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2013年3月27日 (水)

何やらゆかし

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今、道端にハナニラが咲いている。薄紫でスッキリしたよい花だ。今は区別が付いているが、昔は薄紫で、6弁であり、ハナニラ、オーニソガラム、タマスダレが全然区別が付いていなかった。それぞれ咲く時期が違うし、草も違うが、知らなかった頃は、「あ、咲いている」と思ったぐらいで、無頓着であった。

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ハナニラ、ヒガンバナ科、ハナニラ属、3月頃最初に咲く。次に咲くのがオーニソガラム、ユリ科でオーニソガラム属4~5月頃に房になって咲く。この品種にはベツレヘムの星って言うのが有り、直ぐ覚えた。昔仕事でベツレヘムの街をちょっと見ながら通った事が有る。次に咲くのがタマスダレ、ヒガンバナ科、タマスダレ属、710月の長い間咲いている。

レバニラ炒めのニラも秋に花が咲く、同じ様な花が頭頂に散開して咲く、これはヒガンバナ科、ネギ属。じゃ本当のネギは?ネギ科、ネギ属。結構紛らわしい。どちらも好きだ。

名前を知って、今度は咲いている場所が幾つか思い出されるようになった。その年に初めて見ると、何やらゆかし、と思うようになった。

山路来て何やらゆかしすみれ草                 芭蕉

蛇足:スミレ、スミレ科、スミレ属、24月開花

ついでにパンジーは寒い時期はずっと咲いている、三色すみれとも昔は言っていた気がする。冬の花壇に欠かせない花。

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2013年3月22日 (金)

風邪の馬鹿

昔、出張の朝、起きたら頭が痛くてボンヤリして、節々が痛くて、インフルエンザと直感して、参ったなあとは思ったが、インフルエンザの馬鹿とは思わなかった。出張のために少し無理をして疲れて居たので、電車内で移ったかも知れない、とは思ったが、インフルエンザの馬鹿とは思わなかったし、電車の馬鹿とも思わなかった。不注意だったなあと思っただけである。

この時は、チョコチョコ仕事して、何カ国か移っていって、最終国は距離が有ったので、嫌だなあ、とは思った。

ちょっと前に賑やかしのためにテレビを付けていたら、風邪の馬鹿、と言う言葉が聞こえてきて感心した。翌日に大事なプレゼンとか出張とかが予定されていて、そんな自分を陥れる風邪は馬鹿って言う乗りである。中々面白い。世の中色々な考え方が有る物だ。沢山の人から支持されている風だから、今様なのだろう。

でも何となく自分の責任を他人の所為にして責任逃れをしているようにも思える。その内、メルトダウンした福島第1原子力発電所の関係者が、地震の馬鹿、津波の馬鹿という報告書を出すんじゃ無かろうなあ。

命がけの現場で働いている皆様、本当にご苦労様です。

蛇足ながら、そんな話を、友達の越後屋にしたら、以下の事を言っていた:

監督官庁とマスコミの方々は、文字通り安全地帯で、ヤジ飛ばしてばかりいないで、現場に張り付いて、国民の為にしっかり働いた方が宜しい。

本件に関わる人達は、自分が担当の時に、これ以上の問題が起きないで過ぎちゃえば良いと思っているだけで、40年以上掛かる廃炉、最終処理何かに重大な責任を感じて、仕事している奴は居ない。

想定外だろうと何だろうと、対処すべき立場の人は、今こそ、国民の為に、命をかけて国民の為に働くと言うのが本義だろう。

ちょっと風変わりだが、越後屋らしいお話しでした。

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2013年3月18日 (月)

自分は幸せだったかも知れない





何せ、相当昔聞いた話なので枝葉についてはハッキリしないが、落語か何かに出てくる話です。

大きな商家が家業隆盛で大きな新しいお店兼住居を建てた。同業者や取引先を招待して盛大な宴会を催した。その中に予てより昵懇の何かの先生も居た。主人が挨拶をしてから先生に、この目出度い席に子孫代々伝えたいのでお目出度いことを1つ書いてくれと頼んだ。

先生は、暫し考えていたが、すらすらと色紙に或る事を書いた。

『爺が死に、その倅が死に、又その倅が死んで行く』みたいなことを書いた。

主人は、不吉な物を感じて、先生に「縁起でもない、もっと良いことを書いてください」と言うことになった、まあ普通で行けば当然でしょう。

その時先生は、悠揚迫らず話をした。

「人間誰でもいずれは死ぬものだ。爺さんが家業を盛んにして、息子達に看取られて死ぬ。その家業を引き継いだ息子達も精進して、一族、家業益々隆盛して、年老いて死ぬ、これが子々孫々引き継がれてゆく」

