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2013年3月18日 (月)

自分は幸せだったかも知れない





何せ、相当昔聞いた話なので枝葉についてはハッキリしないが、落語か何かに出てくる話です。

大きな商家が家業隆盛で大きな新しいお店兼住居を建てた。同業者や取引先を招待して盛大な宴会を催した。その中に予てより昵懇の何かの先生も居た。主人が挨拶をしてから先生に、この目出度い席に子孫代々伝えたいのでお目出度いことを1つ書いてくれと頼んだ。

先生は、暫し考えていたが、すらすらと色紙に或る事を書いた。

『爺が死に、その倅が死に、又その倅が死んで行く』みたいなことを書いた。

主人は、不吉な物を感じて、先生に「縁起でもない、もっと良いことを書いてください」と言うことになった、まあ普通で行けば当然でしょう。

その時先生は、悠揚迫らず話をした。

「人間誰でもいずれは死ぬものだ。爺さんが家業を盛んにして、息子達に看取られて死ぬ。その家業を引き継いだ息子達も精進して、一族、家業益々隆盛して、年老いて死ぬ、これが子々孫々引き継がれてゆく」

自分は昔、出張が多い時季が有った。不便な所だったし、今と違って、連絡も簡単でないところが多かった。多いときは年間150180日位出張していた。

それでも、然るべき尊属の葬儀には全て参列できた。ギリギリ忙しいときも有ったけれど、国内にいれば、知らせが有って、電車か飛行機で郷里に帰り葬儀に参列できた。考えてみれば、今の世の中、自分は幸せだったのかも知れない。

戦時中でなくても、自分の親の葬儀にも参加できない人々が沢山居るって異常なことのような気がする。生病老死、傍に居るのが家族だろう。

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コメント

日本人はよく「縁起でもない」って言いますね。
私もどちらかというと、その先生と同じく死と隣り合わせに生きるべきだと考えているクチです。
礎っていうんですかね、後進にバトンタッチするためだけの人生です。子子孫孫、徐々に進化すればそれでいいのではないかと。

中華系の人なんかは、積み重ねの理論を実践してます。家訓なんかがあって、その積み上げたモノを失わないようにして次世代に繋げるようにモガいてるように感じます。
考えようによっては、これって自分の家族の事だけ考えての行動ですよね。
どちらかというと、日本人はタイ人ほどでもないにしろ、宵越しの金は持たねえ的な人生観ですかね。それとも、もっと大きな集合体としての、同胞的な進歩繁栄を想定してるんでしょうかね、わかりませんが。

投稿: muga | 2013年3月18日 (月) 16時35分

葬式 私は日本では葬式付き合い悪かった
嫁が生きてる時は嫁 任せ
タイに来て 日本で味わったことない位
行ってます 葬式は呼ばれなくても行ける
結婚式は呼ばれないと行けない
日本に居る時は 寂しい家族葬だろうなーーーーと思っていました 
今タイでは 私の葬式 最低500名は来る
集落でお金持ちでなくても 500名くらいは来るから 葬式は少し大勢来てくれたほうが 嬉しい

投稿: カメザコ | 2013年3月18日 (月) 17時08分

このごろ
死ぬ事を意識するように、なりましたけど。
そんなに深くは考えておりません。
病気をして、今までよりも身近に感じるようになっただけです。
肉親親族の最後に立ち会えないのは、不幸な事だと思います。
そう言う。わたしも親の死に目には会えましたけど大事な親戚には立ち会えませんでした。
若気の至りっても何だか釈然としません。
今頃、後悔しても遅いですね

投稿: チョンプー | 2013年3月18日 (月) 19時51分

私は死んだら、地獄に落ちると言われています
タイでは、蟻や蛇やヤモリなどを殺し、タイ人は要らぬ殺生をしない物ですが、私は殺してしまいます。
又長兄の葬式も、タイに滞在して出席出来ず
タイでの葬式に出席するのも、暑いのと知った人も居無いので行かず。
そんな私でも何も言わずに、彼女は許してくれます。諦めているのでしょうか。

