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2013年1月15日 (火)

小笠原旅行記(4)



4.岸壁の辺り




 おがさわら丸が、竹芝との往復で戻ってくると港の辺りは大いに賑わう。自分が降りた時には、そんなには感じなかったけれども、岸壁で遠巻きに見ていると船が居ないときと、入港したときの落差が凄いことが分かる。傍に居ればそれだけでウキウキした気分だ。乗降客もさることながら貨物が陸揚げされて少なくなっていたスーパーの棚が商品で一杯になるのを見るのは自分が買わなくても嬉しい気分だ。町に居て物流が見えないところで行われていると、有難みは少ないけれど、おがさわら丸に依存している島の物流はハッキリ見えて有難みを実感する。

生活の周期は仕事と休みとか学校と休みより、おがさわら丸の入港日を節目として動いている様に感じる。ものの往来、人の往来、生活のリズム。離島に行ってみないと感じられないある種の生活実感。

隔絶された地域と連絡する業務をしている人達は、きっとそれだけで他の仕事よりも充実感が有るのだろう。目には見えないけれど、物流の陰で支えている人達も、特に気を入れて仕事をしているように感じる。次々に便が有るところなら慣れてしまうと言うこともあるだろうけれど、便が少ない場合は、それを逃したら次までは長い。心待ちにしている人達の要望に応えたい、これこそ仕事の原点だよなあ。最後にやっていた俺の仕事、あれは何だったんだ。

宿の近くの二見港を始め、岸辺を見て歩くと魚が沢山いて水族館の様で見飽きない。大きなミノカサゴが海底近くをフワフワ泳いでいる。何カ所でも見ることが出来た。イトヒキアジ、カワハギの稚魚、底を泳ぐオジサン系の魚。水も海底も綺麗で全く見飽きない。そう言うところで生まれ育つと、横浜当たりの海岸線を見たらガッカリするだろうなあと思う。それでもそれはそれで直ぐ慣れて、特段気にしないで新しい生活に馴染んでゆくのだろう。

或る夕方岸壁の近くにいつもより人が多くいたので吸い寄せられて見に行った。数人の釣り人が居て、その何倍もの見物人が居た。何キロも有るシマアジが釣れている。一帯で56匹は揚がったようだ。自分が見ていたオジサンは人なつこそうに近づいてきて、軽トラックの荷台に載せてあった5キロぐらいの大きなシマアジを見せてくれた。時々回ってきて釣れるので、その時はこうして来るのだと、楽しそうに語っていた。見ているときに次の1匹が釣れた。それも可成りの大物だった。彼はもう今日は良いからと言って、軽トラックに乗って帰った。その時は向いた竿も無かったけれど、竿を準備しないで、もう暫くそこらを彷徨いて見ていた。それだけで十分楽しめた。その地独特の楽しみ。

後年自分も沖縄の離島の岸壁で大きなシマアジを釣った事がある。見物人は居なかった。

又ある時、そこら辺りを散歩していたら、飛行機の爆音らしきものが聞こえてきた。興味を引かれて良く見たら、救難飛行艇であった、旧海軍の飛行艇の写真を見たことが有るが、形は当然ながらかなり似ていた。二見港の東南側に上陸地点が有った気がする。海上に降りるので、滑走路は要らない。最後は陸上に上がる。

偶々近くに居た人と話す事が出来た。島の病院で駄目なときは、重病救急患者を東京に空輸するとのこと、どんな基準かは不明だったが、島に暮らす人達の安心感は大きそうだった。今はもっと進展していると思うが、当時は要請に基づいてその水陸両用の飛行艇が、岩国から1300キロ飛んできて、数分で患者を収容して東京に1000キロ飛んで、病院に引き渡して900キロぐらい飛んで岩国に戻るという話だった。こういう話を聞くと嬉しくなる。幸せを作る社会の費用、目の前のコスパなんて関係ない。

