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2012年12月29日 (土)

ワープロ

Photo_3  昔懐かしいワープロ




ワープロが出て来た時、世の中にとんでもない言葉が氾濫し始めた。もう余り覚えていないが、自分が最初に使ったワープロはそんな組み合わせの熟語は無いだろうというのが、沢山入っていてとっても面白かった。暫くの間楽しめた。

そんな時、だからワープロは駄目なのよ、と言って拒否した人達は、それ以降の技術革新から取り残されて、大部分はワープロもPCも殆ど使えない人になった。それだけなら可愛いけれど、PCの有用性を拒否して未だに、PCは何も出来ない、人間だから出来るのだ、見たいな寝言を言って居たりする。それでもスマホを使っている振りをしていたりするから不思議な物だ。ワープロを拒否した人達は、使う努力もしなかったし、そう言う立場だったかも知れないけれど、何でも少しまともになるには時間が掛かる事にも思いを馳せなかった。

ワープロも数年の内に、相当進歩して、学習機能も適度に組み込まれて、直ぐ違和感なく使えるようになった。そうなって間もなく、PCが出て来て、ワープロソフトもそれなりの物が組み込まれて、小型のワープロだけの機材は、無くなってしまった。大袈裟に言えば、歴史的役割は終焉を迎え、表舞台から消えた。それから数年後会社の保管倉庫からも消えた。寂しい後ろ姿、拍手して見送り。

政財界には初期のワープロ以下の様な方が、若しくは末期のワープロの地位のような方が、跋扈している様な気がする、顧みて自分がその職に就いた時の事を考えれば、スッと後進に道を譲れば末節を穢さずに済むのに。

ワープロの文書はその人の知識に依存するし、迂闊に、と言うこともあるので、間違いはそれなりに多い、でもそんなに自分は拘っていない。目で読むばかりでなく、耳で聞くつもりで目で読めば直ぐ理解できることは多い。話し言葉も、同音異義語が頻出しても、チョイ遅れで理解に不自由はない。ブログなどを見ていると、わざとやっているのじゃ無かろうかという際どいのも結構ある。勿論誤記はそれなりにあるが、全体的に大したことじゃない。他人の小さい間違いを探すような人は好きじゃない。普段は茫洋として居て、ここって言うときに、バシッと遣って、その後は何事も無かったかのような人が好きだ。

自分はPCのワープロソフトを使えないのに、ワープロの年賀状は心が籠もっていないので好きじゃない、と言う人も好きに成れない。下手でも毛筆の方が、心が籠もるって言う単細胞の考え方は好きじゃない。ま、そう言う人は代筆も多いと思うけれど。

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2012年12月25日 (火)

携帯からネット

Photo          駅前の電話ボックス


携帯電話が普及して公衆電話が減って不便になった、と言う方も多い気がする。大抵技術革新が有れば、価格は下がることが多い。それなのに誰に聞いても、携帯電話の料金は高いという。自分はプリペイドカードで公衆電話を愛用している。電話をするのは、村はずれの一本杉の下じゃない、何処かの駅前である。減ったと言っても、かなり田舎の駅前にも公衆電話ボックスが1個は残っている。プリペイドカードは金券ショップで買っている。この間は502枚買って600円だった。

暇なので、悪天の時は終日ネットを見ている。月約4000円。友人は何とか契約で、スマホからネットを見ている。請求は十何万の所、~~契約だからネットは5000円だか何かと言っていた。試しに、家人の携帯を借りて、5分間だけ、贔屓のブログを見た。翌日料金を確認したら、約1000円だった。5分で1000円。何かおかしくありませんか。

自宅のPCからなら月約4000円、携帯からだと、同じ4000円だと20分だけ。契約が云々という次元を越えていると思う。今時5分で1000円の、つまり1時間だと12000円のサービスって一体何?人を謀っちゃいけないと思う。勿論家人が、携帯を契約した時に、WEBの記事を見たら、5分で1000円掛かります、と言う説明はなかった。あれがこう安くなって、これがこう値引きされて~~と言う話ばかりだった。