投稿: ヒマ トック | 2013年3月18日 (月) 20時00分

mugaさん、こんばんは
今日は日本中(多分)南風が強くて大荒れとのことでした。
人生至る所に青山有り、ですが、中々その心境には達しません。
mugaさんが別の所で仰っている様に「人生は苦である→思った様にはならない」とは思いつつも、中々現状は肯定できないのですが、その中に、良いことも有るでしょうって事で。
現下は核家族化して親しい身内の老病死を見る機会も少ないし、少子化して、自覚した生も見る機会が少なくなりました。
中国系の人で、儲けの半分は自分に使って、半分は事業に再投資って人に会ったことが有ります、ポルシェ二台持ってました
又若い時にインド系の人で、40才代で家督を倅の20代に渡した人にも有ったことが有ります、20代の方が自分の知り合い

投稿: ハシビロコウ | 2013年3月18日 (月) 22時03分

カメザコさん、こんばんは
機知に富んだお話しが多く、又色々勉強させて貰っております
最後の主役はもっとずっとずっと先でしょうが、501番目の出席者でお伺いしたいと思っています
その前に自分の番が回ってきそうですが
自分も昔はなるべく、忙しい振りして、冠婚葬祭は避けていましたが、今は、それなりに遣ろうと思っています
特に人生最期の儀式は

投稿: ハシビロコウ | 2013年3月18日 (月) 22時12分

チョンプーさん、こんばんは
高校生の頃、流行で太宰治を読んでいました
自分が生まれる前に、38才で自殺していましたが、自分がそんな年になることは当時、想像もしていませんでした、実際はたちまち成っちゃいました
30台の頃だったか、彼が自殺した玉川上水のむらさき橋のちょっと上流へ行ってみたことが有りますが、当時は水がチョロチョロでした
それから芭蕉翁って、死んだの数えの52、今の自分よりずっと若い
過ぎた事は、忘れられないけれど、過ぎた事だ、と思う様にしています

投稿: ハシビロコウ | 2013年3月18日 (月) 22時28分

ヒマトックさん、こんばんは
日中は強い南風でしたが今は雨になっています
善人なおもちて往生す、いわんや悪人おや、だそうです
お兄様の葬儀に参列出来なかったのは残念でした
最近家や周りに虫も小動物も居ませんが、良く魚釣りしていたので、かなり積極的に殺生していた気がします
日本には偉い宗教者が沢山居ると思いますが、親鸞上人は他力によって、初めて仏の力の及ぶ所に成ると言っているそうです
今度の訪タイでタンブンすれば、その心に適うのかも
「彼女」は寛大な心で許して待っているのだと思います

投稿: ハシビロコウ | 2013年3月18日 (月) 22時43分

再訪雑談、失礼します。
実は私もポルシャやフェラーリくらいは買える資産を有していました。でも買ってしまえば、それは単なる消費。
お金を生まない消費(贅沢)は持ち金の10分の一ですることだそうで、一千万ドブに捨てるならば、1億の自由資金を持ってなければするべきでないそうです。
目下の目標、一億は目に見えてました。もし到達してたとしても生活レベルは上げられません。次の目標が3億になるからです。3億行けば5億が見えます。
贅沢はそれからでも遅くはないと考えてました。いや、それに至る過程こそが大切で、果実は自分で取るもんじゃない、くらいに考えてました。
そういうことで、自分自身は貧民的な生活を心掛けてました。心ある従業員への報酬と子供の育児費と家族サービスはケチっていません。
そうした矢先、寝首を掻かれたのです。

実際、購入した不動産は全て嫁名義でして、信用の総てを見せるつもりで託したのです。
これで、私はスッカラカンですよと、老後はお願いしますね、という話もしました。
子供のために、土台作りは我々でしましょうと、常々話していたのです。
その結果が、これですよ。

悪人が往生するなんて天が許しても、私が許しません(笑)

