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2012年12月 7日 (金)

ソケイヘルニア顛末記

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                病院の前、退院日の黄葉



20121127()30()34日:ソケイヘルニア入院手術。

経緯:

相当前から、自覚はしていたのだけれど、時期はハッキリしない。最初は、運動した後や長距離座って移動したときなどに、お腹が突っ張る感じがした。下腹部が少し腫れているのは分かっていたが、それ程でもなくなることが多いので、考えもせずそのまま。

時々咳もしていたし、それなりに激しい運動もしていたので原因の1つになっていたかも知れない。その内この症状がソケイヘルニアと言うだろう事は分かったが、通常何でもないし、何か「脱腸」って今一格好良くないし、自然に直る事が無いのは知っていたが、生活に支障が無ければいいや、位に考えてそのままにしていた。

2012年の5月に胃潰瘍で入院して居たときに、4人部屋の隣のベッドに、ソケイヘルニア手術の為に入院して来た人が居た、70才位の感じだった。34日だった。カーテン越しに聞こえてくる話を聞いて、自分もした方が良いのかなあ、とは思ったが、その人が退院する頃には、自分の病気は精密検査の結果で胃癌手術が、決定的になっていたので、ヘルニアの手術どころではなかった。

胃癌手術(7)後、9キロ位痩せて、お腹の脂肪が減ってヘルニアには結果として良くなかった気もする。

年配の友人が居る。彼は肝臓癌で闘病中である、時々入院治療しているが、普段は自宅療養している。色々な病気で、お腹を何回も切った。お見舞いやその他雑談しているとき、ヘルニアが一番痛かった、と言っていた。緊急手術をしたとのこと。カントン(嵌頓)が起きたのだ。(カントン:ヘルニアが、急に硬くなったり、膨れた部分が押さえても引っ込まなくなることがあり、お腹が痛くなったり吐いたりする。急いで手術をしなければ、命にかかわる。場合によっては、はみ出した小腸を切り取って繋ぎ直すこともあるらしい。)

もっと年配になってから、カントンになって、旅行先で緊急手術というのは、想像しただけでもゾッとする。又交通事故やお腹に強い衝撃が有った時などにもカントンが起きることもあるらしい。それで胃癌手術後、第一回目の検査前にとうとうヘルニアの受診をする決意をした。

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T総合医療センター受診、胃癌手術の時に主治医だったK先生の計画診療を早めて貰って、診察して貰った。その日は胃術後の経過については特段の話しは無し。

ヘルニアの一般的な説明を受けてから、触診。自分は右側だけだと思っていたが、左側も少し弱っているとのこと。手術に関する説明有り、腹腔鏡手術が適して居るようだ。同意書の説明、期日は何時になるか不明、緊急性のある手術を優先して、一般的待機を徐々にスケジュール化して実施するとのこと。センターから電話が有るから待つようにと指示有り。診察室を出てから、血液検査、4本。X-ray4枚。入院のための説明が看護師の方から有り。会計を終了して帰宅。

又暫く、待機。胃癌手術の時のような、焦燥感はないが、余り気分が良くない。主治医の説明で年末と言うことはないだろうが、暫く掛かるとの事。12ヶ月は病院からの電話を待つことになった。

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T総合医療センターに電話。自分としては、内心無理だとは思っていたが、希望は10月一杯だったので、様子見に電話をしてみたと言うこと。電話を受けた方が各所に回送してくれて、それぞれで様子を聞いたが、主治医の先生とは診察中で話が出来ず。

毎週手術の予定会議があり、次週分が決定されるというのが分かっただけでも、由とするしか無い。受診日の検査は3ヶ月有効だと言うことで、暫くは無理そう。

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T総合医療センターから電話、1127()入院、28()手術の通知有り。手術日が決定して、気持ちは少し楽に成った。受診からちょうど二ヶ月後が入院日と成った。

1127()入院1日目:

1020   最寄り駅から歩いてT総合医療センターに到着、入院窓口の待ち札を取って近くのベンチで待つ。いつも思うが病院は病人だらけ。呼ばれて入院手続き。

1100   案内の人にその階まで同道してナースステイション前のデイルームで待つ。看護師の方が現れて病室まで一緒して、入室、とうとう本当に入院。

1130   当日担当の看護師がにこやかに現れて、今後の事を説明、予定、注意書きのパンフ入手。パジャマに着替え。

1200   昼食、まだ胃術後療養中で半分以上残した。

1300   家人が帰った。

1520   看護師の回診、血圧、体温など、異常なし。

1530   麻酔科に出向いて説明を受ける、M先生。28日に麻酔実施はS先生。

1616   病床から見える富士山の北側に日没開始、数日前だったらダイヤモンド富士。

1640   看護師スケジュールの説明、翌日手術前の下剤注入有りとの事、処置室案内説明、引き続き薬剤師が現れて薬剤の説明。

1730   看護師が臍の清掃、主にオリーブオイルと綿棒、タオルを使用、見たことは無いが腹腔鏡下の手術ではお腹がカエルのように膨らんで、出臍のようになるらしい。二酸化炭素を使う。

1820   夕食、1/3ぐらい食べた。

1840   麻酔のS先生が来訪し、28日の麻酔実施の説明挨拶。

1920   胃癌手術の時のI医師、H医師、もう一名の医師が挨拶激励に来訪、実際の執刀医ではない。両手の甲にマジックでマーク、誤解の無いように、事前に手の甲にマークして患者誤認を防ぎ確実性を高めるとのこと。病院によっては足の裏にマークするところも有るらしい。

2000   Y看護師の回診、血圧測定、検温、異常なし。

2100   Y看護師より下剤三錠受領、直ぐ飲んだ。

2200   給湯室から温かいお茶を貰ってきて少し飲んでから、就寝、二時間ぐらいで眠った。

1128()入院2日目、手術日:

0600   起床

0610   看護師来訪、アルジネートウォター125ml x 2本が朝食の代わり?全部飲まなくても良いとの事だったが、簡単に飲めた。

0620   看護師と一緒に処置室に移動し浣腸、出来るだけ我慢してからと言うことだったが、1分位で直ぐトイレ。

0640   洗顔、暫くしたら、又トイレへ行きたくなって下痢、これで何となく出切った感じになって一安心、手術台に載って、麻酔の前に便意って、語りぐさに成りそうだし。

0720   看護師来訪、手術着とエコノミー症候群防止用の白い靴下の配布。

0820   手術着に着替えて、靴下を履いているところに、家人見舞い来訪。

0845   やや明るい顔で看護師来訪、3人で10階から3階の手術階へ移動、途中のエレベーターもやや混雑。手術室と待合室への分かれ道で家人と別れて、看護師と準備室() 方面へ移動。60人ぐらいの看護師さんが使い捨ての帽子を被って、そのフロアーに沢山居た、少し驚いた。自分も帽子を被って本人確認と手術グループと顔合わせしながら、右腕のIDのバーコードも確認、PCで確認もして、実際の第6手術室へ移動。今回で2回目、例のテレビで見る手術室の主役() として入室。
ベッドに寝る、点滴、血圧計、心電計などを執刀グループから説明されながら装着、酸素マスクを付けられる。キョロキョロしながら見ていたが、間もなく寝入ったのを気付かず、勿論前回も同じで、左肩を揺すられて、「物部さん、終わりましたよ、物部さん、起きてください、無事終わりましたよ」で目が覚めた。
事前の説明では、2時間半ぐらいの予定だったが、実際の終了は1245分頃で1時間半程度延びた。手術時間約4時間。その間家人は待合室で、終了予定時間が、23回変更になり、それなりに心配したらしい。