蛇足:

連日テレビで各社スマホの宣伝をしている、~~円安くなる、まとめて買えばまとめて安くなるとは言っているが、元の価格が解らない。家族割りとかも言っている、安くなるらしいが、何か不自然だ。

田舎と話すなら、自分の携帯の口座から落とす家族間無料通話の携帯電話を田舎に渡せばよい。老母、老父と毎日幾ら話しても機材契約代で月1000円ちょっとだ。

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2012年12月19日 (水)

バナナの食べ方(3)

いつも楽しみにして見ているブログが幾つか有ります。新着が直ぐに分かるように、更新情報に登録してあります。その中の或る方の記事にバナナについてコメントを入れたら、そのバナナについての話に興味を持って頂き、聞いてみたいというコメントを頂きました。

そのブログは、各種面白い参考になるコメントがたくさん付き、ある種のサロンの様な役割も果たしており、記事のみならず、コメントも楽しみに見させて頂いて、大変共感しております。

それで「シャーラマール庭園でバナナ」をアップしました。又5年程前にバナナの食べ方(1)バナナの食べ方(2)と言う記事もアップして有りますので、お暇な方はお立ち寄り下さい。









シャーラマール庭園でバナナ




Photo_2株に生ったバナナ



Photo_3もうボチボチ食べられるなあ



パキスタンのラホールにシャーラマール庭園が有る。四角い水路と多数の噴水が有る。有名なインドのタージマハールを造ったムガール帝国の皇帝シャージャハーンが造ったペルシャ様式の庭園である。

この庭園が出来た頃は、インド亜大陸は殆どムガール帝国の版図だったが、今はインドとパキスタンが別々の国に成ってしまった。ついでに言えばバングラデッシュも別の国になってしまった。

30年ぐらい前に、出張でラホールに行った。自分が最初に入った時の入場料は2ルピー位だったと思う。確か当時2ルピー札が有った。今のルピーのレートで行くと2円以下となってしまいそうだが、当時は何となく1ルピー10円位の感覚だった気がする。分かりやすく言えば、1万円が千ルピーと言う事だ。当時の1万円は今より余程価値が有った。勿論1ルピーもしっかりとした価値が有った。物価もレートも隔世の感が有る。

昼下がり一緒に働いていたサイトのパキスタン人達と自分の同僚の4人で行った。フラフラ見て回ってから、遅い昼食と言うことで、パキスタン人が用意してくれた物を分けて貰って食べた。芝生の上に座ってサンドウィッチとバナナを食べた。自分達、日本人はバナナを食べて、その皮を袋に入れようとして、サンドウィッチを食べてその包み紙を袋に入れようとして、そしてゴミ箱を探そうとして、無かったらサイトかホテルに持ち帰ろうとして、わさわさしていたら、パキスタン人の1人が、バナナの皮を後ろの藪の方にポイッと捨てた。もう1人もポイッと捨てた。サンドウィッチの包み紙と、それを入れてきた袋も、クシャクシャとしてそこらにポイッと捨てた。

自分達は目が点に成って、それでも散らかさない方が良いのではないか、とニコニコ笑って言ったら、「人はそれぞれ仕事が有って」ここで辺りを見回して、近くにちり取りや箒らしい物を持っている人の方にチラッと目を遣って「その人達の仕事を取っちゃいかん」と言った。

自分達もバナナの皮とサンドウィッチの包み紙を、斜め後ろの藪のそばへポイッと。




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2012年12月14日 (金)

運気:RDD x 2

Dscn1729       衆議院選挙と都知事選のポスター


2012年衆院議員選挙及び都知事選挙のRDD()に因るアンケートが来た。

(1)電話をかけて質問を行い、結果を聴取する方法。通常、かけるべき電話番号はランダムに作成される。ランダムに作り出した番号に電話をかける手法は、RDD(Random Digit Dialing)と呼ばれる。選挙の結果予測調査などによく用いられる。---Wikipedia から引用。