ハシビロコウさんは親鸞上人を信奉なされてるのですか? 彼は欲望に忠実に生きた秀才だと聞いてます。彼の師匠である法然さんが中国語の文献から引いてきた他力関係のお経は、実はキリスト教の訳だという話を聞きました。
言ってる内容がキリスト教と同じだから信憑性があります。内容はブッダの思想と全くの逆で、完全に宗教の枠の中です。
大乗の仏様のなかには、摩利支天のようにギリシャやユダヤの神様から流用したものも多数紛れ込んでますし、北伝仏教は、悟りへ至る道を説くのでなく、願い、すがる宗教へと変貌したようです。
ヒマトックさんくらいだと悪人の内に入らないことは明確ですからご心配なく(笑)

投稿: ムガ | 2013年3月19日 (火) 01時31分

mugaさん、お早うございます
再訪有難うございます、雑談歓迎です。
金持ちっぽくなったことは残念ながら有りません。ちょっと金持ちになれるかなあ、と思った瞬間はありましたが・・何とか露命を繋いでいる状態です(泣)、富貴は天にあり、と思って諦める様にしています、でもジャンボ系の宝籤は買っています(笑)
ストイックに生活して、信頼していたのに、何が起きたのでしょうか?自分には想像も付きません。改善が起きることを祈念して居ります。
自分にも悪魔のささやきが、聞こえるときが有った気がしますが、聞いてしまうと後戻りが出来なくなるので、フニャフニャして通り過ぎた気がします。
特段、親鸞聖人に帰依していると言うことは有りません。実家は禅宗系です。今の住処の直ぐ近くには、弘法大師が立っていて、よく寄ります。日本には良くもこんなに、と思うほど、凄い宗教人が輩出していると思います。多分、民衆側に寄り添った方が多かったのでしょう。
ついでに言えば、論語は数十年来の読者です。
勿論、ヒマトックさんを悪人と思ったことは有りません(笑)

投稿: ハシビロコウ | 2013年3月19日 (火) 08時54分

私がタイへ転居した時は、弟が結婚し、その子供がお腹へ居て、何も心配してなかったのですが、
生まれた子供が病気で亡くなってしまい、ショックだったのか、どうも次は作らないようです。
私の両親は跡継ぎが日本へ居ないと文句を言ってますが、私も今更日本へ帰れません。(困)
国が変わっても、代々続いて行くから良いじゃないと言っているところです。

投稿: メンカーム | 2013年3月19日 (火) 16時58分

雑談2
そうですか、 禅宗ならば我が家と同じです。
母親の実家は真言宗で、坊さんやってます。

>凄い宗教人が輩出していると<
これは、たぶん弟子筋が祭り上げただけだと思います。どこの国にも似たような有名な坊さんがいます。
私が思うに、商売なんです。
先生ビジネスってのがあるんですが、生徒が「うちの先生はエライ」と云わなければ信者獲得が困難です。だから一般大衆の耳に優しいような教えを盛り込んで、布教しやすいようにします。難しい話はNGだし、だいいち金になりません。だから「民衆側に寄り添う」なんていう理屈は大乗系の宣伝文句じゃなかろうかと。
じっさい、タイの仏教と日本の仏教を比べて観ればわかりますが、どちらの方がお金が安く済むか?どちらの方がタダメシ食わせてもらえるか? どちらが民衆に寄り添ってるのか一目瞭然ですね。
タイのお寺は寝るのもタダです。
日本のお寺に「しばらく泊まらせてください」なんて言うと、「うちはそんなサービスはやってません」じゃないですか?(笑)

漢文でチンプンカンプンの時代に、勝手な解釈で宗派をお越し、金銭がらみの実勢を形成したのが日本仏教史じゃないでしょうか。
今現在の方が、玄奘三蔵に頼らなくても古代パーリ語直訳で学べますもんね。
以上、だからなんだって話でスミマセン(朝太郎さん風)
儒教についてはまたいつか(^^)/

