、電車釣行、横浜側から出た。自分は10匹越えで、家内は5匹だった。重量ではトントンだった。家内が底に引っ掛かって取れないと言うので、渋糸を受け取って引いてみたら、妙な粘りが有る。渋糸を手袋の上から23回巻いて引いたら底から離れた、タコの引きが有る。そのまま家内に手繰って貰った。魚影ならぬタコ影が見えた。とっても大きい。自分が船縁から身を乗り出して渋糸を持って、大きく腕を振ってタコが船底に着かないようにして船の中に入れた、持ち帰ってから計ったところ3Kg、当日船中最大の大物で有った様だ。

秋口に横浜の富岡13号埋立地にタコテンヤと仕舞寸法の短い竿を持って物見遊山がてら、タコ釣行。例の冷凍カニを餌にした。3時間ほどで、タコが3匹釣れた、飲物を入れて行った小さなクーラーは満杯。防波堤の水際を泳いでいる比較的大きなタコも2回見えた。

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2011年10月28日 (金)

タコ釣行記(4)

4)Kさんと2人釣行

次週会社へ行って、先輩で同僚で釣友のKさんに直ぐファックスした。彼は自分がこの世に放り出されたときに、もう大学生だった。

内容は「K様、アフリカに出張している場合では有りません、適当に仕事を終わらせて、直ぐ帰国されたし、東京湾タコフィーバー真っ最中」当時まだ、イーメイルは今ほど普及していなかった。そのファックスに釣り新聞の記事と、自分の釣行結果とを追加した。

Kさんは2ヶ月位の予定でアフリカの某国に出張中で、そろそろ最終週に近づいていた。その日から10日ぐらいで無事Kさんは帰国、最初に行ける土曜日に横浜側から出発、釣果は2人とも500g~1Kg前後を10匹越え。その年は2人で年末まで何回かタコ釣りに出て、趣向を変えて富津側からも2回でたが、一匹ぐらいどちらかが多いと言うことはあったが、2人とも常に10匹越えだった。

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2011年10月24日 (月)

タコ釣行記(3)

3)タコの調理

五時半頃自宅に帰着、釣果を見て家人もビックリ。いつもは手で塩もみするのだが、そんな事は面倒くさくて遣っていられない。当日食べる分とご近所に配る分を、洗濯機を使ってヌメリを取った。

下準備として、タコのアタマをひっくりかえして、内臓を取り捨て、タマゴが有ればそれは仕舞っておく。タマゴは甘辛く煮れば、佃煮のように保存が利く、薄味で煮れば、滋味有り美味しく飯のおかず、酒の肴。

当時二槽式の洗濯機を使っていたから、洗濯槽にタコとたっぷりの塩と少なめの水を入れて洗濯開始、適当なところで注水しながら濯ぎ。さすがに脱水はしなかったけれど、ぬめり取りは簡単に済んだ。その代わり、洗濯槽がタコ臭くなったので、洗剤を入れて格下のタオルを入れて洗濯しながら臭いを取った。

こんな時の為に用意してある40cmのアルマイトの鍋、貴方の出番です。塩とお茶葉を入れて茹で始める。アタマを掴んで足先からチョンチョンと入れて、全体に綺麗に丸まるようにしながら、形が良くなったらアタマも入れて20分ほど茹で、冷水に入れてから取り出して水気を切りながら自然に冷やす。自分は当日分を茹でながら、冷えた缶ビールを飲み、小さめのタコから足を切って何本も食べた。

茹で上がり次第、家内がご近所に配った、翌日配った友達もある。

1番大きいのは生の刺身、俎板に吸盤を張り付かせながら皮を剥いてから、そぎ切り。食べるとあまりの美味しさに、最も親しく付き合っていたお隣さんに、さっきの茹でダコとは別に、足一本造って持って行った。

後日食べる残ったタコは、特段何もせず一匹ずつ新聞紙にくるんで、なるべく空気を抜きながらジッパー付きのビニール袋に入れて冷凍庫へ。

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2011年10月20日 (木)

タコ釣行記(2)