1回目は、NKから、2日後に東○新聞から来た。10項目ぐらいの設問が有り、4択から答えるという物。ちょっとデジャビュになった。

大抵この手のRDD4000件前後発信されて70%位の回答率の様だ。都内の4000件に2回続けて選ばれたことになる。自分としては珍しいことのように思える。運気が使われてしまったか。

数年前に内閣府から生活に関するかなり長大なアンケートが来た。面白がって回答した。次の年も来た。つまり2年続けてきた。その結果は通知してこなかったけれど、運気が使われたのか、以前はよく当たっていたジャンボ系宝籤の¥3000の当たりがパッタリ出なくなった。詰まらんことに運気が使われた様だ。

今年の初頭に「~~市における市民意識調査」と言うアンケートが市を経由して某大学から来た。これは去年も来たので、2年続けてきた。それから運気は益々下がり、思いも掛けない病気に次々になり、その他ろくな事が起きなかった。散々な1年だった。

それで今回のRDDに因る選挙のアンケートだ。こりゃ何だ。惑星直列か、又何か起きるか。これで又運気を使ったら、運気の総量が、それぞれ生まれながらにして決まっているとは思っていないが、もう鬼籍にはいるか、惚けるしかない、とも思ったが、株式市場で、或る会社が次期決算の業績を下方修正して、悪材料が出尽くした感が出て、ストップ高ってこともあるから、これが底だと見れば、これからは上昇するばかり。ヨーシ、何がヨーシかは別として、年末ジャンボ宝籤を、なけなしの小遣いを叩いて買った、自分ながら遣ることが誠にせこい。

新年早々、このブログが完全に振り切れているか、更新がパッタリ止まったら、そう言うことだと思って頂いて、数ヶ月後にピタッと止まったら、武運拙く鬼籍に入ったと思って頂いて、ボヤーと止まったら、完全に惚けちゃったと思ってください。

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2012年12月11日 (火)

越後屋(3)

手品の鳩



Photo


久しぶりに越後屋が訪ねてきた。例の如く駅から電話である。何回か鳴らして応答がないときは、留守電にも入れず、携帯にも入れず、何事もなかったように、引き下がっているのかも知れない。留守電にも、携帯にも電話を貰ったことはない。そう言うことに関しては全く言わないけれど。彼は普段から誠に慎み深く、本来的な礼儀正しさが有る。こちらも良い意味で繊細になり、今後とも恥じることのないお付き合いを心がけたいと思っている。

十数分したら、インターホーンを鳴らす人有り。覗き穴から見たら、上着の懐辺りから、白い鳩を出したり引っ込めたりしている。顔の表情は如何にもステージ上の奇術師のようにも見えるし、何を考えているのか計り知れない政治家のようにも見えた。余りにも見事なので暫く見とれていたが、厚紙で作ったニセ鳩であった。直ぐ我に返り扉のカギを開けて扉を開けた。カギを開ける音が聞こえたのか、扉を開けた時には、姿勢を正して、普通に立っていた。いつものようにお互い簡単な挨拶をした。

我が寓居に応接室何ぞは無いから、ダイニングテーブルの横のソファーに座って貰った。

急に一緒に食べたくなったから買って来たと言って「鳩の串焼きです」と油紙に包まれてレジ袋入の串焼きを出してくれた。勿論、途中にある焼き鳥から買ってきた普通の焼き鳥である。小柄なお爺さんが遣っていて、安くて美味しい。自分も焼き鳥はいつもそこで買っている。何でスーパーのはあんな味なのだろう、不思議な気がする。

皿に入れ直して、3人で食べた。いつものように大変美味しい。それぞれ缶ビールを1本飲んだ。食べながら越後屋はいつものように、色々話をして、こちらは、ふむふむ聞いていた。一頻り話をしたら、いつものように帰った。彼の話は概略以下の通り。