自分は昔、出張が多い時季が有った。不便な所だったし、今と違って、連絡も簡単でないところが多かった。多いときは年間150180日位出張していた。

それでも、然るべき尊属の葬儀には全て参列できた。ギリギリ忙しいときも有ったけれど、国内にいれば、知らせが有って、電車か飛行機で郷里に帰り葬儀に参列できた。考えてみれば、今の世の中、自分は幸せだったのかも知れない。

戦時中でなくても、自分の親の葬儀にも参加できない人々が沢山居るって異常なことのような気がする。生病老死、傍に居るのが家族だろう。

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2013年3月14日 (木)

電車の人身事故

電車に乗っていると、時々遅れる。大きく遅れるときは、人身事故が多い。気の毒なことだ。乗っている人達は、電車が遅れて、困るだろうが、どんなに遅れても大抵は4050分程度で復旧する。人生に取ってどうでも良い時間だ。俺は急いで居るんだ、早く何とかしてくれと駅員に詰め寄る人も居るが、それりゃ事情が有るだろうけれど、そこにいる駅員は如何ともし難い。そんな事は分かっていて文句を言うのは、何でかなあ、と思ってしまうが。

自分も昔は、色々乗り継ぎとか、重要な用件とかあって、困ったときは何度もあったが、それはある種運命の様な物で、どうしようもない。出張で早朝家を出たが、人身事故でいつもの電車運行停止。色々手を尽くし、何とか間に合う成田エクスプレスに乗った事もあった。

それより何より、人身事故の当事者は、どう言う理由でかは不明だが、それ以降の人生は大変だ。そこで亡くなってしまう人も多いに違いない。自殺だってあるかも知れない。それを救えなかった事は残念な事だ。或る事がキッカケで突っ走ると言う事もあるだろうが、大抵の事は兆候という物が有る物だ、自然事故なら、ハインリッヒの法則じゃないが、ある時点で何とか成る事も有るはずだ。もう少し犠牲者を少なくしたいものだ。

最近携帯、スマホ?を見ながら、ホームの端を歩く人が多すぎる気がする、危ないですよ、と声も掛けにくいが、あんな行動を取るのは何故なのか未だによく分からない。危険に対する感覚が退化しているのだろうか。命がけで、見るほどの事じゃないでしょう。

それから事故が終わって復旧するときに、自分個人の我が儘だけれども、事故者に対する思い遣りを表しながら、分かったらこう言う感じで事故に成りました、皆様ご注意を、みたいにして貰えれば、その後の事故が少しは減るような気がする。

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2013年3月10日 (日)

デジカメ故障

数年前に二代目のデジカメが故障した。

散歩の時やちょっとした旅で持ち歩くから、直ぐ故障には気が付いた。故障の内容は、明るい所を撮ると露出過剰になって、全体がとっても白けて写真の体を為さない。暗い所と言うより明るくないところは普通に撮れた。もっと分かりやすく言えば、景色に空が全く入らなければ、撮れることが多かった。急速に症状が確定して、直ぐに解った。

もう保証期間が過ぎて居たので、見積もりは頼まなかった。

その故障以外は、全く問題が無い。ズームもその他機能も全く問題が無い、バッテリーも普通に再充電できる、メディアも2個有った。只、明るい方の写真が撮れない。

ある種の認知不全だけである。だがこれが問題だ。

我々も何処も悪くない。或る程度普通に生活が出来る。でもある種の認知が出来なくなる。諦めが付かない。

目の前にいる親族が、何処も悪くないのに、ある種の認知がおかしい。諦めが付かない。

デジカメなら修理に要する費用は確定するのに又費用がかかるが、修理は出来る。新しい機種も機能は従来品より格段に優れているが、価格は格段に下がっている。それで二代目は諦めて、ちょっと探して三代目を買った。

目の前にいる親族の症状は進行して行く、諦めは付かないが、それが中々受け入れられない。付き合って最大限の事をするしかないのだが。

自分に起きても同じだ。時間が必要だ。我々は物じゃない。心の生き物だ。

諦めるしか無いのよ、認めるしかないのよ、って簡単に言う奴と友達には成れない。

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2013年3月 5日 (火)

