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2013年5月29日 (水)

長生き

Dscn2339               近くの小川で






 自分の父方の祖父は長生きだった、
90才代で亡くなった。

晩年はテレビを見ているか、新聞を読んでいた、夜中は1人でラジオを聞いていた。

テレビは、スポーツ番組が好きだった。プロレスやバレーボールが特に好きだったと思う。体に力が入っているのが解った。吐く息に声が出ていた。そんなに力を入れて見たら、疲れるだろうにと思ったが、好きだから自然に力が入って仕舞うのだろう。

新聞の広告の裏が白い紙をノートのように作って、新聞の中にある難しそうな漢字をそれに書いていた。縦横揃って綺麗な感じだった。

ある時、何故そんな事をしているのか尋ねた事が有る。自分にとっては意外な答えだった。こういう事に熱中していると、時間が早く過ぎる。詰まらん考えを忘れる。

いつもニコニコして、泰然自若としているように見えたが、心の中は、色々あったのかも知れない。何も具体的には言わなかったけれど、もしかしたら老年ってそう言う事なのかも知れない。

在る時、「もう殆ど生きていない」と言っていた。暫くしてから「もう1人しか生きていない」とも言っていた。友達が死んで行くと言うこと。

生きていれば友達の葬儀に列席できる、高齢になれば体調も考えるが、家人に送り迎えして貰えば、通夜には参列できる。でも段々参加しなくなった。

長生きすれば、沢山の友達の最期を見届けられる。

一番の長生きは、友達が誰も葬儀に参加してくれない。友達にさよならも言えない。

ただ、幸運なら、家族の中心で暮らし、家族みんなに見送られて死ぬ事ができる。


Dscn2288         近くの人工釣り池で



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2013年5月21日 (火)

カントリーヘッジ


近くに緑地が有る。感じとしては大きなお屋敷の跡の様だ。梅、柑橘系、ロウバイ、孟宗竹その他の木が配されていて、池の跡もある。500坪ぐらいだろう。税金を物納したか、寄付したか、そんな感じだと思う。

近くを通れば中に入って、四季を感じ通り抜けていた。その中に百葉箱ほどの大きさで高床式の小さな小屋が有り、床の上に細竹が切りそろえられてビッシリ積まれている物が有った。最初の内は見当も付かなかったが、何年かする内に、ファーブル昆虫記を思い出して、昆虫用かなと思うようになった。







Dscn1728



最近は名前も解った、則ちカントリーヘッジ。

本来カントリーヘッジというのは、里山や自然公園にあるその場の材料で作った土留めというか、垣根というか、通路とのり面との境界用に作った工作物らしいことも解った。それが昆虫の越冬用の場所になり、結果繁殖の場所にも成るので、そう言う物もカントリーヘッジと言うらしい。確かに日本語にし難い感じだけれども、昔から現物は有ったわけだから、山柵とでも約しておけば良かった気がする。






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昔の人は、山の保全にその場に有るものを利用して作ったのだろうけれど、結果として森や地形、生態系も保全しながら、最期は自然に帰ると言うことになったのだろうと思う。

翻って昆虫用のカントリーヘッジに当たる人間社会版は何かとフッと思った。

何々?うーん、何だろう。思い当たらない。

昔は、ドヤ街に行けば、安価で泊まれて、仕事が直ぐにあったらしいが、今はそんな事もない。大体ドヤ街が無い。何処へ行けば良いんだ?

色々窮したら何処へ行けば良いんだ?お寺も助けてくれそうも無いし・・・・

セイフティネットと言う言葉はあるが、概念が有るだけで、何処へ行けば良いかは解らない。

タイだと、大きめのお寺に行けば、助けてくれそうだ。慈悲無量の(自費無料?)仏様の意志を具現するところ。



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2013年5月13日 (月)

鏡の中の自分


いつもニコニコ顔では無いけれど、親の敵に会ったような顔で街中を歩かないように気をつけている。

いつもの公園を散歩していると、ウォーキングの人が前方から近づいてくることが有る。楽しそうな感じで歩いて居る人は少ない。その顔をその人に見せてやりたい、と思うことがある。般若の形相である。

秋田に『なまはげ』って面が有るが、その形相である。人を驚かすものだ。

よく聞く話に:遠くから近づいて来る人がある、自分によく似ているが、少し太っていて、姿勢が悪く年寄り臭い、ああ言う風には成りたくないものだ、と思ったら、ビルのカラス壁に映った自分だった。

心の中の自分は、太っていなくて姿勢がよく、細面で、髪がフサフサで、実際より10才以上若く見えて、溌剌としている。苦み走った良い男で有る、と言うのは幻想で、

鏡の中の自分は、小柄でズングリしていてガニ股で、顔は赤ら顔でテカテカしていて、髪も薄く実際より5才以上も老けて見えて全体的に崩れてダラーとしている、そんなものだ。

それでも尚、認めがたく、本来の自分がその中にちゃんと埋まっている。仏師が何の変哲もない木の中に、慈悲深い仏性を観て、それを掘り出す様に、見る人が見ればと負け惜しみ。

と言いながら、老紳士が、すこし縮んじゃったものだから、何となく背広が少し緩く、全体的にシャキッとしていなくてもそれなりに着こなされていて、寒くて鼻の下に薄く鼻水が滲んで光っているのは悪くない、と思っている。

自分は成れそうもない。

若いねえ、等という言葉に惑わされてはならない。あれは足下を掬う世辞で陰謀だ。でも気落ちする事はない。大抵は似たり寄ったりで、オジサンでそんな恰好いい奴は滅多にいない、心配するな。

昔と違って、隠居してから長い。終生現役とか言って、後進に迷惑をかけては成らない。その長い時間を、友達や近所の連中、居れば家族や連れ合いと共に過ごして、ささやかでは有るけれども、仮初めじゃない、本来の自分と共に生きた方がよい。

心の美貌を獲得するのは、体や容貌の若さを保つのと違い大した金は掛からん。

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2013年5月 5日 (日)

盲腸の迷信


今は虫垂炎とか言うことが多そうだが、自分は子供の頃は、盲腸炎か単に盲腸と言っていた。自分が子供の頃、盲腸に付いて思っていたこと等:

☆スイカの種とかブドウの種を食べると、盲腸に成る。
神経質になってスイカの種は全く食べなくなったし、ブドウの種も取って食べるようになったのに、中学生の頃から段々雑になり沢山種を食べたが、高校生になっても盲腸に成らず、関係が無いと感じ始めた。

☆女子がなる。
爺さん、父親、その男性兄弟がならないと、男子は成らない、と誰かが言っていて、爺さんも父も成らなかったと聞いていて、自分は成らないと思い込んでいた。

☆若い人が成る。
高校の修学旅行で、京都に行って京都で盲腸で入院した同級生が居た。気の毒だったが、我々は旅行続行で、彼は親御さんの誰かが来て面倒を見たらしい、自分はもう少しだ、二十歳になったら、もう成らない、と思い込んでいた。

     成ったら散らせばよい。
誰かが手術しないで、薬で散らした、と言うのを聞いて今考えると意味は分からないが、お腹を切らなくとも良い。


     ニワトリの盲腸を切るとニワトリは死ぬ。
誰が何のためにニワトリの盲腸を切るんだ?これはちゃんとして消化管。小学校の人体模型で見ると、盲腸(虫垂)は確かに豚の尻尾みたいで短い、ニワトリの盲腸は長いらしい。

こんな馬鹿な子も、一年に一歳、年を取る。同級生と同じ年です、当たり前か。

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