「政治資金規正法の通り、記載しているとか、虚偽を記載しているとかは、興味は無い。秘書に任せているとか、秘書を信じているとか、そんな事もどうでも良い。鳩を右のポケットから出そうが、左のポケットから出そうが、そんな事もどうでも良い。その鳩を何処で捕まえてきたか、知りたい。4億円の鳩を。普通の人は一生涯見る事も無いような高額の鳩を何処で捕まえたかが重要であって、それを不問に付して、初めから家の鳩でした、って言ったって、誰が信じますか。報道の人達は大局を見た方がよい。私が色々参考にしている古の中国の爺さんは、其の身正しくば、令せずして行われ、正しからざれば、令すと雖も従われず、と言っている」

「今回は候補者乱立ではないが、政党乱立、弱小政党の政策はそれぞれ少しずつ違うが、政党を立ち上げるから少しずつ違うのであって、既成の政党なら、それぐらいの違いを内包しているが、直ぐには結論が出せないから、考えながら取り纏めて行きましょう位の物で違いの内に入らない。これは他人が少しでも自分と違う考えがあったら排除して行くという危険な兆候がある。昔の連○赤軍の様な寛容を欠いた組織でいずれ内部矛盾が昇華できず瓦解する兆候だ、つまり政権を安定的に運営する能力がない」

「節約すればそんな予算は捻出できると言っているが、具体的数値はない。お父さんが失職して貯金も使い果たして、お母さんの短時間のパート収入だけでは、どんなに節約したって、限度が有るのと同じだ。政権を担当する気が無いから永久に実証する必要性に迫られないから勝手なことを言っているだけだ。勿論消費税で所期の税収は上げられないだろうが、同時に行う諸対策で、経済も上向くだろうし、それが上手く行けば安定的に望めて、弱者救済に取って有力な施策となる。他を攻撃するときは短期的な欠点を攻撃するばかりで、自身は長期的視野は全く持っていない。駄々っ子じゃ無いんだから、全体を見て責任有る発言をした方がよい、我が江戸時代の奉行の1人も政策を実施するときは、全体を見て、実の有ることをしなさい、と言っている」

「原子力発電ももっとしっかり検討すべきだろう。原子力発電を即時止めても、電力は不足しない、と言っているが根拠がない。去年は深刻な停電はなかったと言っているが、たった一年の事だ、人生は長い。もし原子力発電を継続なら、高レベル廃棄物の最終処理方法、将来の廃炉の費用など総合発電費用の計算をしっかりすべきだろう。運転時の費用と生産電力だけでコスト計算をするな、金に目が眩んだ人達の理屈を鵜呑みにするな、訳の分からないワンマン社長の顔色を窺ってその場限りの迎合をするな」

「鼻息の荒い新政党が多い。自分に甘いから、もう勝ったときの勝利宣言を考えているかも知れないが、世間はちゃんと見ているだろう、思うようには勝てない。負けたときの言い訳を考えて置いた方がよい。深刻な反省が無ければ、彼らに次のチャンスは無いだろう」

越後屋は、厳しいご意見を言って、帰って行ったが、顔はニコニコで普段と全く変わらなかった。越後屋恐るべし。

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2012年12月 7日 (金)

ソケイヘルニア顛末記

Dscn1685_2

                病院の前、退院日の黄葉



20121127()30()34日:ソケイヘルニア入院手術。

経緯:

相当前から、自覚はしていたのだけれど、時期はハッキリしない。最初は、運動した後や長距離座って移動したときなどに、お腹が突っ張る感じがした。下腹部が少し腫れているのは分かっていたが、それ程でもなくなることが多いので、考えもせずそのまま。

時々咳もしていたし、それなりに激しい運動もしていたので原因の1つになっていたかも知れない。その内この症状がソケイヘルニアと言うだろう事は分かったが、通常何でもないし、何か「脱腸」って今一格好良くないし、自然に直る事が無いのは知っていたが、生活に支障が無ければいいや、位に考えてそのままにしていた。

