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2012年1月29日 (日)

愛用のサングラス(4)

昨日、2番目に気に入っていたサングラスが壊れた。昼食ついでに散歩に出て、食べ終わって外に出た。そこでさっきしまったサングラスをポケットから出して掛けたら、それが道路に落ちた。アレッと思って拾い上げると、片方の弦が付け根から折れていた。そう言えば暫く前に、変な具合に曲がっていたのを直した。

最近心が浮かないことが多いのに、それを見て、益々気分が冴えない。

そのサングラスは10年ほど前に、買った物だ。出張地で使っていた持参のサングラスが、突然壊れた。陽の光が強い場所なので直ぐ類似のを買って使っていた。それが今回壊れてしまった。出費も痛いし、自分から何かが離れてゆくのも気分が滅入る。物は寿命なのだけれど、人だってそれなりに寿命は来る。それが重なる。たかがサングラスだけれど。前は同じ様なサングラスを買おうと思っていたけれど、今度は少し違う形のを買ってみるかなあ。

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2012年1月27日 (金)

市民農園(4)

その市民農園によっては、指導員みたいな人が居る。色々教えてくれて、有り難い気もするけれど、有り難迷惑なときもある、自分は日中連日暑いからと言って、朝晩毎日水遣りが出来るわけでは無いから、出来るときに過剰気味に遣るが、「水が多すぎる」という類。

自分は農業地帯に生まれ育ったので、何となくそれなりに、都会の人より知識があると思っている。伝統的な事を見て育ったし、少しは手伝いもした。例えば、ここら辺りでは、枝豆は自家用でもそれだけで畝を作っているけれど、田舎では田圃の畦道に植えていることが多かった。稲の生育の手伝いにもなるし、枝豆も食べられる、農薬の善し悪しは兎も角、稲の農薬で枝豆に害する虫もいないようだった。それとはまあ関係ないが、市民農園で枝豆を育てている人が、無農薬で、虫だらけなのは気の毒だけれど、食べられもしないしどうするつもりか心配になる。キャベツなんかも芋虫を育てているようなのが多い。

ちょっとしたタイミングで、作物を少し分けて貰うことが有る。トマト、ナス、キュウリ、芋類、大根など。いつも有りがたく頂いて、食べている。作物について立ち話をする事もある。ちょっぴり違う世界に入って気が安まる。トマトが何十個も熟れて放置されているのを見ると、勿体ない気がする。せっせと食べて、残りは加工すれば良いのに、トマトは色々な料理に使える。。

市民農園は、色々な楽しみが有る。自分にとっては第1が農作業その物、作った物を食べる事、ちょっとした交流、他の人の区画を見ること、色々考えること。

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2012年1月23日 (月)

市民農園(3)

市民農園で、ちょっと休みたいときとか、最初や最後に中を歩き回って、他の人の区画を見て回る。蔬菜、根菜、生り物というか果実もの、人によってそれぞれ好みがあるらしい。又全く本とか読まないのか、どう見ても通常の遣り方に思えない物が、所々にある。そう言うのを見ると考えさせられる。それとも独自性に拘っているのか、それぞれ特徴が有って面白い。季節外れの物が植わっていることも多い。自然農法の一種なのか、雑草が多いのも有る、作物が多ければそれでも良いが、どれが作物なのか分からないのも有る。ツルモノが区画一杯に広がっていたけれど、実は全くなく、地面も覆われて雑草もないところもある。ナスは夏の収穫が一段落してからの剪定が、かなり難しそうだが、どう考えても本を読んだ形跡が無く、又、意図不明なと言うか成り行きで生えているのが多く見ていて楽しい。トマトは、本を一遍サラッと読めば、木の作りは簡単だと思うのだが、かなり独自な若しくは特殊な遣り方の人が居て、是も又楽しい、直ぐその隣に、理想的な木の仕立てをしている人が居たりして、ますます面白い。

道具やら資材が散らかっている区画もある、畝が曲がっていたり、大小様々だったり、どうすればこういう発想が出来るか、聞いてみたい気もする。つい家の中はどうなっているか想像してしまう、特徴の有る区画は、専門の農家の様になっている区画を含めて、その耕作者それぞれの家や普段の生活をつぶさに比べてみたい物だ、関連が有るのか無いのかは知らないけれど。と言いながら、他の人も自分の区画を見て、それなりの感想が有ると思うけれど。

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2012年1月19日 (木)

市民農園(2)

数年前に借りていたところに、時季良く金のタマゴというスイカを植えた。楕円形で皮は黄色、やや緑っぽい縦の模様が薄く付いている。中は真っ赤。三色合わせて信号機。スイカの育て方という本を見ながら丁寧に育てた。カラスに突かれないように覆いをして隠したり、実が直接地面に触れないように敷き藁したり。水遣りもそれなりに心を砕いて。その年は暑く、スイカには好適な天候が続いた。花が咲いて受粉後、日に日に大きくなり、見るからに成熟して行き、受粉から規定通りの日数で収穫。嬉しいので記念撮影をした。