1300   リカバリールームへストレッチャーで移動、ここは10階病室のナースルームの後ろにある。観察室とも呼んでいるところ。4人で「一二のハイ」ぐらいの感じで、そこのベッドに移して貰った。ちょっとして家人が来た。
看護師さんが、打てる範囲で寝返りもしてください、これが自動血圧計、心電計も付いています。尿管も付いていますので、気をつけて寝返りを打ってください。目眩はしませんか、吐き気はしませんかなど、何種類か定型的な質問が有ったが、まあまあ普通の状態で有った。
暫くして家人が帰って、ベッド上でボンヤリしながら休む。前回のようには痛くはなかった、慣れたせいかも知れないけれど。夕方になって、予定通りもう一名の方が、同室に運ばれてきた。なんの手術かは不明だが、話しぶりから過去に手術は受けたことがあるらしい。T総合医療センターが、前の所より良い様な話しぶりで有った。夜中も特段の事は発生せずに、ウツラウツラしながら夜が明けた。

1129()入院3日目、術後1日目:

昨夜から1時間毎位に、看護師が来訪し状況を見ていった様だ、何となく余り眠れず分かった。何種類かの計測器のデータもナースステイションで監視しているだろう。左からは尿管、右からは計測器のリードが有るし、お腹も痛いし、1時間毎に血圧計の圧力も掛かるし、余りよくは眠られなかったが、安心感は有った。

0600   病床からほぼ満月の白っぽい月が西の山にゆっくり落ちてゆくのが見えた。

0800   朝食、未だ各種リードが繫がっているが、普通食、大部分を残した。

0830   看護師来訪し、3日分の薬をくれた。抗生物質と鎮痛剤の二種、各1個その場で飲んだ。

0920   看護師と自分で熱いタオルで体を拭きながら、血圧計、心電計を取り外し、息をゆっくり吐いてと言われて、尿管を何とも言えないゾクッとする感覚で抜かれた。普通のパジャマに着替え。

0930   執刀医以下6名のチームが回診、傷を見て「傷口が綺麗ですね」でお終い。

0935   家人来訪。

0940   観察室から自分の病室へ自力で歩いて移動。

1040   家人が所用有り帰った。一人で霞む富士山を眺める、看護師さんに因れば、朝はクッキリ見えたらしい。

1200   昼食、うどん。今までもお腹の調子を崩しやすかったので、ゆっくり噛んで空腹を感じていたので、半分ぐらい食べた。

1300   上半身全体が揺れる感じで動悸がして、お腹の調子も今一で結局下痢をした。

1310   看護師回診、体温360℃、血圧11066、脈拍100を突破していた。

1410   事務の方来訪、費用概算書とアンケート調査票の配布有り。

1500   歯磨き、髭そり、ちょっとサッパリした。

1610   看護師より退院後の注意書き配布、若干の説明。

1630   医師の回診、傷口の絆創膏を剥がしてくれた。退院後の注意事項に付いて若干の説明有り。

1800   夕食、半分以上残した。

2000   S看護師回診、酸素97%、血圧11676、脈拍85、体温366℃、お腹の聴診器OK、傷口のテープは自分で剥がさないで自然に剥がれるのを待つ事。

2200   読書を止めて寝たが、余り熟睡出来ず、看護師が懐中電灯を持って各ベッドを1時間毎ぐらいに見回っていた。

2330   喉の渇きを覚えて、給湯室へお茶を貰いに行った。デイルームにも廊下にも人は居ない、ナースステイションも静か、束の間の平和の病棟。

1130()入院四日目、退院日:

0600   起床、昨夜から眠れず、カーテンを静かに開けたら富士山がボンヤリ見えた。

0630   看護師の回診。体温364℃、血圧10668ここまではいつも通り、脈拍86良くない方でいつも通り。お腹聴診OK

0730   執刀医のグループの先生が一人で回診「お変わり有りませんか」「ハイ」「予定通り今日退院です」でお終い。

0735   朝食、アジの干物など。生臭い物は、最近余り食べたくない。半分以上残した。

0830   看護師回診、異常なし。

0920   家人来訪。

0930   入院費の明細が届いた、家人が支払って、ナースステイションに報告して退院準備終了、その間着替えをしていた。年の割には若そうな、と言うよりこの何十年も同じ服装で進歩がない。