2012年の5月に胃潰瘍で入院して居たときに、4人部屋の隣のベッドに、ソケイヘルニア手術の為に入院して来た人が居た、70才位の感じだった。34日だった。カーテン越しに聞こえてくる話を聞いて、自分もした方が良いのかなあ、とは思ったが、その人が退院する頃には、自分の病気は精密検査の結果で胃癌手術が、決定的になっていたので、ヘルニアの手術どころではなかった。

胃癌手術(7)後、9キロ位痩せて、お腹の脂肪が減ってヘルニアには結果として良くなかった気もする。

年配の友人が居る。彼は肝臓癌で闘病中である、時々入院治療しているが、普段は自宅療養している。色々な病気で、お腹を何回も切った。お見舞いやその他雑談しているとき、ヘルニアが一番痛かった、と言っていた。緊急手術をしたとのこと。カントン(嵌頓)が起きたのだ。(カントン:ヘルニアが、急に硬くなったり、膨れた部分が押さえても引っ込まなくなることがあり、お腹が痛くなったり吐いたりする。急いで手術をしなければ、命にかかわる。場合によっては、はみ出した小腸を切り取って繋ぎ直すこともあるらしい。)

もっと年配になってから、カントンになって、旅行先で緊急手術というのは、想像しただけでもゾッとする。又交通事故やお腹に強い衝撃が有った時などにもカントンが起きることもあるらしい。それで胃癌手術後、第一回目の検査前にとうとうヘルニアの受診をする決意をした。

2012927()

T総合医療センター受診、胃癌手術の時に主治医だったK先生の計画診療を早めて貰って、診察して貰った。その日は胃術後の経過については特段の話しは無し。

ヘルニアの一般的な説明を受けてから、触診。自分は右側だけだと思っていたが、左側も少し弱っているとのこと。手術に関する説明有り、腹腔鏡手術が適して居るようだ。同意書の説明、期日は何時になるか不明、緊急性のある手術を優先して、一般的待機を徐々にスケジュール化して実施するとのこと。センターから電話が有るから待つようにと指示有り。診察室を出てから、血液検査、4本。X-ray4枚。入院のための説明が看護師の方から有り。会計を終了して帰宅。

又暫く、待機。胃癌手術の時のような、焦燥感はないが、余り気分が良くない。主治医の説明で年末と言うことはないだろうが、暫く掛かるとの事。12ヶ月は病院からの電話を待つことになった。

1011()

T総合医療センターに電話。自分としては、内心無理だとは思っていたが、希望は10月一杯だったので、様子見に電話をしてみたと言うこと。電話を受けた方が各所に回送してくれて、それぞれで様子を聞いたが、主治医の先生とは診察中で話が出来ず。

毎週手術の予定会議があり、次週分が決定されるというのが分かっただけでも、由とするしか無い。受診日の検査は3ヶ月有効だと言うことで、暫くは無理そう。

1121()

T総合医療センターから電話、1127()入院、28()手術の通知有り。手術日が決定して、気持ちは少し楽に成った。受診からちょうど二ヶ月後が入院日と成った。

1127()入院1日目:

1020   最寄り駅から歩いてT総合医療センターに到着、入院窓口の待ち札を取って近くのベンチで待つ。いつも思うが病院は病人だらけ。呼ばれて入院手続き。

1100   案内の人にその階まで同道してナースステイション前のデイルームで待つ。看護師の方が現れて病室まで一緒して、入室、とうとう本当に入院。

1130   当日担当の看護師がにこやかに現れて、今後の事を説明、予定、注意書きのパンフ入手。パジャマに着替え。

1200   昼食、まだ胃術後療養中で半分以上残した。

1300   家人が帰った。

1520   看護師の回診、血圧、体温など、異常なし。

1530   麻酔科に出向いて説明を受ける、M先生。28日に麻酔実施はS先生。

1616   病床から見える富士山の北側に日没開始、数日前だったらダイヤモンド富士。

1640   看護師スケジュールの説明、翌日手術前の下剤注入有りとの事、処置室案内説明、引き続き薬剤師が現れて薬剤の説明。

1730   看護師が臍の清掃、主にオリーブオイルと綿棒、タオルを使用、見たことは無いが腹腔鏡下の手術ではお腹がカエルのように膨らんで、出臍のようになるらしい。二酸化炭素を使う。