冷蔵庫から取り出して食卓へ、外見も良く、実も美味しかった。少しお隣さんにお裾分け。何人かが美味しく食べることが出来た。

スイカは一番果と二番果の2個収穫できた、上出来だった。二番果は一番果より少し小さかった。

その年にパキスタンの大洪水が有って数百万人が被災して家を失った。些少だけれど、国際機関に寄付をした。パキスタンの友人からその大洪水の写真集がイーメイルで送られてきた。悲惨な状況がつぶさに分かった。人々は助け合っていることが分かった。忙中閑ありの写真もあった。その中の一枚にカメラマンにスイカを見せている人が有った。そのスイカは金のタマゴだった。同じスイカを食べている人がパキスタンにも居た。それだけで一種の共感、何となく嬉しかった。洪水になると飲み水に困る、パキスタンの辺鄙なところは、特に困ったことだろうと思う、そんな時にあのスイカを食べたら、きっと美味しかったに違いない。誰かがあの地まで運んだ、そんなスイカ、金のタマゴ。

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2012年1月17日 (火)

市民農園(1)

今まで何回か市民農園を借りている、前のは翌年抽選に外れたり、農園その物が中止になったりして、継続性が無かったが、今借りているのは、延長も出来て、希望すればかなり長い間借りられそうだ。

借りたのは去年の夏、ちょっと時季は遅かったが、空芯菜とモロヘイヤの種まきをしたら、絶好調で繁殖して、夏中空芯菜の炒め物と、モロヘイヤのおひたしを堪能した。秋口になってもしつこく若芽を食べていたが、空芯菜はその内寒冷防御のプログラムが起動したのか、全く味が代わり、見てくれに変わりはないが、味は別物に変化、食べられなくなった。モロヘイヤの味は余り変わらなかったが、固くて食べる物ではなくなってしまった。それでもまあ、何となくもう元を取った感覚、本当によく食べた。美味しかった。

今まで借りたのに比べたら、かなり広いので、半分ぐらいは夏の内は何も植えられなくて、行く度に雑草むしりをしていた。雑草むしりの為に市民農園を借りていたような気分。たっぷり汗をかいて、シャワーを浴びてサッパリして昼食、とても美味しい。ある種の市民農園効果。

今は寒いし、今冬は雨も殆ど降らないので、葉物野菜が枯れかかり、葉も固く思ったほどは収穫が出来ない。防虫ネットをしているけれど、それでも虫に食われる。虫を育てて、水遣りの為に借りているような感じ。5060区画有りそうだが、冬は作業している人と会うことも少ない。当方は余り用事が無くとも、ブラッと見に行く。

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2012年1月11日 (水)

イーメイルの安否確認

久しぶりに友達(学生時代は呼び捨てだったけれど、A氏)からイーメイルが来た。内容は安否確認。当方喪中なので黙りで賀状を出さなかったから、少し落ち着いたら、寒中お見舞いを出そうと思っていた。勿論当方は元気で普通に遣っている。こういう知らせが来ることは嬉しいことだ。当方も時に思い出してイーメイルで近況を知らせる。実際学校を卒業してから会っていないけれど、学生の時のように毎日会っている感覚で軽く話が出来る。学生の頃からの友達は良いものだ。お金と暇が有ったら、ちょっと出掛けて、軽く飲んで雑談したい、学生時代の様に。

君子の交わりは淡きこと水の如し、と言うけれど、イーメイルというのはそう言う意味で、とても重宝な物だと思う。若い人達が携帯電話で1日に何十回も場合に因っては100回以上も受発信をするというのは、どう言うことなのか未だ良く理解できないけれど。

PCでイーメイルはただだし、相手に受信音が発せられるわけでも無いので、急ぎでない用件には特に良く向く。急ぎでも勿論お互いに理解していれば十分に機能する。

遠い所に住む友達から連絡が有るとそれだけで嬉しい。

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2012年1月 5日 (木)

寒中お見舞い

皆様、

寒中お見舞い申し上げます。

是からますます寒くなります。

ご健康には充分お気をつけてお過ごし下さい。

今年も宜しくお願いいたします。

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2012年1月 3日 (火)

改札で不満の声(4)

他人が「ブー」と音が出て扉が閉まった時に不満げに独り言を呟く人は、単純で正直な人だろうけれど、ちょっと考えて黙っていた方が良い。言ったからと言って自分の権威、地位が上がる訳じゃない、多分下がる。

田舎から出て来て、自己紹介したとき、まあ或る程度、特に昔の子供は、言葉に訛が有った。それを耳聡く聞きつけて、笑う人が居る、悪気は無くて単純に自分と違うと言うことだけなのだが、深く傷つく子だってあるだろう。1つの勉強と言えばそれまでだが、笑った人とは、長い間中々内心は打ち解けないと思う。異国の人の自分とは違った服装や習慣、それを奇異に見る目は、それは或る意味、自分が正しく、他人に不寛容な傲慢な気持ちの表れ。まあそんな大袈裟な物でも無いけれど、今色々寛容性が無くなった気がする。自分には甘いが、他人には厳しい人が多くなった気がする、自戒。

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