海苔弁当の食べ方

善し悪しは別として、世の中の人を色々な区分で分ける方法が有るが、海苔弁当も1つの手法になると思う。

海苔弁当と言って、大体の値段、ご飯の量、おかずの中身を知っている人と知らない人。

知っている人となら、余り前提無しに或る程度の会話が成立する気がするが、『どんな海苔が使ってあるのだろう』ぐらいの認識の人とは、結構話が噛み合わない気がする。

貧乏人と金持ちと言うわけでもないが、のり弁愛好者の頃は、マルキン、マルビ、と言う言葉が流行っていた。勿論自分はマルビの方。今だったら庶民とセレブでも良いかもしれない。

勿論自分は未だにマルビで、多分マルキンに成り上がる若しくは成り下がる事はもう無いけれど、のり弁を食べる機会はとっても少ない。量が多くて食べきれない。病気の所為も有るけれど、老化現象。そりゃ、無理すれば食べられるが、無理する理由がない。当時は、のり弁プラスカップラーメンが軽く行けたのだ。ついでに言えば、ラーメン、チャーハン、餃子セットが行けたのだ、オマケで言えば、鍋焼きウドンに玉丼だって行けたのだ。

先日その海苔弁当を買ってきて昼食にした。半分食べて、半分は夜食べた。昔と変わらない外見と味。人間は皆見てくれが変わって味は不明だが、老いる。心の良い奴はもっと良くなって、悪い奴はもっと悪くなって、何かの都合で、性格が変わった奴とか色々居るだろうけれど、それより心の老化した奴は、そろそろ最期の準備をした方がよい。

のり弁は世に出てから、初心貫徹、今以て全く変わらない。値段も殆ど変わらない。

海苔弁当の内容(ご存知無い方のために):

ご飯の上にオカカ醤油まぶし、昆布の佃煮があり、ご飯の全面に浅草海苔が載っている、その上に白身魚の紡錘形のフライ、ちくわテンプラ、きんぴらゴボウと、タクアン。


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その製造元によって若干の差異は有るが、自分が贔屓にしている弁当屋さんの物。

ついでに言えば、白身魚のフライ、と言うのも色々考えさせる物が有って、海のホキが主流のようだが、タラ、スケソウダラ、メルルーサ、スズキ、オヒョウ等も有るようだ。中にはナイルパーチも有るらしい、これは巨大な淡水スズキの仲間。映画、ダーウィンの悪夢』で話題になった魚でもある、映画の真偽は兎も角。

のり弁は、安かったけれど、持ち帰り弁当は、当時の自分に取って、画期的な食べ物だった。ご飯もおかずも温かい物が家で(正確には狭い北西向きのアパートで)ゆっくり食べられた。汁は、1個約10円の即席みそ汁、買い置きの乾燥ワカメをよく入れていた。

あの頃の夢は何だったか忘れちゃったけれど、振り返れば光陰は誠に矢の如く過ぎ去り、茫々とした年月だけが、あの頃ののり弁と今ののり弁の間に横たわっている。


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2013年3月 1日 (金)

実生の木









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近くの野川を良く散歩する。土手は両側共に良く整備されて、大勢の方が散歩に利用している。橋も昔の道路が有った辺りには架かっているので、不便を感じない程度には有る。車も通れる二枚橋の近くに大きな桑の木が有った。よく季節になれば桑の実を拾いに行っていた。実が大きく、量も多く毎年生っていたので梅雨の初め、初夏の楽しみであったが、数年前に伐採されてしまった。限度を超えて大きくなってしまった、と言うことだろうと思う。個人的には適当に剪定して、残して欲しかったのだが。毎年実を拾う人が居て、そこで少しの間ではあったが、見知らぬ人と話をしたものだった。ジャムの作り方やら、幼い頃頃の思い出話、近くの別の桑の木の話など、残念な事をした。


ここ数年、土手の実生の木が、大きくなってきていた。もうかなり邪魔なのだけれどなあ、と自分では思っていた。家庭の庭なら、不要な木が生えてきたら、直ぐ処分して、直径が10センチや20センチにも成ることは無いし、株から広がって数メートルも広くなることもない。中には細いけれど10メートルぐらいに成って、それが10本位並んで生えている所も有った。


先日いつものように野川の綠道を散歩していたら、ビニールで記し付けられて、伐採すると注意書きが吊してあった。春の芽が吹き始める前に切ってスッキリするのだろう。毎年業者の人達が入って草刈りをしているのだから、発注するときに、担当の方が現場を見て、実生の木を切るように指示しておけば、簡単な事で、費用も安いだろうに、何か痒いところに手が届かない。お役所仕事だからと言う時代ではない。

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