1820   夕食、1/3ぐらい食べた。

1840   麻酔のS先生が来訪し、28日の麻酔実施の説明挨拶。

1920   胃癌手術の時のI医師、H医師、もう一名の医師が挨拶激励に来訪、実際の執刀医ではない。両手の甲にマジックでマーク、誤解の無いように、事前に手の甲にマークして患者誤認を防ぎ確実性を高めるとのこと。病院によっては足の裏にマークするところも有るらしい。

2000   Y看護師の回診、血圧測定、検温、異常なし。

2100   Y看護師より下剤三錠受領、直ぐ飲んだ。

2200   給湯室から温かいお茶を貰ってきて少し飲んでから、就寝、二時間ぐらいで眠った。

1128()入院2日目、手術日:

0600   起床

0610   看護師来訪、アルジネートウォター125ml x 2本が朝食の代わり?全部飲まなくても良いとの事だったが、簡単に飲めた。

0620   看護師と一緒に処置室に移動し浣腸、出来るだけ我慢してからと言うことだったが、1分位で直ぐトイレ。

0640   洗顔、暫くしたら、又トイレへ行きたくなって下痢、これで何となく出切った感じになって一安心、手術台に載って、麻酔の前に便意って、語りぐさに成りそうだし。

0720   看護師来訪、手術着とエコノミー症候群防止用の白い靴下の配布。

0820   手術着に着替えて、靴下を履いているところに、家人見舞い来訪。

0845   やや明るい顔で看護師来訪、3人で10階から3階の手術階へ移動、途中のエレベーターもやや混雑。手術室と待合室への分かれ道で家人と別れて、看護師と準備室() 方面へ移動。60人ぐらいの看護師さんが使い捨ての帽子を被って、そのフロアーに沢山居た、少し驚いた。自分も帽子を被って本人確認と手術グループと顔合わせしながら、右腕のIDのバーコードも確認、PCで確認もして、実際の第6手術室へ移動。今回で2回目、例のテレビで見る手術室の主役() として入室。
ベッドに寝る、点滴、血圧計、心電計などを執刀グループから説明されながら装着、酸素マスクを付けられる。キョロキョロしながら見ていたが、間もなく寝入ったのを気付かず、勿論前回も同じで、左肩を揺すられて、「物部さん、終わりましたよ、物部さん、起きてください、無事終わりましたよ」で目が覚めた。
事前の説明では、2時間半ぐらいの予定だったが、実際の終了は1245分頃で1時間半程度延びた。手術時間約4時間。その間家人は待合室で、終了予定時間が、23回変更になり、それなりに心配したらしい。

1300   リカバリールームへストレッチャーで移動、ここは10階病室のナースルームの後ろにある。観察室とも呼んでいるところ。4人で「一二のハイ」ぐらいの感じで、そこのベッドに移して貰った。ちょっとして家人が来た。
看護師さんが、打てる範囲で寝返りもしてください、これが自動血圧計、心電計も付いています。尿管も付いていますので、気をつけて寝返りを打ってください。目眩はしませんか、吐き気はしませんかなど、何種類か定型的な質問が有ったが、まあまあ普通の状態で有った。
暫くして家人が帰って、ベッド上でボンヤリしながら休む。前回のようには痛くはなかった、慣れたせいかも知れないけれど。夕方になって、予定通りもう一名の方が、同室に運ばれてきた。なんの手術かは不明だが、話しぶりから過去に手術は受けたことがあるらしい。T総合医療センターが、前の所より良い様な話しぶりで有った。夜中も特段の事は発生せずに、ウツラウツラしながら夜が明けた。