1000   退院、来たときのように歩いて最寄り駅までダラダラ歩いて行った。前の手術の時は暑い中、途中休んだが今回は、ゆっくりだが休まず駅に到着。

或る程度安定するまで1ヶ月位掛かるらしい。それまで重い物を持つなと言われているし、自転車は禁止、行動力が鈍る。入院中から処方された消炎剤と鎮痛剤が退院して直ぐ終了。

見てくれでは特別の違和感はないが、メッシュを入れた辺りが未だペチャペチャしていて、小さい水腫も有る様だ。特に右側の下腹部には、外見上は何ともないが、感じとして、直径56センチのレンズ様のグリグリが有る。ヘルニア嚢の残りと言うことは無いだろうけれど、とても気になる、強くも押せないし。時間と共に改善される事を期待する。下腹部に軽い痛み、特に咳き込んだり起き上がったりする時に感ずる。これも徐々に改善する事を期待する。右側下腹部に軽い皮下内出血あり。狭い範囲、徐々に改善しつつあるように思う。これらは全て術前に説明を受けた範囲内であるように思われる。散歩する以外は、自宅療養している日常生活に特段の支障は感じない。

今年は色々な事が有った。自分には関係ないと思っていた事が次々に起きた。結構疲れた。でも一時の重い気分に比べたら少しは楽になった。後は生活の算段。

ボチボチやるさ。

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コメント

お疲れ様です。
報告記がリアルなので、自分が入院手術した錯覚にトリップしました。
普段は病気なんて他人事ですけど
いざ自分となると往生際が悪くあたふたしてしまいますね。(みんな同じだなあ、、)
これからの事ですが
「なるようになるしかない」そう言う事なんだ
まあ、くたばるには早すぎるし、その辺の婆でもからかって遊びましょうよ

投稿: チョンプー | 2012年12月 7日 (金) 09時51分

チョンプーさん、有難う御座います。
殺気立っていた顔が、目尻下がりに成った気がします。
その辺の~:思わずPCの前で1人で笑ってしまいました。そうなんですよね。
今日は日中の暖かい時間に散歩しました。ここで地震、結構揺れました。

投稿: ハシビロコウ | 2012年12月 7日 (金) 17時24分

我家は私以外の3人がソケイヘルニアです。
子供達が生まれてしばらくは、腸が戻らなくなって何度か病院へ駆け込みました。痛いらしいですね。幸い成長と共に収まりました。
妻は手術を検討していたところ、民間療法を教えてもらって、ヘルニアが出ないよう物理的に数週間押えたら、今のところ半年以上再発してませんが、いつかは手術しなければ治らないと思ってます。
手術の詳しい様子が分かったので、妻に話してやります。

投稿: メンカーム | 2012年12月 8日 (土) 18時40分

ハシビロコウさんは、本当に詳しく書いて有り本当に感心します。
度々の手術で大変でしたね。私は肺炎と交通事故での2回入院しただけです。それも昔の事で現在は体の悪い所も無く健康に暮らしています。
ハシビロコウさんのブログを読まして貰うと健康なのが本当に幸福なのだと実感します。
健康に気を付けて人生を謳歌して下さい

投稿: ヒマ トック | 2012年12月 8日 (土) 20時23分

メンカームさん、こんばんは。
少しでも参考に成った方が、いらっしゃったと言うことで、大変嬉しいです。お子さんは、もう大丈夫と思いますが、奥さんが、再発しないことを切に望みます。万が一の時は、計画的に事を進めれば、宜しいかと思います。お大事になさって下さい。

投稿: ハシビロコウ | 2012年12月 8日 (土) 20時31分

ヒマトックさん、有難う御座います。大変励みになり嬉しいです。
何でも失ってから気付きやすいですが、有る内に有ることに感謝して生きたいと思っています。
世の中には沢山の、ご病気の方がおりますので、共感を持って接して、優しい心を忘れないようにしたいと思っております。

投稿: ハシビロコウ | 2012年12月 8日 (土) 20時41分

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