2)1人タコ釣行

その年の7月某日、解禁に成ってから2週目の土曜日、朝は小雨模様だったが、予報は良かったので東京湾、横浜側の釣り船からタコ釣りに出た。

中央線の某駅から電車に乗り、新宿で乗換、山手線へ。品川で乗換、京浜急行の蒲田で下車、もう小雨は止んでいた。他の電車組と一緒に船宿差し向けのマイクロバスに乗って船宿へ。

受付を済ました。道具は簡単、渋糸20号ぐらい50mと糸巻き、後はタコテンヤ、殆ど消耗する物ではないが、呼びに1個、道具はこれだけ、電車釣り師には、とっても有り難い。竿もリールもその他長ったらしいテンビンや籠も要らない。弁当、菓子、飲物類と道具入りのリュックサックとクーラーのみ。循環水やコマセを使うわけでもないので、長靴もカッパの類も要らない。真夏の散歩や買い物に行くような格好で充分、帽子、サングラス、首にタオル、長袖シャツ、ジーンズ、スニーカー、それに釣り用手袋。

見せかけ餌の石蟹一匹貰って自分の席で準備。余談になるが、東京湾側は冷凍が多く、富津側は生きているのが多かった。石蟹は、何回もタコに食われる寸前まで行って、最大限の恐怖を味わって、命拾いして、それが数時間の内で何回も続くのだから、人間だったら発狂しているか気絶しているだろう。ある時、釣りが終わって仕掛けから解いたら、フラフラ歩いていた。家に連れ帰り、形を整えて輪ゴムで縛り冷凍した。

釣り場まで持参のお弁当朝食として食べた。キャビンにもたれ掛かって、船縁から足を出して至ってだらしのない、ゆるい格好で夏の朝の潮風を浴びながら。河岸である多摩川からの景色を見ていた。京浜工業地帯も見えるし、羽田空港も近くだし、割りと好きな景色だ。いつも京浜工業地帯を海側から見ているときは、そこにゴジラが上陸して、石油コンビナートを蹂躙して都市部に殴り込むと言う往年の映画のデフォルメが頭の中で活動している。他の人は何を考えているのだろうか。そう言う話が出来る機会って滅多にないなあ。

一方羽田空港からは2分毎ぐらいに飛行機がひっきりなしに発着して、見飽きない。滅多に乗ることはないが、大型飛行機が轟音を上げて離着陸し、たちまち遠くに行ってしまう。遠くなければ、1人で電車が良いけれど、飛行機じゃないと行けないところもあるし。

30分ほどで釣り場に着いた。船頭の「さあ、やってください」で釣り開始。乗合船は片舷123人乗っていて満員御礼、隣とは殆どお祭りはしないから、気が楽だ。そもそもガラ場で浅いし、難儀なことはない。着いて23分で次々釣れ始めた、自分にも釣れた、500g位の平均サイズ、船は殆ど流しっぱなしでドンドン釣れる。昼は食べたけれど、ひっきりなしに釣れて、景色を見たり、お菓子を食べたりはしていられなかった。バケツから逃げ出したタコが足下の水抜き穴から逃げ出して、船の側を泳いだりしている。誰か「俺のタコ」とか言っているが直ぐ別のタコが釣れるから、そんなのに関わっちゃ居られない。

自分にとってはその時の匹数がタコでは最高記録で26匹、200g位のちっちゃいのから15Kg位のまあまあのものまで大小入り乱れ。マダコが26匹!船中だと500600匹釣れた計算。全くの驚き。

暑くもあったし、釣れて忙しくもあり、じっとり汗をかいた。沖上がりして、船宿のマイクロバスで駅まで送ってもらった。JRの階段を、ズッシリ重いクーラーを肩に掛けて登っているとき、疲れ顔ではあるがきっとヘラヘラ笑顔だったに違いない。一緒に階段を登った同じ船の連中は、クーラーは軽いより大変でも重い方が良い、と連れに話をしていた、同感です。

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2011年10月18日 (火)

タコ釣行記(1)