1129()入院3日目、術後1日目:

昨夜から1時間毎位に、看護師が来訪し状況を見ていった様だ、何となく余り眠れず分かった。何種類かの計測器のデータもナースステイションで監視しているだろう。左からは尿管、右からは計測器のリードが有るし、お腹も痛いし、1時間毎に血圧計の圧力も掛かるし、余りよくは眠られなかったが、安心感は有った。

0600   病床からほぼ満月の白っぽい月が西の山にゆっくり落ちてゆくのが見えた。

0800   朝食、未だ各種リードが繫がっているが、普通食、大部分を残した。

0830   看護師来訪し、3日分の薬をくれた。抗生物質と鎮痛剤の二種、各1個その場で飲んだ。

0920   看護師と自分で熱いタオルで体を拭きながら、血圧計、心電計を取り外し、息をゆっくり吐いてと言われて、尿管を何とも言えないゾクッとする感覚で抜かれた。普通のパジャマに着替え。

0930   執刀医以下6名のチームが回診、傷を見て「傷口が綺麗ですね」でお終い。

0935   家人来訪。

0940   観察室から自分の病室へ自力で歩いて移動。

1040   家人が所用有り帰った。一人で霞む富士山を眺める、看護師さんに因れば、朝はクッキリ見えたらしい。

1200   昼食、うどん。今までもお腹の調子を崩しやすかったので、ゆっくり噛んで空腹を感じていたので、半分ぐらい食べた。

1300   上半身全体が揺れる感じで動悸がして、お腹の調子も今一で結局下痢をした。

1310   看護師回診、体温360℃、血圧11066、脈拍100を突破していた。

1410   事務の方来訪、費用概算書とアンケート調査票の配布有り。

1500   歯磨き、髭そり、ちょっとサッパリした。

1610   看護師より退院後の注意書き配布、若干の説明。

1630   医師の回診、傷口の絆創膏を剥がしてくれた。退院後の注意事項に付いて若干の説明有り。

1800   夕食、半分以上残した。

2000   S看護師回診、酸素97%、血圧11676、脈拍85、体温366℃、お腹の聴診器OK、傷口のテープは自分で剥がさないで自然に剥がれるのを待つ事。

2200   読書を止めて寝たが、余り熟睡出来ず、看護師が懐中電灯を持って各ベッドを1時間毎ぐらいに見回っていた。

2330   喉の渇きを覚えて、給湯室へお茶を貰いに行った。デイルームにも廊下にも人は居ない、ナースステイションも静か、束の間の平和の病棟。

1130()入院四日目、退院日:

0600   起床、昨夜から眠れず、カーテンを静かに開けたら富士山がボンヤリ見えた。

0630   看護師の回診。体温364℃、血圧10668ここまではいつも通り、脈拍86良くない方でいつも通り。お腹聴診OK

0730   執刀医のグループの先生が一人で回診「お変わり有りませんか」「ハイ」「予定通り今日退院です」でお終い。

0735   朝食、アジの干物など。生臭い物は、最近余り食べたくない。半分以上残した。

0830   看護師回診、異常なし。

0920   家人来訪。

0930   入院費の明細が届いた、家人が支払って、ナースステイションに報告して退院準備終了、その間着替えをしていた。年の割には若そうな、と言うよりこの何十年も同じ服装で進歩がない。

1000   退院、来たときのように歩いて最寄り駅までダラダラ歩いて行った。前の手術の時は暑い中、途中休んだが今回は、ゆっくりだが休まず駅に到着。

或る程度安定するまで1ヶ月位掛かるらしい。それまで重い物を持つなと言われているし、自転車は禁止、行動力が鈍る。入院中から処方された消炎剤と鎮痛剤が退院して直ぐ終了。