投稿: ムガ | 2013年3月19日 (火) 17時26分

メンカームさん、こんばんは。
弟さんのお子さん、残念でしたね。お年寄りの葬儀は、平常心ですが、若い人、幼年は、辛いですね。
高校の時、同級生が二人亡くなり葬儀に参列しました。
兄弟が沢山居て従兄弟が沢山居れば、親族会議をして、甥御さんか姪御さんが相続って事もありますが、今は、そうも行かない事が、多いようです。

投稿: ハシビロコウ | 2013年3月19日 (火) 20時58分

ムガさん、こんばんは
関東は今日、観測開始以来最も暑かったと言うことで25~28℃でした、この分だと、近いうちに東京でバナナが取れそうです
色々知識豊富ですね、ちょっと人間不信の様な視点も感ぜられますが。
昔は限られた宗派以外は僧侶は妻帯しなかった様です。自分が見た本では、衆生全般を救うべき僧侶が妻帯すると、どうしても身内、特に自分の子供を優先するので、差別を発生させないようにとの配慮って。
藤原氏が隆盛だった頃は、天台座主は、太政大臣の弟だったりしているようです。
まあ当時はそんなに政教分離していた訳でもないし。
タイのお寺で、一週間ぐらい修行(?)、座禅の真似、をして見たいのですが・・・タンブンに行くと、断然女性と言うよりオバアサンが多い気がします。オジイサンは何処にいるのでしょうかねえ。田圃に行って、夜はメコン飲んでいる?
論語の話も楽しみに待っています

投稿: ハシビロコウ | 2013年3月19日 (火) 21時21分

ハシビロコウさん、どうも相手していただき感謝します。この手の話はだれも敬遠するんですよね。私は真実が知りたいだけのヤツなんですけど。

「当時はそんなに政教分離していた訳でもない」←そういうことですね。政治の道具ですか

タイのお寺で修行ですか? 
私も数日参加しました。座禅ってほどでもないですが、サティ―という瞑想法を習ってきました。とりあえずアルボムッレ・スマナサーラ長老の御著書に瞑想法の手ほどきがありますので、それを読まれてもイイと思います。
サティ―とは即ち「気付き」のことです。
ヴィッパサナー瞑想の一種だそうです。
名前は言えませんが、私が師事したチャイヤプームの日本人僧侶ですが、哀しいことに偽物の金の亡者であることが判明しました。
なんでそうなるの?  
でも、そのお寺は昔ながらの超ド田舎にある瞑想寺です。廻りには何にもない森の中。村にはコンビニすらない(笑)
もし行かれるならば案内することは可能です。
私が住んでる徒歩圏内にもワット・ウモーンという瞑想寺があります。
こちらはチェンマイとあって観光ナイズされてるので、なかなか足が向きません。
西洋人の僧侶も多数見かけます。

ところで、私が人間不信に見えますか?
たぶんそうかもしれません。タイでだまされた数は片手では足りないくらいです。
それ以外にも、新興宗教にも騙された経験があります。親戚の僧侶は霊能者ですが、こちらも怪しくウサンクサイ。
東京でも、仕事場で数多く騙されました。
人の善意を逆手にとって利用するヤツラばかりです。それが人間のレベルだと思います。
爽やかなのは一握りだけ。
どうも雑談ありがとうございました。

投稿: | 2013年3月19日 (火) 23時03分

名前書き忘れました。
儒教についての記事もリクエストしま~す。

投稿: ムガ | 2013年3月19日 (火) 23時37分

ムガさん、お早うございます
お名前有りませんでしたが、内容から解りました、断りを入れてくれる所はA型的で、自分と似ているかなあ、と。
修行希望ですが、諸般の特にの関係で未だ暫くは、具体化しそうではありません。修行って、自己に厳しくとか、存在意義とか、心の静謐とか求めそうですが、自分は多分、その反対方向かなあ、何て思っています。計画的に遣らず、その場限りでってなものです。まあよく言えば、適度にと言うことにしましょう。
自分もかなり騙されたかも知れませんが、それにも気付いて居ないかも。
ムガさんの騙され話、聞きたいような、恐いような、特に新興宗教の話にはちょっと興味が有ります。彼らは、信じ込んでいるので、いわゆる詐欺師とは違う気がしますが、ドウなんでしょうねえ。
今、当市は市議会議員選挙期間中で、近所の方が某政教混合の(?)候補者を推薦しておりますが、教の方には疑いが無いように感じます、政策は良いこと尽くめです、それが出来るなら、誰でも遣るワイと突っ込みは入れていません、気が弱い者で
雑談歓迎です、何時でもどうぞ、愉しみにしています。
論語については、その内にボチボチと