話してくれた人とは、成り行きで暫く、雑談をした。当日は非番であったが、自衛隊員のようだった。希望して父島に来たらしい。当時の自分よりかなり若かった。村の事が色々分かって、面白かった。1つ印象に残った話が合った。

或る少年が、半ばぐれていたのだが、彼が声を掛けて、何回か“説教”したら、立ち直って、今は明るく手伝いや勉強、部活など頑張っているらしい。その少年は、何をしても自由で、誰も干渉しなくて傍目には良いのだけれど、強い孤立感を抱いて居た。その青年から、真面目に怒られて、生まれて始めて、しっかり自分の話を聞いて貰って、嬉しかったとの事。ありがちな話だけれど、自分には沁みる話だった。大抵、人はそんな事には当たり触らず、無視とは言わないが、無関心で通り過ぎちゃうんだよな。会社でも学校でも、問題は直接関係なければ、無関心ということじゃ無かろうか。今の世の中、形だけで、親身じゃない奴が多い。

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コメント

今晩は
今日は意味深く奥のあるお話ですね。
話は遡りますが、竹芝桟橋から芝浦方面に向かい川を越えれば、港湾労働者が飯を食うバラック建ての食堂街があります。
戦後の名残みたいな感じで好きなエリヤです。
40年前ごろのことですけど数年おきなかしの職を経験しました。当時伊豆七島は東海海運っう船舶会社が独占してました。わたしも荷役で小笠原の物流に幾らか貢献しましたcancer

投稿: チョンプー | 2013年1月15日 (火) 19時32分

チョンプーさん、有難うございます。night今晩は。
「バラック建ての食堂街」その内昼飯食べに行きたいので、場所、何時かもう少し詳しく教えて下さい。loveletter
吉祥寺ハモニカ横丁とか、新宿西口大ガードの食堂街とか、自分の好みの地域です、最近少し洗練されすぎましたがcat
友達の爺が昔おきなかししていました。その頃他より倍以上の日当だったそうです。
伊豆七島方面に昔行ったとき、チョンプーさんと埠頭ですれ違ったかもsign02

投稿: ハシビロコウ | 2013年1月15日 (火) 20時40分

「貨物が陸揚げされて少なくなっていたスーパーの棚が商品で一杯になるのを見るのは自分が買わなくても嬉しい気分だ」 こんな表現 好いですね。

少しのお金と たっぷりの時間を 使って訪問したくなりました。ship

投稿: 朝太郎 | 2013年1月15日 (火) 21時00分

朝太郎さん、有難うございます、night今晩は。
物流もインターネットの便利さも陰で誰か努力しているのだけれど、結構目には見えないから、見えると急に嬉しい気がして。
もう余りチャンスは無いけれど、少しは社会貢献が出来れば、と。
このシリーズ、未だ続きますので宜しくお願いします。pig

投稿: ハシビロコウ | 2013年1月16日 (水) 00時22分

お早うございます。
おきなかしの漢字が分からなかったので追記です。沖仲士でした。
吉祥寺・新宿の昭和のエリヤ良いですよね。
たぶん芝浦のバラック食堂街は消え去っていると思われます。
(場所的には、日本塩回槽、前の川の対岸ですが)
昭和を訪ねるならば、化石の街である浅草でしょうね。吉原・山谷界隈も味がありますね。
って下町は、まだまだ良い風景が残っていますcancer

投稿: チョンプー | 2013年1月16日 (水) 08時50分

チョンプーさん、有難うございました。
今日は寒い中用足しにお出かでしょうか。shoe用事が足りると良いですね。自分も最近ちょっと用事が多くて、気分が良くないです。
去年の春先だったかなあ、浅草界隈を探見しました、場外車券場(?)辺りはかなり賑わっていました。谷中とか山谷とかふらつくの良いですが、最近行っていません。戸越の方も行ってないなあ。penguin

投稿: ハシビロコウ | 2013年1月16日 (水) 12時18分

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