見てくれでは特別の違和感はないが、メッシュを入れた辺りが未だペチャペチャしていて、小さい水腫も有る様だ。特に右側の下腹部には、外見上は何ともないが、感じとして、直径56センチのレンズ様のグリグリが有る。ヘルニア嚢の残りと言うことは無いだろうけれど、とても気になる、強くも押せないし。時間と共に改善される事を期待する。下腹部に軽い痛み、特に咳き込んだり起き上がったりする時に感ずる。これも徐々に改善する事を期待する。右側下腹部に軽い皮下内出血あり。狭い範囲、徐々に改善しつつあるように思う。これらは全て術前に説明を受けた範囲内であるように思われる。散歩する以外は、自宅療養している日常生活に特段の支障は感じない。

今年は色々な事が有った。自分には関係ないと思っていた事が次々に起きた。結構疲れた。でも一時の重い気分に比べたら少しは楽になった。後は生活の算段。

ボチボチやるさ。

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2012年12月 3日 (月)

校長先生の講話

Dscn0907        ダイヤモンド富士






 小学生の
56年生の頃の話、1週間に1回だか、1ヶ月に1回だか覚えていないが、校長先生の講話が有った。朝礼だったかも知れない。古びた木造の体育館で行われた。高い壇上からのお話しを、児童達は多分立って聞いていたと思う。

当時、自分はお勉強は普通だったけれど、先生の講話は全く理解できなかった、そう言う意味ではもしかしたら馬鹿だったのかも知れない。何かムニャムニャ話しているのは理解できたが、どこら始まって何処で終わったのか全く理解できなかった。

それから2、3年ぐらい経って、中学生の時、校長先生が、研修でヨーロッパ旅行に行った。県内から選抜されて、優秀な先生が行ったと聞かされていた。多分そうなんだと思う。その先生は恰幅も良く、頭も見事に禿げ上がっていて、外出の時はベレー帽を被っていた。それだけで自分には立派に見えた。当時は多分未だ$1が¥360だったと思う。ハンドルはいくら?180円と言った記憶が有る。当時は多分、普通の人の海外旅行は夢の又夢で、出来ても一生に1回と言う感覚だったと思う。

校長先生が帰国して、そのヨーロッパ旅行の話を壇上からしてくれた。その時は話が長いので、床の上に座って聞いたと思う。飛行機は南回りでヨーロッパに行った。マニラだの、カラチだのと言う記憶が有った。当時南回りとか北回りとかも理解できなかったし、もしかしたら北回りは冷戦時代だから無かったかも知れない。

研修の話、通関の話、街並みの話、気候、景色の話、その他多分色々有ったのだろうけれど、南回りで途中何回も色々な地に飛行機が止まって、その度に食事が出て、途中から余り食べられなかったとも言ったし、こんな物が出た、あんな物が出た、とも色々教えて貰った。自分が食べたことが無いようなものばかりで、余りよく理解できなかったが、1回は食べてみたいと思った事だけは強い印象に残っている。又一遍海外に行ってみたいとも思った。

当時は小学生の頃より少しお勉強が出来る様になっていたが、やっぱり校長先生の言うことは殆ど理解できずに、理解できたのは食べ物の話だけ。

最近は首相とか、大臣、各種議員、経済評論家とかの言っていることが、理解できない。一文一文は理解できるのだが、全体として何を言いたいのか理解できない。もう解りやすいように言ってくれとも思わない。自分はああ言う人達の話は、昔から理解が出来ない。もしかしたら自分はずれているのかも知れない、もう取り返し付かないけれどね。

友達にこんな話をしたら、或る友達が言っていた:

「福祉国家を実現する」と言う政党が有るが、福祉国家を実現する事に反対な国民は殆ど居ないと思う、それなのに、今までの政権政党が実現できなかったことが、何故、弱小万年野党が政権政党に成ったら、実現できるのかその理由が理解できない。

それを聞いた別の友人が言った:

「そう言うのを政治家の公約って言うんだよ」「二人とも分からん奴だなあ」

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