投稿: ハシビロコウ | 2013年3月20日 (水) 07時06分

ハシビロコウさん、もう一度ゴメンなさって。
タイの修行ですが、日本の様に形式ばったものじゃござんせん。参加も退室も自由。基本はあれど、各自スタイルは自由でがんす。
やりたくなければやらない。寝たけりゃ寝る。
朝晩の合同瞑想会&お経読みには参加。
昼以降の食事は禁止だす。
だからブラブラしてるニートなヤツだっている。それでも食っていける。それが自然っぽくてなんだか救われます。
いつだって逃げる場所がある。それが自殺率も低く保つ秘訣ですか?わかりませんが。

騙された話ですか~~‥。
しかも、宗教にですか。
若い時って、霊や宇宙に想いを馳せるじゃないですか。それに生死といった神秘に知的好奇心が刺激されますよね。
そんなことで、どうしても解けない疑問に明確な答えをくれる教祖がいたら本物かと思っちゃうんですよ。でもその答えって、よくよく調べてみると、単なる創作や他からのパクリなわけで、繋ぎ合わせて論理破綻しないようにする知恵は使いますが、素晴らしい教えと裏腹の「行動」を告発なんぞで知るにつけて、「ああ、偽物だったんだな」と気づくのであります。
信者は教義でガンジガラメ、真実が伝わらないように恐怖という毒を仕込むことで、自ら思考に蓋をするようにマインドをコントロールされています。非常に巧みですね。頭のいい詐欺じゃないと組織を大きくできません。
私なんか、その仕組みやテクニックをかなり突っ込んで分析しちゃってますから、古くからある宗教でも、どのようにして勢力を拡大したかが見えちゃうのです。
宗教は、組織を作った時点でその維持が主題目的になります。国家権力に介入しようとしている所があれば、それはまさしくニセモノです。
この辺を話せば長くなるので、御免なすって!
アリガトやんした

投稿: | 2013年3月20日 (水) 18時24分

↑ ムガデース!

投稿: ムガ | 2013年3月20日 (水) 18時26分

ムガさん、こんばんは
ずっと昔、タイ人の留学生の保証人をしていた時に、その両親が、別々でしたが、アメリカ往復の際に、自分のアパートにトランジットして行きました。
そのお父様の方が、出家僧(?)で黄色の衣来て居りました。その時に午後から食事をしないと言うことが解りました。
その家族とは色々お付き合いが有りました。先にお父様であるお坊さんの方が、或る意味非業の死を遂げ、暫くしてから、お母さんが病気で亡くなりました、平均寿命ぐらいでしたかねえ。
思えば、遠い昔の事になりました

タイの修行は何となく想像が出来ました。有難うございます
友達からタンブンに連れて行かれて、大きなお寺に行ったことが有りますが、まあ、駆け込み寺の様に出家して、ブラブラして、ほとぼり覚めたら還俗みたいなこと、言ってました。

騙された話、済みませんね、色々教えて貰って。自分は何となくそう言う話を聞いていると、理解がボンヤリしてきて、余り近づいていけないというのもあるし、貧乏で喜捨も出来ないし、今のところ、特段何も起きていません。
奇跡的なことも、残念ながら、全然駄目なんですよね。
権力や金力、布教には無関心で、奉仕している方達が、本物だろうと、思っております。
これからも宜しく、適当に雑談しましょう

投稿: ハシビロコウ | 2013年3月20日 (水) 22時24分

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