1)東京湾タコフィーバー

178年前に東京湾でタコフィーバーがあった。タコが湧きに湧いて湧きまくった。横浜側と富津側では乗合船、釣りの解禁日が多少異なるが、7月のスタートダッシュがもの凄く、12月の終漁まで大変な物であった。釣り船はいつも大漁、岸壁、防波堤でも沢山釣れた。東京湾浅いガラ場はタコが敷き詰められていたような感じだった。

あんな事は後にも先にも、あれっきり。あれはどう言う加減だったのだろうか、生きている内にもう一度来て欲しい。

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2011年10月12日 (水)

石炭拾って(3)

その友達とは、中学校へ行っても普通に仲良くしていた。高校は別々になって、余り会うこともなくなった。高校を卒業してから、自分は故郷を出たので、それ以来会ったことは無い。もしかしたらその内同窓会が有って双方とも参加すれば会うことが有るかも知れない。

自分が焚き火をして、煙たかったときとか、空から白い物が北風に乗って流れてきたときとか、インド人もビックリと自分で言ったときなど、ちょっとした事で、彼の事は思い出したけれども、茫々の年月が去ってしまった。心優しき友達と年賀状だけでも交際が有れば、良かったのにと思う。

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2011年10月 6日 (木)

石炭拾って(2)

11月か12月我々は何処かの用水池で釣りをしていた。もうその年の釣りが出来る最終に近い日である。学校に居るときに示し合わせて、そこに釣りに行ったのだろう。初めの内は普通の天気で薄曇りだったがその内冷たい風が吹いて、小雨がぱらつき、白い物が風の中に混じった。何人かそのあたりに居たと思うが、2人は、どう言う経緯かは覚えていないが、その友達の家に行くことになった。釣り場は双方の家に同じぐらいの距離だったが、心理的には彼の集落に近かった。

釣り竿を持って里山の小路を歩いて、彼の集落に入って、彼の家に着いた。家人は誰も居なかった。まあ当時としては普通の事だった。寒いだろうと言うことで、彼は当時大抵の農家で使っていた、ブリキの薪ストーブにほたぎを入れて、新聞紙を丸めて入れて細めの薪を入れて、マッチで火を付けた。煙突から風が逆流したりして煙が上がるが中々火は点かなくストーブは暖まらなかった。暫くしして漸くほたぎに火が点き、薪にも少しずつ燃える気配が出て来た。そこで彼は、バケツに拾い貯めていた石炭を何個かそこに入れた。暫く石炭に火は点かなかったが、その内燃えだして、ストーブの扉の小さな空気調整口から空気を活発に吸い入れて、ゴーゴーと音を立てて、燃えだした。ストーブの一部が赤く熱した。2人の顔は輻射熱で赤くなり、濡れていた服を乾かして、小一時間ほどで自分は友達の家を出て、距離が倍に成った里山の道を一人で帰った、もう夕闇が迫っていた。

自分の家の近くを国鉄が走っていた。小学校から友達の家の間にその線路は有った。通常の道は踏切を1回渡るだけなのだが、彼は近道をして、鉄道の保線用の道を歩いて帰るときが有り、その時に線路の砕石の上に落ちている石炭を1個、2個と拾って帰り、貯めておいたと言っていた。

それを友達が来たから、より暖かいようにストーブにくべたのだ。心優しい友達。

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2011年10月 4日 (火)

石炭拾って(1)

『インド人もビックリ』という言葉をご存知の方は多いかも知れない。自分が小学生の頃、何処かの食品会社がカレーのルーの宣伝で使ったフレーズで、そのルーで作ったカレーが余りに美味しくて、カレーの本場のインド人もビックリと言うお話しである。最近は余り使わなくなったが、何か予想以上の事が有ると、本来の意味からは離れるが、インド人もビックリ、と良く言っていた。

自分は小学生の頃、在り来りの目立たない顔だったと思うが、自分の友達の1人に比較的彫りが深くて、ちょっと浅黒い男子が居て、渾名が『インド人』であった。悪気は無かったけれど、面と向かっては言わなかったし、陰でも頻繁に言ったわけではない。本人は薄々気付いて居たと思うが、物静かで控えめの人だったから、特段何も起きはしなかった。

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