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2018年11月18日 (日)

麺類の思い出、幾つか~~♪ 2.台湾屋台のウドン~~♪

 

 Fと三十数年前に、中高生の頃には、想像もしなかった、自分位の程度でも、海外旅行に行けるようになってきていて、二人で、一大決心をして、台湾に旅行に行った事が有る。その少し前ぐらいから、世界の農協が、団体で海外旅行に行って、大活躍で有ったが、我々は、地味に、羽田で落ち合って、タイペイを観光して、適当にそこらの飯店やら屋台やらでご飯を食べて、これが海外旅行と言うもんだと、思って楽しんだ。


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タイペイの朝市のようなところを散策して、ちょっと珍しいようなお土産やお茶や、その他、買ったものを袋に入れて歩いた。

それまでは、土産なんぞ買うものじゃないと思っていて、二人で土佐に行った時には、桂浜の傍で五色石が売っていたが、おばちゃんに聞いたら、浜に行けば落ちていると言われて、当時はそんな呑気なものだったが、礼を言って買わず、浜で拾ってきた。おばちゃんにしてみれば、倅みたいな、貧乏そうな二人が、旅行していると考えたのだろうが、後で振り返って、手を振ったら、ニコニコして手を振ってくれたぐらいだ。後1つ加えれば、足摺岬では、近所の波打ち際に行って、初めて見るサンゴのかけらを何個か拾ってお土産~~♪

 

という事で、お腹がすいて、屋台のウドン屋さんで、小さなテーブル椅子もあったし、美味しそうな匂いもするし、人が良さげなご主人も優し気な眼差しだし、メニューは、漢字だが、勿論意味が分かるし、二人とも同じものを頼んで食べた。

 

落語の時蕎麦じゃないが、本当に美味しくて、小声で、「美味い」を連発しながら、その肉ウドンを、これまた汁までしっかり食べた。お金を払う時に、その人、実は日本語堪能で、本当に美味しそうに食べて、美味しいと言ってくれて、自分は嬉しい、もしよければ、一杯ずつご馳走したいが、如何ですか、という事で、遠慮なくご馳走になって、二人ともお腹が一杯になった。礼を言って別れたが、○○にまだ行って居ないなら、と言って、説明してくれたので、近くの別の街~市場も行く事が出来た。そこも日本のような、台湾のような、良い所だった。

あの屋台のウドン、本当においしかかったなぁ。旅行全体も快適で素晴らしい物であった。今でも台湾は親日であるが、先人に感謝している。

 

Fとは、遠くに住んでいる時は、それなりに、今の様に、比較的近くに住んで居れば、年に何回か、落ち合って夕べの一時、軽く飲みながら歓談している。2

人とも両親共に鬼籍に入ったし、可成り草臥れたが、長生きした方が、その葬儀に出て、付き合いは終わるが、生きている方が、時に応じて思い出すだろう。昔の様に、ダラダラと旅に出るのも良いと思っているが、昔ほど呑気な旅は出来ないような気がしている。 おもてなしに熱心な所が多すぎて~~♪

 

 

 

 

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2018年11月 3日 (土)

麺類の思い出、幾つか~~♪ 1.あのウドン、美味しかったなぁ~~♪





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もう40年以上前、昭和50年(1975年)頃の話、念のために言って置けば、郊外の街は今よりずっと暗く、今よりずっと食べ物に関しても生活程度は低く、未だ携帯は世に無くて、携帯に纏わる誤解とか苛めとか詐欺とかは発生しようも無かった。

自分たち程度のアパート住人には、電話は公衆電話のみで、大家さんが近所に住んで居る所は、呼び出しも可能であったが、そう言う人も少なく、連絡はハガキが多く場合によっては勤め先の電話を利用させてもらう事もあったが、遠慮気味であった。

 

その時は、友達Fの所に泊まりに行って居たのだが、隣の駅に、別の友達Tが居て、自分が共通の友達。お互いに話をしていたから、そう言う人が居るのは、お互いに知っていた。二人のアパートは駅から遠かったが、歩いて直行すれば、どちらも最寄駅から歩いて行く距離を足したぐらいという事で、寒い夜、思い立って行くこととした。出がけに、トリスをコップに半分ずつ一気に飲んで、さて出発。

 

私鉄の田舎道を一時間ぐらい歩いて、漸く辿り着いた。どんなアパートだったか、あまり記憶はないが、相当古い感じで、半分ぐらいしか住んで居なくて、真ん中に廊下が有り、当時便所に付いているような暗い電灯があり、両側に、小さな部屋が並んでいたように思う。暗い道を歩いて行ったので、招き入れられたら、妙に明るかった、暖房は無かったが、全然寒さは感じなかった。

Tは久しぶりの、来客で、最初は途惑っていたように見えたが、何となく楽しそうで、暫く雑談していたら、お腹がすいたという事で、ウドンをご馳走してくれることとなった。部屋の外の厨房かどうだったか覚えていないが、20分ぐらいして、それなりの丼に三つウドンが出来て、三人で食べた。とても美味しかった。ネギとナルトが入っていたように思う。「ああ、美味しい」と言いながら、当時の習慣で汁も残さず食べた。後で聞いたら、汁は醤油と砂糖と化調か、カツオの粉だしだけ。

 

 

Tは、奮闘もしたようだし、挫折も有ったようだし、あれから暫くして、遠くに住んだこともあり、頻繁では無かったけれど、連絡しあっていて、連絡は少ししかなかったが、当時の普通だったように思う。10年位経って、亡くなったという知らせが、妹さんからもたらされた。遺品を整理していたら、自分が出した手紙類が、若干出てきて、当時勤めていた会社に電話が有った。もう、彼が亡くなった年齢と同じ位の年月が経った。

あのウドンをご馳走になって、それから逢ってもおかしくないのだけれど、思い出せない。夜半に歩いて帰る我々をアパートの前で、ちょっと複雑だったけれど、特有の笑顔で見送ってくれたのが、よく考えれば、今生の見納めだった。

自分は年が行ってしまったが、彼は勿論あの時のまま。

 



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